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第7話 修道女のマリア

本日お送りするのは『大人の物語』です。


かつて書かせていただいた、子供達の物語のもう一つの側。

このお話は『第4話 孤児のテツ』とリンクした内容になっています。


あ、ちなみに全年齢対象です。その手の描写は一切ありません。


―――出会いは、夏の始まろうとしていた頃だった。


マイハマ郊外にある孤児院。

そこで朝の礼拝の準備をしていたマリアは、礼拝堂の扉を叩く音を聞きつけた。

「朝早くにすみません。旅のものですが、娘が熱を出してしまいました。

 少しだけで良いので、こちらで休ませて頂けないでしょうか?」

扉の外からは、落ち着いた雰囲気の男の声が聞こえてくる。

「そうですか。それは難儀したことでしょう。

 今、扉を開けますので少しお待ちください」

そう言うと、マリアは礼拝堂の祭壇から、この孤児院にある中では最も高価な宝物…


死霊や悪魔を祓う力を秘めた、銀製のメイスを取り出し、腰に下げる。


このご時世、女手一つで孤児院を預かる身としては用心を怠っては生きていけない。

そして、いざと言うときの備えもできたと判断し、マリアは扉を開け…

マリアは驚きの余り目を見開いた。

「ああ、ありがとう。感謝いたします。ほら、真奈、ついたよ…もう、大丈夫だ」

「パパぁ…」

熱で苦しそうに息をする、黒髪の人間族の少女を背中に抱いているのは、

エルフ族の騎士だった。

年のころは今年で24になるマリアより少し上。

短く刈った金髪の髪と少し細めの、優しそうな青い瞳。

首から下は分からないが、恐らく筋骨隆々、というわけではないだろう。


だが、明らかに異常な存在だった。

灰姫城の宝物庫にもあるかどうか分からぬくらい素晴らしい全身鎧を身に纏い、

腰からは孤児院のメイスなど比べ物にならぬほど強い魔法の力を秘めた

メイスを下げている。

右手だけで軽々と少女をささえ、左手には水晶を削りだしたと思しき盾。

見れば彼らのそばには一頭の馬…足が8本もある、異形の駿馬が彼らを見守っていた。


その余りにも異常な存在に、マリアはただ1つだけ、心当たりがあった。

「あ、あの…貴方はもしや、アキバの…」

「はい。冒険者です。私はターク。こちらは、娘の真奈と言います」


それが、出会いだった。



『第7話 修道女のマリア』



幸い少女の方は、大したことは無かった。


「旅の疲れが出たのでしょう…恐らく、半日も眠れば良くなるかと」

「そうなのですか…良かった。体力は今の方があるはずと過信して、

 無理をし過ぎたようですね」

マリアの見立てに、ほっとため息をつき、タークは頬を緩めた。

「無理…ですか?」

「はい。少しでもアキバから離れたくて、一昼夜走り続けました」

そしてさらりと余りにも無茶な旅路を語る。

「一昼夜!?それは、無理をし過ぎでは!?」

アキバからマイハマまで、普通ならば陸路だと早馬でも3日はかかる。

危険な魔物が出る場所を避ければ、もっとだ。

「ええ。そうですね…真奈には、無理だったようです」

反省するタークにはまったく疲れの色が見えなかった。

「あのタークさんは…?」

「ああ、私は慣れていますから。

 昔のようにとは行きませんが、まだ1日2日の徹夜くらいならば…」

そのことを尋ねたら、タークは更になんでもないことのように、

常識外れのことを言った。


「シスター。この人、だれ?」

「きしさま?…でも、まちにいるきしさまと、ちがうよ?

 シスターとおなじエルフだし、やさしそう」

「騎士じゃないよ。アキバの冒険者様だって」

「すっげー!あんな鎧、初めて見たぜ!?やっぱ冒険者様は、違うなあ…」

「…ねぇ、ぼうけんしゃさまって、つよい?」

「おう、強いぞ。前に吟遊詩人のジイさんが歌ってたのを聞いたことがある。

 恐ろしい亡霊の村の500もの亡霊たちをたった100人で打ち破ったって」


「あなた達!少し静かになさい!」

いつの間にか集まり、口々に騒ぐ孤児たちに、マリアは静かにするよう言う。

「申し訳ありません。ターク様。お騒がせしてしまい」

「いいえ。気にしてませんよ。子供が騒がしいのは当然です。

 それに、コレぐらい元気な方が楽しくなります」

恐縮するマリアに、タークは朗らかな笑顔を向ける。

どうやらそれは本当らしく、嫌そうな顔を見せることもない。

「しかし、ターク様に何か粗相があっては…」

「いえいえ。それこそ気にしないでください…というか、様付けもいりません」

どうやら本当に気さくな方のようだ。

そう、判断し、マリアは何とか力を抜く。

「では、タークさん、とお呼びします。

 汚い場所ですが、どうぞ、お好きなだけ滞在ください」

心からの誠意を込めて、マリアは言った。

「え!?よろしいのですか!?しかし、そうなるとお礼は何を…」

「いえ、お礼などお気に「ぼうけんしゃさま!」」


鋭い声が、マリアの声に被せられた。

その声の主は…


「リノン!静かになさい!」

最近、双子の片方を不幸な事故でなくした、幼い孤児の少女だった。

リノンは、マリアの鋭い声にも、黙らず、舌足らずの口でその言葉を言った。

「どうか、シノンのかたきをうってください!なんでもします!

 あの、けがらわしいラットマンたちを、たいじしてください!」

ボロボロと、泣きながら。

「…どういうことですか?マリアさん?」

「あの…実は…」

その様子に尋常でないものを感じたのだろう。

タークがマリアに尋ねる。

仕方なしに、マリアは数ヶ月前の出来事を説明することにした。


数ヶ月前、すぐ近くの森に住む〈鼠人間〉が彷徨い出て、

修道院にやってきたことがある。

ほんの数匹で、最終的にはマリアが退治したのだが、

その間に襲われたシノンは、助からなかった。


「あの、お気になさらないでください。シノンのことは、不幸な事故だったんです。

 これまでも何度かあったことですし…」

絶句するタークにマリアは慰めの言葉をかけた。

マイハマの街場から離れたこの孤児院では、よくあることだった。


マリアとて悔しくないわけではない。

だが、かつて騎士の傷を癒す従軍司祭として騎士団に籍を置き、

戦の心得もあるマリアであっても、

数百以上の〈鼠人間〉を全て退治することなど、不可能だった。


「リノン、良く聞いて。冒険者様とい「分かりました。お引き受けします」」

マリアが言い聞かせようとする言葉が、再び遮られた。

「タークさん!?」

「あの森にいる〈鼠人間〉は…全ては無理かも知れませんが、出来うる限り、

 私が責任を持って退治しましょう。シノンさんの仇は、私がとります。

 だから…もう、泣かないで」

笑顔を浮かべ、泣きじゃくるリノンをあやすターク。

それは、御伽噺に出てくる、理想の騎士様のようで…

マリアは言葉につまった。

「…すみませんが、マリアさん。真奈を少しだけ頼みます」

タークはゆっくりと立ち上がると、マリアに言葉をかける。

「た、タークさん…?」

「…夜までには戻ります。旅の道中で、なんとか戦えることは分かりましたし、

 あの森の〈鼠人間〉相手なら、負ける要素も無いですから」

言葉につまるマリアに、タークは静かに言う。

「で、では、私もついてまいります!私は施療神官です!

 従軍司祭の経験もあります!足手まといにはなりません!」

考える前に、言葉が出た。

「分かりました。施療神官がいれば更に心強い。

 では、改めて。私は、ターク。クラスは守護戦士です。

 Lvは…一応ですが90です」

孤児も含め、マリアたち全員が息を呑む音が聞こえた。



疑っていたわけではなかったが、Lv90というのは、本当だった。

その鎧と盾は、〈鼠人間〉の攻撃などまるで寄せ付けなかった。

「うわあ!?…てい!」

タークは技すら使わず、やや腰が引けた様子で汗を流しながら

ほぼ機械的にメイスを振る。

一見すると余り戦いなれていない人のそれだが、

それでもレベルの差は大きく〈鼠人間〉はただ一撃でその命を叩き潰された。


キィ!キィ!?キィィィィ!


旺盛な戦闘本能を持つ〈鼠人間〉ですら逃げ出すものが現れるほどの、

圧倒的な戦闘能力。

少しくすんだ長い金髪を後ろで結び、成熟した女性的な肉体を

従軍司祭時代に使っていた、上質の革鎧で守り、銀のメイスで武装したマリアは、

ただすることも無くタークを見ているしかなかった。

(凄い…)

ここの〈鼠人間〉は、〈鼠人間〉の特徴である病も持たず力量も

最も弱い部類…およそLv20以下と言われている。


マリアとて本気を出せば、数が一度に5匹位ならば倒せるだろう。

だが数が一度に10匹になれば危険。一度に15匹になれば逃げ出すしかない。

その位の強さはある。

しかし、タークは群れが群れを呼んで膨れ上がった50匹近い〈鼠人間〉を、

ただ1人で相手をしていた。

「…ああ、真奈。目が覚めたのかい?そうだ。パパは少しお仕事をしているんだ。

 夜までには戻るけど、それまでに何かあったら…そうだな。

 〈ライトニング・バスター〉は使えるね?あれを使いなさい。

 あれならば、攻撃する相手を指定できたはずだ。

 ただし、本当に危なくなったときか、孤児院のみんなを守るときだけだ。分かったね」

まるで誰かに話しかけるように何かを言いながらも、手は休めない。

尋常ではない速度で、〈鼠人間〉が倒されていく。


ガサッ!


新手が現れたのだろう。近くの茂みが揺れる。

今回、マリアにとっての初めての実戦だ。

「くっ…来なさい!」

少し緊張しながら、メイスを構える。

モンスター退治をしていれば後方支援を主とする従軍司祭とて、

騎士の打ち漏らしに襲われるなど、よくあることだ。

だからこそ、そうなっても良いよう、メイスの技を磨いた。

…しかし、結果として戦の準備は無駄になった。


「―――――うおおおおおおおおおおおおおおおお!」


突然タークが上げた雄たけび。

それは茂みに潜んだ〈鼠人間〉を怯えさせ、

〈鼠人間〉を一斉にタークに飛び掛からせる。

「す、すみません!油断しました!」

〈鼠人間〉を倒しながら、何故かマリアに謝るターク。

マリアが首をかしげていると、タークは続いて言葉をつむぐ。

「施療神官を攻撃させる守護戦士なんて、守護戦士失格ですからね!

 もう油断はしません。マリアさんには、指一本触れさせませんよ!」

「…え!?」

戦場であるにも関わらず、頬が熱くなるのを感じる。

守るのが当然と言い切る騎士に対して、胸が高鳴った。

…そして夕方まで戦い。


「…流石に、もう出てきませんね」

〈鼠人間〉が死んだ後に残した大量の歯と毛皮…

戦いが終わったことを悟った、タークがどっかりと腰を落とし、言う。

森は、主たる〈鼠人間〉を失い、かつてない静寂に包まれていた。

「いやー、怖かった。幾らLvの差があると言っても、やはり実戦は違いますね」

「…実戦は…?」

「あ、いえ。なんでもありません。

 とにかく、これでしばらくは〈鼠人間〉は出ないと思います」

慌てて何かを誤魔化すように言うターク。

すぐには数え切れないほどの山となった歯と毛皮を見ながら、マリアは呟く。

「すごいですね…」

「ええ。私も〈鼠人間〉ばかりこれだけ倒したのは初めてです。

 …ああ、そうだ」

山となっているそれを見て、タークは言った。

「これ、売れますかね?」

「え?ええ…多分街場に持っていけばかなりの金額となるかと」

〈鼠人間〉の残す歯や皮はけして高く売れるものというわけではないが、

何しろ数が数だ。

恐らく孤児院が数ヶ月は楽に運営できるくらいの金額にはなるだろう。

「でしたらこれ、すべて孤児院に寄付させて頂けませんか?」

それを聞き、頷きながらタークが提案した。

「はい?…よろしいんですか!?」

「はい。どうぞ。恥ずかしながら銀行に預けたままで手元に持ち合わせが余り無くて。

 真奈がお世話になった、お礼ということで」

「いや、お礼はむしろ私達が言うべきなのですが…」

危険な森の〈鼠人間〉を退治して、さらにその戦利品を寄付する。

並大抵の恩ではなかった。



「うおおおお、すっげえー!?」

「嘘、こんなに!?一体何匹倒したの!?」

「シスター、冒険者様って強かった?」

「…ええ、とても」

余りに常識はずれな戦果を上げた2人に対し、

孤児たちが興奮して聞いてくる問いかけに、半ば放心しながら答えた。

まるで夢でも見ているよう。

そんなことを考えながら、マリアは目をそちらへとやる。


「ぼうけんしゃさま!ありがとう。ありがとう!」

泣きじゃくりながら、感謝の意を示すリノン。

これできっとシノンの魂も安らかに眠れるだろう。


そして、泣きじゃくるリノンをあやしながら、タークが言う。

「いいんだよ。子供を守るのは、大人なら必ずすることなんだから」

騎士様に相応しい、言葉を。

「パパぁ!」

そして、涙目でタークに駆け寄るのは、元気になったタークの“娘”…

確か、『まな』とタークは呼んでいた。

「ああ、良かった!元気になったんだね!」

その姿に心から喜び、まなを軽々と抱き上げるターク。

「うん!もう、だいじょうぶだよ!」

微笑ましいはずのその光景に。

キシリと。それを見ていたマリアの心がなった。

マリアにも理解できぬ、心の痛みだった。

「さて、先ほども言ったとおり、これは孤児院に寄付いたします。

 …どれくらいになりますかね?」

ここまでバッグに入れて持ってきた戦利品を広げながら、

タークの問いかけに答えたのは、孤児院一の秀才である、ジョシュアだった。

「今、数えたら歯が全部で132本、毛皮が68枚ありました。

 歯が1本で金貨7枚、毛皮が金貨16枚で売れたはずです」

手早く数え、街場での相場を教える。

「なるほど…」

それに大してタークは頷くと、鞄から紙とペンを取り出した。

そして…まなにそれらを渡しながら、尋ねる。

「…真奈。ちょっとやってみてごらん。歯が132本で1本辺り金貨7枚、

 毛皮が68枚で1枚辺り金貨16枚で売れる。じゃあ、全部で幾らになる?」

「「え?」」

マリアとジョシュアは驚いた。

タークがまなにそんな難しいことを聞き出したことに。

しかしまなは頷くと、紙に何かを書き始める。

「うん。わかった…えっと…132かける7が924,68かける16が988、

 じゃないや1088だから…ぜんぶで金か2012まい?」

「はい。良く出来ました」

この間、僅か数分。まなは極めて正確に答えを返した。

「ちょ、ちょっと待ってください!?なんでそんな簡単に出来るんです!?」

ジョシュアが驚きの声を上げ、まなにつめよる。

とてもじゃないが、まなほどの子供が…

いや、平民だと大人でも出来る内容とは思えない。

「ひう!?ひっさんはさんすうでならった、から…?」

それに涙目になりながら、まなは答えを返した。

「…算数?それは一体…タークさん、算数とはもしや冒険者の秘術ですか?」

「いえ、普通の勉強ですよ…いや、こっちだとそうなるのか?

 …まあ、そんなに難しいものではありません。

 ちゃんと勉強すれば誰でも出来ると思いますよ」

「本当に!?僕でも可能ですか!?」

「はい。ジョシュア君くらい頭が良ければ、多分始めればすぐに…

 しかし、そうですね…確かに考えていなかったけど、真奈にも必要か…」

興奮して尋ねるジョシュアに頷きながら、何かを考え出すターク。

そして、気がついたように、マリアに言う。

「とにかく、歯と毛皮は全てお譲りします。孤児院のために役に立ててください。

 その代わりと言ってはなんですが…

 しばらく、こちらでお世話になっても良いでしょうか?

 私に出来る限りのことはしますので」

「は、はい!よろしくお願いします!」

是非も無い。マリアは慌てて頷いた。

孤児院に新たな仲間が加わった瞬間だった。


…翌日、タークと共に戦利品を街場の信頼できる店に売りに行った際、

検分にたっぷり待たされた挙句、支払われた金額がぴったりまなの答えと

一致したことにマリアが戦慄を覚えたのは、余談である。



それから、1ヶ月と少し。みんなが寝静まった夜。

「―――タークさん。また、書いているんですか?」

ついこの前3冊目となる奥伝を書き終えてなお、執筆を止める気配の無い

タークに、敬意8割、呆れが2割でマリアは尋ねた。

「ええ。作っていたら昔のことを思い出して楽しくなってしまいましてね。

 それに、少しでも覚えているうちに書いておかないと、忘れた時に困ります。

 こちらではすぐに確認する、なんてわけには行きませんから」


そんなことを言いながら、今、タークが書いているのは数の秘術。


タークが持つ冒険者の英知の一端、数字に関する様々な知識を、

分かりやすくまとめたという、前代未聞の書である。

(ちなみに最初は「算数の教科書」だったのだが、

 それでは何を表すのか分かり辛いとのことで、今の名前になった)


「それと、こちらは明日、商人の方に渡す分です」

10冊ほどの数の秘術(初伝)をマリアに渡す。

「何から何まで…すみません」

タークは、筆写師…それも守護戦士と同じLv90という、伝説級の筆写師である。

(本人は昔取った杵柄と言っていたが)

この世界においては、筆写師は既に作られた原本さえあれば、

比較的簡単に本を増やすことができる。


数の数え方から始まり、計算や図形など、算数の基礎について書かれたこの本を、

マリアたちと付き合いの長い、孤児院に様々なものを運んでくれている

マイハマの商人が目をつけて、定期的に買い取るようになってから、

この孤児院の経営は大分安定した。

先月の“臨時収入”の件もあって少なくとも今孤児院にいる

20人ほどの孤児たちはマリアとタークから学問を教わりながら

それなりに豊かに暮らしている。

(この調子で行けば…でも…)

マリアは迷っていた。

マリアの運営するマイハマ第3孤児院には、まだまだ部屋に余裕がある。

近年、近くの森に〈鼠人間〉の群れが住み着いてから、急速に寂れた孤児院だが、

元々はかなり大きな孤児院だったのだ。

そして今は〈鼠人間〉も大幅に数を減らして平和になり、

更にタークの力により、経営状態も良好になっている。

今なら10人やそこらの孤児を新たに受け入れることも可能だろう。だが。

「…マリアさん、どうかしましたか?何か、悩んでおいでのようですが」

マリアの悩みを察して、タークが尋ねる。

「…えっと、その…うちでお世話する孤児を増やしたい、そう、思うのですが…」

本当に大事な部分は言い出せなかった。

今、この孤児院の経営のほとんどは、タークの手で成り立っている。

もし、彼がいなくなれば、すぐにでも前に逆戻りするだろう。

それどころか孤児を増やしていれば、前より酷くなるかも知れない。

「…ああ、なるほど。確かに街場には、まだ孤児がいるみたいですね」

イースタル最大の街、マイハマ。

きらびやかで美しい街ではあるが、決して貧困と無縁の場所ではない。

孤児や、孤児になりかけの貧民の子はまだまだいる。

領主たるコーウェン家とて貧困への対策を行い、

街の中心近くにはかなりの規模の孤児院もあるが、

それでも街場で酷い生活を強いられている孤児は、たくさんいた。

「…はい。貧民の、特に親に捨てられた孤児は本当に酷い生活をしているんです。

 私も、そうでしたから、良く分かるんですけど」

思い出すだけで嫌になるような過去を、そっと振り返る。

自分はまだ、幸運だった。施療神官の才能を見出されて院長に拾ってもらえたから。

「…やはり、そうなのですか…」

時折、マリアと共に街場へ行くたびに感じては、いた。

街で、時折、汚い服を纏った子供を見かけると。

だが、1人の人間に過ぎぬタークには、それらを救うには力が足りない。

…そう、1人では。

「分かりました。…少し援助を頼んで見ようと思います」

決意を込めてタークはマリアに言う。

「援助、ですか?どなたにですか?」

如何にマイハマが豊かといえど、儲けにも、大した名誉にも繋がらぬ

孤児院への援助者など、容易く見つかるものではない。

それを知っているマリアは、誰に頼むのかと首を傾げた。

そして、それにタークは、マリアの予想外の援助者の名を上げる。

「私の所属するギルドです…今、運営のお手伝いをしていない身としては

 心苦しいのですが、恥を忍んで、頼んでみることにします」

大災害直後の、荒れ果てていた時期ならばともかく、今ならばいけるかもしれない。

「ギルド…家門ですか?失礼ですが、タークさんは、そのような家門の人なのですか?」

マリアの問いかけに、タークは深く頷く。

「はい…私は、一応、海洋機構に所属する、冒険者です。

 そこの総支配人ならば、話を聞いてくれると思います」

念話でアキバに出来た〈円卓会議〉の詳細を話してくれた、

年下の総支配人ギルドマスター

冒険者だけでなく、大地人とも親しく付き合うことになったと、

面白そうに言う、快男児。

アキバで最も多くの冒険者を束ねるギルドの長である彼ならば。


そして数日後。


「まとまりました。月に一度、収支の報告をして、冒険者の連れてくる孤児は

 こちらで引き受けるという条件つきですが、海洋機構が援助を認めてくれました」

「本当ですか!?」

マリアにとっては寝耳に水の報告だった。

こうも容易く認めてもらえるとは思わなかった。

大地人の孤児が、冒険者の家門に援助者になって貰うなどという夢にも等しい話が。

「はい。私のまとめた報告書…マイハマの孤児の現状を綴ったものを

 マイハマに来ていた海洋機構の冒険者に託したら、すぐに」

勝算はあった。

人柄でみなをまとめる彼ならば、この話にも乗ってくれると、信じていた。

そしてそれは正しく、各支配人を集めた定例会議でも満場一致で援助が決まったという。

「夢みたいです…」

マリアは喜んでいた。

これで、もっともっと救いの手を差し伸べられると。

その様子を嬉しく思いながら、タークは、少しだけ本音を口にする。

「それに…」

「それに?」

偽らざる本音。

「…真奈くらいの子供が、酷い暮らしをしてるなんて、父親としては耐えられませんよ」

子供には幸せでいて欲しいという、明快な願いを。

「…え?」

その言葉にキシリと。

また、マリアの心が鳴った。



マイハマにいた孤児を拾い、世話をする孤児の数が3倍にも膨れ上がった、夏の頃。

その男はやってきた。

「やあ。こんにちは。綺麗なエルフのお嬢さん。

 ここに拓ちゃん…タークって人がいると聞いてきたんですが」

黒いコートを纏った、人間族の30代半ばくらいの冒険者だった。

山本と名乗る肩に巨大な両手剣を担いだその男は、

隠そうともせず自らを冒険者の…『暗殺者』だと言った。

(まさか…タークさんの命を狙って!?)

冒険者にして暗殺者だと言う山本はタークと同等の実力を感じさせる。

(どうしよう。タークさんに伝えて)

そう思っていると、慌しくいつもの格好でタークが表に出てくる。

「山本…?まさか、山ちゃんか!?」

暗殺者だと言う山本に親しげに話しかける。

それに山本は頷いて、答えた。

「ああ、驚いたよ。拓ちゃんがこっちにいるなんて思わなかった。

 この前海洋さんとこと俺のいる第8で情報交換して、分かったんだ。

 …それに、円卓会議の秀才組メガネどもが口揃えて出来がいいって認めた、

 数の秘術の秘伝を書いたのも拓ちゃんって聞いてね。ピンと来たんだ。

 ああ、こりゃうちの設計部隊のエースの拓ちゃんしかいねえなってね」

「ああ、僕も驚いたよ。まさか山ちゃんがこっちにいるとは思わなかった」

18の頃からの付き合いになる友人に対して、山本も、頷き返した。


「いやーすいませんね。いきなり押しかけちゃって。私、こういうものです」

朗らかにマリアに改めて挨拶しながら、山本はなれた手つきで紙片を取り出す。

それには『ギルド〈第8商店街〉所属 薬屋ヤマモトヒロシ代表 山本』とだけ

書かれていた。

「あの…これは?」

「ああ、自己紹介みたいなもんですよ…サラリーマンのね」

「さ、さらりーまん、ですか?」

いきなりの展開に目を白黒させるマリアに、茶目っ気たっぷりに冗談を返す山本。

「相変わらずだなあ山ちゃんは。

 マリアさん、この人の言うことは余り気にしないでください」

「ひっでえなあ拓ちゃん。長い付き合いなのに」

「長い付き合いだから、だろ?」

わざわざ筆写師に作らせたのであろうそれを見て苦笑しながら、

相変わらず冗談好きな友人に顔をほころばせ…真面目な顔で聞く。

「…もしかして、僕に何か頼みがあるのかな?山ちゃん」

「…相変わらず察しがいいな。なあ、拓ちゃん。アキバに戻ってきちゃくれないか?」

タークと自分との間に、無駄な言葉は不要。

そう知っている山本は、真面目な顔で率直に言葉を重ねた。

「今のアキバは、いい所だぜ?活気って奴がすげえ。

 俺もさ、こっちに来て念願の一国一城の主って奴になった。

 元の仕事とは全然関係ない、薬屋だけどな。

 ま、俺の営業スキルなら、何扱っても一緒だけどよ」

「ああ、山ちゃん、昔から言ってたもんな。いつか独立したいって…それで?」

タークはあちらでの夢を掴んだという友人の言葉に頷きながら、先を促す。

「ああ…俺、頼まれたんだ。拓ちゃん連れ戻してくれって」

「…どういうことだい?」

なんとなく理解はしながら、確認を続ける。

「実はな、今、アキバじゃあ盛んに古いビル改造したり

 新しい建物建ててんだけどさ、設計の人手が足りてないんだ。

 なにぶんこっちは建築のことなんざ知りもしねえ素人揃い。

 入ったときから営業畑で図面なんざ読めるだけで学生の頃以来引いても無い俺が

 向こうで建築やってた学生どもから先生扱いなんて酷いザマだぜ。

 …拓ちゃん、アンタが必要なんだ。設計部隊の仏の拓ちゃんなら、プロ中のプロ。

 しかも若い連中に教えられるくらい詳しくて、このご時世に手書きで

 完全な図面引ける奴なんて、アキバの連中でも拓ちゃんくらいしか俺はしらねえ」

そう言うと、いつものように拝み倒す。

向こうではいつもやってたように。

「頼むよ。戻ってきてくれ。拓ちゃん位の腕を腐らせとくなんて、惜しい。

 孤児院のことなら心配いらねえ。

 海洋さんは拓ちゃんがいなくても援助は続けるって言ってる。

 なんなら俺ら第8でも援助してもいい。それくらいの腕なんだ。な?頼むよ」

この世界では、ある意味大規模戦闘をこなせる人材以上に貴重な、仕事のプロ。

おまけに10年以上やってたベテランとなると、数えるくらいしかいない。

何が何でも、アキバに欲しい人材だった。

「…悪いけど、その話は、受けられないよ。山ちゃん」

だが、タークはその誘いに首を振った。

「…なんでだよ?何か、ここにはあるのか?」

「ああ、ある。今呼ぶよ…ああ、真奈、ちょっと来てくれるかな?」

山本の確認に頷いて、念話でその“理由”を呼んだ。

「…おい。今なんつった?」

山本の顔が引きつった。

それは、驚愕だった。

そして扉が開き、その“娘”が入ってくる。

「…ねぇ。パパ…お話って何?…その人、だれ?」

まなはおずおずと、かすかに見覚えがある気がする山本を見て、タークに聞く。

「おい!?どうなってやがる!?なんでここに真奈ちゃんがいる!?」

もはや余裕は無かった。山本は目の前の光景が信じられず、タークに詰め寄る。

「ひう!?」

「…大丈夫。この人は顔は怖いけど、良い人だから。

 …山ちゃん、僕たちは巻き込まれたんだよ。〈大災害〉に2人とも」

それにため息をつきながら、タークは山本にその言葉を返した。

「おいおい…なんてこった。合点がいったぜ。拓ちゃんがアキバを離れた理由もな」

驚愕が収まり、山本は深く納得した。

同時に、タークが戻るわけには行かない理由も。

「…しっかし、ついてねえなあ。俺なんか理恵も健太も浩二も来てねえから、

 気楽なもんだったけど、実際見せられたら肝が冷えたぜ」

いるかもしれない。

全部で3万もいるんだし、15に満たない子供なら何人か見た。

しかしそれが寄りによって親友の娘だとは思っても見なかった。

それを自分と置き換えて見たら、背筋がぞっとした。

あのバカ息子たちでも怖いのに女の子だなんて、と。

円卓会議が出来る直前の惨状を知ってるから特に。

「とにかく、大変だったな。話は分かった。

 連れて行くのは諦めるよ。あそこは子供にゃあ、早すぎる」

あの街にだって、まだ闇はある。

そこに、子供連れで行くことなど、仕事人の前に大人としての自分も認めない。

「その代わりさ、時々色々聞くと思うけど、相談に乗ってくれるかい?

 あと、こっちで暇なときでいいから、図面引いてくれ。金は払うからさ。頼むよ」

事前に決めておいた最低限。

それを要求に乗せ、山本は改めて拝み倒した。

「ああ、分かった。それぐらいなら、いつでも言ってくれ」

タークもそれには同意する。

それならば、受け入れられた。

「じゃあ、俺は帰るよ。向こうに報告もしておく」

そう言うと立ち上がり、マリアにその言葉を告げる。

「そいじゃあ、シスターさん。これからも真奈ちゃんを頼みますよ。

 この子は良い子だし、なにより…拓ちゃんが世界中の誰よりも

 可愛がってる大事な娘だからさ」

ギシリ。

ああ、まただ。また、心が軋んだ。

「は、はい…」

それをまたどこかで感じながら、マリアは頷いた。



季節は進み、夏の盛りの頃。


「おい!チビ!お前生意気なんだよ!」

「はぁ!?うっせえな!だったら力づくで黙らせて見ろよ!」

「なんだと!?面白え!やってやる!」

「ああ上等だ!表出ろ!」

大人顔負けの体格を持つジャックと、年相応の体格だが、

常に腰から親父から貰ったという刀を下げていて、

戦に慣れた気配を持つ狼牙族の少年、テツ。

この孤児院きっての問題児が2人、喧嘩を始めた。

「ジャック、やめておいたほうがいいと思いますよ」

「…がんばれ、テツ兄」

「だ、だめだよ。テツ、けんかは…」

ジャックと友人になったジョシュアと、テツの妹のルリ、そしてまな。

3人がそれぞれに2人に言う。

「やめなさい!2人とも!」

それを慌てて止めるのがマリアの役目だった。

「そうですよ。皆さん、勉強の時間です。真奈も、教室に入りなさい」

そんな2人を微笑ましく思いつつも、タークが教室に促す。

(…いいか、メシ抜きは流石に勘弁だ。後でやるぞ)

(…分かった。明後日なら俺もお前も仕事はねえ。木刀でやるぞ)

妙に気が合っている気がする2人に苦笑しながらも、

いつもの『授業』を始めた。


この孤児院に、急激に人が増えた原因は、現在アキバの円卓会議が進める、

ザントリーフの戦だった。

主力を蹴散らされ、抵抗は散発的になったものの、あちこちの開拓村が

〈緑小鬼〉の群れに襲われ、壊滅した村も幾つか報告されている。

そして、彼ら〈緑小鬼〉の群れや、他のモンスター…

散発的かつ突発的なモンスターの襲撃などで滅びた村。

その村の生き残りの子供を受け入れることになったのが、この孤児院だった。


冒険者の連れてきた子供は、孤児院で受け入れること。


かつて、出資してもらう際に定めた約定に従い、各地から子供が集められていた。

(テツとルリは、どこの出身なのかしら?)

子供達に文字を教えながら、マリアは考える。

その大半は〈緑小鬼〉に襲われた、イースタルの開拓村の開拓民の子供だが、

たまにテツとルリのように、今ひとつどこから来たか分からない子供が混ざる。

(あんな子供に本物の武器を持たせるなんて…)

おまけにイースタルではあまり見かけない、狼牙族だ。

孤児院に来た時に着ていた服もマリアの良く知らない様式の服だった。

(…多分、モンスターに襲われてご両親を失ったのだと思うんだけど)

子供達に過去を聞くのは、そのまま辛いことを思い出させることに

直結するのを考えると、興味本位で聞くのははばかられる。

…連れてきた冒険者も、口をつぐんでしまったので、

マリアもタークも、2人の出身は聞けないでいた。

(とはいえ、気にしてもしょうがないか)

マリアだって過去を聞かれたら、答えたくない気持ちは分かる。

大事なのは、これからだ。

そう考えて…

「せんせー、よめません」

「はい!?…あ」

思ったことをそのまま黒板に書いていたことに気づいて、赤面する。

「ご、ごめんなさいね」

慌てて書いたものを消し、文字の書き取りを始めさせる。

マリアとターク、2人が勉強を教え、その間に頼んで近くの村から来て

もらっている家政婦に食事を作ってもらう。


それが最近のこの孤児院のやり方だった。

昔は全部孤児と自分でやっていたのだが、幼い子供を含む孤児が増えて、

手が回りきらなくなったのと、海洋機構の出資とタークの内職の結果、

そして『畑』の成果が出たお陰で、人を雇うようになっていた。


昼食後。


「相変わらず、育ちがいいですね…」

「ええ。こちらでもうまく行くかは分かりませんでしたが、

 充分注意したお陰かうまく行ったようでよかったです」

孤児院が持っている畑を訪れた二人は、訪れた客と共に

作物の実りを確認しあい、結果に頷いた。

孤児院の畑は春ごろまで、大地の恵みを使い果たした、痩せた畑だった。

それをタークが他の冒険者に聞いてまとめたという英知でもって復活させた。

ちなみにその方法は…

「まさか、あんなもので大地の恵みが蘇るとは思いませんでしたけど」

畑のそばに掘られた、大きな素焼きの壷が埋められ、屋根がつけられた穴。

そこに溜め込まれた、熟成を待っている孤児100人分の…汚物。

責任は取るので底の方から取った数年もののそれを畑に蒔かせて欲しい、

と言われたときは理解できなかったが、

今となってはそれが正解であると認めざるを得なかった。

「まあ、あの方法がずっと続いてたらしいですから。昔は」

「しかし驚きました…本当にこの方法を伝授して貰っても?」

わざわざ領主のところから査察に来た文官が、タークに尋ねる。

大地の恵みを蘇らせる、奇跡の方法。

モンスターが多く、原野を開拓するのが難しいこの世界では、

痩せた畑を蘇らせる技術は食糧増産に大きな意味を持つ。

ましてやそれが、病の元となる汚物を処理する道にもなると

言われては、もはや見過ごすことは出来なかった。

「はい…これなら、こちらでも問題なく出来るでしょうし」

そう言うと、方法をまとめた報告書を渡す。

「それにこちらでいきなり冒険者という人口が増えた以上、食糧増産は急務です。

 冒険者の方は農業に踏み込むつもりは無いみたいですし」

ミチタカからも聞いている。

食糧をアキバで作るつもりはない、と。

幾ら金があろうとも、そもそも作れなければ、流通も出来ない。

だからこそ、海洋機構は試せるだけの条件を満たしていたタークに、

試してうまく行ったら大地人に広めるように頼んだのだ。

こちらでも出来るであろう古式ゆかしい、この方法を。

「はい。セルジアット公爵様も同じお考えです」

文官も頷く。

「それから…」

「はい。約束どおり、これはマイハマのみで秘匿いたしません。

 イースタル中に広めれば、他でも行われるようになりましょう」

そしてそうなれば、今以上に人を養えるようになる。

まさに、革命と言ってもいい方法だった。



そして、秋、季節と共に変化の時は訪れる。


「真奈!?」

昼下がり、いつものように部屋でマリアと共に海洋機構の仕事を

こなしていたタークが突然声を上げて立ち上がった。

「タークさん!?どうしたんですか!?」

突然のタークの行動に、思わずマリアは聞き返す。

タークは慌しく久しく使っていなかった戦装束に身を包みながら、

焦って言う。

「この孤児院からだとあの森しかない!もう出ないだろうと油断していた!

 真奈とテツ君が危ない!すぐに戻ります!

 マリアさんは、こちらで待っていてください!」

どうやって察したのか“娘”の危機を知ったタークは、

戦装束を纏うと人間離れした速度で窓から飛び出して、そのまま駆け出す。

「は、はい…?」

突然の行動。それにマリアは目を白黒させながら、呆然とする。

あれほど必死なタークを見るのは、久しぶり…

恐らく、まなを連れてやってきたとき以来だ。

それが、ギシリと、マリアに嫌な胸騒ぎを覚えさせる。

…まるで、あのとき突然現れたときと同じように。

…突然去ってしまうのではないか、そうなる、予感を。


その予感が深まったのは、2時間後のことだった。


「テツぅ…テツぅ…うええええええ」

激しく泣きじゃくる、だが無傷のまなを連れてタークが戻ってきた。

無事だ。だが。

「…なんてことだ…なんで、真奈がこんな目にあわなきゃいけないんだ…」

タークは憔悴しきっていた。

かつて恐れたものが、よりにもよってまなに降りかかった。

それは…

「パパ…ぼうけんしゃは、いい人じゃなかったの?

 テツがいうみたいに…ばけもの、なの?」

強く、根が深い怒りと殺気…

それは余りにも正当で、認めざるを得ない当然の感情だった。

それに真正面からさらされたまなは、泣きやめなかった。

余りにテツが可愛そうで。自分が、冒険者ばけものになったようで。

「違う…真奈は化物なんかじゃないよ…」

まなは化物なんかじゃない。自分も…今はまだ違う。

だが、言い切ることは出来なかった。

今の冒険者には、化物と呼ぶしかないものもいる。

そんな、どうしようもない事実があるから。

むしろかつてのアキバでもそれの存在を感じたからこそ、

タークはまなを連れ、アキバから逃げたのだから。

「あの、タークさん、一体何が…」

尋常ではない雰囲気。

それを感じ取り、マリアは尋ねる。

「テツが…」

言いよどむ。容易く認めるには、勇気のいる言葉だったから。

そして言いよどんだがゆえに、言葉にする前にそれが訪れた。

「大変だよ!」

ばたんと。

扉が開かれ、ジャックが入ってくる。

「大変だ!テツの奴が、孤児院から逃げたぞ!冒険者の世話になんかなれるかって!」

「今のテツ君は、とてもじゃないが冷静とは言えません!このままにしておいたら…」

「…マイハマからアキバまで、1人でいくなんて…無理。お願い…テツを、助けて」

テツと特に親しい孤児たちが、口々にそれを伝える。

次の瞬間だった。まなが飛び出して行ったのは。

「真奈っ!?」

それを追って、タークも飛び出そうとして…立ち止まる。

マリアの方を向いて、言う。

「私は…これからテツ君を連れ戻しに行きます。真奈と一緒に」

その顔には、深い決意がこもっていた。

「わ、分かりました。その…気をつけてください」

マリアが怯えつつも、送り出す言葉を口にする。 

嫌な予感を感じ取っていたから。

そして、タークは予感どおりのことを言った。

「…連れ戻すことが出来なければ…もうここには戻れません。

 ミチタカさん…海洋機構の総支配人は、気持ちの良い人です。

 例え私がいなくとも、孤児院の援助を打ち切る人ではないでしょう。

 だから…私がいなくなっても、大丈夫ですから」

「嫌です!」

考える前に、言葉が口を出た。

孤児院なんて、どうでもいい。

そんな言葉まで漏れそうになった。

「…なんでですか!?なんで、テツがいないと、ここには、戻れないんですか!?

 そんなの、おかしいじゃないですか!?」

孤児が家出をして…二度と帰らない。

それは悲しいことだが、孤児院ではままあることだった。

だが、それにタークは悲しげに首を振り、答える。

「…私は、まだいいです。割り切れます。大人ですから。

 しかし…そうなったらここは、幼い真奈には、辛すぎる」


ギシリと。

マリアの心が傾いだ。

ついに穴が開いたように、どす黒いそれが顔を覗かせた。

それを自覚したマリアは動けなくなってしまった。


「…行ってきます…どうか、お元気で」

そう言うとタークもまた、まなを追って、孤児院を飛び出した。

「…お願い。テツを、助けて」

「…たく、テツの野郎2人をあんなに心配させやがって!

 帰ってきたらぶん殴ってやる!」

「大丈夫ですか?シスターマリア、顔が真っ青ですよ」

残った孤児たちの言葉が耳を通り過ぎる。

マリアはただただ怯えていた。

見えてしまった、自分の『底』に。



数時間後、タークは無事帰ってきた。

テツを連れて。

タークとマリアは、男らしく悪かったと認めるテツを応接間で随分と叱った。

「本当に、無事でよかったです…」

夜も遅くなり、テツを部屋に返して、マリアはタークの隣でほっと息を吐いた。

「ええ、本当に危ないところでした。もう少し遅かったら、間に合わなかった」

テツは夜の街道で稀に現れる、大型モンスターに襲われていた。

Lvこそ大したことは無いが、それでもテツ1人には、荷が勝ちすぎる相手。

遠距離を正確に攻撃できるまなを連れていなかったら…そう思うと背筋が凍った。

その安堵が、タークにその言葉を口にさせた。

「真奈が悲しまずに済んで、本当に良かった…あの子が私の、全てですから」

ギシリと音を立ててマリアの心が、どす黒く、染まった。

あのときと同じ。だが、今度は緊急事態ではない。

理性で止めることは、もはや出来なかった。

「…ずるい」

マリアが、ポツリと口にする。

まなは、あのタークの“娘”は。

「…マリアさん?」


ずるい。


気づいてしまえば、もはや止まらなかった。

「…ずるい、ずるいよ!なんで、なんでなの!?何でまなばっかり!?

 タークさんは、強くて、賢くて、優しくて…本当にいい人なのに…

 なんで、どうしてなの!?どうしてあの“娘”だけ、タークさんが、

 パパがいるのよ!…あの“娘”だって…あの“娘”だって…」

これ以上はいけない。

そう、大人の頭では分かっていても、止まらない。

タークが誰よりもまなを大切にするたびに傷つき続けた心は、止まらなかった。

そして、涙と共に、それが飛び出した。


―――捨て子の癖に!


皮膚を食い破った膿は、もはや噴出すしかない。

噴出したのは、10年以上かけて降り積もった、どす黒く、汚いものだった。

「ねえ!?どうして私には、パパがいないの!?どうしてママは、私を捨てたの!?

 どうして私は血が繋がってるはずのパパとママに捨てられたのに、

 あの娘だけが、血も繋がってないくせにタークさんに愛されてるの!?

 ねえ、どうして!?どうして、どうしてなのよ…」

それは、子供の頃、毎日のように考えていたことだった。

大人になり忘れた振りをして、見ないようにしまいこんでいたものだった。

わけも分からず泣いていた時に院長に拾われ、施療神官の修行を

受けられなかったら、死んでいたかもっと酷い暮らしをしていたはず。

それが分かっていたからこそ、許せなかった。


無償の愛を与え続けてくれる、父親。


マリアがどれだけ望んでも手に入れることができなかったものを手に入れた、

自分と同じはずの『捨て子の娘』が。

(ああ…終わりだ)

激しく高ぶりながらもどこか醒めた頭が理解してしまった。

タークは、余りに優しく、賢く、強い人だ。

なればこそ、許すことはないだろう。

何よりも大切な“娘”を侮辱した、

浅はかで、自分勝手で、生まれが悪くて、嫉妬深い修道女など。

この孤児院は…自分は、また捨てられる。

「ごめんなさい、ごめんなさい…許してください…」

それが怖くて、苦しくて…マリアは、俯いて謝りながら、涙をこぼした。

「…マリアさん」

ビクリと、俯いたマリアが肩を震わせる。

「ごめんなさい。気づいて上げられませんでした。

 マリアさんたちに、私と真奈がどう見えているか、に」

その光景に心を傷めつつ、真実を告げる。

「荒唐無稽な話ですから、信じられないかも知れませんが…

 私と真奈は、血の繋がった、父娘です」

いつものように、優しく。

「…え?」

「冒険者には…種族の壁が無い。

 あらゆる別の種族同士で夫婦となり、あらゆる種族の子供を作れる。

 今でもそうかは分かりませんが、少なくとも〈大災害〉までは

 そういう存在だったんです」

「う…」

嘘と言おうとして、言葉につまる。

嘘というには、余りに真剣なタークの顔を見て。

「そして、私は…良い父親なんかじゃ、無かった」

そう呟くタークの顔は、今にも泣きそうだった。

「家内が死んでから、家にいるのが辛くて…

 私は真奈を置いて、仕事に打ち込んでいました。

 …寂しい思いをしていた真奈が冒険者になるのを、止めようともしなかった」

それは、懺悔。この世界で、タークが自身に背負わせた、余りにも重い罪。

「子供がやるようなことじゃないことは、充分に知っていたはずなんです。

 私がどうしても処分できずに元の場所に置きっぱなしにしていた、

 家内の形見を真奈が時々使っていたことも。

 …親ならば、どんなことをしても遠ざけねばならなかったものであることも。

 しかし、私はしなかったんです。

 時間を見つけては真奈に見つからないよう密かに見守って…むしろ喜んですらいた。

 私と家内の出会いの場所と言うだけで、ここを、よいものと思いたがっていました」

この世界で何度もかみ締めた、苦い記憶。

妻と同じIDで冒険をする少女はほろ苦く、同時に懐かしい甘みを持っていたがゆえに、

後でとてつもない後悔の味となった。

「見守っていた、ちょうどあの時にあの大災害があったのは、幸運でした。

 アキバで、泣きながら私を呼ぶ、真奈を守れた。

 けれど同時に分かったんです。私がどれだけの罪をおかしたか。

 …どれだけ、真奈のことを考えてやれなかったのかを」

大災害直後のアキバの惨状が頭をよぎる。

何もすることのない無気力と、半ば自棄となった、むき出しの欲望が支配する街。

それは、娘と言う守らねばならぬものを持つタークにとってただただ恐怖だった。

「…真奈を守りたい。そう思って私は真奈を連れて逃げ出しました。

 いつか、冒険者の悪意が真奈に降りかかるのを防げなくなるのが怖かったから。

 善意を信じて悪意を取り除く、アキバに残った冒険者がしたような努力もせずに」

自らはどこまでも幸運だった。温かい大地人たちに出会えたから。

…それが、更にさいなんだ。

「…マリアさん。私はね、逃げてばかりなんですよ。

 家内との思い出からも、真奈からも、冒険者の持つ、悪からも。

 とんだ臆病者です。冒険者が聞いてあきれる。だから…」

酷く苦しい告白を終えて、タークはまっすぐにマリアを見る。

「…良いんですよ。ダメなところを見せても。

 私だってもうこの年ですから、人間がいつだって純真無垢だなんて、信じられない。

 私自身が理想の父親の振りをする…ナイト気取りの臆病者ですから」

この10以上離れた、この世界で出会った、

可愛らしい娘さんには、笑っていて欲しかった。

あの日、出会ったときから幾度と無く助けてくれた人だから。

そう思ったら、苦しい後悔をも、口に出来た。

「ターク…さん」

「良いんですよ。わがままを言っても。

 むしろこんな可愛い女の子に我侭を言われるなんて、男冥利につきます」

「で、でも私はもう大人で…女の子だなんて」

余りにも優しい言葉にマリアは怯えた。

ここでまた弱いところを見せては、今度こそ捨てられるのではないかと。

だが、甘えても良いというそれは、同時に抗い難い魅力を感じさせた。

「子供ですよ。24歳なんてまだまだです…もうおじさんの私に取ってはね」

そういうと、静かに、マリアの頭を撫でる。

それが、きっかけだった。

「…よしよし、本当に、辛かったね。でも、もう、大丈夫だよ。

 僕は…ずっとここにいるから」

そう言ってもらえた瞬間。

「…うぇぇぇぇ…」

マリアは、母に捨てられて以来、14年ぶりに声を上げて、泣いた。

子供のように。隣に座るタークに縋りつき、14年分の全部を吐き出すように。

「大丈夫。大丈夫だから…」

それをただ静かに、タークは受け入れ続けた。

娘をあやすように、頭を撫で続けて。



「初めまして!今日からこちらでお世話になります、

 狼牙族のマリカです。みなさん、よろしくお願いします!」

ぺこりと頭を下げる,育ちのよさを感じさせる態度と手入れの行き届いたさらさらの髪,

マイハマ風の清潔で仕立ての良い服を纏った狼牙族の少女に,マリアは苦笑した。

最近、この孤児院は人の動きが激しい。

タークの『教育』を受けた孤児が優秀であるとして商会などで見習いとして

雇われて孤児院を去る一方(あのジョシュアの一番上の弟も商会に雇われて去った。

ジョシュア本人は数の秘術(秘伝)を読み終えるまでは孤児院に残るつもりらしい),

この手の明らかに孤児とは言えないような子供が、孤児として来る様になってもいた。

(まったく…腰に刀を下げた護衛が2人もついた孤児って、なんなのよ?)

苦笑する。

傭兵である俺達では,この子を世話することは出来ない…くれぐれも、頼む。

そんな下手な言い訳と相当な額の寄付を残して去った狼牙族の男たちに。

明らかに普通の孤児ではなかった。

(しょうがないかな。マイハマの賢者様の孤児院、だし…)


マイハマの賢者。

この孤児院で行われている数々のことがマイハマで知られるようになってから、

いつしかタークはそう呼ばれるようになっていた。

それからは時折、わざわざ孤児院まで足を運んでタークに教えを乞う若者や、

新たな“自称”孤児がやってくる。


「すっげえ可愛い」

「え?あれ本当に狼牙族なの?う○こテツとは大違いじゃねえか」

「どっかのお姫様だって言われたら、信じるぜ俺」

「そうですね…しかし狼牙族にそんな貴族や商人がいるのか…?」

「ジョシュア兄、なにか考えてる?」

「…いえ、気にしても仕方ありませんね。何か変なことをする様子もないですし」

「髪とかさらさらー。うわー、いいなぁ…」

「ルリも可愛いけど…いや、あれにはかなわねえな」


孤児たちも何かを感じ取っているのか、それぞれに噂しあっている。


「ねぇ…テツ?」

「あんだよ?」

「その…テツもやっぱり…あの子の方がいい?」

「はぁ?何言ってんだよ?」

「だ、だって、可愛いし、テツと同じだし、その…」

「…興味ねぇよ」

「そ、そうなの!?よ、良かった…」

「女のことなんざ、大人になってから考えりゃ良いんだ。

 男なら、まずは女子供守れるくらい強くならねえとな」

「はう…そ、そっか…うぅ」

「…大丈夫。まなが勝ってる」

「ルリ!?そ、そう、かな…?」

「うん…あの子、テツ兄を別に好きになってない」

「…え?それって…その…じゃあ、もしあの子がテツのこと好きって言ったら?」

「…」

「…」

「…母さん、最後、言ってた。『女にもね、勝てないと分かってても

 戦わないといけないときもあるのさ』って」

「ううううう…」

「うわ、なんだよ!?いきなり泣き出すなよ!?」


前と変わらずじゃれあう仲に戻った2人を微笑ましく思う。

そして…


「ほらほら。みなさん、静かに。初めましてマリカさん。私は、タークと言います」

「はい!本当にご迷惑をお掛けすると思いますが、よろしくお願いします!」


温厚、理知的、頼りがいのある、そんな孤児院のパパ。

その役を一手に引き受けるタークを見て、マリアは密かに決意を固める。

(私、この孤児院のママになります。だから…)

これからどうなるのかは、分からない。

だが、1つだけ分かるのは…自分はタークを支えたい。

いつか、本当に愛されるために、それに相応しくあるために。


それが、マリアなりの決意だった。

本日はここまで。


…書いて見たら、矛盾が出たので、第4話を一部修正しました。

ちなみに下肥は割りと扱いが難しいみたいです。

ちゃんとやれば延々リサイクルが成り立つようになるみたいですが。


ちなみに、この作品ではエルフは加齢速度と寿命は

人間と同じとして扱っています。

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