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朱の呪紋士  作者: メアリー=ドゥ
第四章 伝承編
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第17節:非天


「う……グゥ……」


 いきなり謝治が苦悶の表情を浮かべて、肉体が変質する。

 全身に刻まれた風紋が輝き、以前見せた、三面六臂の姿へと変わった彼女は。


 グルォォォォオオオオ、と吼えて、さらに巨大に膨れ上がっていく。

 洞窟の天井に達するほどの巨躯と化した謝治に対して、道羅が呻いた。


非天(アースラ)……!? 何故突如、紋が暴走した!?」

「あれが何なのか、知ってるのかねぇ?」


 無陀は、アースラと呼ばれた謝治に対して、短刀を構えながら問いかける。


 謝治は最後尾にいた。

 彼女の後ろに錆揮たちが来た洞窟の入り口があり、錆揮を含む他の四人と一匹は水晶を背に立っている。


「我が一族の刻紋は貴様らの紋と違い、水気を吸い上げて成長する。その極限に至るにつれ、巨躯の化身を行えるようになるが……」


 ギロリと、アースラの頭が一斉に足元の錆揮たちを見下ろした。


「……修弥(すみ)の女は、自身の分を超える五行気をもって化身すれば、理性を失い暴走する! ただ暴れ狂う破壊の化身と化すのだ! ーーー《雷武(ヴァジュラ)》!」


 道羅が、雷を纏いながら背後に跳び、水晶の前に着地すると。

 同時にアースラが、自身の6本の腕を武具に変質させる。


 一手は、風を巻き起こす巨大化した三鈷杵を握ったまま。

 一手は弓に、一手は爪を長く伸ばして矢のような五指を。

 残り三手は、刃へと変わる。


 三鈷杵をアースラが振り上げた瞬間、無陀が吼えた。


「全員、伏せとくんだねぇ! 颯!」

「任せろってーのよ!」


 風を操る二人が前に出て。

 烏が指示に従って下がりながら大きく身を伏せ、弥終が槌を振り上げた。


「艶牙! オレの後ろに!」


 錆揮自身も、危機を感じているらしい艶牙を庇いながら、起呪を口にする。


辰星亀形(ワレハゲンブナリ)!」


 烏の肌が黒く染まり、地に根を張るようにビキビキと足に筋が浮き。


震山(タンゾウサレシ)断崖(カベトナレ)!」


 弥終が槌を地面に叩きつけると、壁のように大地が隆起し。


五行星呑(ゴギョウセイドン)!」


 錆揮自身を、黒黄色の淡光が覆った。


रुढ्र (ルドラ)……』


 人の喉では発し得ない音とともに、アースラが三鈷杵を横に振り抜くと。




 洞窟のごと吹き飛ばすかのごとき、凄まじい竜巻が巻き起こる。




「全力だねぇ……! 《凶迅(キョウジン)》!」

「英傑と共に在りし太古の龍の意思よ、風を喰らえ!」


 無陀が、竜巻に飛び込むように、逆巻く風を纏いながら体を捻り、双短刀を振り回し。

 逆の方向から、盾のように風切を構えた颯の声に、中心に輝く青い宝玉が応じる。


 二人によって阻まれた竜巻が、刃に削り取られ、あるいは宝玉に食われて形を崩し。

 最初に謝治と交戦した時のように、弥終の作り出した土壁に阻まれて。


 周囲に、刃のごとき風の暴威をまき散らした。


 烏の硬化した体には、弱った風は傷を負わせず。

 壁の崩壊に巻き込まれないように後ろに下がる弥終と、最初から後ろにいた艶牙を庇った錆揮は、短刀を構えて全身から陰気を放って風を阻む。


「錆揮!」


 禍々しい光を放つ水晶の向こうから、朱翼が姿を見せる。

 少し頬が痩せているが、無事だった姉の姿に安堵する暇もなく、錆揮は言った。


「来ちゃダメだ!」


 アースラは、暴走している。

 無差別に人を襲う……と錆揮は思っていたが。


 アースラは、朱翼の姿を見た瞬間に姉に向かって矢の爪を束ねて、腕弓につがえた。


「な……!」


 そのまま、即座に打ち放たれた巨大な矢爪が、こちらへと迫り来て。


雷威顕現(オンドゥラ・ソワカ)!」


 独鈷杵を手にした道羅が、一足飛びに錆揮の前に飛び込んで来て、雷を纏う豪腕で矢爪を弾き飛ばした。


 洞穴を揺るがしながら、壁に矢爪が突き刺さり。

 厳しい顔をした道羅の左右に、颯と無陀が下がって来て立つ。


「さて、あれを元に戻す方法はあるのかねぇ?」


 あくまでもいつも通りに、のほほんと無陀が問いかけるのに、道羅は首を横に振る。


「知らぬ。今まで暴走するほどの呪力を持つ者も、化身術も見たことはない。だが、過去に起こった話では」


 重く、堪え難さを堪えるように独鈷杵を握りしめた道羅は、告げた。


「……暴走した者は、殺す以外に止める方法は、なかったと、言われている」


 その言葉に、錆揮は。

 大禍を引き起こしたスケアを、学園で仲間を殺して自身も散ったフラドゥを、悪龍を御しきれずに滅んだアジを、思い出した。


 謝治も、また。

 彼ら同様の妄念に……掟に縛られて。


 自分を変えることの出来なかった一人で、在り続けたから。


「彼女の身の内に、黄水晶より目覚めた者たちの姿が見えます」


 そこで、朱翼が口を開いた。

 いつも通りの無表情な姉を振り向いた錆揮は、その瞳の奥が深い思索をしているように沈んでいるのを見る。


「これを試練と、彼らは言いました。私に、救世の巫女たる才覚を示せ、と。……これは、救うことを考えさせるための試練。であれば、方法はあるはずです」

「試練……」


 烏のつぶやきに、無陀が頭を掻く。


「で、その方法はどんな方法なんだろうねぇ?」

「それは示されていません。今から探します」


 この状況下で、あくまでも冷静な姉の言葉に、無陀はため息を吐いた。


「悪龍と真っ向からやり合わずに絡め手で術士を殺したと思ったら、今度は化け物みたいなヤツを相手しながら救えって? 無茶言いすぎじゃないかねぇ?」


 いつものように嫌そうな声音だが、無陀の口元には笑みがあった。

 厳しい顔のまま、肩越しに朱翼を振り向いた道羅は、すぐに前を向いてアースラを見上げる。


「救えるのならば、願いたい。時間は稼ぐ。……頭は固いが、あれでも幼い頃より馴染んだ許嫁。根から悪なのではない。真面目過ぎるのだ」

「分かっています」


 それ以上のやり取りはなく。

 今度は跳び、刃を振るってくるアースラを相手に、朱翼と錆揮、艶牙以外の全員が立ち向かって行った。

 



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