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朱の呪紋士  作者: メアリー=ドゥ
第四章 伝承編
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第20節:陰陽流転


 五行気を、符を介して洞穴内に巡らせた朱翼は。


 その強大な流れを御するのに、針の先に糸を通すような繊細さを求められていた。

 全力で意識を集中しなければ、戦闘によって変じる気の流れに、自身の結界を崩されそうになる。


「……」


 辛抱強く、朱翼が徐々に気の流れを増していくのに、アースラが気付いた。

 自分の周囲を飛び回る者たちに向いていた意識が朱翼に向けられ、三鈷杵を構える。


 黒衣の男が、朱翼とアースラの間に割り込んだ。

 だが、アースラから風が解き放たれる前に。


「貴様の相手は俺だ、謝治ィッ! 雷威顕現(オンドゥラ・ソワカ)!」


 丁度、陣の中心に移動したアースラの横から、彼女の頭の辺りまで跳ね上がった道羅が、雷を纏わせた独鈷杵を首筋に叩きつける。


 ギュルィギィイイイイイッ!


 と、人外の悲鳴で洞穴の空気を震わせるアースラの中で。

 謝治の魂が叫んでいるのが、結界を介して朱翼に伝わる。


 ーーークルシイ。

 ーーーワタシハ、コンナコトヲ、ノゾンデハ。

 ーーードウラ、ナゼ、ワタシデハナク、アノオンナニ!

 ーーーコロセ、ホコリナキ、タタカイナド。

 ーーーワタシハ、ドウラニ、ミアウタメニ、ガンバッタノニ!

 ーーーチガウ、イチゾクノオキテハ、ヤブッテハナラヌ。

 ーーーニクイ、ニクイ、ニクイ!

 ーーーコロセ、ドウラ。アサマシキ、ワレヲ。

 ーーータスケテ、ドウラ! タスケテ!


 それは、変じられ、引き裂かれそうになっている女の、二つの心の叫び。


 誇り高く在る、修弥(すみ)の民の女としての。

 一人の男を想い、嫉妬に狂う女としての。


 ああ、と朱翼は思う。


 彼女は、道羅を想う心と、自らを縛る誇りの間で、己を見失っていたのだ。

 強く気高い仮面の下にいるのは、恋する一人の乙女。


 一族の掟では、男が何人の女を娶ろうと構わないのに。

 彼女は、道羅に自分だけを、見て欲しいと願ってしまった。


 きっと、朱翼が白抜炙を求める気持ちと、それは同じ気持ち。


 なのに彼女は、自分に素直にならなかった。

 掟に縛られ、誇りに縛られ。


 故に心が陰に支配された。

 そして付け入られた。


 決して、嫉妬に狂ったから陰なのではない。

 己の心に嘘をつき、その想いを押し込めたからだ。


 そんな謝治の心を察したように、道羅が叫ぶ。


「貴様を死なせはせぬぞ、謝治! 貴様は俺のものだ! 番う事もなく逝くなど許さぬ!」


 雷撃が、突き刺さった独鈷杵が、止まらない、抜けない。


 アースラの肩口に両足を置いた道羅は。

 たまらず手の形に戻した腕で彼を握りしめ、引き剥がそうとするアースラから、離れない。


 雷撃によりその場から一歩も動けなくなったアースラの肩の上で。

 道羅が、煙を上げ始める。


「道羅! 離れるんだねぇ!」


 無陀の叫びに、道羅は言い返す。


「引かぬ! 俺の愛しく想う女を、先祖といえど奪わせはせぬ!」


 凄まじい握力で握られている道羅の骨が、ミシミシと鳴る音が離れた朱翼耳にも聞こえる。

 それでも、道羅は自分の身を顧みずにアースラを、陣の中心に留め置く。


 必死。

 そうまでして、謝治を救おうと想いを叫ぶ道羅もまた。


 結局は掟に縛られていたのだと、朱翼は思った。

 あれほどに想っているのに、朱翼を娶ろうとしたのは。


 きっと、それが自分の役目と定めていたから。


 でも、道羅は。

 朱翼たちに会うことで、掟が絶対ではないことを、本当に心から悟った。


 真に、誇り高い、ということは。

 己の心を見定め、縛る枷を解き放ち。




「俺と共にーーー里を守るのは、貴様しかおらぬのだ!」




 その上で、役割を自ら選ぶことなのだ、と。

 朱翼は、道羅の姿を見て、思った。


「無茶しすぎだねぇ! 烏! 弥終!」


 無陀が呼ぶのは、昔から気心の知れた二人。


 【鷹の衆】が動く。

 何も言わなくとも、それぞれの役割を心得た者達が。


足飛(タビ)!」


 無陀が、空を駆ける。

 雷撃の中に自ら飛び込む無陀の肩の上にいたヴァルが風の息吹を吐き、焼け焦げたアースラの腕を(こそ)ぐ。


 アースラの手が緩み、ぐらりと傾ぐ道羅を、横から攫うように無陀が駆け抜ける。


 それを見る朱翼の耳に、アースラの向こうにいる烏の声が届く。


「破ッ!」


 気脈を走る気配に、朱翼はそれの正体を悟る。


 ーーー練気拳形意術の一、金気の型『虎咆』。

 本来、相手に当てて浸透頸として用いる練気を、気脈を伝わらせて離れた相手に叩き付ける上位の形意術。


 だが、それが威力を炸裂させたのは、アースラの足元。

 アースラが足場を失い、大きく陥没した地面に膝まで埋まり。


「土精に命ず、『震山(タンゾウサレシ)牙峰(キバトナレ)』!」


 符を守る艶牙の前に立つ弥終が、地面に鎚を叩きつけると。

 アースラに向かって伸びた数本の土槍が、三鈷杵を持つ腕とアースラの半身を固めた。


 そして、朱翼自身の準備も終わる。


「五行輪廻に我が意を放ず……」


 両手を大きく突き出すと、両手に描いた五色の紋が光を放つ。

 青、赤、黄、白、黒が入り混じり、虹色から黒白へ。


 ぐるりと巻くように腕を動かすと、黒白の輝きが太極図を描く。


「陰と陽に(あまね)く在りて、世の理を顕せる、万物の祖よ」


 その宙に描かれた陰陽の内、陰気を陽に押し込むように。

 朱翼は、右手を斜めに振り下ろした。


「今この場において、陽極と化せ。陰陽流転……!」


 視界の中にある全てが小揺るぎ、音すらも揺らいで、止まったような感覚の後に。

 眩く感じられるほどの勢いで陽に転じ始めたありとあらゆる陰気が、渦を巻いた。


 アースラの内に在った陰気すらもが、その渦に呑まれて行く。


 そして、洞穴の中に大禍にも似た気配が溢れて、朱翼は思わず、目を閉じた。

 


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