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朱の呪紋士  作者: メアリー=ドゥ
第一章 巣立編
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序節:私を飼いませんか?


 血腥(ちなまぐさ)く、焦げ臭い。

 そんな臭気を嗅ぎながら、彼女は弟と共に物影でうずくまっていた。

 高柵に囲まれた村の所々で黒煙が上がっている。

 嫌な臭いを運ぶ風は刺すように冷たく、痛い。


 彼女等が隠れているのは、小屋の脇に積んである土嚢とそこに立てかけられた板の間だ。

 板の隙間から外を覗くと、村を襲った連中の一人が天を仰いでいた。


 肌が浅黒い総白髪の男。

 しかし髪色に似合わず、容姿は若い。


 手には棍を持っている。材質は、樫だろうか。

 穂先もないその棒きれは、血に濡れていた。

 棍から滴る血の持ち主だった者たちは全員、物言わぬ死体となって彼の足元に転がっている。


シロの」


 不意に。

 目の前の男とは別の声がして、無精髭の小男が姿を見せた。


 緑に染めた旅装に額当てをしており、左右の手に形の違う短刀が一対握られている。

 刃が薄く細い刺短刀と、肉厚の刃と柄を覆う手甲を備えた、護短刀。


 小男の両腕を染める緑の紋は、呪紋しゅもんに見えた。

 肩の上には服と同色の小竜が止まって、翼を繕っている。

 彼の服と短刀も、白髪の男同様に血に濡れていた。


無陀ムウダ。首尾は?」


 小男は、尋ねる白髪男の周囲に転がったモノに目をやって肩を竦めた。


「上々だねぇ。此処ほど人は死んでねーけどねぇ」

「一人も逃がすんじゃねぇぞ」

「難しい事を言うねぇ」


 おどけた調子を含む小男の返答に、白髪の男は顔をしかめた。


「少しは真面目にやれ」

「いやー。幾ら敵でも背中を突くのは性に合わねーからねぇ」


 小男は指についた血を服で拭って、ぼりぼりと顎を掻く。

 その様子に、白髪の男は溜息を吐いた。


「クズ共相手に何を甘い事を」

「それでも大体は片付いてるんじゃねーかねぇ? 後は御頭が……」


 そこで、弟が僅かに身じろぎをした。

 微かな音が立ち、とぼけた口調で話していた小男が口をつぐむ。

 二人がこちらに視線を向けたのを見て、彼女は息を詰める。

 身を寄せた弟も、体を強ばらせるのが伝わって来た。


「誰か居るみてーだねぇ」

「出てこい」


 息を殺して覗き続ける彼女らに、男がさらに告げた。


「来ねーなら、壁ごと吹き飛ばすぞ」


 その言葉に。

 彼女は深く息を吸い込んで目を閉じた。


「姉ちゃん」


 弟の吐息のような声音には、今にも泣き出しそうな色が滲んでいる。


「ここに居なさい」


 弟にあるかなしかの声音で囁き、彼女は立ち上がった。

 伸ばされた弟の手を避けるように物陰を出る。

 出て来た彼女の姿を見て、二人は驚いたようだった。


 彼女は、自分が珍しい外見である事を自覚していた。


 朱い髪に、朱い瞳。

 自分の外見は、他人から見ると美しいらしい。


 柘榴石のようだ、と彼女の目を見て言った者がいた。

 陽に焼けない白い肌を見て、まるで陶器の人形のようだ、と言った者も。

 そして誰もが、最後にこう言った。


 高く売れるだろう、と。


 彼女は、二人の男が口を開く前に言った。


「私を、飼う気はありませんか?」


 男たちは、顔を見合わせた。


「どういう意味だ?」

「言葉通りの意味です」


 白髪の男の問いかけに、彼女は淡々と答える。


「おかしな子だねぇ」

「おかしいですか?」

「少なくとも、自分の村を襲うような連中相手に言うような言葉じゃあ、ねーねぇ」


 無精髭の小男が顎を掻く。


「私は村の者ではありませんので」


 彼女は、自分の腕に嵌った鉄の腕輪を見せた。


 腕輪に繋がっている鎖が、擦れて音を立てる。

 そこから下がった太く短い鎖には、端に丸い輪が付いていた。


 人攫いが、商品に付ける奴隷の印だ。


 彼らの襲撃時に、作業をしていて小屋に繋がれていなかったのが幸運だった。


 煙と炎に巻かれた死は、苦しいと聞く。


 もし夜の襲撃だったら、鎖で小屋に繋がれたままの彼女と弟はそのまま焼け死んでいただろう。

 尤も、此処で彼らの短刀や棍によって殺されるならば、その幸運も全く意味が無くなる。


「弱い私には、強い飼い主が必要です。私を飼いませんか?」


 再び彼女が問いかけると、白髪男が牙を剥くような獰猛な笑みを浮かべた。


「お前、安いな。鳥の民かと思ったのに、それにしちゃ売値が安い」

「鳥の民?」


 白髪の男が口にした言葉に、彼女は問いを返した。


「自分の素性を知らねーのか?」

「私は、山師の父に育てられましたので」

「……捨て子か」

「はい」


 育ての父とは、血が繋がっていない。

 山師は、山で出会った子どもを『神降かみくだり』と呼び自らの子として育てる。


 父が言うには、彼女は生まれたての赤子だった弟を抱いて山の奥深くで座っていたのだそうだ。


「その男は、この村の人間か?」

「死にました」


 彼女は白髪男から目を外してその足元に目を向けた。

 一際大柄な男が頭を割られて絶命している。


「殺した相手は、そこに転がっています」

「仇か」

「特に思う所はありませんが」

「何でだ?」

「恨みで命は買えませんので」


 彼女の返事に男は無言で近づいて来て、彼女の前に膝をついた。

 それを見ながら彼女は考える。

 

 この村は人買いの村だ。

 父と住んでいた小屋が襲われたのは彼女が理由だった。

 父は巻き添えを食って殺され、彼女と弟は攫われた。


「それで、鳥の民とは?」

「俺も詳しくは知らねーけど。お前と同じ髪と目の色をした連中で、随分と魔力の強い一族だったらしい」

「なるほど。その人達は今は?」

「さぁな。聞いたところじゃ、随分昔に姿を消したって話だ」

「それは残念ですね」


 結局、奴隷でなかったところで帰る場所はない、という事だ。


「こっちからも質問だ。お前、殺された育ての親に対して思う所は?」

 問われて、彼女は考えた。


「そうですね。申し訳ない、とは思いますが」

 彼女の育ての親が、彼女が居たから殺されたのは事実だ。


「そうか」


 白髪の男に、いきなり髪を掴まれて顔を寄せられた。

 とても痛い。


「お前も殺して、親元に送ってやろうか?」

「……理由を訊いても?」

「親が殺されたのに、その程度の態度なのが苛つくからだ」

「気に入らないと言われても、私は死にたくないので、嫌だと答えるしかありませんね」

「お前がどう思おうが、俺には関係ない」

「殺されずに済む方法は?」

「価値を示せよ。俺がお前を飼ってやるとして、俺に何の得がある?」

「そうですね。私の外見には親が殺される程の価値があるようです。如何でしょう?」

「残念ながら、俺には価値が感じられないな」

「そうですか」


 言いながら、彼女は自分の胸に手を添えてみた。


「巨乳がお好みでしたか?」

「そういう話じゃねーだろ」

「女に興味がない?」

「人並み程度にはある。いや、むしろ人並み以上にあるかもしれん」

「では何故?」

「お前の中身の問題だよ!」

「中身?」


 男の言葉はよく意味が分からなかったが、彼女は少し考えて言った。


「何でも言う事を聞きますが?」

「じゃあ死ね」

「それ以外でお願いします」

「何でも聞くんじゃねーのかよ……」

「死ぬのは嫌です。どうすれば殺されませんか?」

「だからさっきから、中身がねーっつってんだろ!」

「……」


  彼女が考え込むと、男は業を煮やしたようだった。


「お前な、親が殺されて自分は奴隷にされたんだろ? こう、屈辱とか怒りとか、そういう感情が無さすぎなんだよ! 胸くそ悪いんだよ!」


 獣が牙を剥くような顔で怒る男に、彼女は押し黙る。


「理不尽な目に遭ったんだろーが! 怒れよ! 悲しめよ! 何で奴隷のまんまで居ようとしてんだよ! もっと抗えよ!」

「抗う……?」


 彼女は、首を傾げながら。


 ごく自然に、男の首筋に刃物を添えた。


「それは例えば、こういう事ですか?」


 彼女が握っているのは、石裂いしざき

  細長い石の片側を爪の様に削り出し、丸い片側を握り込むように使う山師の暗器だ。


「白の」


 彼女の暴挙を見て敵意を露にした小男を、白髪の男が手で制した。


「そうだよ。何だ、やれば出来るんじゃねーか」


 嬉しそうに、楽しそうに笑う白髪男に、彼女は戸惑った。


「これは、理不尽に対して抗っているのですか?」

「違うか?」

「違います。こんな事して、殺されたら意味がないです」


 彼女は白髪男の首筋から石裂を離して足元に捨てた。


「気高く死ぬ事は、私にとって何の意味もありません」


 強烈な白髪男の視線を真っすぐに見返して、彼女は告げる。


「浅ましくても、愚かでも、私は生きたいのです」


「気に入った」

 男は目を細めて彼女の頭を掴んでいた手を離すと、笑みを消さないまま言った。



「お前は価値を示した。望み通りに、飼ってやる」

「良いのかねぇ。御頭に相談もなしで決めて」


 小男が呆れたように言うのに、白髪の男は鼻で笑った。


「御頭はこの村の始末を俺に任せた。つまり、戦利品をどうしようと俺の勝手だ。そうだろ?」

「女の子を物扱いするのは、良くねーと思うんだけどねぇ」

「自分から俺のモノになりたいってんだから、別に構わねーだろ?」

「この子を慰み者にするんなら、この村の連中と変わらねーと思うんだけど」

「しねーよ! お前、俺を何だと思ってんだよ!」


 やれやれ、と小男が溜息を吐いた所で、村の奥から騒がしい歓声が聞こえた。


「お、終わったのかねぇ」

「行くか」

「すみません。もう一つだけ」


 白髪男に彼女が声を掛け、元々彼女が隠れていた物陰に目を向ける。


「弟がいます。宜しければ、一緒に連れて行ってくれませんか?」


 白髪男が、彼女に向かって無言で顎をしゃくる。


「来なさい、錆輝ショウキ


 言われて物陰から現れたのは、腰まで漆髪を伸ばした矮躯の少年だった。

 暗い目をしている。

  顔をなるべく伏せ、視線は落ち着きなく男達と彼女の顔を行き来していた。

  左手で腕輪の鎖を強く握って胸に強く押し付けている。


 縋るように彼女を見るその姿に、思わず音のない息を吐いてしまう。


「随分と、似てない姉弟きょうだいだねぇ」

「よく言われます」


 手招きすると足を引きずりながら寄って来て、彼女の影に隠れるように身を縮こまらせた。

 黙って見ていた白髪男が、口を開く。


「そこのガキ。顔上げろ」


 声を掛けられ、弟はびく、と身を竦ませた。


「お前の姉は俺が飼う事になった。お前もついでに飼ってやるが」


 言われて弟が顔を上げる気配がしたが、彼女からその表情は見えない。


「幾ら足に怪我をしてるっつっても、この状況で女の背中に隠れて震えているような臆病者は、俺は嫌いだ」


 白髪男の言葉に、弟は黙ったままだった。

  背後からは、歯の鳴る音と、しゃくり上げるように吸い込まれた息の音だけが聞こえた。


「俺が気に入らなきゃ殺す。生きていたけりゃ、強くなれ」


 彼女は獣の皮をなめした防寒套を片手を上げて広げ、弟と白髪男の間を遮る。


「もう、その位で」


 白髪男が首を鳴らすと、小男も口を挟んだ。


「白の。弱い者いじめはよくねーと俺も思うねぇ」


 白髪男は、舌打ちして話を変えた。


「俺は白抜炙シラヌイこのチビは無陀羅ムウダラ

  その肩に止まってるのは一葉イチヨウ。お前の名は?」


 彼女は白抜炙と名乗った男をまっすぐ見つめて、答えた。


朱翼スイキ、と申します。御主人様」


 彼女が言った瞬間、男たちが固まる。


「? どうされましたか」


 男たちの視線の意味を計りかねて彼女が尋ねる。

  二人は目を見合わせると、どちらともなく気まずそうな咳払いをした。


「朱翼?」

「はい」


 彼女の返事に、白髪の男は言葉を探すように視線を彷徨わせてから言った。


「俺の事は普通に、白抜炙と呼べ。白、と縮めてもいい」

「何ででしょう?」

「何でもだ」

「分かりました」


 疑問に思いながらも承諾すると、小男が小さく呟くのが聞こえた。


「いやぁ、えらい破壊力だったねぇ……」

「?」

 その言葉の意味を図りかねて、朱翼は首を傾げた。

 

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