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第七章 悪魔の所業-1

 三ヶ月前。京都東門前寺。観光客で賑わう土産店が並ぶ通り。歩行者中心に利用される、さほど道幅のない舗道。西の方向から軽自動車が走ってくる。まだ距離があるときには分からなかったが、近づいて来ると、結構な猛スピードであることが分かった。軽自動車は百メートルほど先で停車しているタクシーにドスンと追突した。そのまま強引に突き進み、赤信号を無視して交差点を横切った。さらにアクセルが踏まれたのか、いっそうスピードを増した軽自動車は、土産物店の前を歩いていた観光客十数名を次々と跳ね飛ばし、次の角にある電信柱に激突して停車した。

 突然のこの事故で、歩行者七人と運転していた三十歳の男が死亡、六人の観光客が重軽傷を負った。最初、運転していた男が持病の癲癇で発作を起こしたことが原因かとされていたが、その加害者も即死で亡くなってしまっているので、本当の原因は分からないままになった。


 二ヶ月前。京都府亀池市。市内の小学校に続く登校指定道路。小学児童は、それぞれ元気よく自宅を出発し、集団で登校している最中だった。登校路は、車も通る道だが、速度が出せないように、クランク状にデザインされていた。この直線ではない道を、軽自動車が爆走してくる。車の中には三人の若者が大声で叫んでいた。後に運転していたのは未成年で、しかも無免許であったことが分かるが、一晩中ドライブをした後で、この時は居眠り運転をしてしまったと供述された。軽自動車は、集団登校の児童に近づく直前に、急にスピードを上げ、子供たちを次々と跳ね飛ばして、間もなく停車した。はねられたのは児童だけではなく、児童を引率していた身重の母親も含まれていた。この母子と三人の児童が死亡、五人の児童が重軽傷を負った。軽自動車を運転していた少年が道路交通法違反で逮捕されたほか、同乗車二人と、車の持ち主など三人が、無免許運転幇助の罪で逮捕された。事故当時に車を運転していた少年と同乗していた二人の少年は、いずれも夢を見ていたようだと、自分が犯した事件そのものが現実ではないような発言を繰り返した。


 大阪市福山区。アーケードのある道幅の狭い商店街。車両通行禁止の道に、一台の乗用車が進入。次第にスピードを上げて付き進んできた。幸い人通りは少なかったが、買い物中の主婦二名と老夫人をかすめてアーケードを通り抜けた。後に防犯カメラが捕らえた映像によって、一人の少年が逮捕された。少年は、合法ハーブ麻薬を吸っていたと供述し、その時の事は何も覚えていないと述べた。


「いったい、世の中どうなっているのだ? なぜこんな訳の分からないことが次々と起きるんだ?」

 隅井戸は新聞を折り畳みながらため息をついた。日本中で、いや世界中で、毎日、人が生まれ、死んでいる。新たな命が生まれるのも、逆に今ある命が滅びていくのも、それは生あるモノの宿命だ。どうしようもない。だが、犯罪は違う。人が人の命を奪う。それが事故であれ、犯罪であれ、あってはならないことだ。人は、自然がもたらす時間によってのみこの世を去っていくべきだ。その神が決めた運命は、何者によってであれ、乱されるべきではない。隅井戸はそう思う。

「あら、また妙なこと考えてるんじゃありませんこと?」

武のグラスにビールを注ぎながら、妻の紗季が言った。

「なんだい? 変なことって」

「だって、あなたったら、仕事なのかなんなのか、よく知らないけれど、ときどき心ここにあらずって顔して何かを思いつめているんですもの」

「そうか? そうだな。俺は、すぐに何かを妄想しちまうんだな」

「今はどんなことを考えていたの?」

「うーん、むつかしいなぁ。説明しにくい」

「まぁ、私には言えないような事なの?」

「ん、いやいや、そうじゃない。この新聞見たか? また未成年が車で暴走だってさ。今度は幸いにして死人は出なかったようだが」

「ええ、見たわよ。それがどうかして?」

「いやいや、最近多くないか、この手の話が」

「そうだったかしら?」

「そうだよ。京都で暴走車、また京都で暴走車、今度は大阪で暴走車。一回だけなら分からなくもない。でも、同じようなことが各地で繰り返されるって……これってなんだか不思議な気がしないか?」

「きっと、いまに始まったことじゃないんじゃないの? いままでだってあったのよ、きっと。世界中で暴走してるのよ、いろんな車が」

 隅井戸は、おや? と思った。紗季がいやに偶然説を力説しているような気がしたからだ。だが、紗季はさらに続けた。

「人間の命は大切だなんて、不遜じゃない? 神様が人間を作った、だから人間の命は神様だけが操るべきだ。そう考える人は多いけれど、本当にそうなのかしら?」

「お? 紗季、今日はどうした? なんだかいつもと違うぞ?」

「あら? そんなことないわ。いつも通りだわ。私にだって考えや意見はあるのよ」

「そりゃあそうだろうとも」

「あなた、エントロピーって知ってる?」

「あの、物理学のかい?」

「そうね。私は物理学者じゃないから、学術的なことはよく知らないけれど、世の中の物は、整然と置かれていても、ほうっておいたらどんどん乱雑に広がっていくって言うわ」

「知ってる。エントロピー増大則だね」

「私は思うのよ。神様が、この世にきちんと残そうとしているのが命だとすると、それをバラバラにしようとする別の力がこの世にはあるのではないかしら」

「それがエントロピー増大則か?」

「名前は知らないわ。でも、神様だけが全てじゃないって気がするの」

「そうすると、さしずめ、エントロピー増大則っていうのは、悪魔の仕業ってわけかな?」

「さぁーそれはどうか知らないけど」

「エントロピーの悪魔か……」

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