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朱の呪紋士  作者: メアリー=ドゥ
第一章 巣立編
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第26節:可愛い君が好きなもの

「どこへ行くの? 須安」


 まるで散歩に出掛ける相手に声を掛けるかのように気楽な御頭の問いかけに、特に表情を変える事もなく淡々と須安が言う。


「お前には関係のない事だ」

「恋女房相手に、相変わらずつれない人ねぇ」


 頬に手を当てて困ったように呟く御頭に、須安は村のある方角へ目を向けた。


「行かぬのか?」

「確かめたい事があったのよ、須安。あの子から、村が襲われるまで何も報告がなかったの」

「………」

「貴方が襲撃を手引きしたの?」

「であれば、どうする?」

「哀しいわ」

「お前は、甘い」

「知ってる。でも、それが私よ」

「逃げぬと決めたはお前自身。受け入れよ」

「そうね」


 寂しそうに笑う御頭。


「私では、貴方の心を変えられなかったのね。それがとても寂しい」

「言いたい事はそれだけか」

「この位の嫌味は、言う権利があるでしょう?」


 須安は応えなかった。


「私は戻るわ。子ども達が頑張っているから」


 背を向けて戻ろうとする御頭の頭上に、影が落ちた。

 見上げると、音もなく巨大な両翼を広げた蒼い竜が彼女を見下ろしている。

 その背から、声がかかった。


「申し訳ありませんが、貴女のお相手は私が務めさせていただきます」

「あら。女一人にご大層な人が出て来たわね」

「自分では、的確な配置だと思っていますよ」


 アレクは槍を手に、眼下で自分を見上げる御頭を見て微笑んだ。


「一応聞いておきます。大人しく従ってはいただけませんか? そうすれば、僕らはこの地から消えます。皆殺しにしようとも思いません」

「大人しく従う気があると思う?」

「いいえ」


 御頭の言葉に、アレクは肩を竦めた。


「こう見えて、無駄な争いは嫌いなのです。出来れば事を穏便に済ませたい」

「だったら、手ぶらで帰りなさいな。一番穏便に済むと思うわよ? 尤も、既に村を襲われて怒っている私の子ども達が許すとも思えないけれど」

「意に染まぬ事をしなければならないのも、宮仕えの辛い所です。貴女自身は、従えば許していただけますか?」

「勿論、許さないわよ。当たり前じゃない」


 腰の三爪を両手に嵌めて、御頭は目を細めた。


「何故、朱翼を?」


 御頭の問いかけに、アレクは素直に応じた。


「知らされていません。これは本当です。『朱髪の雛を連れ帰れ』というのが、本国の命令なのです」

「事情を知りもしないまま争うの? 世の中にはもっと楽しい事があるでしょうに」

「僕も同感です。しかし、そう思うからと言ったところでままならない。それが世の中というものですから」

「全くねぇ」


 それ以上のやりとりはなかった。

 前置きもなく、アレクは手をかざして自らの騎龍に命じる。


「吼えろ、藍樹」


 その声に応えて、龍の息吹が御頭を襲った。


※※※


「錆揮?」

「姉さん」


 笑みを浮かべる錆揮を見て、朱翼は疑問を覚えた。

 目の前の少年は、本当に錆揮なのだろうか?


 その笑みの猛々しさはどうだろう。

 全身に黒黄色の紋を浮かべ、自信に満ちた様子で、その身からはち切れんばかりに禍々しい陰気が放たれている。

 顔色は青白く、目の下に病人のように黒い隈が刻まれているのは何故なのか。


「見てよ。僕、強くなったんだ。あはは。もう誰にも負けないよ」


 言いながら、足元に転がって苦悶の呻きを上げるスケアの腹を蹴り飛ばす。


「ガはァッ!」


 スケアは人形のように軽々と転がり、水草に埋もれるように仰向けに動かなくなった。


「どう? 白抜炙達でも歯が立たなかった奴が、今の僕は余裕で殺せる」


 楽しくて、面白くて仕方がない、とでも言うように、くすくすと口元に手を当てて錆揮が笑う。

 朱翼は、思わず一歩後じさった。

 彼女を庇うように白抜炙が立つと、錆揮は笑みを消した。


「白抜炙」

「何があった」


 白抜炙は、険しい顔で錆揮を睨んでいた。


「別に何もないよ」

「とぼけるなよ。何だ、その紋は。一体誰に施された」


 白抜炙の詰問に、錆揮が煩わし気に顔を歪める。


「煩いなぁ。偉そうにすんなよ。あの程度の相手も殺せなかった雑魚のくせに」


 スケアを指差しながらの錆揮の言葉に、無陀が頭を掻く。


「ちょっと口が過ぎるんじゃねーかねぇ。白のは心配してるだけだってーのに」

「心配? 何が心配なのさ。僕はこんなに強くなったのに」


 両手を広げておどけたように言う錆揮は、あ、と手を打った。


「そっか。僕が強くなり過ぎちゃって、自分の立場が心配なんだ。そーだよね。散々僕に偉そうにしてたのに、僕が強くなっちゃったら報復されるかもって思ってるんだね」

「馬鹿か、お前」


 白抜炙が呆れたように錆揮の物言いを一刀両断する。


「図星?」


 にやにやと言う錆揮は、短刀を白抜炙に向けて突き付けた。


「死にたいんなら殺してやるよ。お前、もう必要ないんだから」

「どういう意味だ?」

「姉さんさ」


 錆揮は笑みを消して、吐き捨てるように言った。


「姉さんは、お前に飼われてた。でもそれも、もうお終いだってこと。姉さんを守るだのなんだの言ってもさ、結局こいつらから、お前らは姉さんを守れないから逃がそうとしたんだろ? だからもういい。オレが守るんだ。この力で」

「私を、守る?」


 そう口にする錆揮に、朱翼は衝撃を受けた。


 では錆揮は、私の為にあの紋を受け入れたのか?

 あの、体を蝕み、今にも錆揮を壊してしまいそうな禍々しい紋を?


「そうだよ、姉さん」


 優しく微笑む錆揮に、朱翼は戦慄する。


「僕はずっと、姉さんを解放してあげたかった。白抜炙から。姉さんは、あの時別に白抜炙達に頼らなくても良かったんだ。僕が怪我をしなければ。ううん、違うな。あの時、僕を見捨ててれば姉さんは逃げれたんだ」


 あの時。

 そう、あの時は。

 錆揮がこけて足を挫き、逃げる事が出来なくなり、白抜炙に見つかったのだ。


「僕はいつだって足手まといだった。姉さんにとっても、ここに来てからも。だから力が欲しかった。俺の為に飼われる事を選んだ姉さんを、ずっと解放してあげたかった。姉さんを飼う奴らを、ずっとずっと、殺したかった」


 それまで溜めていた黒い感情を吐き出す錆揮に、朱翼は首を横に振る。


「違う、錆揮。私は」

「違う? 何が違うって言うのさ、姉さん。姉さんは、いつだって我慢してるじゃないか。自分を殺して、父さんの為に、僕の為に、そして今度は白抜炙の為に。自分を殺してばっかりいる」


 そうじゃない、と叫びたかった。

 だが、朱翼の喉からは詰まったように言葉が出ない。

 錆揮が、ずっとそんな風に自分を苛んでいた事を知ってしまったから。


「だから今度は、僕が殺してあげる。姉さんを殺すものを全て。今度は僕が守ってあげる。だから姉さんはもう、我慢しなくて良いんだ」


 朱翼は首を横に振る。

 彼女は、幸せだった。

 【鷹の衆】に拾われて、今まで。

 だが、錆揮はそうではなかったのだろうか?


 自分よりも明るく、皆に馴染んでいると思っていた。

 白抜炙や無陀羅、弥終達と楽しそうにしていたのに。

 だから、朱翼は安心していたのに。


 ここに来る事を選んで良かった、と。


 それは間違いだったのか。

 笑顔の仮面の下に、力のない自分と白抜炙達への殺意を秘めていたのか。


 だとしたらそれは、朱翼の所為だ。

 錆揮の本心に、気付いてあげられなかった私の……。


「朱翼」


 青ざめ、自虐に陥る朱翼を止めたのは、白抜炙の静かな声。


(ことば)に惑わされるな。意志を保て。あれは、錆揮じゃない」


 顔を見上げると、白抜炙は顔こそ険しく錆揮を睨んでいるが、怒ったり、嘘を言ったりしている様子ではなかった。


「何を言ってるの? 僕は錆揮だ」

「体はな。……朱翼。錆揮は蝕まれている。錆揮が俺達を恨んでいたのも、現状に憤っていたのも少しは本当だろうが、お前の知る錆揮はあんな奴だったか? 俺にはそうは思えねーがな」


 問われて、朱翼は思い出す。


 錆揮は朱翼の知る限り前向きな少年だった。

 強がりで、臆病で頼りなくて、すぐに情けなく弱音を吐いたり、刺々しく周りに突っかかったりしていたが。

 自分の弱さへの苛立ちを、他人への憎しみに変えるような性格ではなかった。


 情けなさを嘆きはしても。

 情けない人間じゃなくなろうと、前向きな努力をする人間だった。


 今も、彼が口にしていたのは、朱翼への思いやりだ。

 歪んではいても。

 歪められてはいても。


 その本質的な、優しさはそのままだ。


「心を、歪められている?」

「それが紋の効能なんだろう。より憎む方向に、より恨む方向に。紋者の魂の力が向かう方向を陰の一方に向ける事で、限界以上の力を与える」

「……錆揮は、操られているんですね?」

「と、俺は思うがな」

「違う」


 錆揮の口から否定の言葉が漏れた。


「操られているのは姉さんの方だ。そいつに騙されてる。そうやって言葉で姉さんを誑かして、自分の思い通りに操ろうとしてるんだ」


 耳から入る言葉の解釈もまた、紋に捩じ曲げられて錆揮の耳には届いているのだろう。

 怒りに満ちた視線を、白抜炙に向けて。


「待ってて、姉さん」


 錆揮の纏う陰気が、一斉に殺意と入り交じって白抜炙に向かう。


「こいつを殺して、俺が姉さんを自由にしてあげるから!」


 白抜炙が大きく飛び退ると、錆揮はそれを追った。


「はっ! やってみやがれ。姉離れ出来ねーガキが調子に乗るなよ!」

「すぐに、その偉そうな口を叩けなくしてやる!」


 混戦になって仲間に害が及ばないように、と白抜炙は考えたのだろう。



 彼は、錆揮を挑発しながら朱翼の側を離れていった。


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