第3節:練気と呪紋
「どのような形で勝敗を決めるのか、お伺いしても宜しいですか?」
渡された首飾りを手に朱翼が問うと、メイアは同じ首飾りに頭を通しながら答えた。
「呪紋士の模擬戦は、攻撃的な呪力を相手に殺さない程度に当てる事と円から出ない事。Ruleはそれだけよ」
「るうる?」
聞きなれない言葉に問い返すと、メイアは少し考える素振りを見せてから自信なさ気に言った。
「ええと、トリキメ、かしら?」
取り決め。
言葉の意味を理解し、朱翼は頷いた。
二人が立っているのは、村の広場だった。
空は晴れ、心地よい風が吹いている。
村の気脈龍脈はあまり力は感じないものの落ち着いていて、術式の行使に問題はなさそうだった。
広場には木の棒で、踏むと生体に反応して光る呪紋で円が描かれている。
この線を越えないように模擬戦を行うらしい。
「頑張れ〜」
呑気な声は無陀だ。
他の面々も、円の外でのんびりと観戦している。
他にも手の空いている村人や子供達が、目を輝かせてこちらを見ていた。
どうやら、態の良い娯楽と思われているらしい。
広場に来るまでに、弥終がメイアを口説こうとして烏に成敗された一幕があり、弥終の頬が少し赤くなっていた。
いつもの事だ。
朱翼は、メイアに目を戻した。
「首飾りを付けてちょうだい。それも呪力に反応する宝玉で、身につけた者以外の呪力を体の中に感じると取り込んで光るの。光った方の負けね」
審判役の代わり、という訳だ。
メイアは朱翼が納得して首飾りを付けると、賎貨を一枚取り出した。
金、銀、銅貨の下に位置する屑鉄を鋳造したものだ。
「この貨幣が落ちたら開始よ。良い?」
「はい」
朱翼が答えるのと同時に、メイアに弾かれた賎貨が宙を舞った。
きらめきながら落ちると同時に、キン、と澄んだ音が響き。
メイアと朱翼が、同時に地面を蹴った。
朱翼が前に。
メイアが横に。
朱翼の行動に少し驚いた顔をしてから、メイアが面白そうに微笑む。
「陽黒星呑!」
逃げながら、彼女は腰に下げた紋具に指を入れて式粉を舐めとると、左腕に紋を描く。
「太白水生! 顕現!」
聞き慣れないが、正式な呪ではない。
長さと描く紋速から、略式呪であると検討を付ける。
「水変じて渦巻き、蛇と成す!」
呪紋の威力は、呪の詳細さと紋の正確さに比例する。
呪は主に三種、正式呪、略式呪、速唱呪だ。
威力でなく速度重視なのは、一対一という状況を加味してのもの。
速唱呪でない理由は分からないが、朱翼には好都合だった。
朱翼は黄の式粉で基紋のみを腕に描きながら、さらに疾く踏み込んだ。
「ッ、《水鞭》!」
「戊分辰星」
驚き、少し早口に詠唱したメイアの術式発動に割り込むように、朱翼は龍脈に自身の呪力を流した。
土剋水。
五行には相生相剋があり、相剋関係にある呪紋の発動は、対になる呪力で阻害する事が出来る。
勿論絶対ではないが、今回は完全に相手の呪紋を抑え込む事に成功した。
「え!?」
呪紋が発動しなかった事に混乱したのか、動きを止めるメイア。
その首筋……ではなく、胸元の宝玉を狙って。
朱翼は石裂……楕円の石の片側を刃の形に削り、丸い方を握りこむ山師の暗器……を振るった。
軽く当てて呪力を流し込むと、宝玉が光る。
「私の勝ち、ですね」
朱翼の宣言に対して。
メイアは何故か呆然と、こちらの顔を見返していた。
※※※
「今のは、何?」
メイアの問い掛けに、朱翼は首を傾げる仕草を見せた。
「今の、とは?」
目の前の覆面の呪紋士は、涼やかな少女の声音で問い返して来た。
「私の呪紋が発動しなかったのは、貴女の仕業よね?」
メイアの呪紋は少し雑ではあったが、呪紋が不発になる程ではなかった。
それが発動しなかったなら、原因は目の前の少女にあるとしか考えられない。
「相剋呪です。珍しいものではないと思いますが……」
そう、相剋呪自体は珍しくはない。
問題なのは、朱翼が、明らかにメイアの使用する術式を読んでから、それを発動させた事にある。
「貴女は、土系統の呪紋士なの?」
「問いかけの意味がよく分かりませんが……私が一番得意なのは火紋です」
メイアは衝撃を受けた。
火の系統の呪紋士でありながら、事もなく土剋水を行ったという。
それがどれほど高度な事か、朱翼はまるで理解していないようだ。
「もう一つ、よろしくて?」
「はい」
「私の宝玉を光らせたのはどんなMagicなの? 貴女は呪紋を発動していたようには見えなかったわ」
「まじっく……」
「ええと、方法!」
つい、学園では通じてしまうので母国の言葉が混じる。
メイアはその齟齬に苛立ちを覚えた。
しかし、彼女はぐっと我慢した。
どんなに練度の高い呪紋士であろうと、詠唱も描紋もなしに呪紋を発動させる事は不可能な筈だ。
理由が知りたかった。
「呪力に反応する、という事でしたので、石裂を媒介に呪力をそのまま宝玉に流し込みました。いけませんでしたか?」
「そんな事、出来る訳ないでしょう!?」
メイアは思わず叫んだ。
呪力、と自分達が呼んでいるものは、厳密には体内に内在する力の事ではない。
呪力とは天陽地陰そのもの、世界を巡る五行星配の事だ。
それを体内に取り込み、術式にて標した理を顕現するに足る分だけ蓄えたものを、仮に呪力と呼ぶのだ。
溜め込む力の大きさこそ、溜め込む時間、個人の資質に左右されるが、呪力の行使はあくまでも術式に付随する要素のはずだ。
彼女の言った事は、術式の助けなく天地の理を保つ力を操る事が出来る、という宣言に等しい。
それは、神に等しい力だ。
メイアにはそうとしか思えなかった。
「メイアさん。朱翼の言っている事は本当よ」
押し黙る朱翼に助けを出したのは、烏だった。
「その子は、龍脈を視る目を持っているの。そして、呪力をそのまま扱う方法もこの世にはある。ご存知ないかもしれないけれど」
メイアは、睨み付けるように烏を見た。
「私は練気拳を修めています。己を、世界を包む理の一部としてその流れに同化し、己という存在を遥かな高みへと至らせる為の理法です」
烏は一度、言葉を切った。
「その中には、力の流れを我が身に留める丹田法、力の流れに己を乗せる行遁法という技もあります。理屈は、呪紋と同一。しかし私達練気の者は場に在る理を変えない。故に、力の行使に紋を要しません。今の朱翼と同様に、です」
彼女の語る言葉は、理解出来る。
しかし納得する事を、メイアは心のどこかで拒絶していた。
それは、己が優れているという自負を砕かれた為か。
あるいは、自身の信じるものを根底から揺るがされたせいかも知れない。
メイアは、有り体に言って朱翼をナメていた。
呪紋の行使に、時代遅れの古くさい紋具を使う呪紋士に。
まさか基紋を体に刻み、戦場で戦士達にも遅れを取らぬよう磨きあげられて来た実戦呪紋術を学ぶ、自らが負ける事などあるはずがない、と。
だが結果は、論理でも実戦でも、得体の知れぬ旅の呪紋士達に敗北している。
メイアは血の昇った頭で、それでもまだ冷静な呪紋士としての自身が、分析した相手の論理を噛み砕いて疑問を呈する。
「理を変えずに、呪力を行使する事が可能であるならば、呪紋は何の為に存在すると言うの? より優れた理への干渉法があるならば、そちらが世に広まっていなければおかしいでしょう」
「練気法と呪紋、どちらが優れているという事はありません。理の追究という観点で見れば優劣を語る意味はあるかも知れませんが、練気法はあくまでも個に帰結する修練法です」
烏は、まるで教え導くようにメイアに言う。
その所作が、また気に食わない。
「対して呪紋は、万人に利便をもたらします。例えば、生活に必要な火をおこし水を湧かす活符。これは己の存在を高める事のみに終始する練気の者には、生み得ないものです。練気の者は、その火や水を必要としない存在になる事を至上の目的としているのですから」
また、と烏は言う。
「呪紋と違い世の理に従う練気法は、場に在る力の利用のみを行うもの。星配が水に寄れば水を、土に寄れば土を。天然自然にないものを生み、行使する力はありません。呪紋と練気法は、根底に同じ根を持ってはいても、全く違う場所に在る枝葉なのです」
「ぐ……では、何故呪紋士である朱翼がそれを行使出来るの? 全く違うと言うのなら、おかしいじゃないの!」
「そこは、天賦の才、と言うしかないですね。朱翼の視るものは我々とは全く違う。強いて言うならば、五行の流れを感じ取る符というものを、我々の探し人は使用していました。同じものを常に見る事、感じる事が出来るのが、朱翼です」
「反則よ! そんなの!」
最早駄々っ子のようだと自分でも思うが、メイアはごねる自分を止められなかった。
「あ~、ちょっと良いかねぇ?」
そんなメイアに対して口を挟んだのは、無陀。
「別に朱翼も、望んで得た力じゃーねぇ。だから天賦ってんだからねぇ。あんた自身も、理屈にゃ納得してんじゃーねぇのかい? 何をそんなに意固地になってんのかね?」
メイアは言葉に詰まった。
自分でも分かっているのだ。
今までの自分の努力が否定されたような気がして、認めたくないだけなのだと。
さらに、それまで黙っていた少年が、口を開く。
「俺には、あなたに才がないようには見えないよ」
彼は、歳に似合わない静かさで淡々と告げる。
「それなのに、姉さん自身にどうしようもない事で、姉さんに八つ当たりして欲しくないな」
「八つ当たりですって?」
「そうだよ。自分が磨きあげた力があるなら、あなたはそれを大事にするべきだ。別に俺達はあなたの努力を否定してる訳じゃない」
達観したようなその目に、意味もなく反発を覚える。
自分より年若の相手に、そんな事を言われるとは。
「あなたが、身の丈に合った力を努力で得たなら、それは誇るべきだ。誰にも否定は出来ないし、過ぎた力は望むべきでもない」
不意に目を伏せて、少年は押し出すように言葉を締めた。
「制御できない力は、身を滅ぼすだけだ。……自分だけじゃなく、周りまで巻き込んでね」
そんな彼に、彼の仲間達は痛ましげな目を向ける。
何があったかはわからないが、その雰囲気に、メイアはそれ以上何かを言う気をなくしていた。




