第二章 不本意な依頼人 その3
松村が帰った後、武はデスクに積み上げられた書類の山を押しのけて、そこからノートPCを発掘した。このようなメカは、自分には不釣り合いだ、本当はタイプライターを使いたい所なのだが、今の世の中、インターネットを使わなければ探偵業はやっていけない。武はPCの電源を投入する度に、一人で自分にそう言い聞かせる。ジャーン。機械は起動音を鳴らして立ち上がった。タイプライターは諦めたが、せめてそれならとPCにはこだわってみた。それほど詳しいわけではないが、あの無機質な感じのPCはお断りだ。同じ機械でもこれならまだこだわりを感じさせる。そう思って手に入れたのが、このアップル社のマッキントッシュPC、通称MACなのだ。
武はMACを使ってインターネットに接続し、必要な情報を探しはじめた。猫の習性、餌の種類と好み、松村が言っていた公園周辺の地理……そういえば、松村はミィちゃんのことを、猫だとは一回も言わなかったなぁ。それにしても、そんな三十年も生き続ける猫なんているのだろうか? まさか猫は猫でもライオン? そんなわけはないな、ライオンはマンションでは飼えないだろう。ま、いいか。どんな猫か捕まえてみれば分かるわけだし。
こうして武は、ペット捜索に必要な上方を丸二日間かけて洗いざらい整えた。そして依頼者である松村と約束した昨日、現場で落ち合って捜索を開始したのだった。曜日の指定については、それがいつもミィちゃんを散歩させているのが日曜日だから、その方がきっと見つけやすいと思うから、というのが理由であった。
暁山公園を、武は初めて訪れるのだが、都内にこんな広大な公園があったのだと思わせるほど立派な公園だ。正面入り口は柵で囲われていて、徒歩でしか入園出来ないが、裏手の方は、一画に野球場があったりするからか、車で乗り入れる事が出来るようになっている。裏ゲイトから入って徐行運転で五分ほど走ると、林に囲まれた大きな池が現れる。その畔に緑色をした大きな四駆車が停められており、松村が待っていた。
「先生〜隅井戸先生〜!」
隅井戸は松村の車の横にポンコツのプジョー四〇二を停車させ、車を降りた。この車は、隅井戸が大好きな海外刑事ドラマ、刑事コロンボが乗っていたものと同じだ。
「ここですか、奴が逃げた現場は」
「奴って誰?」
「ああ、すまない。その、ミィちゃんだが」
「そうなんです。鎖でつないだミィちゃんは、この辺りで遊ぶのが大好きなんです。で、僕はいつもここに虹色のレジャーシートを敷いて、寝っ転がって本を読むんです」
「で、ミィちゃんをつないだ鎖の先は手に?」
「それじゃ、本が読みにくい。鎖はいつも、四駆車のバンパーに括り付けます」
松村は車に戻って取り出してきた、虹色のレジャーシートと鎖を隅井戸に見せた。鎖は金属で出来ていて、鎖を構成するスチールの輪ひとつの径は一センチもあろうかというほどの頑丈なものだった。だが、鎖の先には本来ならあるはずのペットを繋ぎ止める首輪の代わりに、少し大きめのスチールのリングが残されているだけだった。 この金具にジョイントされていた首輪の部分が、何かの拍子に外れてしまったらしい。
「しかし、ミィちゃんって、とてつもなく大きな……」
「そうなんです。最初はこんなに小さくて可愛い子だったのに、今じゃもう、僕の二倍ほどに大きくなってしまって」
松村はこんなに小さくと言うときには片掌を示し、その後は両手を左右に広げてみせた。
「そ、そんなに? 聞いた事ないなぁ、人間より大きな猫なんて」
「猫ですか? そんな大きな猫なんていませんよ。大きな猫だったら、それはもうトラかライオンじゃないんですか? それでもミィちゃんより大きな猫族は見た事ない」
「でも、猫なんでしょ?」
「ミィちゃんに猫を与えた事はないです。ミィちゃんに上げるのは、人間と同じ、牛肉、豚肉、鶏肉ですよ」
松村は、ミィちゃんにあげるために持ってきたという鶏まるまる一羽を隅井戸に見せた。鶏一羽を丸ごと食わせるなんて、いったいどんな猫なんだ。
五分後、隅井戸は松村に向かって怒鳴り声をあげていた。
「じゃぁ、なんで、ミィなんて名前にしたの!」
「なんでって、そんなことあんたに関係あるのか?」
「か、関係あるのかだって? 大有りでしょう? 大有りですとも。今から俺はその、ミィちゃんなんて馬鹿な名前を持ったデカイ奴を探し出さなきゃならないんだからな! 何だってそんなかわいらしい名前を付けたんだ?」
「そ、そりゃぁ、あの頃、ピンカー・レディってアイドルグループが流行っていて、僕はあの中のミィちゃんが大好きだったんだ。大好きなアイドルタレントの名前をペットにつけてはいけませんか?」
ああ、あのグループなら知っている。数年後には「普通の女の子になります!」とか言って解散したんだったよな。確かにいたな、ミィちゃんって女の子が。あんたが好きなアイドルの名前をペットにつけたのは分かった。だが、それとこれとは別問題だ。あんたが逃がしてしまったペットが何なのかは、最初に言うべきではなかったのか? 俺はあの手の生き物は苦手なんだよ。隅井戸がそう言うと、呆れ顔で松村が言った。
「聞かなかったあなたが悪いんじゃないですか!」