表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
朱の呪紋士  作者: メアリー=ドゥ
第一章 巣立編
37/118

第36節:王の追憶

『大義とは、世知辛きものよの。刀ノの』


 懐かしい声が響く。


『何故自身が成さねばならぬのか。そう思う程に、誰かが成さねばならず、自身が成さねば誰も行わぬ、と。そうも思う』

『貴様の物の見方はいちいち小難しいな、和の』


 これもまた懐かしい声が応えた。


『誰も成さぬから己が成すのだ。そこに疑問を差し挟んで己に酔った気か。酒が深いか?』

『はは。汝は常に手厳しい。それが心地良くもあるがの。しかし、刀ノ』

『何だ』

『もし事が動き出そうとも。汝が大義を捨ててでも得たいと想うものがあれば、捨てて構わぬぞ』


『……深酒が過ぎて、終に戯れるか、愚か者が。世が滅ぶ間際と、そう言ったのはお前であろうが』

『然り然り。しかしそれが何程のものであろうか、とも、吾は思う』

『何?』


『人は死ぬ。国は廃れる。ならば世が滅ぶ事の、何の不思議がある』

『……』


『確かに、事は大事ぞ。しかしの、刀ノ。滅びを前に、己がどう生きるかも、同じく大事であろうよ。例えば己が死ぬ時、然程の後悔がない人生であれば、例え世が滅ぶ間際でも人は幸せであるとは言えまいか』

『知るか。俺の人生は後悔だらけだ。貴様と馴染んだ所為で厄介が起こる事も既に後悔し始めている程だ』


 からからと、玉帝は笑う。


『本当にそうかの?』

『どういう意味だ』

『愛妻殿よ』

『……』


『如何に堅物の汝とて、彼の女性(にょしょう)に引き止められれば心揺らごう?』

『侮るなよ、和ノの』

『勿論、そういう意味で言ったのではない。愛妻殿の声に応じれば、汝にも後悔無き人生が在ろうと言うておるのじゃ』

『そうして、座して滅びを待つか。下らぬ』


『……』

『……』

『……彼奴は、上手くやっているか』

『さての。嫌がらせの類いは失せたように思うが』


 過ぎたる寵愛。

彼が受けた陰口を、彼の妻たる女性も同様に受けている。

異国の者が将として玉帝の側に仕える事を、批難する声だ。


 それを制したのは、彼だ。

 ただ一言。


『下らぬ』


 と。


『己が能のない事を棚に上げ、人を妬む等と』


 そうしてマリア様に向けられた反感は、全て彼が引き受けた。

 玉帝が、悪戯に笑む。


『やはり気になるかの。愛妻殿の事になると』

『酒の肴に訊く程度の事だ。喋りたくなくば言わずとも良い』

『この間も愚痴を言うておった。祝儀まで挙げたというに汝が連れぬ、とな。あの風来坊は家宝よりも汝の事を気にかけておる、と言うた時の顔は中々の見物であったぞ。耳まで赤うなってのう』

『貴様は本当に底意地が悪い奴よな。余計な話を盛りおって』


 本気で気分を害したように牙を剥く彼に、玉帝はただ笑う。


『心外な。吾は只、真実のみを語っておると言うに』

『どこがだ。大体貴様はなーーー』

 ーーーーーーーーー?

 ーーーーーー!

 ーーー…


 そんな会話を。

 かつて幸せであった頃の二人を。


 彼は……那牟命は、後ろに控えて見ていた。


 そして目の前の光景が、かつて在り、今はない夢である事も彼は知っている。


 夢の外から差し込む光が景色をぼやけさせ、彼は目覚めた。


 淡い緑の光。

見ると、もう使う事のないと思っていた符より発せられている。


「貴様は、俺と決別したものと思っていたが」


 開口一番、彼が尊敬する人物を真似た、那牟命としての口調で言う。


『そんなつもりはありませんでした。好きにしろとおっしゃったので、そうしたまでです』

「で、何用だ」

『結末についてご報告を。必要かと思いましたが?』


 その太々しい口調に、那牟命は頬を緩める。

 情報は欲していた。しかしそれを外に出してやる程、彼はもう甘くはない。

 小僧であったあの頃とは、何もかもが変わっている。


「語るならば聞こう」

『【鷹の衆】は壊滅。御頭は死にました。しかし蒼将は撤退。須安も消えました』


 マリア様が死んだ。彼も消えた。その報告に、那牟命は目を閉じる。


「それで?」


 雛は、と聞きたいのをこらえ、話の先を促す。


『私を含む【鷹の衆】の残党はこれより旅に出ます。南へ』

「ほう。何故だ?」

『雛の、大切なものを探しに』


 雛が生きていた。しかし蒼将は捕獲に失敗した。

 ならば彼は成功したのだろうか。玉帝の無二の友であったあの人は。


 彼が雛と共にいない。

その状況が何を示すのか、この玉座からでは伺い知れない。


 しかし彼は消えただけだ。死んでいない。

 生きている限り、あの人は諦めないだろう。


 そしてマリア様の死にすら立ち止まらなかったのなら、もう止まるまい。

 あの夜の約束はまだ生きている。


 玉帝すらも、彼の心を慮って『捨てて構わぬ』と言った重責を、彼は背負い続けている。


『報告は以上です。何かお聞きになりたい事はありますか?』


 聞きたい事は山ほどあった。

 しかし那牟命は、彼に対する信頼を持って質問を一つに絞る。


「雛の探し物は何だ?」

『白抜炙。【鷹の衆】の一人で、彼女の想い人です』


 想い人。

 雛の心は、鋼の如く冷えきったものと聞いていた那牟命にとってそれは意外な言葉だったが、同時に、そうだろうな、と納得もした。


 彼やマリア様と共に過ごし、その指南を受けたと言うのなら。

 冷徹である事は、その人物が無慈悲であるという事と、必ずしも等号ではないのだ。


『他に何か、ご質問は?』

「ない。俺は此処で果報を待つとしよう」


 この、託された玉座で。


 巣立った雛がやがて、世界が救う事を願い続けよう。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ