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DtD  作者: 逍蕾花実
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DtD 4

DtD - Her story4


 (すごい、星がいっぱいだ)


 全天が星明かりで輝いていた。

 星の一生は明るく、そして短くなっていた。

 拡散したガスが各所で濃密になり、まばゆい輝きののちに膨れ上がった年老いた星がよみがえった。

 

 物質の起源は星だという。ヘリウムより重い元素は恒星の内部で生成する。ことに鉄より重い元素の誕生には、超新星爆発による星の死が不可欠だ。地球も恒星内部の元素合成の結果、誕生することができた。

 生生流転する命の流れに、星の死は必要だったのだ。


 天体も、人も、大きさと時間的スケールの他に違うところはなかった。無数の生死を目撃してきた結加の視点からは、この宇宙の大きな目的が、事象の壮大なフレームが漠然と浮かんで見えた。

 全ての事象に無駄なものなどなかった。無駄に見えるのは、それを解する心の未熟を示していた。広大な真空にも、それを包む重力にも、全てを運ぶ時間にすら、優しい意味があった。

 宇宙は健気だった。


 このように残酷で美しい物語を結加に語ってくれるとは、本当に何者の仕業なのか。なぜ結加なのか。

 不思議と、その疑問にも行く手に答えが示されている気がした。時の切片から解放されたいま、時間のどこかで蓋然と必然が、 未然と已然が一体に交わる瞬間を感じ取れてもおかしいとは言えないだろう。


 星の密度はますます高まった。

 近づき過ぎた星々は、自身が生み出す重力場の滑らかな窪みを起点に互いの重心を巡り、ガスを交換し合っていた。

 宇宙は狭く、熱くなっていた。緊張の瞬間が迫っているのが察せられた。


 結加は注射針が自分の肌に刺さるのを見たくない子供と同じように、宇宙の誕生から目をつぶった。

 極度に時間を圧縮していた結加にとって、それは一瞬の出来事だった。

 不意に宇宙が真っ暗になった瞬間、あらゆる因果の糸がある中心に凝集し、くるりと反転した。


 瞬きすると、結加は闇のただなかにいた。一点の光もない真の暗がり。

 そこは果てしもなく広がり過ぎて、もはや空間というの定義から離れてしまうほどの、圧倒的な虚空だった。

 

 感覚をめいっぱい広げた先には何もなかった。馴染みのない異質な空間。だがその一方で懐かしい感触もあった。

 時間だ。

 

 (ここはわたしたちの――宇宙?)


 いちど頭をもたげた疑惑は、やがて確信に変わった。 

 結加は宇宙のはじめを抜けて、終末を回って帰ってきたのだ。


 時間の向こうから、変わり果てた未来に代わって、新しい過去が続々と結加のもとを訪れはじめた。

 陽子崩壊のわびしい熱の放出から物質が蘇り、蒸発するブラックホールの放つ重力波がちらほらと天に出現した。


 日めくりカレンダーをめくるように、幾つもの1兆年を遡った。

 やがて光に気づいて結加は歓声をあげそうになった。闇にはじめて灯った光は、恒星の中でも最も息の長い赤色矮星の姿だ。


 もっと先へ。

 結加は一挙に時の果てからまっすぐに飛んだ。芳醇に物質が香り、華やかにエネルギーが舞う時代に。

 天を彩る可視光線のスペクトルが結加の瞳に映り、そこに生気をもたらした。

 

 宇宙は核融合の熱を贅沢に放つ恒星の時代、結加の時代に若返った。

 星々は明るくなり、あちこちで渦巻き銀河が復活した。


 そして結加は星の織りなす、あるパターンに目をとめた。

 あちらに、こちらに散っていた星が集まり、ある角度から眺めると六角形や八角形に整列しはじめた。

 ひときわ目立つのは、指輪のように真円に近い、無数の星から成る巨大なリングだった。それがこの宇宙にもたらした因果のもつれが、時の回廊を殷々と「響く」のに耳を澄ませた。

 

 それは一つの音色を奏でていた。

 悲しく、誇らしく、懐かしいパターンは結加をひきつけた。目印もない虚空でこの呼び声に出会えば、誰でも惹きつけられるだろう。

 

 恒星のリングは、近づくにつれてその壮大さで結加を圧倒した。

 壮健な若い恒星、それもシリウスのように青白く大きな恒星が銀河の円盤上に決然と並ぶその光景は、それだけで力と知恵の証明となる記念碑だった。

 もしこのリングのそばに技術文明に達しない知的種族がいれば、この天文学的構造物を神とあがめるに違いない。


 リングの周辺を動く物体があった。

 恒星の位置が微妙にブレて、もともとの均整のとれた姿が崩れた。

 意識の焦点を物体に合わせると、なにか作業をする人間とは似ても似つかない生物の姿が目にとまった。彼らは丸い透明なわらび餅といった風情だった。

 

 (これが未来の人類? わたしたちの子孫?)


 ぞっとしない姿かたちだったが、外見だけで決められなかった。

 と、リングをいじっていたわらび餅たちは突然かき消すようにリングの周辺からいなくなった。

 そしてまた静寂が訪れた。

 

 1億年。次の一億年。

 

 突如リングが輝いた。

 金色の光の柱がどこかから伸びて、リングの中心でふっつりと消え失せていた。

 

 いつの間にか、結加は一人ではなくなっていた。斜め下の方から華奢な生物がこちらを見ていた。

 知的な光を帯びた大きな目はまるでマンガから抜け出してきたような造形だったが、決して醜くはなかった。むしろ見れば見るほどに洗練された美しさが目に止まった。

 裸の体はほっそりして、男女の区別はなかった。胸のふくらみがないから、とりあえず“彼”と勝手に性別を決めた。

 

 彼の背後に白い毛むくじゃらの球体が浮いていた。彼は白い毛玉を片手で肩に引き寄せ、結加に微笑みかけた。

 逆回しではなく、時間に支配されない自然な動きだった。

 

 (この人も時間の種族なんだ)


 恐怖心はなかった。間違えようもなく、彼らは人類だった。

 彼はリングを指さした。

 その細部が不意にはっきりと見えた。七色の小さな流星が、その輝きに向かって飛び込んでゆく。その総体として、金色の光をまとっていたのだ。

 心を奪われる光景だった。


 (とてもきれい)

 

 (そうだね)


 はっとして彼をみつめた。

 間違いなく彼が言ったことだった。

 耳ではなく、頭の中心から声がした。彼にそのくらいの芸当ができることを結加はちっとも不思議とは思わなかった。

 

 (あなたは?)


 (ぼくはあなたの最後の子孫ですよ。これは――ぼくのご先祖様の****です)

 

 肩にちょこんととまった球体は少し背伸びをして挨拶したようだった。

 

 (時の彼方からご苦労様でした。あなたの旅ももう終わりです)


 結加は辛うじてこれだけ言った。


 (わたしは死ぬの?)


 (死にはしませんよ、誰も。これまでも、これからも)


 彼がすっと手を伸ばして結加の額に触れるのを、防ぐことも避けることもできなかった。

 額の真ん中にぽつんとほのかな温かみが生まれた。

 そして悟った。

 この旅路の目的を。


 人類は耐えず自らの歴史を再確認していた。全ての祖先を再観測していた。継続する意識としての人類は自己をトータルで再確認しなければ存在できないのだ。

 ただしその記憶がのこれば歴史も変わってしまう。それを回避するために観測の記憶は消去され、観測データだけが未来の果てに保存される。

 それが****、あの白い毛玉だった。

 

 結加も、結加の両親も、結加の子孫も、みんなこうやって過去を再観測して自らを紡ぎ直す鎖だった。

 その理由もぼんやりとわかった。彼の指先から伝わった理論の断片すら、とうてい結加には理解できなかったが、そのイメージはしっかりと頭に残った。

 結加の全生涯もあの毛玉に収められているのだ。まだ見ぬ未来の苦悩と喜びの全てが。


 (じゃあ、この金色の光はすべて――)


 リングの奥に消えてゆく無数の光点のそれぞれが、生命の誕生からはじまる、ひと連なりの遺伝子の全記録なのだ。

 

 彼は祖先の旅路の終わりでご先祖様を迎える道祖神だった。遺伝子の約束に生きる無数の旅人を見送る案内人だった。

 そして、結加の遠い子孫のアバターだった。子孫が「あちら」への旅立ちを前に残したメッセージ・ベアラー、それが彼だった。


 これまで何度、こうして彼と会ってきたのだろう。そして、何度同じ会話を交わしたのだろう。


 (わたし、すべて忘れるのね)


 彼は結加の額に触れたまま、小さくうなずいた。

 

 (観測データと時空連続体は無事にシンクロしました。またここで待っています。それまで、健やかに生きてください、ご先祖様)


 結加は最後の瞬間、天を圧する壮大なリングの輝きに目を細めた。

 いまこの瞬間も、人類に連なる全世代が、持てるもの一切合財を携えて「あちら」に飛び込んでいる。

 リングは未来の人類のドアなのだ。


 結加は理解した。

 ドアは一定の空間を区切る。それは人類の持つ一種の習慣が裁定した思想の象徴だ。ならば、ドアの開閉という行為がわたしの「観測」のスタートラインに擬せられたのは自然な流れだったのだろう。なぜなら、人間は時間を三次元的に把握しかできない生物なのだから。

 ほかの人にはまた、別のスタートラインがあるのだろう。結加にはたまたまそれがドアだったのだ。


 (ところで……)


 彼が好奇の目で結加を眺めていた。


 (なに?)


 (あなたの時代では「衣服」を使用する習慣があったはずですが)


 結加自身が完全に忘れていたが、結加は全裸だのだった。


 (ひゅわ!?、やだ、見ないで!)


 (いや、観察しないという選択肢がぼくにはないんですよ。ごめんなさい)


 結加は目に涙を貯めて、子孫の子孫のそのまた子孫をなじった。 


 (卑劣よ。黙って見ていたなんて)

 

 (機嫌を直してください。そうだ、「こう」すればお好みの衣服を再現できますよ)


 「こう」のところで、どうすればいいのかを結加は直感的に理解した。ひっかかっていた数学の問題がするっと解けたときのような、クセになりそうな快感だった。


 (わかった、やってみる)

 

 (そうそう、集中して)

 

 衣服が現れた。

 膝上まであるニーソックスが。


 (これじゃなくて!)


 ドレスグローブが現れた。結婚式なんかで花嫁が使う手袋。


 (あー、もう!)


 鼻の下まで覆うネックウォーマーと、黒色のオシャレ腹巻が現れた。


 結加は握りこぶしを震わせて低い声で言った。


 (…………子孫。もしかしてあなたの嫌がらせ?)


 (知りませんよご先祖様。あなたが変態なのではないですか?)


 (なによ、子孫のくせに生意気ね)


 彼は苦笑のようなものを浮かべた。

 

 (別に隠さなくてもいいでしょう。ご先祖様の哺乳類な部分はもう十分観察してしまいましたし)


 結加は赤くなった。

 

 (哺乳類って……いやらしい言い方しないでよ!)


 彼はなにをそんなに怒っているのか、理解できないといった表情を浮かべていた。


 (ご先祖様の原始的なところも含めて、かけがえのない全体の一部です。とても微笑ましいですよ)


 (微笑ましいって表現だと、なんだか幼いって言われてるみたいじゃない。そもそも――)


 (ご先祖様……失礼ですが、もう帰りませんか? というか帰ってください) 

 

 (言われなくても帰るわよ)


 (次は裸で来ないでくださいね)


 (こののぞき魔! 変態!)


 手足と腹だけ隠すという、自分のハイレベルな変態痴女ぶりを棚に上げて結加は叫んだ。

 こんなふうに遠慮なく感情をさらけ出したのは久しぶりだった。なんとなく親戚の子に対するような気安さが心地よかった。


 後ろ髪をひかれつつも、自らの遠い子孫に告げた。


(それじゃ、またね)


 手を振る彼の姿が小さくなって、またたく間に背景を成す金色の輝きにまぎれて見えなくなった。


 結加はさらに過去に飛び去った。

 改造された星々は、真珠のネックレスが弾けるように、散り散りに本来の場所に戻って行った。

 人類の活動領域は狭まり、あの懐かしい地球が滑るように眼下に現れた。地球を取り巻くように建設されていた建造物がみるみる解体されて地上に吸い込まれていく。


 もうじきだった。

 スピードを落として地上に舞い降りた。

 

 ついに結加の時代がやってきた。

 大人の女性になった結加が、見知らぬ男の人と一緒に公園を散歩していた。男の人はベビーカーを押して、未来の結加は赤ちゃんに顔を寄せて何事かささやいていた。


 風が吹いて、未来の結加がかぶっていた帽子が飛んだ。草の上に落ちた帽子を拾おうと、結加はスカートを押さえてしゃがんだ。

 手に草の葉が触れた。

 それらはまだ朝露でしっとりと濡れていた。

  

 結加は就職して大学生になり、高校生に戻った。

 もう、この旅も終わりだった。

 15歳の結加が、あの幻の倦怠に満ちた生活が、すぐそこに迫っていた。 


 生きているからこそ、主役として未来をつくることができる。未確定の未来を確定できるのは、「現在」を生きる自分だけなのだ。未来はやってくるんじゃない。「現在」が自らの内に観測する壮大な建築物なんだ。

 

 忘れてしまうことを知っていても、願わずにはいられなかった。

 

 (生きて。美しく生きて、わたし!)

 


 結加の背後で自室のドアがパタリと閉じた。


 「…………」


 後ろ手にドアノブを握ったまま、結加は不思議な断絶感を味わっていた。

 草原と湿った葉の感触がよみがえった。指先を眺めて、結加は漠然と予感した。この記憶が、いつかデジャ・ヴとなって自分に回帰するだろうと。

 

 あれほど沈んでいた心が、なぜか少し軽くなった気もした。


 結加は誰にともなく独り言を漏らした。


 「気のせい……だよね」


 外から車の音が聞こえた。

 お母さんが帰ってきたようだ。


 「ただいまー。あー疲れたー」


 やっぱりお母さんだ。

 結加はネックウォーマーをずらして言った。


 「おかえりー」


 (そうだ水を飲もうと思ってたんだ)


 目的を思い出した結加は、足早に階段を下りていった。

 

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