夜にまぎれた
訓練初日はあっという間に終わった。私の体力もあっという間に限界を迎えていた。
「い・・・痛い・・・・」
部屋のベッドに突っ伏したまま、脚やら背中やらの鈍痛を感じては息が詰まった。湯浴みをさせてもらったが、服を脱ぐだけでも筋肉がギシギシいっていた。久しぶりに酷使された私の全身の筋肉はあっけなく断線しまくったようで、訓練終了まで持たなかった。指示された高さで剣を持ち続けることも難しく、意志に反しては肘が下がり、剣を振れば遅いその動作に、次々とアセナに注意を受けた。
「・・・・怒っているんだろうなぁ・・・」
もちろん、アセナの事だ。最後の方はアセナの言葉数もすくなくなり、完全に私は呆れられていた。でも、何とか事なきを得たい。事を荒立てずに済ませたかった。その為なら多少がまんするくらい、何てことはないと思われた。
なんとか身体を起こす。ぐだぐだもしていられない、ここは自分の家ではないし、何時人が訪ねてくるかもしれない。そんな事を考え、テーブルへと移動した時だった。
「素子ー!どうだった?」
勢い良くドアを撥ね開けてウィステリアが入って来た。その目は期待に満ちたようにきらきらしていて、私を不安にさせた。
「ど・・・どうって・・・。」
「剣も握ってみたんだろ?ちゃんと振ったり出来たのか?」
「え・・ああ、まあね。」
思わずウィステリアの顔から目線を逸らす。
(始めは出来てたはず・・・始めは・・・)
「なんだよ・・・。進展したんだからもっと嬉しそうな顔すればいいのに。」
「ははは・・・そうだよね・・・。」
(アセナのあの表情を見て嬉しそうになんて出来ないッ!)
「なあ!ヤタに会いに行かないか!今日!今から!!」
「はあ?今からぁ?!」
「そう!」
「ちょっと・・・今日は・・」
「何だよ・・・用事とかあんの?」
「いや、違うけ・・・」
「ならいいじゃん!ほら・・」
「痛ッー」
ウィステリアが駆け出そうと私の手を握った。まめが潰れた手のひらをそのまま握られ、痛みに身体が引き攣った。駆け出そうとしたウィステリアが私の声にハッと振り返る。同時に手を放され、私は思わず手を隠してしまった。
「・・・素子、ごめん。怪我・・・してるの?」
「ち・・違う・・・。その・・・ずっと身体を動かしてなかったから、急に動いたせいで・・何て言うかちょっと調子が・・」
自分でも明らかにおかしいいい訳だとは思った。だけど、初日からまったくと言ってもいいほど使えない状態で、さらに「手のまめが潰れたくらいの怪我で明日からお休みです」となるのは嫌だったのだ。
「手、見せて?」
「えっ・・大したことな・・」
「いいから見せろよ!」
「-ッ」
ウィステリアが後ろに隠すようにしていた私の手首を掴み、無理やり自分の方へと引いた。抵抗しようと思ったが、力を込めた筈の腕は事も無げに引き寄せられてしまった。
「・・・怪我してんじゃん。」
「怪我って程じゃないよ・・・」
「アセナに言ったのか?」
「え?」
「手・・・痛いって。こんなんなる前に、ちゃんと言ったのか?」
「・・・・言ってない。」
「何で言わなかったんだよ・・・。」
「・・・・・・」
黙った私をウィステリアはじっと見ていた。「言えるような雰囲気じゃなかった。」そんな言葉が浮かんだが、言えるはずもなく、また、言った所でそれは単なる身勝手な意見だった。
「俺達には・・・言えないのか?」
「違うっ!」
顔を上げた時、ウィステリアのひどく寂しげな表情に「傷つけてしまった」と思った。
「違うの・・・。私・・・この国の為に・・とか大きな事言ったけど・・・。何の力も無いし、剣だって・・・まともに練習も出来なくて・・本当にそれ以前の問題で・・・」
ウィステリアは私の言い訳を静かに聞いていた。
「使えないって思われたくなくて・・・これくらいの怪我なら我慢出来るし、日常茶飯事の怪我に入るし・・・だから・・・」
言葉につまった。
「だから・・・黙ってて欲しい。別に、ウィステリア達にだから言わないわけじゃないの・・・・。」
言ってて、本当に情けなくなった。感づかれたくないならもっと必死に隠せばいいのに・・・。これでは「私怪我してます、気付いてください。」と言わんばかりだ。
二人の間に沈黙が訪れる。情けないし、気まずいしでウィステリアの顔をまともに見れない。結局はこうやって心配をかけ、あまつさえ気を悪くさせてしまった。
「・・・・・行くぞ・・」
「え・・」
ウィステリアから不機嫌そうな声を掛けられると同時に、ひょいと抱えられた。
「まっ・・待って・・」
バタンッーー
ウィステリアは、私の言葉なんて聞いていないと言わんばかりにドアを蹴り開けると、私を抱えたまま廊下を歩き出した。
「ウィステリアッ!ちょっと・・下ろしてッ!」
「素子は怪我人だから駄目ッ!」
「はぁ?!そんなんじゃないってさっきも・・・」
「うるさいなぁッ!俺怒ってんだからなッ!!」
「-ッ・・・」
ウィステリアは前を見たままだったが、表情と言葉から本当に怒っているんだと分かった。私は、それ以上何も言えなくなり、黙ってウィステリアに抱えられていた。「申し訳ない」その一心で。
ウィステリアが目的としていたのは、私の部屋と同じ階にある部屋だった。何部屋通り過ぎただろうか、さほど遠くない部屋だった。
バンッー
ウィステリアはその部屋のドアも脚で蹴り開けて中に入っていった。そこには、アセナが「何事だ!」と言わんばかりの表情で立っていた。
私は物凄く焦った。
「ウィステリア・・・何用だ。」
アセナの眉間に皺が寄る。
(あああああ怒ってるうううううううううう!)
心臓が潰される勢いでストレスがかかる。何事もない感じでやんわりと進めたかったのに、ウィステリアの強行のせいで、完全にさっきまでの私の計画(といっても、さして何かあるわけではない)が水泡に帰した。
「素子が怪我してる。気付いてたのか?」
ウィステリアの語気が強まる。
「・・・知っていた。」
(知ってたんかぁぁぁいッ!)
泣きたくなった。結構必死に何でもない風を装ったのに。
「知っててそのまま訓練させたのか!」
「必要があれば自分から言うだろう。」
(・・・まあ流石に無理なら言うけ・・・)
「素子はお前に気を遣って言わなかったんだぞ!」
「えっ・・」
(違ッ・・・ちょっと・・・)
「俺に?」
「お前の足を引っ張らないように考えたから言わなかっただけだろ!お前・・・国王からの言葉を忘れたのか!」
「忘れるわけがないだろう!!」
「・・・じゃあ、何で素子の体を一番に考えないんだよ!素子は・・・」
ウィステリアの一瞬の言い淀みの訳を、私は後から知る事になった。
「素子は俺達とは違う、「人」なんだぞ!」
「それくらい考えている。異世界の者にはそれなりの考えがあるのだろう、だからこそ何も言わなかったんではないのか?」
「あの・・・」
「お前と一緒にすんなよ!言いたくたって言えない状況だってあんだろうがッ!」
私の言葉を遮ってウィステリアが言い返す。確かに、ウィステリアの言った言葉が私の本心的所でもあるのだが・・・・。
(・・・ウィステリアの言葉遣いが荒くなって来てる気が・・・)
「そんな心構えで国を導けるのか・・・。異世界の者が了承したからこそ、こうしてここに居るのだろう?ウィステリア・・お前のように甘い考えで居られたのではこっちが困るんだ!」
(ああああああああアセナまで火が着いてきたあああああ!やめてええええ!!)
私の心の叫びを他所に、二人の間の空気がピリピリと殺気立って行く。
(喧嘩しないでよぉぉ!ってか、せめて下ろしてぇぇ!)
一度は「私のために喧嘩しないでぇ!」っていう台詞に憧れた時期もあったが、もし、現実が今の様な状況なのだとしたら、本当に止めて頂きたい。本当に「お願い止めて!」というレベルだ。ひどい事を言えば「私は巻き込まないで、見えない所でやって!」と言った所だ。
「素子は・・・俺達の希望なんだぞ・・・本当に分かってんのか?」
ウィステリアの押し殺すような問いかけに、アセナも静かに答えた。
「分かって・・」
「分かってないッ!」
「・・・ウィステリア・・」
ウィステリアの言葉にさっきまでの怒りはもう感じられなかった。
「アセナは分かっていない・・・。確かに、色々出来るようになってもらえないと困るだろうけど・・・。その前に・・・「失って」しまったら元も子もないだろ・・・。」
「・・・・」
「俺達はもう失敗出来ない・・・。前と同じ過ちは繰り返せない・・・。慎重に・・・なるべきだろ?」
いつも・・・というか、こちらに来てからどちらかというと突っ走っている姿が多いウィステリアから「慎重」という単語が出ることに少し驚いた。アセナはウィステリアの言葉に、何か考え込むように俯いた。
「二人ともぉ、城内に響き渡ってるわよ?」
「アミュールっ!」
助かった!何故かそう思った。アミュールの登場でピリピリとした空気がおさまっていく、綺麗なレースのガウンの裾が蝶のように歩みに合せてひらひらと躍る。
「あら、素子ったら私にもそうやって抱きついてくれてもいいのに・・・。」
「・・・・・・・・・・・・」
「うふふふっ、分かってるわよぉ。そんな顔しないでちょうだい。さあ、アセナはウィステリアの言いたい事分かったわよね?」
「・・・あぁ。」
「ウィステリアは素子を下ろしてあげて?」
アミュールの言葉にウィステリアが静かに従い、私を抱えている腕を緩めた。
「・・・ありがとう・・・ウィステリア。」
「ごめん・・・」
急に大人しくなられると調子が狂う。それぞれに、思うところがあってすれ違ってしまっている。私にはまだ分からない、知らされていない事もあって・・・。そして、それはきっと興味本位で聞いて良い様な事ではないのだろう。
「はい、アセナ。頼まれ物、持ってきたわよ。」
アミュールはアセナからの頼まれ物を持って来たらしく、にこやかな笑顔でアセナに手渡した。
「・・・そのまま渡せばいいだろう。」
「あら、あなたから頼まれたのよ?ちゃんとアセナから渡したら?」
アセナはえらくばつの悪そうな顔をして、アミュールから受け取った小瓶を持って私の方へ来た。
「あ・・あの・・。」
私の前に来たアセナはまだ機嫌が悪そうで、何か文句が来るのではないかと身構えた。
「これを傷につけろ。・・・何もしないよりはずっといい。」
「え・・・・」
「ほら。」
「あ!はい。・・・・ありがとうございます。」
手渡された小瓶には花のレリーフが彫ってあり、何やら文字らしきものもがびっしり書かれたタグがついていた。濃紺色のその小瓶からは微かな花の香りがした。
(あ・・・なんかいい匂い・・・)
「・・・用事はすんだろう?早く部屋に戻れ。」
アセナはそう言い放つとくるりと向きを変えて、戻ってしまった。
「アセナさんっ!」
「・・・何だ。」
「ありがとうございます!」
「・・・・ああ。」
ため息まじりの素っ気無い返事だったが、それでも嬉しかった。
「ほらぁ、ウィステリア。ヤタの所にいくんでしょう?」
アミュールに言われ、そうだった!と言わんばかりの表情を向けられる。
「やっべぇ、待たせてたんだった!」
「えぇっ!!」
「跳ぶぞ!掴まれ!」
「ちょ・・」
「ちゃんと閉めていけ・・・」
バタンー
ウィステリアは私を抱え直し、荒々しくアセナの部屋のバルコニーへのガラス戸をあけると小言は聞こえませんと言わんばかりに空へと蹴りあがった。次の瞬間、私の体はもう夜にまぎれていた。