第22節:陽鳥
シン、と。
周囲に吹き荒れていた暴風も、洞穴の軋む音も、魂を引き裂かれそうになっている謝治の悲鳴も、何もかも。
緩やかに時間の流れが失せたように動きを止めていた。
先ほどの陰陽結界が発動した時よりも深い沈黙の中で、朱翼の手の中に宿った陽気の玉が、卵から孵るように解けていく。
細く揺らめく光の糸が、解けては交わり、幻影の中で目にした姿を成していく。
尾は、優美に波打つように長く伸びて、優しげに揺れる。
翼は力強く繊細に広がり、緩やかに一度羽ばたいた。
光の粒子が音もなく弾け、最後に長い首を持ち上げたそれと、朱翼は目を合わせる。
顕れた鳥は、深い知性を感じさせる瞳の、神々しく優美な霊獣だった。
炎のような揺らめきで形作られた体の色が、青や赤、黄色に艶めいては白に戻る。
声もなく、そのあまりの美しさに見惚れながら。
同時に、朱翼は戦慄していた。
鳥は、まるで喰らうかのように場の陽気を取り込み続けている。
自らが招来したにも関わらず、その鳥が自分よりも遥か高き場所にいる存在だと、朱翼は本能的に悟っていた。
陽鳥の名を持つ霊獣は、かつて片鱗を見た悪龍と同じか、それ以上の力を持っていた。
「あ……」
軽く、吐息のような声を、朱翼が漏らすと。
ーーー時の流れが、一息に足を早める。
再び空気が、轟音と共に荒れ狂い始めた。
しかし、陽鳥の周囲だけは静かなまま。
ふいと顔を逸らした鳥は、感覚すらなく朱翼の腕を蹴って空を舞った。
直後に、今まで意識の外に外れていた黒衣の男が、槍を構えて思い切り突き出すのが目に映る。
陰気の暴風を、凄まじい膂力から生み出された槍の螺旋が穿った。
陽鳥は、陰気の中心となっている場所へと、それに導かれるように舞う。
吸い込まれるように謝治の肉体に潜り込んだ霊獣の姿を、朱翼の『目』ははっきりと捉えていた。
今にも壊れそうな謝治の魂をその輝く翼で包み込み、労わるように胸に抱く。
そして、光が炸裂した。
だが、その光は攻撃的で凶暴なものではなく、むしろ穏やかに空間に満ちる。
やがて光が消えると、荒れた場所の中心に謝治が立っていた。
アースラではなく、人の姿に戻っている。
そのまま緩やかに彼女が倒れこむと、羽毛のような光の残滓が弾けた。
「陰気が……」
「消えたな」
朱翼のつぶやきに反応した黒衣の男は、相変わらず表情も変えないままにそう告げると、遠くへと手を伸ばす。
「ヴァル」
呼びかけに応えて、無陀の相棒である小竜、一葉の体に憑依していた気配が飛来し、彼の腕に吸い込まれた。
「……目的は果たした。後は好きにしろ」
「貴方は、何のためにこの場へ?」
助けてくれたのは、誰かが人が死ぬことを望まないからだと言っていた。
だが、それは手助けをしてくれた理由だ。
彼がなぜこの場にいたのか、が、朱翼には分からなかった。
「……」
しかし彼は、その呼びかけには応えないまま、まばたきの間に視界から消えていた。
一体、何者だったのか。
まるで彼女の師父のような気配を持つ男。
しかし、その疑念を彼に向けていられたのはさほど長い時間ではなかった。
「謝、治……!」
苦しげな声音に振り向くと。
道羅が、無陀の支えを振り払って、倒れ込んだ謝治に向けてフラフラ歩き出すのが見えた。




