第13節:酉非
酉非は、金の猿神の眷属と言われるモノである。
九十九級、と言われる『申』の中位妖魔であり、上位霊に数えられる『大聖』に似た能力を持つ。
下位の陰魔とは違い、ある程度の知性を備えた彼等の目指す先は、神の領域。
全身を覆う毛皮は一本一本が金剛に迫る硬度を備えており、彼らは修練によって呪力を練る事で中位の領域に達すると言われている。
また、存在そのものが紋に類するモノである為に、呪のみで超理を行使する。
その毛皮は硬度によって艶めきや色を変え、上位に達するモノ達は金や白の毛色となるらしい。
人を軽く超える体躯で朱翼を威嚇するように両手を広げて、赤銅は咆哮した。
「興味深いですね」
朱翼は僅かに緊張を覚えながらも、あえてそう言った。
招来術には二種類あり、一つは特定の個体との契約を持って初めて使用可能なもの。
相手が使用した呪紋はこちらで、名代を持って招来したのがその証左だ。
かつて対峙したアレクの使役する上位木龍もこれにあたる。
もう一つは、スケアの使用した子患の召喚術。
これは言うなれば、自身よりも力の弱い相手を呪紋によって縛り付けて行使する術だ。
どちらが高度、という事はないが、単体を相手にする場合には自由意志で動き知性を持つ分、前者の方が厄介な存在である。
「やるぞ、赤銅!」
相手が仕掛けてきた。
左右から挟み込むように朱翼に迫り来る敵に、朱翼は各個撃破を選択する。
まずは、右から来る呪紋士。
彼に対して真正面から、朱翼が石裂を構えて踏み込むと、相手は左に飛んだ。
「私は朱翼と申します。お名前を伺っても?」
朱翼は足を止めないまま、話し掛ける。
「幻鐘だ……《奇門・土》」
相手は答えながら、大きく体を沈ませた……と思ったら、そのままずぶりと沈み込むように地面に消える。
「遁行術……!」
朱翼は気を引き締めていたつもりだったが、まだ相手を侮っていたようだ。
遁行術は、龍脈流に身を潜ませる陰形術だ。
練気拳における行遁法と、方式は異なるが本質は同一の呪紋である。
五行の上位にあたる呪紋術であり、最上位の陰陽術にも通じる高度な呪紋だ。
これも、朱翼は修めていない。
どうやら幻鐘は朱翼よりも練度の高い呪紋士か、あるいは朱翼とは別の流れを汲む呪紋を修めた存在らしい。
目標を失った朱翼に、背後から赤銅が襲いかかった。
妖魔は全身に呪力を満たした存在だ。
その一撃を受ければ、首飾りが光り朱翼は負ける。
横薙ぎに払われた腕を、朱翼は地面に転がった。
体が小さい事も功を奏し、なんとか避ける。
「丙! 《火成》!」
呪力のみを全力で込めた、単純な初等呪紋。
ただ火を起こすだけの紋を、朱翼は極短の詠唱で発動した。
呪力に無駄が出るが、気にしてもいられない。
炎が掌から噴き出して、朱翼の腕を覆う程に広がる。
倒れた姿勢のままそれを横に払うと、火の気を嫌う金の妖魔は飛びすさった。
朱翼は、手を使わずに後転して体を起こすと、再び指で式粉舐め取って次の呪紋を描く。
「陽の赤に星を呑む……」
すると、呪を口にする間に朱翼の足元が盛り上がり、幻鐘が姿を見せた。
手に短い錫杖型の導具を持っており、それが金を示す白色に光っている。
朱翼が頭を反らして避けると、突き上げられた短錫杖が顎を掠めた。
「何!?」
朱翼は、その一撃を読んでいたのだ。
相手は飛び出した勢いのまま、驚いた顔で宙に居る。
再び遁行される前に、朱翼は足を振り上げた。
相手の腹に、爪先が食い込む。
吹き飛ばすとまではいかないが、それでも重い手応えを感じた。
腕に光っていた呪紋が、効力を失って消えた。
「げふっ!」
相手が呻いて体を折ると、その背後から再び赤銅が突進してくるのが見える。
隙間のない波状攻撃に朱翼は一度呪紋を中断し、呪力のみを保持したまま、幻鐘の陰に隠れるように動いた。
赤銅は、そのまま幻鐘の体を引っ掛けて朱翼から離れる。
「顕現! 炎纏いて翼と成し、炎練り込み長と成す!」
朱翼の右腕から伸びた炎が一本の棒になり、そこから枝垂れるようにつらなった炎の羽が開く。
完成させた呪紋を、朱翼は振るった。
「《鷹ノ羽》!」
斜め上から薙ぎ切るように、さらに伸び上がった炎の片翼が幻鐘と赤銅に迫った。
「赤銅!」
幻鐘が言いながら短錫杖を投げて印を組むと、赤銅は短い唸りで答えた。
「金如意!」
錫杖が瞬時に赤銅の体躯に合わせた大きさに姿を変え、赤銅はそれを握りざま、炎を迎え撃つように振るった。
空中で交錯した炎と錫杖は、それぞれに込められた呪力により拮抗し、呪力を削りあった結果、朱翼の炎がぐにゃりと形を曲げて溶け消えた。
赤銅が、熱され、白く煙を上げる錫杖を取り落とす。
錫杖は再び小さくなって、きん、と地面に跳ねた。
だが、朱翼達はお互いに止まらなかった。
赤銅は自身の剛毛を握るようにむしり取ると、咆哮を上げながら朱翼に向けて投げる。
火を間近に受けて手に火傷を負い、最早模擬戦だという事を忘れているようだった。
「っ赤銅! やり過ぎだ!」
幻鐘が焦った声を上げるが、既に術は放たれた後だった。
呪力を込めた咆哮を受けて毛が数本ずつより合わさり、金針となって朱翼を襲う。
喰らえば怪我では済まない。
「陽赤星呑」
朱翼は基線だけを素早く描いた後に、外套を片手で一息に脱いだ。
迫る金針を覆うように、ばさっと宙に大きく広げる。
金針が布地に触れた瞬間、巻き込むように腕を捻ってそのまま手を離す。
巻き込んだ金針の勢いのままに、あらぬ方向へ飛んでいく外套には目もくれず。
朱翼は、さらに紋の続きを編んだ。
先に完成したのは、朱翼の心配をしながらも描いていた幻鐘の呪紋。
「《金砂》!」
砂嵐のような細かい金属の粒子が舞い上がり、朱翼に迫る。
回避は出来ない。
巻き込まれれば朱翼の首飾りは反応するだろう。
しかし、砂嵐が迫り来る頃には、彼女は術式を完成させていた。
「丁克太白」
朱翼の呪に反応し、呪紋が発動した。
前に向けた掌から広がるように宙に波紋が走り、金砂を絡め取ると、手元に凝縮していく。
「星転」
相剋され、朱翼の支配下に置かれた呪力が練り直されて、彼女の呪力と混ざり合う。
それまでにない高密度の呪力を手の中に握り込み、朱翼はそれを赤銅らに向けて投げ返した。
「変星起紋、《斯行》」
幻鐘の放った《金砂》の術式が、そのまま倍の範囲を持つ火粉の砂嵐に転じて、幻鐘達を襲った。
避ける場所が円の中に存在しない程に広範囲の、熱量の制限された火の粉を受けて。
幻鐘の首飾りが、淡い光を放った。
「勝者、朱翼!」
審判の宣言に、静寂を置いてから歓声が上がる。
あまりにも高度な呪紋の応酬に、観客らは見入っていたのだ。
朱翼が烏とメイアに顔を向けると、二人は安堵の表情を浮かべて駆け寄ってきた。
「思わず、手を出しかけたわ」
「踏み留まってくれて良かったと思います。賞金が得られなくなる所でした」
烏の言葉に、朱翼は冗談を返した。
メイアが呆れたように髪を掻き上げる。
「よく、そんな事を口にする余裕があるわね。私なら相手に招来術も使われずに負けてたかもしれないような相手よ、彼」
「余裕はありませんでしたよ。正直、模擬戦でなければ危うい所でした」
言いながら相手に目を向けると、幻鐘は自分の仲間に何かを告げてから、こちらに歩いてくる所だった。




