第24節:皇国の特紋士
「《水蛇》」
もう何度目かになるスケアの呪紋が放たれ、白抜炙と無陀は飛び退いた。
呪紋によって形成され、川から首を伸ばして来たのは、水で出来た大蛇だ。
大蛇は牙を剥いて地面を抉りながら白抜炙たちに襲いかかると、彼らが避けても構わずに地面に喰らいついて周囲に水を撒き散らす。
大地が鳴動し、それが治まると土砂混じりの水流へと戻った大蛇を構成していた水は、川からの細い支流を川岸に作り出していた。
「あの女、呪紋の発動が早過ぎる!」
水を吸って重くなった外套を払いながら白抜炙が呻くと、横に戻って来た無陀が面倒くさそうに言った。
「まぁ、皇国の呪紋士だしねぇ。特紋士なんだろーねぇ」
特紋士は、刺紋によって呪紋を使う際の起点となる基紋を、腕に刻んだ呪紋士の事だ。
刻まれた紋種を起点とした呪紋しか展開出来ない点で元来の呪紋士よりも応用に欠けるが、逆に得意とする呪紋の発動速度が格段に増す。
そして皇国に限らず、軍属の多くは水紋をその身に刻む。
戦場には、金水を含む血と金属そのものである武具の存在によって、金水の気が溢れるように集まるからだ。
先程から、スケアは【鷹の衆】に対して、同じ術式を発動し続けていた。
それによって広い河原に幾本もの支流が生まれて足場を分断している為、白抜炙達は動きを制限されている。
支流の流れ自体は浅いものの、それでも足首まで埋まる深さの水は、確実に白抜炙達に不利な状況を作っていた。
「補助に徹されると厄介だねぇ」
「さっさと潰すぞ」
「それが出来てりゃ、苦労してねーねぇ、っと」
さらなる大蛇が生まれ、白抜炙達は避けると同時に攻勢に転じた。
白抜炙は今回、屋敷を出る段階から金剛身符術を使用して身体能力を強化している為に、動きを制限される事はない。
無陀も風紋を身に刻んだ戦鬼であり、紋を発動すれば動きの敏捷性は人間を容易に超える。
だが、体力が減らない訳ではないし、周囲で戦う【鷹の衆】は二人のようにはいかなかった。
個々の質は【鷹の衆】が上だが、相手は数で勝る。
白抜炙達は、足場の悪さも相まって苦戦を強いられていた。
「お喋りしてる余裕があるの?」
白抜炙と無陀は、スケアに付き従っている二名の騎士にスケアへの攻撃を防がれる。
先程から、この状況の繰り返しだった。
「ッ!」
白抜炙は振り下ろされる騎士の大剣を躱し、逆に相手の鎧に覆われた腹に自身の持つ棍を叩き付ける。
しかし分厚い鎧に対しては棍の一撃は痛打とまでは行かず、騎士の動きは鈍らない。
無陀も短刀を鎧の隙間に突き入れようと相手をしている騎士の隙を狙うが、こちらの騎士は盾と片手剣を持っており、中々思うように懐に潜り込めないようだ。
「相手の有利な状況に持ち込まれてんだよねぇ、最初から」
そうこうする内に再び大蛇が鎌首をもたげ、白抜炙らは後退を余儀なくされた。
前衛の騎士二人が抑える間に後ろでスケアが大きな一撃を叩き込み、こちらが体勢を立て直している内に再び前衛が抑え込むという悪循環。
ーーー多少の怪我に目をつむって、状況の打開に動くか?
白抜炙が考えている内に、相手の動きが変わった。
「そろそろね。さぁ、ゆっくりしてたら死ぬわよ」
スケアは地面に向けた手を前に突き出すと、歪んだ笑みを浮かべた。
「《水魔召喚》」
彼女の手から現れた黒い光球が地面に触れて砕けると、地面を雷のように走る。
その光が水に触れると、周りに出来た支流が不気味に蠢いて幾つもの水球が支流から飛び出して地面に踞った。
水で出来た、半透明の鼠のようなその魔物は。
「こいつらはーーー」
噛み締めた歯の隙間から、思わず声が漏れる。
「子患を村に放ったのもお前だったのか!」
「茶番よねぇ」
くすくすと口元に手を当てて笑うスケアは、心の底から楽しそうに言う。
「自分の村を襲った相手に感謝するゴミを見て、私、笑うのを我慢するの大変だったわ」
「ぶち殺すッ!」
白抜炙は一枚の符を地面に叩き付けた。
手で口元に外套を引き上げて、叫ぶ。
「爆轟!」
ーーー金火の複合符【爆轟符】。
白抜炙の切り札の一つが爆発を引き起こした。
水が散り、地面が抉れ、爆風が周囲を薙ぎ払う。
自身も火炎に巻かれて爆圧に耐えながら、白抜炙は体勢を崩した騎士達を放置してスケアを目指して一直線に走った。
熱は濡れた外套が大部分を防いでくれており、即席の霧が白抜炙の姿を隠してくれる。
突き込んだ棍は直前で避けられ、スケアの頬に嘲りが浮かぶ。
「雑魚は、しょせん雑魚よね」
周囲に発生した子患の数匹が、白抜炙達を敵と見定めて襲いかかってくる。
だが。
「纏まってくれると、殺りやすいねぇ」
白抜炙の呼吸を知る無陀が、影のように白抜炙に付き従っていたのだ。
「《風刃》!」
無陀の風紋が声に応え、振るわれた双刃から周囲を薙ぎ払う風の刃が宙にある子患を斬り飛ばしーーーいや、吹き飛ばした。
しかし、スケアに迫った風刃は寸前で避けられる。
無陀が口笛を吹く。
「わりーねぇ。俺の紋は木行風紋ーーーぶっちゃけ子患くらいなら、最初から俺が居りゃー問題なかったんだよねぇ。流石にこんだけ水ノ気が多いと、今だけは相剋土より威力あるんじゃねーかねぇ?」
「自分で言って悦に入ってんじゃねーよ!」
二人が飛び退くと、地面を抉りながら縦に伸びた水の刃がその間を突き抜けた。
「せっかく演技してかすり傷一つなしかよ。冴えねーねぇ」
「お前が声出して、自分がいるのをわざわざあいつに教えたからだろーが!」
そんなやり取りを聞いて、《風刃》を避けたスケアが目を細める。
「クズのくせに、戯れてる余裕があるつもり? 《水噛》」
スケアが右手を振ると、残っていた子患がびくん、と体を震わせて操られたように宙を駆けて迫って来た。
「無陀!」
「《風刃》!」
先程と同様に、子患を蹴散らす無陀だが。
「残念」
スケアがもう片方の腕を振るうと、時間差で同数の子患が迫って来る。
さらに、それに合わせて左右から二人の騎士が走り込んで来ていた。
「悪りーねぇ、打ち止め!」
「ーーーッ! 木生!」
無陀の言葉に白抜炙がさらに二枚の符を腰から引き抜いて叩き付けると、急激に成長した二本の木が白抜炙達の目の前で突っ込んで来た子患を消し飛ばす。
だが無陀が騎士に釘付けにされて防戦一方になり、片手に持った棍で騎士の剣を受け止めた白抜炙が押し込まれる。
「くぅ、お!」
すぐに両手で支えるが、棍に食い込んだ剣を押し返すには姿勢が悪かった。
膝を付かされる直前で騎士が不意に後ろに飛び退く。
「《水蛇》。今度は流石に避けられないでしょう!」
「くそッ!」
言われた通りだった。
受ける覚悟で、白抜炙は頭上から襲って来る水の奔流に対し、咄嗟に身を低くして構える。
そこに。
「《水薙獲》!」
凛と響く声と共に、無数の鳥が飛び立つように広がった土の網が、白抜炙の目の前で大きく広がって水蛇と拮抗した。
「横に跳べ!」
驚いて固まった白抜炙に、先程とは別の声が怒鳴る。
白抜炙は大きく横へ飛んだ。
直後に網が崩れ落ち、大量の水が地面を揺らしながら大きな水溜まりを作った。
「あら嬉しい」
スケアの呟きに振り向くと。
そこに、朱翼が立っていた。