第2節:御頭は地獄耳
「喰え」
白抜炙が目の前に置いた食事に、朱翼と錆揮は貪りついた。
彼らには、それが御馳走に見えるのだろう。
白抜炙自身も、最初に食事を与えられた時にそうだったから分かる。
焼いた兎の肉に、山菜を煮込んだスープと麦飯。
「ちゃんと噛んで、喰う量を加減しろ。吐くぞ」
飢え過ぎると、臓腑が逆に食事を受け付けなくなる。
二人はそこまで痩せ細ってはいなかったが、それでも満足な食事を与えられる環境ではなかっただろう。
聞いているのかいないのか、返事もない二人を残して白抜炙は部屋を出た。
「白?」
廊下を歩いている時に声を掛けられてそちらを向くと、今正に報告に出向こうと思っていた相手が立っていた。
内心で舌打ちしながら、白抜炙は頭を下げる。
「戻りました」
「うん、お疲れさまだったわねぇ」
頭を下げる白抜炙に頷きかけ、御頭は腕を組んで壁にもたれた。
御頭は、妙齢の美女だ。
大きく鮮やかな碧色の瞳を持つ柔らかく笑んだ目元に多少の皺が見える位で若々しい外見をしており、輝いて波打つ茶髪をうなじで縛っている。
袖のない甚平に包まれた胸元は形良く膨らみ、惜しげ無く晒された腕も引き締まって張りがあった。
姿勢がよく、体つきも女性らしい綺麗な曲線を描いている。
そんな柔らかい外見に反して、腰には物々しい三本爪を備えた小手が二つ吊られていた。
彼女はともすれば二十代にも見えるが、実際は十数年前に出会った頃から彼女の外見は変わっていない。
仮にその頃二十代だったとしても、彼女の年齢は既に四十前後の筈だ。
「拾いモノをしたそうね」
「食堂に居ます。戦利品ですよ」
「一人は、鳥の民だと聞いたけど。本当なの?」
「見た目は珍しいですが。御頭と同じで、美しい髪と目をしています」
「あら、褒めてくれてありがとう」
彼女の生まれは北方の異国らしく、大陸の中央近いこの辺りでは、微笑む彼女の茶色の髪と碧眼は間珍しい。
「それはもう。美しい御頭がいつでもご機嫌麗しくあられるよう、努力するのが俺の務めですから」
なんせ、御頭が機嫌を損ねるとこちらの身が危うい。冗談抜きで。
「そう言ってくれるのは嬉しいけどねぇ。私、厄介を抱え込むのは御免よ?」
御頭の口元は笑っているが目の光が笑っていない事も、白抜炙はきちんと理解していた。
頬に手を当て、御頭はわざとらしく溜め息を吐く。
「あなたに任せたのは失敗だったかしらねぇ。村の人間は全員殺せ、と命じたはずなんだけど」
ほら来た、と白抜炙は思ったが、当然顔には出さない。
「敵を殺せ、と命じられた覚えはありますがね。攫われたマドカも取り返しましたし、同じように解放しただけですよ。付いて来たのは本人の意志です」
「その子が、村の人間じゃなかった、って保証があるのかしら?」
「普通、自分の仲間に奴隷の腕輪をつけないと思いますが。俺の目は信用出来ませんか?」
「あそこは人攫いの村よ? 血を残す為に、尻の青い馬鹿を騙す若い女郎を仕込む位はお手の物だとは思わないかしら?」
「言い方に棘がありますね。俺が女に靡いて命令に背いたと言うのなら、それは侮辱と取りますよ。俺に対する侮辱ではなく、御頭自身の師としての手腕に対する侮辱です。ご本人の言でも看過し難いですね」
「言うようになったわねぇ」
あくまでも御頭は笑みを崩さなかったが、視線はさらに刺すように鋭くなる。
それを真っ向から見返して、白抜炙は待った。
すると、ふ、と御頭の視線が緩む。
「幼い姉弟に、昔の自分を重ねなかったと言い切れる?」
不意に優しい口調で言われ、白抜炙は言葉に詰まった。
「情に脆いのがあなたの美点であり、同時に欠点だと。私は常にそう言っているはずだけど」
「使える、と思いました。姉の方は。仲間に迎え入れるに足る、と」
「弟は?」
「育て方次第でしょうね。奴は臆病です」
「臆病?」
「危機に対する嗅覚と、危険を理解する頭を持っている、という意味ですよ。姉の方も同様です。こちらは度胸も座っていますが」
「物は言いようね」
「無謀な奴よりは、余程マシかと思いますが」
「昔のあなたに聞かせたい言葉ねぇ、それ」
御頭のおかしそうな口調に、白抜炙は顔をしかめた。
「それはもう良いでしょう。俺は無謀だった事を後悔してませんよ。それがあったから御頭に拾われて、今ここに居るんですから」
御頭はふてくされる白抜炙に溜飲を下げたのか、くすくすと笑った。
「覚えておきなさい。もし本当に貴方の拾い物が鳥の民なら、そこに在るだけで動乱を呼ぶわ」
御頭は笑みを消して、真剣な顔で言った。
「今では、伝説にのみ語られる孤高の民。[天より堕ちた神の都]から現れた朱き一族。国土無き覇群。受難の凶鳥。強固な血盟に結ばれた静かなる災禍。屈せず、靡かず。やがて唐突にこの世から姿を消した」
詠うように告げて御頭は白抜炙の肩を叩いた。
「飼うなら、責任持って隠しなさい。一言の噂すら漏れる事は許されないわよ」
「……それ程の存在ですか?」
白抜炙も伝え聞き程度しか知らない伝説の一族。
彼が実感としてまるで危機感を覚える事が出来ないことを察したのか、御頭は続けた。
「救世の御子と同様に考えなさいな。一族郎党、生まれながらに呪力甚大にして龍脈を解す。そんな一族の雛よ。ただ一人で一国を揺るがす力を持ち、あらゆる国がその力を欲したが叶わず、業を煮やして子を攫った国などは一夜で滅んだとも言われています」
「大層な話ですね」
救世の御子の名が告げられた事で、白抜炙は内心が粟立つのを感じたが、あえて皮肉げな口調で返した。
御頭は気にした風もない。
元々は大概の事に寛容な人であるし、信頼もあるからこその物言いだった。
「事実かどうかは分からないけどね。でも、伝説は確かにある。あなたの拾った子が本当に鳥の民であろうとなかろうと関係ないわ。噂が広まれば、国の上に立つような連中は、どんな手を使ってでも手に入れようするでしょうね。そして他者の手に渡るくらいなら、始末しようともするわ」
御頭は一度言葉を切って、白抜炙に対して真剣な顔を見せた。
「十六年前、八岐大国が救世の御子を殺したのと同じように、ね」
御頭の言葉に、白抜炙は沈黙で答えた。
彼に自分の言葉が響いた事を察したのだろう、御頭は満足げに頷いて白抜炙の横をすり抜けた。
「さ、じゃあ私は、あなたが拾って来た子達の顔でも見てこようかしらねぇ」
ご機嫌な足取りの御頭の背に、白抜炙は聞こえないように小さく呟いた。
「情に脆いだの厄介は御免だの、あんたにだけは言われたくねぇよ……」
無類の子ども好きで、進んで賊まがいの連中の面倒まで抱え込み、終いに御頭などと祭り上げられている自分の事は完全に棚に上げている。
「何か言った~?」
「いえ、何も」
ぼそりと言っただけの呟きまで捉えたらしい御頭が廊下の先から顔だけ覗かせるのに、白抜炙は素知らぬ顔で即答した。
地獄耳め。
「あ、洗濯物取り込んどいてね~」
「……完璧に聞こえてたんじゃねぇか」
意地の悪い上に子供っぽい仕返しをする。
言いつけられた雑用に、白抜炙は再び顔をしかめて溜息を吐いた。