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朱の呪紋士  作者: メアリー=ドゥ
第二章 悪龍編
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第4節:錆揮の後悔

 

「一体、何をしている?」


 不意に掛けられた声に、メイアは目を開けた。


 乱れた息はまだ戻りそうにない。

 地面に横たえた体を起こすのも億劫だ。


 メイアが目だけを向けると、そこに官服に身を包んだ壮年の男性が立っていた。


 ハヌム=ウヒト・ゴーヴァン。


 彼女の父だった。


「お父様……いえ、少し、手合わせを」


 ハヌムは、周囲に目を向ける。

 既に日の落ちかける時刻であり、家々から煮炊きの香りが漂う中。

 その場にいるのは、呆れた顔の四人と、メイアの前に立った朱翼だけだ。


「……随分、やられたようだな」

「ええ。それはもう徹底的に」


 彼女は、あれから何度も朱翼と手合わせをした。


 報酬を倍に増やすと言ったら、朱翼はあっさりと付き合ってくれたのだ。


 メイアは呼吸を整えて、体を起こした。

 ひどく疲れてはいるが、気分は悪くない。


 メイアは、自分の中に燻っていたわだかまりや驕りが綺麗に消えているのを感じていた。


「お父様。私、この方々に今日お屋敷に泊まっていただこうと思っているのですけれど、宜しいかしら?」

「それは構わないが……本当に何があったのだ?」


 娘の清々しい程の笑顔に、ハヌムは不審を覚えたようだ。

 無理もない。ここ最近、彼女にも常に不機嫌な顔をしていた自覚はあった。


「私にとって、今日は素晴らしい日だったのです」


 朱翼が見せた、派手さはないが有効な戦術の数々。

 真似できない事も多かったが、それでも彼女にとっては、学園で学ぶ事の何倍も有意義なものに思えた。


 完膚なきまでの敗北に、悔しさがないとは言わない。

 それでも、彼女は朱翼に手を差し出した。


「ありがとう、スイキ。私は今日、貴女に出逢えた幸運に感謝するわ。宜しければ、夕飯と一泊の誘いに応じて欲しいのだけれど」

「良いのですか?」


 朱翼が戸惑いながらも手を握り返して言うのに、メイアは屈託なくうなずいた。


「今からミショナに向かっては、着くのは夜になってしまうでしょう? 門が閉じて中には入れないでしょうし、野宿よりはマシな寝床だと思うわよ」


 朱翼が仲間たちを見ると、無陀と烏が顔を見合わせて、烏がうなずく。


 無陀が代表して言った。


「なら、ご厚意に甘えようかねぇ」

「腹が減った。腹が」

「誰かさんのせいで保存食しか食べてないしね」

「まだ言うかねぇ……」


 弥終と錆揮が口々に言うのに、無陀がげんなりした顔をする。


「多分、一番お腹が空いているのは私かと」


 言った途端に、朱翼の腹が音を立てた。


※※※


 朱翼は、今までに食した事もないような豪勢な食事に大変満足だった。


 柔らかい布張りの長椅子に座って、無表情にお腹をさすりながら。

 彼女は、けぽ、と可愛らしいと言えなくもない音を立てて喉を鳴らす。


「はしたないわよ」

「すみません」


 横に座った烏にたしなめられ、朱翼は素直に謝った。


 食事前に暇を貰って、朱翼は頭に頭布を巻き直している。

朱色の瞳を隠すのは諦めた。

 そこまで気にしていたら食事も満足に取れない。

 大体、ここまで好意を示してくれた相手に対して、覆面のまま過ごすのは失礼だ。


 そう思って覆面を解いたのだが、メイアとハヌムは、朱翼の素顔には驚いたようだが、瞳の色については特に何も言わなかった。


 ここまで鮮やかな色でなくとも、肌や目の色が淡い皇国の人々の中には赤色の瞳の者もいるのかもしれない。


 朱翼は、類稀な美貌の持ち主だ。

 この顔のせいで人攫いに遭い、人攫いの村を襲撃して来た白抜炙(シラヌイ)に拾われて【鷹の衆】になった。


 今はどこにいるのだろう。

 行方知れずの主を想い、朱翼が少し切なくなっていると。


「いやしかし、信じられない位旨いメシだったねぇ」


 そんな気持ちは露知らぬ無陀が呑気に言い、弥終がうなずいていた。


「給侍も美人だった。美人の入れた水は美味。まことに美味」

「おまえさんはそーだろうねぇ」


 朱翼はそんないつもの会話を聞きながら、ふと弟が気になった。

 錆揮はこの場にいない。

 庭を借りて、今日も短剣を振っているのだろう。


 旅に出てからこっち、彼は一日も休む事なく鍛練を続けている。

 理由を訊ねても、ただ『強くなりたいから』としか答えない。


 錆揮に何か隠し事をされた事など今までなかったので、朱翼は気になっていた。


※※※


「随分熱心なのね。休まないの?」


 声を掛けられて、錆揮は振り向いた。

 屋敷にある中庭の、4つの入口に揺らめく明かりを頼りに素振りをしていたのだ。

 日中は暑かったが、今の時間帯は風が心地よい。


 と、感じたのは最初だけで、動き続けて汗まみれな今は、もっと吹け、としか思っていない。

 汗に惹かれてやって来た邪魔な羽虫を一度手で払い、錆揮は袖で汗を拭った。


「終わったら休むよ。熱心さも、貴女ほどじゃない」


 立っていたのは、メイアだった。

 錆揮は素振りに戻る。


 まだ、自分に課した回数をこなしていなかったからだ。

 なので素振りを続けながら、口を開く。


「昼間は凄かった。あの時は呆れたけど、今は感心してる」

「ありがとう」

「悪いけど、俺は貴女の相手は出来ないよ。弱いし、呪紋も使えないから」

「誉めてもらった所だけど、これ以上は動きたくないのが本音よ」


 その言葉に目だけを向けると、メイアは石で出来た入口の壁にもたれていた。


「だろうね」


 錆揮は相槌を打った。

 あれだけ動いて、この上まだ鍛錬に付き合うと言われたら最早尊敬に値する。

 もっとも、今からでも付き合うと言われても違和感がない位、あの時の彼女は凄まじかった。


 姉の攻撃を受けながら、試行錯誤を繰り返している間、彼女はずっと笑っていた。

 貪欲に血走った目を向け、姉の動きを一片たりとも見逃さない、と思っているような執念。


 しかし今見る彼女の姿は、どちらかと言うと華奢な女性に見えた。

 体力も見た目相応なのだろう、とても疲れているようだ。

 あれだけ動けた事の方が、驚きなのだ。


「弱いと言う割に、様になってるわね」

「そうかな」


 言われた時に、錆揮は素振りをやめた。


「ああ、ゴメンね。邪魔だったら黙っておくけど」

「ううん。もう終わっただけだよ」


 錆揮は短刀を仕舞って肩を竦めた。


「教えてくれる人には恵まれてるんだ。弥終も、無陀も、烏も、俺なんか足元にも及ばない位強いから。それに基礎を習った人は、よく練習に付き合ってくれた」

「誰に習ったの?」

「白抜炙。俺たちが探してる人だよ」

「何で行方知れずに?」

大禍(たいか)に呑まれた」


 錆揮の言葉に、メイアが息を呑んだ。


「それって……」

「普通なら死んでると思うだろ?」


 錆揮は自嘲して笑った。

 白抜炙が大禍に呑まれたのは、錆揮のせいなのだ。


 あの、皇国の襲撃で、錆揮達は何もかも失った。

 追い詰められた皇国の呪紋士が発動させた大禍は、【鷹の衆】の皆と白抜炙を呑み込んだ。


 追い詰めたのは、錆揮だ。

 他の皆と違うのは、錆揮が全てを失ったのは自分のせいだという事。

 驕り高ぶり、瀕死のままにその呪紋士を放置した。


 弱い心で誘惑に負けた事、幼いままでいたくて、何も理解せず、覚悟もなかった事。

 それに気付いた時には、既に遅く。


 彼は、姉から想い人を奪ってしまった。


「俺達はあの人が生きてると信じてる。白抜炙なら、ってね」


 その言葉に何を感じたのか、メイアは目を閉じて黙った。


「住んでいた所を離れて、旅をしているのも、それが理由なのね」

「そう。あの人ともう一度出会って、俺は謝らなくちゃいけない。せめて、あの人にだけは」


 他の謝らなければいけない人たちは、皆死んでしまった。


 だから錆揮は、毎日刃を振るう。

 でなければ、自分の罪を忘れてしまう。


 思い出にしてしまう。


 錆揮の中で、それは許される事ではなかった。


「メイア、さんも。生まれた地を離れて、何でこの国に?」


 言葉も違い、危険も多い。

 話を逸らすためにそれを聞いた事を、錆揮は即座に後悔した。


 メイアの顔が一瞬苦しげに歪み、すぐにその表情を消したからだ。

 その反応を、錆揮は知っている。


 白抜炙や御頭がたまに見せた顔。

 自分の罪に苦しむ人の、それを償えない事を知っている人の顔だ。


「ごめん、俺……む、無理に話さなくていいよ」

「ええ……」

「で、あの、なんか用だったの? 俺のとこに来たの」


 慌てて次の事を尋ねると、メイアも空気を変えたかったのかすぐに応じた。


「ああ、あなた達全員に話したい事があって。呼びに来たのよ。広間へ来てくれる?」


 その言葉に、錆揮はすぐにうなずいた。

 

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