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夜鷹の夢  作者: 首藤環
一章
7/47

6 奇襲

「一体、ジン様は何者なんでしょうか…?」


アンヴィルギルド支部長の執務室が設けられている最上階から、階段を下りながらギルドの看板娘のシリア嬢は自問していた。


昨日やって来たばかりの新人に、支部長が面会するなど前代未聞である。


困惑するのも無理はない。


頼まれた通りに足を運んでノックした後、なんでもないような言葉を重厚なドア越しに伝えてみれば、それなりに重いはずのドアが勢い良く開かれてお偉いさんが飛び出してきたのだ。


よく知り、絶大な信頼を寄せる人物にであっても、齢五十を過ぎてなお筋骨逞しい男に肩を掴まれて揺さぶられるのは堪えた。普段も明るい人であるのは彼女も周知の事実だが、あそこまで嬉しそうにしているのを見た記憶は無い。


興奮する支部長に件の新人の容姿を尋ねられ、揺れながらも大まかに答えて忠実に職務を全うしたシリアは、よくやった!! との労いと身体の自由を得た。


それから髪の色や背格好、容貌を伝えるとすっかり上機嫌になった支部長は、直ぐに連れてこい、と快諾しその返事を伝える為に今に至る。


「支部長は昔、高ランクの冒険者だったと聞きますから、その関係者の方なのでしょうか…?」


快活で元気溌剌な支部長と穏やかなように見受けるジンとの接点は年齢的にも無さそうである。


鞭打ち気味の首をいくら捻っても答えは出ず、疼痛のみ。


「うぅ〜ん…痛たた……何も分かりませんね…」


敬意を向ける支部長だからこそ気にしたが彼女もプロであり、現状から想像も出来ないならばこれ以上余計な詮索は己のためにもすまいと疑問を封印した。


ジンにとってはきっと喜ばしいであろう結果を一刻も早く伝えるべく階段をいそいそと下り、一階のオフィスルームを抜けてカウンター室のドアノブに手をかけた。


   ◆


あの人ならアレだけで俺からと分かる、と全幅の信頼を置いているが、何事にも絶対など無いと熟知しているからこその微かなの不安を、ドアから現れたシリアの笑顔が打ち消した。


「許可を頂けました」


「フム…期待通りだ、ありがとう」


休めの体勢を崩して軽く会釈する。


「あんなに驚いた支部長を見たのは初めてです」


「申し訳ないがタネは明かせないぞ」


「それは誠に残念ですが、 手品師は種を隠すものですからね」


「ああ。理解してくれてありがとう」


重ねて礼を言う。


「いえいえ。通路を開けますので少々お待ちください」


言うが早いか、カウンターから姿を消したシリアが一瞬にして、関係者以外立ち入り禁止と書かれたドアから現れた。


「では支部長の執務室へご案内しますのでこちらへどうぞ」


「頼む」


シリアが開けたドアをくぐればそこはランプに照らされた一本の廊下になっている。


シリアに連れられて奥まで歩けば最後に一度角を曲がり、奥側に階段、カウンター側にギルド職員のオフィスへのドアがあった。


「………?」


「どうかされましたか?」


「いや……なんでもない」


「執務室は階段を上がった先です。行きましょう。支部長が首を長くしてお待ちです」


「一大事だな」


先を行くシリアの後ろで肩を竦めながら付いていく。


仮眠室や資料室のドアを横目に上がっていき、最上階に着けば眼前には支部長室と真鍮の札が貼られた部屋が待ち受けていた。


シリアが硬いドアをノックをする音が響く。


「支部長、ジン様をお連れしました」


シリアの報告から一呼吸置いた辺りで執務室から重重しい声が返ってくる。


「ご苦労。下がって仕事に戻ってよし」


「では私は失礼します」


支部長に聞こえるように言うとペコリと一礼して階段を下りていった。


「入ってくれ」


シリアが階段を下る音を聞いてか、入室の許可が下りた。


「入室します」


即座にそれに応答し、間髪入れずにドアを押して開ける。


だが網膜に映ったのは人気の無い広い一室だった。


  ◆


「………」


入室を果たしたものの、会いたかった相手はどこへ行ったのか。


ジンは静かにドアを閉めて五感を働かせて周囲を探りながら、用心して足の裏を床から離さない、摺り足に近い歩方でするすると移動する。


「………フム」


ワンフロアぶち抜きのだだっ広い部屋を横断し、やたら全開の窓を眺めながらデスクの向こうで入り口に背を向けていた、怪しさ最大の肘掛け椅子のシートを調べる。


するとこんな手紙が置いてあった。


「デスクの一番左上の引き出しを見てみろ……か。成る程…」


おおよそ理解して頷き、やおら立ち上がり、手紙に従い引き出しに手を掛ける。


だがそれが開かれる事はなかった。


「……ッ」


背後からの僅かな風切り音を捉えて反射的にデスクを飛び越えて転がる。


そして今も立っていれば致命傷になっていたであろう位置を白銀の煌めきが通りすぎた。


「……チッ…」


細い直剣を振るった襲撃者は初撃で討ち漏らした事に苛立ち舌を打つ。


「……」


その隙に立ち上がり両手を緩く握って顔の前に構える。


襲われた理由やこのフード付きの外套ですっぽりと隠された襲撃者の身元など、今はどうでもいい上、知りようも無い。


怨みを買った例など挙げてしまえばそれこそ枚挙にいとまがない。


今の奇襲には人を十分殺せるだけの殺気が籠められていた。


此方が反撃するにはそれだけで十分な動機であり、それ以外はどうでもよかった。


襲撃者が机を力一杯蹴飛ばして移動を余儀無くさせる。


飛んでくる分厚い机を叩き斬る膂力も無ければリーチの長い強靭な獲物も無いのだから行動を制限させるには有効な戦術ではある。


視界いっぱいに迫るも破壊出来ないそれを、細かく低いステップを刻み肩に触れそうな紙一重で躱す。


だがデスクの死角に身を隠して無音で追走していた襲撃者が躱したジンに直剣を渾身の力を振り絞って最速のを振り下ろした。


「……」


それも、体勢をやや崩したが体を刃と平行になるよう捻り、襲撃者に倒れ込みながら踏み込んで凶刃を無理矢理回避する。


「ッッ!?」


必殺と思われた一振りが無傷で避けられた事実に襲撃者は動揺し、反応が鈍くなった。


そんな刹那の硬直も見逃しはしない。






踏み込む加速を緩めず懐に飛び込む。


勿論襲撃者もそれを傍観している訳ではない。


未だ振り下ろしの最中だった刃を最大の筋力を持って停止させ、軌跡でV字を描いて逆袈裟に斬り上げて迎え撃つ。



上体を反らして半身ほど強引に避けながら腰を利かせてコンパクトに放つ右フックが直剣を保持する指を殴る。


襲撃者の骨を折れたかは分からない。


これによって弾かれて剣筋がぶれ、斬られる空域にあった残る半身に刃が触れることなかった。


「ッッ!」


その斬撃も命中しなかった事を、消えた直剣の重みと握っていた指に走る痺れで襲撃者は知り苦悶の声を噛み殺す。


やかましい音を立てて転がったデスクを背にもう一歩踏み込み、振った腕をかち上げた襲撃者の腹に膝をかがめて潜り込む。



襲撃者も痛めた指をものともせず固めた拳で連打するが、密着した超至近距離で外側から殴っては、十分な加速を得られず、両腕のガードの前では痛打には程遠い。


このまま密着してサブミッションに移行したかったが流石にそこまでとんとん拍子にはいかない。


裾を半ば握り、引き倒す直前に上手く膝を畳んだ前蹴りで距離を離された。


「……」


やや面倒な事になった。


体格がいい方ではない。


それは腕が長くない事であり、リーチが短い事でもある。


つまりジンはアウトレンジの格闘をどちらかと言えば得意としていない。


「……クソッ…」


悪態の一つでも吐きたくなるというものだ。


素晴らしい事に、襲撃者は懐からナイフまで抜いた。


逆上して殺意を募らせるあまりか、人間も輪切りに出来そうな大型のナイフが震え、背に造られたワイヤーカッターの凹凸が陽光を部屋の壁に反射する。



唯一救いなのが、力一杯に突き出す構え方を見るに、ナイフでの戦闘は得意でないらしいという一点。


「…そんな構え、どこのチンピラに習ったんだ?」


慣れていない武器など敵に奪われる可能性を考慮すれば無いほうがいい。


人差し指で招いてやれば苛立ちを爆発させ、身体の先に突き出して構えていたナイフを引いて溜めを作って大振りな横凪ぎに振ってくる。


直剣の剣速と同じく、凄まじい速さで怒りに任せて暴れる。


持つ腕の進路を妨害してナイフをずらすもジンの髪が一房宙に舞う。


荒々しいダッシュで接近して嵐を巻き起こし、ジンが盾にした肘掛けが真っ二つになった。


直剣より軽そうな分、それは鋭くすらある。


逃げ回ってやればそれは力任せに壁も切り裂いて暴れまわるが、


「……直線的過ぎるな」


それ故読みやすい。


ありったけの殺意を込めてとなると、繰り出されるナイフの突きが向かう先は、急所となる中心線か顔。


そこまで選択肢が絞り込めたならば対処は容易い。


案の定不用意に出した腕を取る。


襲撃者は泡を食ってナイフを持つ腕を引いては対角の左脚で上段蹴りを仕掛けるが、これも想定通り。


恐ろしい速さの蹴りが飛んでこようがこちらが捕まえている以上、残念ながら既にレースは終わっている。


ジンは引かれる勢いを抗わず利用して、掴んだ腕を襲撃者に振り上げさせる形に押し込み、脇から通した手で固定してを肩関節、ひいて上半身をロックする。


股関節を支点にした蹴りは、近付くほどにスピードが落ちて弱体化される。


そしてわざわざ片足を上げて自らバランスを悪くしてくれたのなら、それを利用してやればいい。


残る片足の膝裏を軽く蹴飛ばせば――――跪いた。


肘と肩を極めて、地に着いた膝の裏を踏んでいるからもう動けない。


後は煮るなり焼くなりお好きに、だ。


仕上げにナイフを奪って床に押し倒し、腕を腰側に捻り直して肘の上に体重をかける。


ナイフを首に突き付け無力化して、背に立つ人物に声をかける。


「まだやりますか。少佐殿」


この趣味の悪い悪戯には覚えがあった。


「ハハハハ、鈍ってなくて安心した。久しぶりだな」


「お久しぶりです。当たったら冗談じゃ済みませんよ、アレは」


制圧した襲撃者を解放して振り返り、こめかみから首にかけて傷が走る顔に豪快な笑いを浮かべた白髪混じりの初老の男―――ハザウェイ・ロンドベルに苦情を申し立てる。


アレとは、吹き飛んで壁に突き刺さっている直剣であり、ジンが奪ったナイフの事である。


「ハハハ、閉所でお前に勝てる奴がこの大陸に居るかよ」


「知ってるだけで四人は居ますよ。それこそ、貴方がいるじゃないですか」


「なんでもありなら、人間ビックリ箱のお前には負けるよ」


「まったく…」


体を起こして呆然としている襲撃者へ、ご機嫌な元上司に飽きれながら、手を伸ばす。


「すまん。やり過ぎたな」


「…ッ!」


手を引かれて立ち上がった襲撃者は肩を震わせる。


「では少佐、こちらのお嬢さんは?」


「!?」


「殴りあってりゃ性別もバレるさ」


「手も握りましたしね」


「娘のオリガだ」ハザウェイは宥めるように娘と言った襲撃者の肩を叩き、フードを脱がせた。


その下から姿を現したのは、静かな艶を湛えた黒い髪と黒目、褐色の肌をした成人女性。


年は二十を過ぎたばかりだろうか。


悔しくてたまらないと食い縛った口元と皺を寄せた眉間が物語っている。


冷涼な美貌を持つ、洗練された機械的な美女と言える容姿だ。


「失礼ですが、結婚しておられましたか?」


最後に別れた時にも女性の影など見なかったが。


「嫁より先に娘が出来ちまったよ」


「よくもまぁ上が黙ってましたね」


「オリガはツイちまった人間だったからな」


「成る程」確か退役する直前は南で作戦に従事していた。


そこで保護して養子にとったのだろう。


別れた後も元気にしているとは聞いていたものの、里親になっているとはジンも知らなかった。


「昔話はこの位だ。どうだオリガ? 強かったろ?」


「はい…」


「お前も強い。が、まだまだこれからだな」


ニヤリとしながらハザウェイは悔しさに顔をこわばらせる娘の肩を叩く。


「そういう事ですか。けしかけましたね?」


「いやいや、人聞きの悪いことを言うもんじゃないぞ軍曹。ただちょっと、小さい頃からお前さんの武勇伝を娘に聞かせてみただけだ」


「あのですね……」

この世で最も強いと憧れる父がただの一兵卒を強い強いと言えば誰でも快くは思うまい。


大方、信じられないなら倒してみろとでも焚き付けて待っていたのだろう。


「ハハッ、お前さんがどこがただの一兵卒なもんかよ」


吹き出してはジンの肩ををしきりに叩く。


「ご自分は屋根に上がり、ぶら下がって窓から奇襲した娘と元部下の戦いを高みの見物をしておられたと……」


「そう怒るな。最近オリガが力を付けすぎて付いてこれる奴が居なくてな…俺も三本に一本はヒヤッとさせられる」


そう言ってオリガに首から出させたタグにはA2と記されている。


「自惚れでも?」

「いや、どちらかと言えば自分に厳しい謙虚なタイプなんだがな」


ハザウェイは散らかったデスクを引き摺って元通りに戻し、その角に腰掛ける。


「子供の時から鍛えては来たが……普段化け物の相手ばかりで、俺以上の人間の恐ろしさってのを知らないからな…。体験させてみようとした訳だが…お前の目で見てどうだった?」


「端的に言って近距離はまあまあだと思います。超至近距離が下手なのは女ゆえ、やむを得ませんが。やや感情的に戦って冷静な思考を失ったのは減点です」


「ハハハ、良かったなオリガ!!」


「?」批評せよと言われてしてみればハザウェイは破顔して愛娘の背中を叩く。


しかし当のオリガは大分批判されたと思っているのだから父が喜ぶ意味が分からない。


「なに呆けてる、褒められたんだぞ!? 近接格闘じゃ大陸で五指に入る超人に!!」


「しかし、父さん…。私は感情的だと……」


「そんな事は放っとけ! 後でどうにでもなる!」


「批評しろと言ったのは少佐ですが…」


娘の腕試しに奇襲されるわ親馬鹿ぶりを見せられるわ、踏んだり蹴ったりである。


「辛口なお前がそこまで言うなら十分高評価だ」

どうあってもべた褒めを止める気は無いらしい。


「分かりやすく言えば将来性を感じるって意味だ! お前相手に手を抜けるこいつが言うなら間違いない」


「アレで手加減ですか…?」


「まあ…な…」


唇を噛むオリガが思い出すのはいいところなしで終わった今しがたの戦闘。


仮にも砂浜の中の一握りの砂と言えるほどの、ごく限られた一流のみが至れるAというランクに属し、この町のギルド最強の一角を担っている自負もある。


それがどうだ、手加減までされている。


思い上がっていた自分に呆れて言葉も無かった。


「忘れろ。気にしても始まらない。それに始めにデスクを蹴った思いつきと動きは悪くない」

壁に刺さっている直剣を引っこ抜き、刃の腹を摘まんで渡す。


「とんだご迷惑を…」


「オリガ、君は悪くない。悪いのは君の親父さんだ」


目を伏せてしゅんとするオリガはそれを受け取り、ナイフ共々外套の内に収めた。


至るところをぶつ切りにしてまわった、大荒れの執務室を立て直すために壊れた家具類、散らばる書類を拾いに行った。


「言ってくれるなぁ。おい」


苦笑するハザウェイは胸のポケット紙の箱から煙草を一本取り火をつける。


火の向こうから出てきた顔はいつになく真剣な眼差しだった。


「ジン、お前に一つ頼みが有る」

お気に入りの銘柄を深く吸い込むと唇の端から紫煙を燻らす。


「なんでしょうか」

「…あの娘を鍛えてやってくれ」


有る意味予測していたと言える少佐の依頼だが、まさか本気で言われるとは思っておらず、返事が遅れてしまう。


その声色が大真面目なものだっただけに尚更だ。


「…まさか、ご冗談でしょう?」


自身で数多くの戦闘マシンを造り上げてきたこの男が言う台詞とは思えない。


だが、このクソ真面目モードのハザウェイ退役少佐が適当な事を言わないのは、長い付き合いから分かってしまう。


「いいや、本気も本気だ。俺もこの歳だ、動きも年々悪くなっているのを感じる」


「……拒否したら?」


「不幸にも登録初日で冒険者を引退だな」


「……」

嫌ではないが、俺が誰かに教えるような人間でないのは確かで気が重い。


「命令しようか?」


「されても私はもう少佐の指揮下ではありませんよ………」


この人なら事前に人事部門に話も通しているだろう。


半端じゃないコネを持っているから、人員の一人や二人、捩じ込めてもおかしくない。


あのクソ女、圧力に屈しやがったな、何が好きにだチクショウ。


初日に強制されてるじゃねぇか。


直属の上官まで丸め込まれてはでは諦めるより無い。

今度会ったらユリアにささやかな報復をすることを心に誓うジンであった。


「嫌か?」


まさか。


「他ならぬ少佐の御息女なら嫌などとは…」


言える訳がない。


この人には借りが山程ある。


人様の子を預かるのは気が重いがこの人だったのが不幸中の幸いと自分を納得させる。


何より、幼少よりこの鬼に鍛えられてきたなら半人前ではないだろう。


「了解」


「任せたぞ、お前にならあいつを託せる」


少佐は煙を一口吸い、そこらに四散した引き出しの中身を拾っているオリガを呼び寄せる。


「灰皿です」


オリガが拾ってきた金属製の灰皿をデスクに置いた。


「オリガ、前にも話したが、このジンがお前の初めての仲間でこれからの師だ」


「そういう事になる。ジンだ。まだ君に何もしてやれていないのだから呼び捨てで良い」


それに急を要する場合には一文字でも短い方が呼びやすかろう。


「よろしくお願いします…ジン」


「よろしく頼む。たった今より俺達は仲間だ」


「はい」


ジンが出した右手を、固い剣ダコの山脈が出来たオリガの手が迎え入れた。


娘と朋友の初めてでまともな会話の良好な経過を、満足げに見届けたハザウェイは短くなってきた煙草を一口。


「さて、ジンよ。そうなるとパーティー名も必要だなぁ?」


「言っておきますが、少佐が名付けるのはお断りです」


「まだ、昔の事を根に持ってんのか? 良くないぜ〜。人の過去を責めるのは」


白々しく、天井に煙たい吐息を吹き上げてはため息をつく。


「貴方の適当で偉い目に遭うのはもう懲り懲りです。あの時は逃げるのが大変だったんですよ…?」


「ハハッ、確かにな! 正直俺も死ぬかと思ったぜ!」


「そんなに危険な事態に?」


オリガは当然疑問を覚える。


義父と同等以上の実力を持つジンが逃げ回る相手とは、と。


「聞いたこともありませんが、もしや、魔将とでも出くわしたのですか?」


Aランクを持つ自分ですら遭遇した経験の無い、未知の化け物ならこの二人も…と、不安が彼女の顔をこわばらせる。


「長年ハザウェイに教えを受けてもまだそれを振るう対象が分からないとは、驚いた。そして嬉しい」


チラリとジンが首を巡らせば、ハザウェイは吹き出していた。

それにしても魔物とは…。



「魔将だぁ? プッハハッ……無い無い! コイツと俺が居て魔物ごときにってハハハハハハッッ!」


魔将を魔物ごとき呼ばわりにしてより一層に爆笑する義父に疑問を強め、更に上位の存在を想定しだす。


「ま、まさかSランク以上の怪物が…?」


前回の侵攻時、引き連れた配下を皆討伐されたAランクの魔将が単体で、ガードに守られた街一つを破壊しつくしたと記録が残っている。


ここ10年は噂も聞かないが、Aランク超えとなれば魔王と称され、一国を滅ぼした伝承すらある天変地異級の人類の敵である。



しかしオリガはこの二人なら魔界の奥深くで、魔王級と遭遇していたとしても別段不思議には思えない。


「違う。違うんだオリガ。俺達が逃げ回った相手はな」


そろそろ答えを教えなくてはいきなり仲間の機嫌を損なってしまう。


ほどほどにしてジンが口を開く。


「人間だ」


「え?」


予想と真逆の拍子抜けの解答を言われてオリガは目を丸くする。


「もう一度言おう、その時の敵は人間だった」


「いやしかし、ジンと父さんが人に負けるなんて―――」


「あの時はどれぐらい居ましたかね少佐?」


局地の戦術において一個人の戦闘力は大きなファクターではある。


だが大局的な戦いを制するのは単騎ではなく。


「確か……こっちが俺とお前入れて四人で敵は四百人は居たんじゃないか?」


「四百!?」


戦いは数である。


「それが冒険者で言えばBランクの上位以上の精鋭で構成されてたな」



天下無双の(つわもの)であろうと、絶え間無く剣を振ればいずれ疲弊し、息を乱して膝をつく。


数とはそれ自体が力。


いかなる弱卒でも押し包めば英雄も袋叩きに出来る。


それもBランクとは十分な経験を積んだベテランを名乗れる域の手練れ。


生涯Bに上がれぬ者はごまんといる。


「それがどこからか漏洩した情報のせいか、ハハッ、待ち伏せをされてな。森の中で不眠不休の鬼ごっこをしたな。魔術師がウジャウジャ混じった冗談みたいな奴らで慌てたぜ」


「少佐の言い出したバレバレのコールサインが傍受されたんですよ…」


「ハハハッ悪かったよ。だがな、考えてもみろオリガ。冒険者だってパーティーという名の集団で強者を狩るだろ?」


「…はい」


もちろん魔将級ともなれば、腕利きの冒険者を有象無象のごとく蹴散らしうる人知を超えた力を持つ。


だが人の強みも数だけではない。


「それにだ、筋力や魔力がいくら強かろうが一代限りの力しか持たない魔物どもに、時代を超える技術を受け継ぐ人間が劣りはしない」


人間の真価は結果を受け止め、対策を立てて自己を改良する点にある。


「あの時も罠にかかってもくれたのは最初だけでしたからね…」


ジンも過去を振り返りやれやれと嘆息する。


「ああ。仕舞いには警戒されて、複数人で組んだ大規模な重複詠唱魔術で、森ごと焼き払われ始めた時はかなりヤバかったな」


「カイルの奴なんて、ケツをレアで焼かれてましたがね」


「逃げ足を鍛えてなかったアイツが悪いんだよ」


ケツの生焼けは俺のせいじゃないとばかりにハザウェイは肩を竦ませた。


「とまあ、学習するわ団結するわで人間は厄介って話だ。今じゃそんな集団は居ないだろうがな」


ハザウェイはフィルター付近まで燃え尽きた煙草を灰皿に押し付けて揉み消す。


「なぜ居ないんですか?」



「そりゃあ…、この平和なご時世にそんな物騒な連中は御呼びじゃないに決まってる」


「成る程…」


解散したと理解した娘を置き、さて、とハザウェイは話を本題に戻す。


「それでパーティー名だが実はもう考えてある――」


「いやいや、ダメですって」


今の会話はなんだったのか。


ハザウェイの名付けのゲンの悪さと実害を話したがご理解頂けなかったようだ。


しかしながら。


つまるところ抗議は、決定権を持つギルドの最高責任者には実質無意味なのだった。


「―――暁の夜鷹……でどうだ?」


……微妙である。

命名のセンスはこの際捨て置き、上司に許容されるかがだ。


「あの女に言い訳するのは私なのですが……」


ねちねち嫌みを言われて悦ぶ趣味はない。


「暁の夜鷹…」


胸に手をあて染み込ませるようにオリガは繰り返す。


「洒落てるだろ?」


「お咎めは洒落にならないんですが…」


冗談が通じる団体ではないのは知っていてギリギリを攻めるからこの男は問題なのだ。


「二人して瞳も髪も真っ黒だから夜鷹って理由でなんとかなるだろ」


「ですね」


ハザウェイはこれで決定という顔をし、オリガも敬愛する義父の決定に異を唱える気は毛頭無さそうである。


「……了解です…」



つまり、ジンに拒否権は無かった。


「話は終わりだ。何か質問はあるか。無ければ二人で下にパーティー登録に行け。パーティーの名前を間違えるなよ?」


煙草を放した指で階下のカウンターを指してニヤリとする。


「モウロクするほど歳食ってはいませんよ。退室します」


ジンは踵を返してハザウェイに背を向ける。


「行くぞオリガ」


「はい」


粗方片付いた執務室を横断し、オリガが先に廊下へ出たのを見計らってハザウェイがポツリと室内に残るジンを呼ぶ。


「おいジン」


「は」


ジンは振り返らずに立ち止まって応じる。


「頼んだぞ」


いつもの砕けた口調とは違うトーンの声だった。


ジンは沈黙する背中で恭順の意思を示して部屋を出た。


ハザウェイは目を細めて見送る。


「ま、生きてて何よりだが…」


ふと寂しくなった口元に煙草を加えてマッチで火を着ける。


燻るマッチを灰皿に置き一人ごちる。


「…笑えんか…無理もない……」


その顔は遊び心が過ぎる支部長ではなく、仲間を想う老躯の男だった。


ハザウェイは孤独から(ともがら)を救うには歳をとりすぎた自分に歯痒さが尽きない。


気晴らしにでもと娘に引き合わせたが……。


老兵はただ、互いの為になれと願うしかない。


「なるようになるか…」


白いものが多く混ざり始めた頭を掻いて気を取り直し、紫煙を吐き出す。


「しかし…ハハ…」


暴風が吹き荒れ、鉄の雨でも降ったかのように荒れ果てた室内を見回して苦笑いする。


「なんて説明するか……」

変なおじさん登場。


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