第25節:私が、一番マシです。
「逃げた雛が、まさか自分から来てくれるなんてね」
「何故来た!」
スケアの言葉に、振り向かないまま白抜炙が怒声を上げると、朱翼はいつもと変わらない口調で言った。
「私は白抜炙のものですので。飼い主の危機に一人逃げるのはやっぱり嫌です」
「状況を考えろ! お前が奴らに捕まったらーーー」
「私は気付きました。捕まってはいけないなら、捕まらなければ良いのです」
平然と言い返されて白抜炙は絶句した。
「白抜炙がちゃんと守ってくれれば、問題解決です。それに」
朱翼は、ちらりと白抜炙を見上げた。
「今、私の力は必要でしょう?」
白抜炙が押し黙ると、騎士達と離れた無陀が呆れた顔で横に来た。
「作戦に全く意味がねーねぇ」
「そうね。まぁ【鷹の衆】は馬鹿の集まりだから仕方がないわ」
堂々と言う烏に、無陀が文句をつけた。
「いやぁ、そこは止めねーかねぇ、普通。お陰で勝つしか手がなくなっちまったしねぇ」
「え? 負ける気だったの?」
「いんや。適当に時間稼ぎして逃げたかったんだけどねぇ、俺は」
「無陀。自分で言ってて情けなくならない?」
「全くだ。恥を知れ、恥を」
いつの間にか、弥終も側に来ていた。
弥終が相手にしていた騎士二人がスケアの前に立ち、こちらに剣を構えている。
数の上では五対五。
しかしスケア達の周囲には、先程発生した子患の残りが集い始めていた。
「お前な、相手を始末してから来いよ! 何で助けに来て敵増やしてんだよ!」
「愚問だな。美しい華の側こそ俺の居場所。むさ苦しい男だけ相手にするのはもう勘弁。そう、勘弁」
いつもと変わらない弥終に、白抜炙は歯ぎしりした。
ーーーコイツ、男の相手が嫌になってこっちに寄って来やがったな!
しかし、弥終を問い詰めている暇はなかった。
「もういい! くそ、仕切り直しだ! 全員であいつらぶっ潰すぞ!」
「それでこそ白抜炙です。弱気な発言は私と二人きりで寝床の中にいる時だけにして下さい」
朱翼の発言に、白抜炙は目を剥いた。
「白抜炙。お前やっぱり手ぇ出してたんだねぇ……」
「許し難い。とても許し難い」
「出してねぇ! 朱翼、誤解を招く言い方はやめろ!」
言いながらスケアに向き直るが、スケアは動こうとすらしていなかった。白抜炙達をーーー正確には烏の顔を見つめている。
「久しぶりね」
スケアに声を掛ける烏の表情は固い。
「知り合いか?」
驚いて問いかける白抜炙に、烏はうなずき、スケアは笑みを浮かべた。
「まさか、こんな所で顔を見る事になるとは思わなかったわ。……姉さん」
「姉さん?」
「姉妹か」
「言われてみれば、似ている。とても似ている」
「烏……まさかお前が朱翼の情報をこいつらに流したのか?」
問いかける白抜炙に、烏は無言だった。
「それはあり得ないわね」
否定したのは、スケアだった。
「そいつは、皇国をーーー教会を裏切って出奔した背教者よ」
嬉々として、彼女は烏に指を突きつける。
「とても会いたかったのよ、姉さん。貴女が出奔したせいで一族は罰された。下級異端審問官に下されて手を血に染め、今もこんな穢らわしい地で働かされて」
「気の毒に。でも私は後悔していないわ。罪もない人々に冤罪を着せて処刑する事を是とする腐敗した国にも、その筆頭だった一族にも未練はない。自業自得よ」
烏が言うのに、スケアの顔が憎悪に歪む。
「貴女とここで会えて良かった。この手で、くびり殺してやるわ!」
スケアの怒声と共に、彼女の周囲に集まった騎士四人が一斉に仕掛けて来た。
※※※
「無陀! 弥終!」
「応よ。《足飛》!」
「任された」
自身の反応速度を紋によって上げた無陀が、両手の短刀で騎士二人の攻撃をいなす。
弥終も、槌を振り回して白抜炙に向かって来た別の騎士を牽制する。
「烏!」
「ええ」
烏が真正面からスケアに突っ込んで行く。両手に嵌めた手甲は拳を覆っており、その打突がスケアを守る騎士の剣と火花を散らした。
白抜炙が、用意していた符を投じた。
「《木槍》!」
符が木の槍と化して無陀が相手をする騎士達に突き進むが、剣によって寸断される。
しかし動きの止まった騎士の背後に、無陀が一瞬で回り込んだ。
「疾ッ!」
鎧の隙間、脇腹に短刀を突き刺して一人を始末すると、スケアが次の攻撃を仕掛けて来た。
「《水針》!」
中級の水呪紋だ。だが皇国軍所属のスケアは流石に練度が違う。
水の針が、白抜炙らの頭上に数十本同時に出現したのだ。
狙われたのは、朱翼。
出現した針は、上空から雨に混じって降り注ぐ。
「朱翼!」
白抜炙の声に合わせて、朱翼が両腕を上に掲げた。
「《戊分辰星》!」
ーーー朱翼が口にしたのは、相剋呪。
相剋する呪紋の基紋のみを起こし、呪紋を行使する為に相手が操った気脈へ干渉する術だ。
朱翼の干渉により、半分程度の水針が掻き消える。
「《葉衣》!」
「ッらァ!」
戻った無陀が両腕に風を纏わせて針の雨をいなし、同じく白抜炙が棍を頭上で回転させてそれらを弾く。
弥終が覆い被さるように朱翼を庇った。
それでも数本の水針が防御を突き抜けて白抜炙と無陀に突き刺さる。
幸い、弥終と朱翼は無傷だ。
「いってぇ!」
「呪紋の威力がおかしいねぇ」
《水針》を逃れる為に離れていた騎士二人が、白抜炙達に休む間も与えずに再度切り込んで来る。
子患も、こちらだけに牙を剥いていた。
烏はこちらから引き離されて、間には数匹の子患。
「呪紋士ってのは、本当に厄介だな!」
「まーでも、親父より強ぇって訳じゃーねぇし」
「それでもキツいっつーの!」
二人は痛みを無視して防御に徹したが、相手の騎士にしても雑魚ではなく子患に噛まれる訳にはいかない。
捌くので精一杯。
そんな中、朱翼が仕掛けた。
「こちらにも、呪紋士はいますよ。見習いですが……《火針》!」
狙い澄ました呪紋を放つと、駆け出す。
スケアに対する一撃は、しかし彼女の水の気を纏った腕の一振りに阻まれる。
「この程度で!」
「なら、これはどうかしら?」
騎士をいなしてスケアの横に現れた烏の不意打ち。
放たれた拳の一撃を、とっさに腕を畳んだスケアが受ける。
だが、威力を殺し切れずにスケアは吹き飛ばされた。
「スケア様!」
残った騎士達がスケアを追って白抜炙達から離れようとするが、それを全員で抑え込む。
「行かさねぇ」
「退け!」
朱翼は肉迫して、掌をスケアの胸元に押し当てた。
「《火針》!」
「水生! 馬鹿の一つ覚えが、通用すると思うなッ!」
零距離で呪紋を放つが、スケアが朱翼の腕を掴んで水の気を流し込み、火の呪力を相剋して不発に終わらせる。
「捕まえたわよ。馬鹿ね、自分からーーー」
「あまり私を舐めないで下さいね」
朱翼が、反対の腕を振るうと身の危険を感じたのかスケアが腕を放して頭を逸らす。
その頬を、鋭い刃がかすめた。
石裂。
かつて、白抜炙の首筋を捉えた朱翼の刃だった。
「外れました」
「無茶すんなよ!」
跳んで離れ、白抜炙の横に戻って来た朱翼に思わず言うと、彼女はどこか得意そうな表情で応えた。
「最初にあの人に傷を与えたのは、私でしたね」
見ると、表情がなくなったスケアの頬に血が流れている。
思わず絶句する男陣に、朱翼が続けた。
「つまりこの中で一番、私がマシに戦えるという事です」
朱翼の言葉に、白抜炙達は表情を変えた。
「言うねぇ」
「我々が他を抑えたのだ、我々が」
「朱翼お前、調子に乗んなよ」
そんな三人に向かって烏が鼻を鳴らした。
「口だけの男はみっともないわよ」
『誰が口だけだ(と)ッ!?』
異様に殺気立つ三人に、頬を拭ったスケアと騎士達、それに子患が対峙する。
今度は、白抜炙達が仕掛けた。
無陀が騎士二人の剣を受け流し、白抜炙が一人と打ち合う。
襲いかかる子患は烏が捌く。
そして一人の騎士を始末していたお陰で。
敵に伸ばす手が、白抜炙側にはもう一本存在していた。
「勢!」
白抜炙が身を屈めた直後、待ち受けていた弥終が槌を横薙ぎに振り抜いた。
外見からは想像もつかない程の腕力で叩き付けられた槌は子患を一匹弾き飛ばし、そのまま騎士の頭を兜ごと歪な形に変えて命を刈り取る。
後ろに下がった騎士と、スケアを巻き込むように朱翼が呪紋を打った。
「《土興》!」
呪紋が地を走り、スケア達の足元、踏みしめていた土が細かく揺れて耕されたように柔らかくなる。
「ちっ!」
足を取られるスケアと騎士。そちらに向かって、子患を短刀で裂きながら無陀が駆ける。
騎士が間に割り込もうとするのを、弥終と烏が阻んだ。
「行かせぬ」
「貴方達の相手は、私達よ」
無陀は、スケアに対して刺突を繰り出した。
無陀の連撃をなんとか躱すも、幾度か彼の刃がスケアの服をかすめる。
やがて、忌々しそうにスケアは叫んだ。
「っ鬱陶しい! 水生.《噴水》!」
スケアが詠唱を破棄して強引に周囲に発生させた水の爆圧で、無陀が弾き飛ばされる。
だが、詠唱のない呪紋は然程の威力ではなかったのか怪我をした様子はない。
隙を作り出したスケアは、そのまま、目に追えない速度で腕に次の呪紋を描く。
「子患号令.敵狙牙噛.《水が…》」
「爆轟!」
無陀が足止めをする間に距離を詰めていた白抜炙は、最後の切り札をスケアに打ち放った。
スケアを爆風が襲う。
「……貴様ァ!」
しかし煙が晴れた後には、服が所々焼け千切れただけでほぼ無傷のスケアが立っていた。
「っこれでくたばらねーかよ。化け物め」
どうやら、呪紋で操った子患を体に纏う事で威力を殺したらしい。
無惨に千切れた子患が周囲に転がっていた。
「もういい! どいつもこいつも、殺してやる!」
スケアの怒りと共に放出された水の気に反応して、残りの子患が一斉に周囲から集まって来る。
対処に手を取られている内に、スケアの恐ろしい程濃縮された水の呪紋が解き放たれた。
「ーーー《水多頭》!」
《水蛇》で発生した全ての支流から《水蛇》が頭をもたげて襲いかかり、子患や騎士ごと全員を吹き飛ばした。
かろうじて朱翼の相剋抗呪が間に合ったが多少威力を減衰するに留まり、身に受けた衝撃に全員が一時的に動けなくなる。
「ッ、クソ!」
肩で息をしながらも、再び呪紋を描き始めるスケアを止めようと、震える足に拳を叩き付けて無理矢理立ち上がる。
「無陀ァ!」
「分かってるんだけど、ねぇ! 《足飛》!」
「飛脚!」
紋と符。それぞれに駿足を得た二人だが、スケアの呪紋発動には僅かに届かない。
狂気を孕んだ笑みが二人を見る。
「くたばれ!」
完全に切れたスケアが白抜炙らを薙ぎ払おうと腕を上げるのに合わせて。
先程より数を減じてはいるものの、複数の《水蛇》が頭をもたげる。
が。
彼女が、腕を振り下ろすより先に。
突如、呪紋によって出現した《水蛇》が頭から崩れ落ちた。
「ーーーあ?」
笑みに歪んだ顔のまま、スケアが倒れこんで行く。
ーーーその両足を、膝の上から両断されて。
思わず足を止める白抜炙と無陀。
「ぎ、アアアアアアアアアッ!」
地面に転がって絶叫するスケアと、切り離された足の断面から溢れるように流れ始めた血。
その光景の背後に。
短刀を手に笑みを浮かべた錆揮が、立っていた。




