出会いが出会いだと敬語で話す機会を失うって事あるよね。
窓枠に手を当て、ゆっくりと押す。
キィ・・
幽かな音を立てて窓が開く。
「あ・・・・」
視界に入ってくる光景に息を飲んだ。見渡す限りの深い緑・・・。木々の緑が地平線まで続いている。青い空に、太陽が双子星の様に二つ並び大地を照らしている。鮮やかな鸚鵡の様な鳥が群れを成して飛んでいた。その鳥の羽は、動きに合わせて、まるで玉虫の様に七色に色を変え輝いている。
「綺麗・・・」
私は、そのままバルコニーの手すりに寄りかかるようにして外を眺めた。私に与えられた選択は「人」の国へ行って帰してもらえるか確認、交渉するか、国王の頼みを聞いて、とにかくこの場を納める方向に少しでも持って行くか。どちらにしても何の確証もないのだ。・・・本当に帰れるのかすら、わかったものではない。もし、このまま帰れないとしたら・・・。
(お客様への代品送付手配が一人分残っていたっけ・・・誰かやってくれるかなぁ。お母さんに実家に帰った時に渡そうと思ったプレゼントそのまま部屋にあるなぁ・・・。)
「・・・そっか、私居ない事になってるんだっけ・・・」
やるべき事は決まっている。でも、本当にそれでいいのかとブレーキを掛ける自分も確かに居る。
「あんたさ、よくこんな鈍感で生きて来れたな?」
「ー!?」
直ぐ後ろからした声に、心臓が飛び跳ねた。・・・・多分、体自体も飛び跳ねた。私に声を掛けたのは、見たことの無い青年だった。幼顔だが子供ではない、少し伸びたこげ茶色の髪を横に流し耳には金色のピアスをしている。前合わせの深い青色の服にパンツスタイル。私は、彼が特に武器らしい物を持っていないのもあって、安心していた。
「あの・・・」
次の瞬間、彼の右手は私の喉元を捕らえていた。
「---ぅ・・」
喉を押さえる手を掴みはしたが、声を発する間もなく、自分の腰が手すりにぶつかるのが解った。腰を支点に、頭の重さが手伝って体がバランスを崩していく。首元がギリッと閉まり、落ちそうになっていた体が止まる。半笑いで嫌味が飛んできた。
「ねぇ、向こうの世界ではさ、どうやって生きてきたわけ?こんなにどん臭くて・・・よく死ななかったな?ほんと「人」って不思議だよ。こんなんでも生きていけるんだもん。」
落ちまいと掴んでいる手に更に力が入る。
「非力だしさ。」
私の手に力が入ったのが分かったのか、更に彼の手に力が入る。
(何・・・こいつ・・・)
意味が解らなかった。急に現れて、嫌味を言われ、喉を絞められ、落とされようとしている・・・。景色を見た時に樹木の上部が見えた。この部屋は、そのぐらい高い位置にあるのだ。このままで後ろ向きに落ちれば、命は無いと考えた方がいい。ただ、このままでも殺されるかもしれない。なんせ、私はこの国の生き物とは相性の悪い「人」なのだ。
(・・・私だって・・今まで一生懸命働いて・・・生きてきたのに・・・)
考えている暇はない、何か行動しなければもう先はない。
(何で・・・あんたに・・・そんなこと言われなくちゃいけないのっ!!!)
半分は自棄だった。私は彼の腕を掴んだまま、バルコニーの外へと引っ張った。それこそ、力いっぱい。(私の何を知っているっていうの・・・・)
もともとバランスを大きく崩していた体は、大きく外へと傾いた。同時に彼の足を蹴り上げる。そう、これも力一杯。
「ー!?おまえっ!!」
これが最期かもしれないけど、むざむざ殺されてやる義理はない。そんな一心だった。景色が反転して空が下になり、ぎゅっと目を瞑った。開けたまま落ちる勇気はなかった。一瞬やり残した事が脳裏をかすめた。
ドサッー
衝撃があったが痛くない。
「え・・・」
恐る恐る目を開けると、私はさっきの青年に抱きかかえられていた。状況が飲み込めず沈黙する。
「おまえさー!バカなんじゃないの?死にたいわけ?」
状況が飲み込めなくても言われている意味はわかった。
「は・・・何・・何言ってんの?殺そうとしたのはあんたでしょうが!」
初対面の人にそんな言葉遣いをしたのは初めてだったが、流石に怒り心頭の状態では、簡単に口をついて出て来た。
「俺はただ・・・」
「ただ?ただ何なの?私の何を知ってて偉そうな事言ってんの?私だって、これでも一生懸命ー・・・頑張・・・って・・・うぅっ・・・ぐすっ・・・」
涙がぼろぼろと頬を零れ落ちていった。
「-っ!」
手で拭っても、後から後から溢れてくる。止めなきゃと思うのだが自分でもびっくりするくらい涙腺が言う事を聞かない。
「あ・・あの・・」
青年がひどくうろたえているのがわかった。私は恥ずかしさがこみ上げて来て、暴れるように青年の腕から抜けた。
「離してよっ!」
「おいっ・・・待てって!」
青年の言葉をシカトし、そのまま、止まらない涙をぬぐいながら歩き出す。
(何言ってんだろう・・・ここの人に言ったって分る筈無いのに・・・。どうしよう・・・。涙が止まんない・・うぅ、鼻水まで出て来たしぃ。)
歩き出したはいいものの、足は素足なわけで、やはり地面を直にとなると石が痛い。しかも、建物の一階部分は窓が無く、高い石壁が延々と続いている。ただ、そんなことは、どうでもいいくらいに青年に言われた事が悔しくて仕方なかった。
「うっ・・ぐすっ・・・ずっ・・・・・・・」
我ながら、いつ以来だろうという大泣きで、もう人に見せられるような顔ではない。後ろを青年が着いてくるのは分かっていたが、振り返るのも気まずいし恥ずかしい。
どれくらい歩いただろうか、向こうから見覚えのある人が駆けてきた。
「大丈夫ですかっ!」
「あ・・・」
この世界に落ちた時に会った孔雀だった。人の容から戻っていない彼を見て更に顔を見せたくなくなる。
(最悪だ・・・こんなにぐしゃぐしゃな顔なのに・・・。)
私にだって羞恥心ってものはある・・・。
「部屋から落ちたと聞きました・・・お怪我は?」
顔を覗き込まれて思わず背けてしまった。
「だ・・・大丈夫です・・ぐすっ・・・・・・」
「何か・・・心無い事を言われたのですか?」
(孔雀なのに・・・そこらの人よりもよっぽど人っぽい・・・)
そんな事を考えて顔を上げたときだった。
「-っ!首はどうされたんですか?・・・・。」
首がどうなっているか私には見えないのだが、余程目立つ痕でもついているのだろうか、目ざとく発見された様だ。孔雀は、私の後ろの青年を鋭く睨んだ。
「お前、何かしたのか?」
言葉尻が変り、かなり怒っているのが安易に伝わってくる。
「俺は別に・・その・・」
完全に言葉を詰まらせた青年に孔雀が詰め寄る。
「別に何だ?この傷はお前がやったのかと聞いている。」
一段と声を荒げる。
「違うんですっ!」
自分でも何でかは分からない。あれだけ腹が立っていたのに、私は金色のピアスの青年を庇ってしまった。
「私が・・・その・・景色に見惚れて落ちそうになったのを助けてもらって・・・その時に不可抗力でついたんです!」
「・・・・では、何故そのように泣いていらっしゃるんですか?」
「えっ・・・・・・・と、・・・・・落ちたショックで・・・」
苦しい言い訳だった。泣いている事をそんな風に聞いてもらったことは無かったから、えっ・・・と心の声がそのまま出てしまった。
「貴女がそう言うならば信じましょう。本当に・・・大丈夫なんですね?」
「はい。ご心配をかけまして、すみませんでした。」
頭を下げる私に孔雀は安堵したように微笑んだ。しかし、やはり私を立ててくれたのだろう。本当の事は知っている様で、青年に厳しい口調で言いつけた。
「ウィステリア、お前がきちんと部屋まで送り届けるんだ。いいな?」
「・・・分かってるよ。」
不満を前面に出したような声色で了承したのを見届けて、孔雀は「では、また後ほど。」と言い残し戻っていった。
「はぁ・・・・・」
ため息が漏れる。心身ともに疲れた。
「何で嘘ついたんだよ。」
「え?」
ウィステリアと呼ばれていた青年に詰め寄られた。
「・・・・分かんない。でも、殺そうとしてなかったんでしょ?」
「・・・そうだけど。でも・・首の傷・・・。」
(あ、そういえば傷が何とかって・・・)
思い出して首に触ってみる。触れば少し痛いが、気になるような痛み方ではない。
「大丈夫。そんなに痛くないし、ぜんぜん平気だから。」
「そうなのか・・・。悪かった。」
「こっちこそ・・・ごめんなさい。」
「・・・そうだよっ!危ないだろっ!お前、死ぬ気かよ!」
(えぇ・・・・)
「あんたが悪いんじゃん。」
「だって・・・~あぁ、もう行くぞ!」
「はあ?ってちょっとぉ・・・」
幼稚な逆切れをされた挙句、手をとられ、ぐいぐいと引っ張られる。
「ちょっとっ、待ってよ。そんなに早く歩けないんだってば・・・」
靴を履いてない足は思いのほか地面に対応してくれない様で、青年の歩く速度に合わせようとしても、小石や砂利が邪魔をしてくる。青年は歩く速度を落としつつ、私の足をちらりと見る。
「お前さ・・・何で靴脱いだの?」
「え・・・かかとのところが壊れてて・・・それで・・・。・・・可笑しいのは分かってるけど・・・・」
「可笑しいから聞いたんじゃない。」
「じゃあ、なんで聞くの?わざわざ。」
出会いが出会いだっただけに、完全にタメ口となっていた。もうこの青年と話す際に敬語に直そうとする気はなくなっていた。
「「人」にとって靴は、俺らとは違うって事を見せ付ける為の物だって聞いたから・・・。お前は、俺達の仲間だって言いたくてそんな事してるのかと思って・・・。」
「・・・・そうなんだ、知らなかった・・・。別に、そういう訳じゃないかな・・・」
(だから、洞穴の中であんなにざわめいたんだ。)
「俺、「人」を信じてないから。」
「そっか。」
「・・・・・・他に何か言う事ないのかよ。」
「いや・・・何ていうか・・・人でも同じ人っていう生き物を信じない人もいるし。国王から色々聞いたから・・・当然かなって。信じてもらえなくても・・・。」
「お前変ってるな。今まで会った「人」は皆、信じてくれって言ってたぞ?」
「私だって信じて欲しいよ・・・ただ、直ぐには無理でしょ。私だって、信じてもらう為の行為は、何一つしてない訳だし。・・・ところでさ、名前で呼んでもいいかな?」
「名前?」
「うん・・・「ウィステリア」って呼ばれてたでしょ?」
「あぁ、別にいいけど。名前ってそんなに大事?」
「・・・無かったら個人・・っていうか個別に呼ぶとき大変だと思うけど?嫌なら別にいいよ?」
(そう言えば、エーデルが名前は嫌いだって言ってた。なんで嫌いなのかは聞かず仕舞いだったけど・・・)
「俺達の名前ってさ、「人」の真似事をする為に付いたものだから、何で要るのかあんまり分かってないんだよね。「人」って皆、名前持ってるんだろ?お前はなんて呼べばいいの?」
「私は「素子」って言うの。」
(エーデルは名前の意味とかじゃなく、そういう背景があって、強いられる事が嫌なのかな・・・)
「もとこ?自分で名前って決めるの?」
「そう、素子。名前は産まれたときに親から貰うと思うけど・・・周りの大人からつけて貰うとか。それぞれ意味があったりして、幸せであって欲しいとか色々な願いを込めてつけられるかな・・・私の世界の話だけど。」
「そっか。素子の意味は?」
「え・・・確か・・・物事を中心となって成り立たせる様な子・・・だった筈。」
(小学校の授業で調べさせられたのだから、もうあやふやだけどね・・・)
「へぇ・・・。なぁ、素子。俺の名前の意味は?」
「えっ・・・」
ウィステリアの笑顔をはじめて見た。困らせようとしている節は感じられないが、それは今しがた知り合った人に聞く事ではない。私は脳内をフル回転させた。
「えっと・・・。つけた人じゃないと本当のとこは分かんないけど・・・。えぇっとね・・・ウィステリアって言うのが、私の世界では花の名前になってて・・・、藤って植物なんだけどね。その花言葉っていうのが「あなたの愛に酔う」と「至福のとき」だった筈だから・・・。」
「うん。」
「・・・魅力的で、至福のときを他の者に与えられるようになって欲しいって事じゃないかな。」
(うわぁ、無理やりなこじつけ・・・)
「そっか・・・。そっか!それが俺の名前の意味かっ!」
ウィステリアの顔がパッと明るくなる。
(そんなに嬉しいものかね・・・)
「なあ、ここ!越えて入ろうよ。」
「え?」
言われて見た先には高く続く石壁があるだけだった。
「・・・・・・無理。」
「おまえ・・・じゃなくて・・素子が跳び越えられるとは思ってないから。」
「は?ちょっと失礼な・・・きゃ・・ああぁぁぁっー」
私の言葉を最後まで聞かず、ウィステリアが私を抱えて跳んだ。グッと重力が掛かったと思った瞬間には、私は塀の真上にいた。そして、あのジェットコースターでよくある心臓が浮く感覚が来た。
「きゃあああああああああぁっ!!」
もう心臓が着いて行かない。衝撃と共に着地すると、ウィステリアが何でも無いような顔で覗き込んできた。
「城の中庭。」
「え?」
「ここ。」
言われて周りを見ると、そこは池を中心に作られた庭園だった。シンメトリーの庭園とは違い、どこか日本の庭園にも似ているその庭には、様々な花が咲き乱れていた。バラや牡丹といった見慣れた豪華な花からアグロステンマのような野に咲く花まで様々で、中には確実にこちらの世界固有種というような物まであった。
「綺麗・・・。あっ、ごめんなさいっ。」
私はウィステリアに抱えられているのを思い出し急いで降りた。異性の腕に抱かれているなんて、とても平常心でなんかいられたものではない。
「・・・なんで、そんなに心音が大きくなんの?」
「はい?・・・・・心音・・聞いてるの?」
「聞こえる。」
「きっ・・・聞くの禁止!だめっ!」
心音が聞こえるという事は自分の焦り具合は筒抜けで、おなかの虫も丸聞こえなわけで、普段人に聞かれていない音まで聞こえるというのはかなり恥ずかしい。
「いや、だって聞こえるし・・・」
「と、とにかくダメっ!ってか、ほら・・・何でここに連れてきたのっ。」
「あぁ、そうそう。この中に藤ってある?」
「・・・・それを探させる為にわざわざ跳んだの?」
「そうだよ?」
「・・・私を部屋に送るんじゃないの?」
「寄り道すんなって言われて無いし。」
「・・・・・・・そうだったね・・・。跳ばなくても来れるんじゃないの?」
「近道。なんでわざわざ遠回りすんの?」
「・・・いいや、何でもない。」
私は色々諦め、藤の花を探した。