第13節:弥終は花が好き
村外れでの無陀と白抜炙の会話を偶然耳にした二人が居た。
錆揮とマドカだ。
立ち聞きするつもりはなかったのだが、マドカと一緒にいると村人達にからかわれるので人の少ない所に移動していたら、偶然二人の会話を耳にしたのだ。
無陀が立ち去るのと同時にその場を離れながら、錆揮はぽつりと呟いた。
「白抜炙と姉ちゃん、夫婦になるのかな」
そんな錆揮に、マドカが首を傾げて訊いて来る。
「イヤなんですか?」
「ううん。……考えた事もなかった」
嫌なのか、と問われればそんな事はない気がした。
でも、素直に祝えるか、と言われると、やっぱりそんな事はない気がした。
この胸の中に渦巻く感情は、一体何なんだろうと錆揮は考えるが、答えは出ない。
「マドカ。オレと姉ちゃんってさ、白抜炙に拾われただろ」
「そうですね」
「姉ちゃんも俺も、白抜炙に飼われてるんだ。だから、白抜炙がいらないって言ったら捨てられるかもしれない」
マドカは、思いがけない事を言われたように驚いた顔を見せた。
「白さんは、そんな人には見えませんけど。村に遊びに来た時も、優しいし、明るい人ですよ?」
そうなんだけどさ、と錆揮は、今まで誰にも喋った事のない話をマドカに聞いて欲しくなっていた。
「俺さ、白抜炙に会った頃は今よりももっと弱っちくて、臆病でさ。強くならなきゃ捨てるぞ、って直接言われたんだ」
「え……?」
白さんが、と、やっぱり信じられないようにマドカが言うのに、錆揮はうなずいた。
「うん。でも、あの頃の自分を見たら俺でもそう言うかな、って最近思う。白抜炙は本気で言ったんじゃなくて、俺に発破掛けたつもりだったんだろうって、今は思うし」
「ああ、あり得ますね」
白抜炙の人となりをそれなりに知っているマドカは、納得したようだった。
「強くなる為の稽古もさ、最初は捨てられるのが怖くて必死だった。だけど途中で怖いだけで稽古してるだけじゃないな、って気付いたんだ」
錆揮は自分の掌を見る。
「白抜炙の強さに憧れてたんだ、俺。あんな風になりたいって、ずっと思ってた。でもそんな白抜炙でもさ、村の人達が死んだ事で自分が無力だと思ってる。じゃあ、それより弱い俺って本当に何の役にも立ってないよね」
「………」
「悔しいよ。俺、拾われた時、姉ちゃんに約束したんだ。守れるようになるって。でも、いつまでも弱いまんまで、ちっとも強くなれてない。こんなんじゃ、いつかまた悪い事が起きた時に何も出来ないんじゃないかって、それが怖いんだ」
今日のように。
だが、そんな錆揮に対してマドカは笑みを見せる。
「役に立ってないなんて、言わないで下さい。錆揮さんは私が助けを求めた時、ずっと傍にいてくれました。不安な私に、大丈夫だって言って、ずっと手を握っててくれました」
錆揮はその慰めに、首を横に振る。
「それは、御頭達が強いから。きっと皆を助けてくれるって思ったからだ。オレが戦って村を助けた訳じゃないし、結局、死んでしまった人もいる。何も大丈夫じゃなかった」
「戦う事だけが、役に立つ事じゃないですよ。私は錆揮さんにちゃんと助けられました。錆揮さんが走らなかったら、真陀様達だって村には来れなかったんです。そうしたら、皆死んでしまっていたかもしれない。私のお母さんだって」
言い合うように語気を強めていた錆揮とマドカの肩に、不意に骨張った手が触れた。
「その通り。お前が自分を卑下する必要はない。全く、ない」
ぼそぼそと言ったのは、前髪で目の隠れた不健康そうな男。
「弥終?」
「人は、出来る事しか出来ない。その中でお前は、自分の出来る事をした。故に恥じる必要はない。全く、ない」
「そうかな……?」
「そうですよ」
笑顔で頷くマドカに、錆揮は自分の肩の力が抜けたように感じた。
「ありがとう。マドカ、それに弥終」
「まあ、お前が弱いのは事実だが。弱いのは、まぎれもない事実だが」
弥終は二人の肩から手を離して、思い出したように混ぜっ返した。
「せっかくお礼言ったのに結局それかよ!」
「錆揮さんは弱くなんかないです!」
弥終に対して、錆揮が怒鳴るのと同時に、マドカも声を上げていた。
「え?」
思わず顔を見るが、マドカは頬を紅潮させて弥終をむ~っと睨みつけていて気付いていない。
「錆揮さんは、心根が強いんです。だって、弥終さん達みたいに自分よりずっと強い人達に囲まれて、追い付けなくても諦めずに前を向いている錆揮さんは素敵です! そんな風に言わないで下さい!」
「……マドカ」
怒るマドカに、弥終は素直に頭を下げた。
「そうか、すまない。謝罪しよう。君の気分を害した事を、謝罪しよう」
そしてマドカの手を取り、膝を落とす。
「マドカは、とても美しい花だ。錆揮には勿体ない。全く、勿体ない」
「何が勿体ないだ! いきなり口説き出すんじゃねーよ! 色々台無しだよ! お前もうどっか行けよ! 何しに来たんだよ!」
「何をしに……? ああ」
マドカの手を握る弥終を引き剥がして、しっし、と手を振ると、弥終は思い出したように手を打った。
「思い出した。噂の山師の美女が見当たらなくてな。何処行ったか知らないか? 何処行ったか」
「まさかあの人まで口説いてんの? 本気で見境ないな、お前!」
「一目見ようと思っただけだ。一目だけ」
「踊りに混じってるんじゃないんですか?」
マドカの言葉に、弥終は首を横に振る。
「あの人って、薬草をくれて、皆を治してくれた人ですよね?」
「そうだ」
マドカが言ったのと同じ話を、錆揮も聞いていた。
子患の毒に効く薬を皆に配り、重篤だった長老以外はすぐに回復したらしい。
長老も命は取り留め、今は自分の屋敷で安静にしているそうだ。
「元々余所者だし知り合いがいないから、さっさと出て行ったとか?」
過去の戦乱の記憶から、この辺りに住む国民は余所者に対して警戒心が強い。
この村は【鷹の衆】が守っているからか余所者に対して周囲の村よりは寛容だが、それでもマドカが拐われた後は警戒は強くなっている。
やはり居心地が良いとは言えないだろう。
「そうなら良いがな、そうなら」
小さく呟いた弥終がいつもと違ってどこか真剣そうだったのが、錆揮の心に微かな違和感を残した。