第29節:見えざる手
藍樹が僅かな溜めを見せたのを見て、烏は動いた。
「太白虎形!」
型を取り、呪と共に龍脈より金気を吸い上げて練り上げる。
その練気を右腕に凝縮し、掌底を突き上げるように放った。
「破ッ!」
ーーー練気拳形意術の一、金気の型『虎咆』。
本来、相手に当てて浸透頸として用いる練気を、気脈を伝わらせて離れた相手に叩き付ける上位の形意術。
僅か一呼吸の間に放たれた一撃は、狙い違わず藍樹の顎を下から突き上げる。
狙いを反らされた藍樹は息吹を放つのを止め、不快そうに口から呼気を吐きながら眼下の烏を睨みつけた。
金気の充実により一時的に白く染まった髪を虎の尾が如く翻し、烏は笑んだ。
「邪魔はさせないわ」
「やるね。でも、その位で藍樹に傷をつける事は出来ないよ?」
言いながら、アレクは反射的に手に持った槍の穂先を跳ね上げた。
それが自分に向けられた敵意に対しての防御だと気付いたのは、自身が超速反応で攻撃を弾いた後の事だ。
鈍い金属音と共に手に衝撃が走る。
「今ので倒せるとは、思っちゃーいなかったけどねぇ」
声は、間近で聞こえた。
「へぇ、速いな」
少し驚きながら視線を向けると、アレクから距離を取るように小男が宙を蹴って後ろ向きに跳んでいた。
両手足に緑の紋が輝いているのが見える。
「『天駆』の技か。まさか、そこまで風紋を操れるとはね」
「これ、すげー疲れるんだけどねぇ」
軽口を叩く無陀にアレクは追撃しようと槍を構えるが、それは無陀とは逆方向から迫って来て鋭い風針を吐いた小竜に阻まれた。
これは侮り過ぎていたかな、とアレクが認識を新たにする間に。
「ーーー練気で効果が薄いなら、これはどうだ、これは?」
次の声は、地上から。
烏と同じように藍樹の真下に潜り込んでいた弥終が、手に持った鎚を連続で地面に叩き付ける。
「土精に命ず、『震山・牙峰』!」
ーーー彼が手にしているのは、土紋鉄槌か。銘を【震山】と言うらしい。
土精に語りかける紋を有する紋具だ。
打面に刻まれた反転紋が土に写って真紋となり、弥終の呪(呼びかけ)に応えて土精が力を解放する。
地面が鋭く隆起し、天を刺すが如く五本の土槍が藍樹に襲いかかった。
自身の防御を貫く威力の攻撃と察した藍樹が、僅かに身じろぎして土槍を回避する。
その三連撃の間に、御頭は戦線を離脱していた。
「やるね。逃がしてしまった」
三人の連携を受けてなお、アレクには余裕があった。
槍の穂先を、三人に向けて構える。
しかし三人はアレクの軽口に付き合わず、再度攻撃を仕掛けてきた。
「裂ッ!」
烏は練気を足と腕に通わせ、地面を爆発させながら跳んだ。
ーーー練気拳形意術の一、金気の型『虎爪』。
龍鱗すらも引き裂く威力を込めた一撃は、しかし藍樹によって躱される。
「遅いね」
アレクの声と共に、藍樹は自分の邪魔をした矮小な敵に向けて尾を振るう。
宙で身動きする手段のない烏に、回避は不可能。
だが、それを見越していた無陀が烏の側に駆け参じると、二人はお互いの足裏を蹴り合わせて無理矢理落下の軌道を変える事で尾の一撃を躱した。
しかし藍樹は動じる事なく、着地した瞬間に息吹を喰らわせようと呼気を吸い込んだ。
「一葉!」
無陀が叫び、一葉が烏を援護するように藍樹の目を狙って風針を射る。
ーーー小癪な。
自身よりも圧倒的下位にある小竜に邪魔立てされ、藍樹は息吹の目標を一葉に転じる。
その藍樹の体の下で、再度土精の気配が膨れ上がった。
龍は無造作に尾を振るい、今度は迫り来る土槍を薙ぎ払う。
しかし放った風威も目標を反れ、余波にて一葉を吹き飛ばすに留まった。
全員薙ぎ払ってやろうか、と怒りを露にする藍樹だが、主の命がない以上それは出来ない。
彼が本気の息吹を放てば、直線上に在るアレクの配下諸共全てが吹き飛んでしまうからだ。
「藍樹」
主の声音から即座に意図を察し、頭を下げる藍樹。
アレクは広くなった足場で軽く腰を落とし、槍を頭上で一回転させた。
上空から一気に駆け下りて来た無陀の双短刀による連撃は、そのたった一挙動で阻まれる。
「同じような手は二度も通用しないよ」
「だろーねぇ」
槍で攻撃を防がれたかに思えた無陀は、自分の体をアレクの槍に巻き付けるように彼の懐に潜り込むと、右手で高速の刺突を放つ。
だがアレクは、槍と逆の手で腰に下げた剣を抜き放って弾いた。
続く無陀の蹴りは僅かに頭を逸らして逃れ、逆に蹴りを叩き込む。
左手の護短刀を間に置いて、さらに自ら宙を蹴って逆らわない事でその蹴りの威力を殺し、無陀が吹き飛ぶ。
「これはどうかな?」
アレクは片手で槍を操り、藍樹から借り受けた竜の息吹を槍に纏わせ、槍閃に乗せて放つ。
一息で十数発。
目標は、大地で藍樹の隙を窺っていた烏だ。
「くっ!」
目に見えない神速の攻撃に、咄嗟に跳ね避け、手甲で体の中心を庇う烏。
数条、避け切れなかった風の刃が彼女の体を浅く傷つけたが、なんとか避け切った。
だが、アレクは手を緩めない。
「もう一度だ」
続く一呼吸で、倍する槍閃。
避け切れない、と察して烏が顔を引きつらせるが、その前に弥終が割り込んでいた。
「土精に命ず、『震山・断崖』!」
地面に刻んだ紋は一つ。
紋から分厚い土壁がそそり立ち、槍閃を阻む。
「吹ッ!」
呼気を整えて、三撃目を放つアレク。
恐ろしい事に、槍閃はさらに倍の数を以て烏らに襲いかかった。
半分を受けた所で土壁があえなく破られ、今度はそこに無陀が現れる。
自分らに当たる軌道の槍閃のみを、同じく風を纏わせた双短刀で弾いて防ぐ。
「いいぞ。楽しませてくれる」
最後は一閃。
しかし、今までの槍閃に込めた風威と同じ威力を凝縮した一撃だ。
「げ、やべ」
無陀は、後ろの二人を蹴り飛ばして体の前で短刀を交差させた。
これ死んだねぇ、と他人事のように思いながら、威力を少しでも避けるべく動けるだけ体を捻る。
しかし無陀の予想に反して、槍閃は当たらなかった。
直撃の瞬間、体を捻った方向にさらに襟を引かれ、しかも双短刀の片割れ、刺短刀が無陀の意図せぬままに風を纏ったのだ。
ーーー!?
無陀が思考する間もなく、襟を引かれた事と槍閃が風に流された事で脇を翳めて突き抜ける。
そこでようやく、今のは? と、疑問に思うが。
「動け馬鹿!」
無陀の襟を引いた烏に怒鳴られて、慌てて考えるのを止めてその場を離れた。
「へぇ、あれを弾くのか」
アレクが攻撃の手を止めて、感心したように言った。
三人との戦闘に少し歯ごたえを感じたようで、嬉々とした口調だ。
無陀達は、一斉に顔をしかめた。
「ありえねーねぇ」
「無茶苦茶だわ」
「かなり強いな。かなり」
三人は【鷹の衆】の中でも特に戦闘を得意としているのだ。
しかしこの三人が揃ってなお、目の前の蒼の竜騎士、唯一人に攻撃が届かない。
「興が乗った。次はもう少し速く行くぞ」
アレクが不吉な事を言い出し、無陀達が覚悟を決めて構える。
そのまま、再度交戦に入ろうとした無陀らの背後で。
突如、禍々しい気配が膨れ上がった。




