第8節:颯の出自
「納得がゆかぬ」
「まだ言うかねぇ……」
長の屋敷で晩餐を振る舞われた後、朱翼達は道羅の誘いで彼の家に居た。
何故か謝治もいて、会話にも参加せずに部屋の隅に正座して朱翼を睨んでいる。
車座で囲炉裏という火を囲む中で、無陀、颯はまるで謝治を気にせずに酒を呑み、錆揮はチラチラと謝治を見ていた。
烏は落ち着いた顔で酒のつまみに供された豆を時折口に運んでいる。
朱翼自身は、ひどく落ち着かなかった。
藁葺き屋根の広い屋敷だ。
「あれが負けだと? 全く実力に関係ないではないか!」
憎々しげに牙を剥きながら酒を煽る道羅に、颯がニヤニヤと答える。
「頭を使うのも実力の内だろーよ。長も認めていたよ?」
「それが一番納得が行かぬというのだ! 我は生まれてこの方、負けた事などないと言うに! あのジジイ、朱翼の血で依怙贔屓をした物言いを!」
「道羅」
まるで子どもが駄々をこねるような道羅に、謝治が静かに呼び掛けると、道羅は押し黙った。
そんな二人の様子に、無陀がこそこそと烏に言う。
「……尻に敷かれてるのかねぇ?」
「どうでしょうね」
「私は見聞きした事を長に伝える役目。道羅は私を恐れている訳ではない」
聞こえていたのか、謝治が反論した。
「へー。お前さん程の実力でも、長は怖ぇのかよ?」
「別に恐れてはおらぬ」
憮然とする道羅だが、颯は彼に親しみを感じているようだ、と朱翼は思った。
思えば、二人の無邪気な質が似通っている。
揺らがぬ芯を持つかと思えば奔放に振る舞う二人に、朱翼はふと、思った事を呟いた。
「……貴方がたは、自由ですね」
朱翼の言葉に、颯と道羅が同時に朱翼を見た。
「どういう意味だってーのよ?」
「どこが自由に見えるのだ。おぬしを得られず、もう争う事も叶わず不自由しておるぞ!」
二人が首を傾げるのに、朱翼は首を横に振った。
「そういう意味ではありません。伸びやかで羨ましい、という話です」
朱翼の人生に、真の意味での自由はなかったように思える。
義父の元、奴隷商の村、そして【鷹の衆】の一員となってこの地に赴くまでずっと。
朱翼は、誰かの思惑の元にいた。
抑圧されていた訳ではない。奴隷商の村ですらも、その見目が買われた朱翼は、大切に扱われた。
しかし、自由ではなかった。
【鷹の衆】でも、今も、人目を避ける為に顔を、髪を隠し、今も白抜炙に会う事も叶わない。
「……なんだ、上から物を言われているような気分になったが」
「そりゃただの僻みだろーよ。神の子にそんなつもりはねーと思うのよ」
「あの言いようでは、まるで俺が我慢の利かない子どもであるかのようではないか」
「似たようなもんだろーよ。なぁ、無陀よ」
「何でそこで俺に話を振るかねぇ」
のんびりと酒を舐めていた無陀が言うと、弥終が茶化した。
「同類だからだ。同類だから」
「お前も似たようなもんだよねぇ?」
「そんな事はない、そんな事は」
「いや、あるだろ」
ぼそっと錆揮が言い、烏が微笑んだ。
「少なくとも、貴方達四人に比べれば、今の朱翼と錆揮の方がよほど大人びているわね」
ねぇ、と烏が謝治に呼び掛け、謝治は顔を背けたが頬が微かに笑いを堪えるように動いている。
素直な人だ、と朱翼は思い、眉根を寄せている男達に詫びた。
「申し訳ありません」
「謝る事はねーやね、神の子。俺は神の教えに従って生きているだけだってーのよ。迷いも憂いもない生活は、そりゃ伸びやかにもなろうってーものよ」
「教え、ですか」
「そうともよ。俺の住んでいた島は、今の俺から見ればそりゃーちっさく凝り固まっていたものよ。外に出ていた親父殿は、俺から見りゃ島の者とはまるで違う存在に思えた位よ」
だから颯は、外の世界に憧れたらしい。
「俺は、親世代からは厄介者扱いだったってーのよ。外にばっかり行きたがるってよ。俺にしてみりゃ、何で行きたくねーのかさっぱり分からなかったのよ」
颯は酔っているようだ。
しかし、彼の話に誰も口を挟まなかった。
空にあるという浮島。
そんな不可思議な世界の話だったからだろう。
「俺の島には、島の外壁にある穴に棲まう龍が居てよ。触れちゃならん神の使いだって言われていたのよ」
颯は、皆の様子に気づかないようで、遠くを懐かしむように話を続ける。
「でも自由に飛ぶその龍が好きで、俺はよく巣穴の近くに覗きに行ってたのよ。昔使ってた、これに似た風切を操ってよ」
と、颯は自分の脇に置いたそれをぽんぽんと叩いた。
「バレたら絶対、長や年長連に怒られてよ。でも、行くのをやめなかったのよ。龍は、俺を認めてくれたのよ。話せはしなかったけど、巣穴に招かれて一緒に昼寝をしたりよ」
そこで、颯の顔が暗くなる。
「でも、昔、長の地位を狙って親父殿に追放された俺の叔父上がよ。空の島々を従えようと、力を付けて俺の島にやって来たのよ。親父殿はいなくて、俺ら若連が最初に戦ったよ。親父殿が戻って来た時には、幼馴染は風切ごと墜とされて、俺も叔父上の攻撃で島の地面ごと吹き飛ばされたのよ」
気が付いた時には颯は崩落した龍の巣穴の中に横たわっていて、見上げた天井の穴から龍と父親が叔父と戦い、龍が落とされたという。
「年老いていたのよ。遥か昔に契約者も失って、共に過ごす魂もないまま、祖となる龍の元を離れて棲んでいたからよ」
「契約者、ですか」
「そうよ。あのアレクも契約者であろーよ? ……あの島の龍の契約者は、俺の島で『酉の槍』と呼ばれていたよ。遥か昔、朱鳥に従いし戦士であったのよ」
朱鳥とは、迦羅とも呼ばれる颯たちの一族の神の名だ。
恐らくは、道羅たちの『炎の主』と同じ一族であり、朱翼の祖先とも思われる人々の。
「勇猛果敢にして、房のある槍と赤き兜、そして竜骨の風切を持つ者であったのよ」
朱翼は、颯の手元を見た。
それに気付いて、颯は笑う。
「そう。そのニォザーォが持っていたのが、これらよ。龍の守りし勇士の墓に埋められ、叔父上殿に吹き飛ばされて現れたこれらを手に、俺は親父殿と共に叔父上と戦ったよ。そして親父殿が身を呈して叔父上にしがみついて……俺は、親父殿ごと、叔父上を刺し貫いたよう」
朱翼は、何も言えなかった。
後悔も誇らしさも、颯の顔には何も浮かんでいなかった。
ただ、透明な表情のままに三種の武具をそれぞれに大切そうに撫でて、颯は道羅に目を向けた。
「道羅。我らが一族は、決闘の約束なき同族殺しは追放よ。いかなる理由があれ、と長どもは言ったよ。掟に縛られ、凝り固まった長どもには、龍の望みも、親父殿の願いも、届かなかったのよ」
勇士の武具を手に、島の為に戦った挙句に父親まで手にかけ、それを理由に追放。
その時の、颯の気持ちはいかばかりだっただろう。
「神の為に生きよ、と、親父殿は常々口にしていたよう。だから俺は、島を出て神の為に生きようと思い、神の子に出会ったのよ。神の思し召しよ」
食い入るように颯を見つめる道羅に、颯は笑いかける。
「俺は、自分のした事が悪い事だと思ってはいねーのよ。我が信仰は、長どもには理解出来ないものだったようだけど、微塵も揺らぐ事はねーのよ。朱鳥はこう仰ったと、朱鳥口伝にあるよう」
颯は一度言葉を切り、続けた。
「『神の子、世にいでし時、厄災と苦難に満ちて、やがて再び番を結ぶだろう』……言葉の意味が、通じるかよ?」
道羅は、颯の言葉に目を見開いた。
通じたようだ、と朱翼は思った。
沈黙の中、パキン、と薪が爆ぜ、謝治に目を向けると彼女も颯を見つめて居た。
共に、神への信仰に生きる者たち。
彼らの心を理解する事は出来ないが、朱翼には、颯が幸福そうに見えた。
「神の子の人生、そのままだと俺は思うのよ。朱鳥はこうも言うよ。今では浮島の挨拶よ。『私に寄り添いませ』。……神は服従を望んではいねーのよ。神の子もまた、そうなのよ。共に在り、助けて欲しいと。神は支配者としてではなく、友として在りたいと思っていたのだと、俺はそう解釈しているのよ」
颯は両手を広げて、【鷹の衆】を示した。
「だから俺も、【鷹の衆】の一員に加えて貰ったのよ。朱翼の友としてよう」
朱翼は、自分の中に不可思議な感情が湧き上がるのを感じる。
白抜炙に対するのとも違う気持ちだが……これは、愛しいという感情なのだろう。
颯は決して、偶像として朱翼を崇めるのではなく、己の中に確かに朱鳥と呼ばれる神を……あるいは朱翼と呼ばれる自分の存在を根付かせ、受け入れてくれているのだと、朱翼は感じた。
「信仰とは、押し付けられ、無理に従うものではねーのよ。信ずる気持ちがあれば、この世界はこんなにも自由よ。苦難が襲っても、必ず与えられた試練を乗り越えられると信じる事が出来る。だから、神の子の目には、我らが伸びやかに映るのだろうよ」
颯はまた酒を舐めて、道羅に指を向けた。
「謝治はちょっと頭が固そうだけど、道羅は、俺と同じだと感じるのよ」
道羅は、その言葉に無言で再び、颯よりも豪快に酒を煽る。
「……我らが伝承にも、同じような言葉がある」
ポツリと漏らして道羅は黙り、皆はしばらく間を置いて再び雑談を始めた。
それきり、道羅はもう、納得がいかん、とは口にしなかった。




