第17節:非天
「う……グゥ……」
いきなり謝治が苦悶の表情を浮かべて、肉体が変質する。
全身に刻まれた風紋が輝き、以前見せた、三面六臂の姿へと変わった彼女は。
グルォォォォオオオオ、と吼えて、さらに巨大に膨れ上がっていく。
洞窟の天井に達するほどの巨躯と化した謝治に対して、道羅が呻いた。
「非天……!? 何故突如、紋が暴走した!?」
「あれが何なのか、知ってるのかねぇ?」
無陀は、アースラと呼ばれた謝治に対して、短刀を構えながら問いかける。
謝治は最後尾にいた。
彼女の後ろに錆揮たちが来た洞窟の入り口があり、錆揮を含む他の四人と一匹は水晶を背に立っている。
「我が一族の刻紋は貴様らの紋と違い、水気を吸い上げて成長する。その極限に至るにつれ、巨躯の化身を行えるようになるが……」
ギロリと、アースラの頭が一斉に足元の錆揮たちを見下ろした。
「……修弥の女は、自身の分を超える五行気をもって化身すれば、理性を失い暴走する! ただ暴れ狂う破壊の化身と化すのだ! ーーー《雷武》!」
道羅が、雷を纏いながら背後に跳び、水晶の前に着地すると。
同時にアースラが、自身の6本の腕を武具に変質させる。
一手は、風を巻き起こす巨大化した三鈷杵を握ったまま。
一手は弓に、一手は爪を長く伸ばして矢のような五指を。
残り三手は、刃へと変わる。
三鈷杵をアースラが振り上げた瞬間、無陀が吼えた。
「全員、伏せとくんだねぇ! 颯!」
「任せろってーのよ!」
風を操る二人が前に出て。
烏が指示に従って下がりながら大きく身を伏せ、弥終が槌を振り上げた。
「艶牙! オレの後ろに!」
錆揮自身も、危機を感じているらしい艶牙を庇いながら、起呪を口にする。
「辰星亀形!」
烏の肌が黒く染まり、地に根を張るようにビキビキと足に筋が浮き。
「震山・断崖!」
弥終が槌を地面に叩きつけると、壁のように大地が隆起し。
「五行星呑!」
錆揮自身を、黒黄色の淡光が覆った。
『 रुढ्र ……』
人の喉では発し得ない音とともに、アースラが三鈷杵を横に振り抜くと。
洞窟のごと吹き飛ばすかのごとき、凄まじい竜巻が巻き起こる。
「全力だねぇ……! 《凶迅》!」
「英傑と共に在りし太古の龍の意思よ、風を喰らえ!」
無陀が、竜巻に飛び込むように、逆巻く風を纏いながら体を捻り、双短刀を振り回し。
逆の方向から、盾のように風切を構えた颯の声に、中心に輝く青い宝玉が応じる。
二人によって阻まれた竜巻が、刃に削り取られ、あるいは宝玉に食われて形を崩し。
最初に謝治と交戦した時のように、弥終の作り出した土壁に阻まれて。
周囲に、刃のごとき風の暴威をまき散らした。
烏の硬化した体には、弱った風は傷を負わせず。
壁の崩壊に巻き込まれないように後ろに下がる弥終と、最初から後ろにいた艶牙を庇った錆揮は、短刀を構えて全身から陰気を放って風を阻む。
「錆揮!」
禍々しい光を放つ水晶の向こうから、朱翼が姿を見せる。
少し頬が痩せているが、無事だった姉の姿に安堵する暇もなく、錆揮は言った。
「来ちゃダメだ!」
アースラは、暴走している。
無差別に人を襲う……と錆揮は思っていたが。
アースラは、朱翼の姿を見た瞬間に姉に向かって矢の爪を束ねて、腕弓につがえた。
「な……!」
そのまま、即座に打ち放たれた巨大な矢爪が、こちらへと迫り来て。
「雷威顕現!」
独鈷杵を手にした道羅が、一足飛びに錆揮の前に飛び込んで来て、雷を纏う豪腕で矢爪を弾き飛ばした。
洞穴を揺るがしながら、壁に矢爪が突き刺さり。
厳しい顔をした道羅の左右に、颯と無陀が下がって来て立つ。
「さて、あれを元に戻す方法はあるのかねぇ?」
あくまでもいつも通りに、のほほんと無陀が問いかけるのに、道羅は首を横に振る。
「知らぬ。今まで暴走するほどの呪力を持つ者も、化身術も見たことはない。だが、過去に起こった話では」
重く、堪え難さを堪えるように独鈷杵を握りしめた道羅は、告げた。
「……暴走した者は、殺す以外に止める方法は、なかったと、言われている」
その言葉に、錆揮は。
大禍を引き起こしたスケアを、学園で仲間を殺して自身も散ったフラドゥを、悪龍を御しきれずに滅んだアジを、思い出した。
謝治も、また。
彼ら同様の妄念に……掟に縛られて。
自分を変えることの出来なかった一人で、在り続けたから。
「彼女の身の内に、黄水晶より目覚めた者たちの姿が見えます」
そこで、朱翼が口を開いた。
いつも通りの無表情な姉を振り向いた錆揮は、その瞳の奥が深い思索をしているように沈んでいるのを見る。
「これを試練と、彼らは言いました。私に、救世の巫女たる才覚を示せ、と。……これは、救うことを考えさせるための試練。であれば、方法はあるはずです」
「試練……」
烏のつぶやきに、無陀が頭を掻く。
「で、その方法はどんな方法なんだろうねぇ?」
「それは示されていません。今から探します」
この状況下で、あくまでも冷静な姉の言葉に、無陀はため息を吐いた。
「悪龍と真っ向からやり合わずに絡め手で術士を殺したと思ったら、今度は化け物みたいなヤツを相手しながら救えって? 無茶言いすぎじゃないかねぇ?」
いつものように嫌そうな声音だが、無陀の口元には笑みがあった。
厳しい顔のまま、肩越しに朱翼を振り向いた道羅は、すぐに前を向いてアースラを見上げる。
「救えるのならば、願いたい。時間は稼ぐ。……頭は固いが、あれでも幼い頃より馴染んだ許嫁。根から悪なのではない。真面目過ぎるのだ」
「分かっています」
それ以上のやり取りはなく。
今度は跳び、刃を振るってくるアースラを相手に、朱翼と錆揮、艶牙以外の全員が立ち向かって行った。




