第12節:私は、人ではないのかも
その日、村では宴が開かれた。
一命を取り留めた長老は穀物倉を解放するよう命じて自宅で休んでいる。
大地と死者の清め、そして【鷹の衆】への感謝の為に火を囲み、舞い踊る娘ら。
それを囃し立てる者、死者への思いにむせび泣く者。
輪の外で彼らの様子を見ながら、白抜炙は振る舞われた酒を口にしていた。
無陀が、横で同じように輪を眺めている。
その肩の上で、一葉が涎を垂らしながらだらしなく寝ていた。
「えらく呑むねぇ」
白抜炙の足元では小さなたき火に魚が炙られていて、既に空になった手持ち小樽が二つ転がっている。
「呑まずにいられるか。何人死んだと思ってる」
「それでも、被害が減ったのはお前さんが迅速に動いたからだ。そう卑下したもんでもねーと思うけどねぇ」
「大した事してねぇよ。結局師父に助けられただけだ」
白抜炙は、胸のむかつきを押し殺して酒を煽った。
「弔った死体は、誰も彼も見知った顔だ。コヅカは、食い物や女の好み、賭博のクセまで知ってた。何度危ないと叱っても森に遊びに来たアハテのガキも居た。裁縫が苦手でいつも指にケガをしていたノノリも、まだ半人前扱いだった頃にこっそり果物をくれたエモ婆さんも。皆死んだ」
彼らをゴザで巻き、無惨に子患に食い荒らされた傷跡を繕う事も出来ないまま土に埋めたのだ。
白抜炙に出来たのは、無心に掘った穴に彼らを埋める時に心の中で謝る事だけだった。
「俺は力が欲しい」
無陀は黙って聞きながら、炙った魚を一本手に取るとかぶりついた。
「誰でも守れる力が。どんな敵でも叩き潰す力が。無意味に、身近な奴が死なないで済むだけの力が」
白抜炙は拳を握る。
「だが師父程の力があっても、死人を蘇らせる事は出来ない。いざって時役に立たないなら、俺の力は何の為の力だ? 無陀。お前には分かるか?」
「さあねぇ」
分かんねーねぇ、と呟いて、無陀は笑った。
「俺に分かんのは、お前さんが強欲だって事だけだねぇ」
「何だと?」
「あれも欲しいこれも欲しいと求めたところで、世の中どうしようもねー事だらけだからねぇ。俺は、お前さんが助けられるだけ助けた事の方を喜ぶべきだと、そう思うけどねぇ」
無陀の言った言葉を、理解しようとしばらく押し黙ってから、白抜炙は顔を伏せた。
「無理だ。それでも俺には、死んだ奴らの事は割り切れねぇ」
「それがお前さんの良い所で、融通の利かない所でもあらーねぇ」
軽く笑って、無陀は白抜炙の肩を叩いた。
「気持ちは分かるけどねぇ。ま、あんまし思い詰めねーこった。お前さんが思い詰めると、ほれ、心配する奴があそこに居てらーねぇ」
無陀が指差す先を見ると、誰かに声を掛けられて首を横に振る小柄な影が居た。
こちらの姿を見定めて、頭を下げてから歩いて来たのは朱翼だ。
「近頃ますます美人さんだねぇ。お前さんら、そろそろ契りを交わす事を考えてたりしねーのかねぇ?」
「は?」
いきなり思いもかけない事を言われて、白抜炙はぽかんとした。
「何言ってんだ、お前?」
言いながら、食べ終えた魚の串を火に投げ込んで、無陀は立ち上がった。
「似合いだと思うけどねぇ。実際のところどーなのかねぇ? ん?」
意地の悪い顔で笑う無陀に、白抜炙は憮然とした。
「ま、お前さんがあの子をみすみす他の男に渡したりはしねーと思うけども。何せ欲深だからねぇ。過ぎた事に拘りすぎねーで、もうちっと前向きに生きなきゃねぇ。せっかく生きてるんだからねぇ」
「お前は前向き過ぎだ。今日くらい少しは死者を悼め」
そういう白抜炙に無陀はからからと笑った。
「死んだ奴らにしたって、お前さんがいつまでも暗い顔してたら怒るような奴ばっかりだと思うけどねぇ」
白抜炙は答えなかった。
彼にしても、無陀が本当に言葉通りに明るい気持ちでいるとは思っていない。
白抜炙を慰めに来てくれたのだろう。無陀はそういう男だと、白抜炙は知っている。
「一応、礼は言っておく」
少しばかり心が軽くなった事に感謝を述べると、無陀は来た時と同じように手を振りながら人の輪に戻って行った。
すれ違い様に朱翼に話しかけ、朱翼が何やら言い返して頭を下げる。
どうやら無陀に白抜炙の様子を知らせたのは朱翼だったようだ。
今の朱翼は頭布を巻き直して顔すら隠すのみならず、外套で全身を覆った性別すら分からない恰好をしている。
「朱翼。何だ、その恰好は」
「どうも、村の方々には私の顔が好ましい様で。顔布を直す時に見られました」
「酔ってタガが外れた連中にしつこく言い寄られたか」
朱翼の声音に、いつもよりうんざりした色が混じっているのを感じ取り、白抜炙は喉を鳴らすように笑った。
「笑い事ではありません。危うく頭布まで取られて舞子にさせられる所でした。弥終が側にいなかったらどうなっていたか」
どうも少し怒っているようだ。
そんな朱翼が本格的に笑えてきて、白抜炙はにやける顔を手で押さえた。
「何がおかしいのですか?」
「いや、珍しく感情的になってるからな。そういうお前も悪くねぇ」
白抜炙が言うと、朱翼が驚いたような気配が伝わって来た。
「何だ?」
「珍しいのはあなたの方です、白抜炙」
「そうか?」
「ええ。普段、あまり私を褒めるような事は言わないので」
「まあ、たまにはそういう事もある」
「ひょっとして酔っているのですか?」
「悪いか?」
そう、酔いが少し戻って来ているのかもしれない。
白抜炙が杯を掲げてみせると、朱翼は首を横に振った。
「突っ立ってないで、座れよ」
朱翼は、黙って言葉に従って白抜炙の横に座った。
たき火を見つめながら、白抜炙は言う。
「白抜炙」
「何だ」
「貴方は、村の人達が死んだ事を気に病んでいるようです。同様に鷹の衆の皆も。ですが私には、どうもそういう心の動きがないようです」
ぽつりと朱翼が言った。
「白抜炙が今口にした魚。それもまた命であり、死骸です。人の死にしても、ここの村の人達の死も、私を攫った人買いの死も、私にとってはただの死としか思えないのです」
白抜炙は口を挟まなかった。
「五行輪廻。魂は死して龍脈に還ります。そして再び生まれて来る。全て、自然の摂理です。ですが、白抜炙は彼らの死を悼んでいます。私では、あなたへの慰めの言葉を持ち得ませんでした。何故なのでしょう」
朱翼は、どうやら悩んでいるようだった。
白抜炙と同じように村人の死を悼めず、落ち込む白抜炙をどうしたら良いか分からず、無陀に相談したのだろう。
白抜炙は、そんな朱翼に暖かく心が満たされるような気持ちを覚えた。
「朱翼。お前は出会った時に死を恐れていたな。何故だ?」
「分かりません。ですが、自分が死ぬのは嫌でした」
「ではあの時、お前だけが死ななければそれで良かったか?」
「はい」
頷く朱翼に、白抜炙は苦笑を浮かべる。
「嘘でも、その言い草は寂しいな」
「寂しい……?」
「そうだ。一人で生きてどうなる? 誰とも関わる事なくただ生きるのは、人の生き方じゃない。動物ですら群れを成し、植物ですら子を生す。修羅ですら敵を欲する。一人ってのは、死んでいるのと変わらねぇ」
「では、私は人ではないのかもしれません」
そう呟く朱翼の表情は見えない。淡々と、言葉だけが白抜炙の耳に入る。
「鳥の民は、元を辿れば神の一族だと師父はおっしゃいました。人の死に感情が動かない私は、ならば本当に人ではないのかも」
「お前は人だよ。だから悩むんだろ」
白抜炙は、朱翼の言葉を一笑に付した。
「お前はただ、自分の感情が理解できてねぇだけだ」
「そうでしょうか?」
「俺はお前を、村の者とすら極力関わらせないようにしてきた。故に村の者達が死んでも、お前にとっては見ず知らずの他人が死ぬのと然程変わんねーんだろ。だがな」
白抜炙は、朱翼の顔を見た。
「お前が本当に他者の死や痛みに感情が動かない女だったら、あの時、錆揮を共に連れて行け、と俺に頼みはしなかった筈だ」
「あれは」
「頼めそうだから頼んだだけだ、と?」
「……はい」
「誤摩化すなよ。お前は見捨てられなかったんだ。弟をな。一人で逃げれたのにそれをしなかった。だから、俺達に見つかった。仮に錆揮が殺されればお前は悲しむだろう。頭で仕方がないと分かっていても錆揮を殺した相手が憎くなる筈だ。何故殺した、と。だから、さっきのお前の言葉は嘘だ」
朱翼は戸惑ったような気配で視線を地面に向けている。
「お前は、俺が落ち込んでいるのをどうにかしたかったんだろ? 本当に他人がどうでも良ければ、そんな事に気を使ったりしねぇよ。また、俺が落ち込む理由が分からない自分に悩んだりもな」
「白抜炙は、私の主人です。気遣うのは当たり前です」
「感情がなければ気遣いをするという発想にはならねぇ。死を自然の摂理、とお前は言うが、理はあくまで、世界の規律に過ぎない。人の感情は理屈じゃ割り切れねぇんだよ」
白抜炙が朱翼に目を向けると、朱翼は黙って白抜炙を見返した。
「本当に理が絶対なら、お前は自らの死すらも当然のものとして受け入れていた筈だ。死にたくないと思う事そのものが、既に自然の摂理に反してる事になる。でもな、人間は皆、お前と同じように死にたくないと思ってんだ。そして、自分と親しい者にも死んで欲しくない。それが当然なんだよ」
白抜炙は、酒を口にして朱翼から目を反らした。
「死が自然の摂理なら、人の想いが人の摂理だ。それを忘れるな」
「人の摂理……」
朱翼が何を思ったか、白抜炙には計れない。
所詮は、酔っぱらいの戯れ言。酔いに任せて似合いもしない説教を垂れただけの事だ。
だが少し本音で喋り過ぎたかな、と酒の回った頭で考えた。
そのまま祭りが終わるまで、朱翼は黙ったままだった。




