第4節:生きていれば、良いことがあります。
それは嵐のようにやってきて、彼女達の頭を撫で、抱きしめ、そして部屋に案内すると過ぎ去るように去って行った。
御頭という名の嵐だ。
朱翼達は呆気に取られてしばらく固まっていたが、気を取り直した彼女らは部屋を見回した。
大きな樫の机があり、その上には何かの道具が整然と並んでいる。
酒と煙管の入った戸棚と,丸机の前には椅子が三脚置かれていて、椅子は一つだけが古ぼけていて残りは新しい木の色合いをしていた。
寝台も二つ。これも片方は新しく、それなりに広い筈の部屋を圧迫している。
ここが、朱翼達に割り当てられた部屋だと言われたのだが、先に誰かが住んでいたようだ。
恐らくは、元々白抜炙の部屋なのだろう。
「姉ちゃん」
錆揮の呼び掛けに、朱翼は弟に目を向ける。
あの村で足を挫いた彼の足首には、水の紋を描いた新しい湿布が巻かれていた。
「オレ達、これからどうなるの?」
不安そうに言う弟を、朱翼は手招きして抱き寄せた。
「あの村に居るより酷い事にはならないと思いますよ」
頭を撫でながら思った事をそのまま告げるが、錆揮は首を横に振って朱翼の肩に顔を埋める。
「ごめん、姉ちゃん」
「何の話ですか?」
本当は気付いていたが、朱翼は素知らぬ振りをした。
しかし、錆揮は口を止めない。
「オレが足を挫かなければ逃げれたかもしれないのに。オレのせいで……」
「錆揮」
朱翼は、弟の言葉を遮る。
「大丈夫です。道中も今も、食べ物も十分に貰えています。辛い事には……」
「オレは辛くたって良いんだ。でも、姉ちゃんが辛い目に遭うかもしれない」
錆揮が朱翼の背中に回した手に、力が篭る。
「あの人達が本当に悪意のある者だったなら、ここまで私達を手厚く遇してはしてはくれませんよ。それに彼らは、麓の村の少女を救うためにあの村に赴いたのですから」
「ここに連れて来るまで、大人しくさせる為だったかもしれないじゃないか。あの村の連中だってそうだったんだから」
「貴方は心配性ですね、錆揮」
錆揮は、困ったように首を傾げた朱翼の肩から顔を上げる。
潤んだ目をしているが、それでも泣いてはいないようだ。
「今からでも、遅くないよ。姉ちゃん。姉ちゃんだけでも、逃げて」
「馬鹿ですね」
朱翼は表情こそ変えないが、優しく錆揮の頬に手を添えた。
「貴方を見捨てて、逃げはしません。弟なのですから」
言われて、錆揮は何かを堪えるように眉根を寄せて唇を噛みながらうなだれた。
「……オレに姉ちゃんを守れるくらい、力があれば良いのに」
「将来に期待しましょう。そうですね。自分の身を守れるくらいには強くなってくれると、私も安心出来ます」
朱翼が少しでも気分を和らげるように軽く言うと、錆揮はまた彼女に強くしがみついて、ぼそぼそと言った。
「頑張る。強くなれるように。殺されないように。姉ちゃんを、少しでも早く守れるように」
「はい。生きていれば、きっと良い事がありますよ」
自分でも信じていない言葉で相づちを打って、朱翼は落ち着くまで錆揮を抱き締め続けた。