第5話 女将のマリーナ(14代目)
今回のお話は、久しぶりのアキバの街が舞台。
ある意味貴重な『昔からいた』大地人の物語です。
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徹夜で行われた臨時休業は、既に3日目の夜を迎えていた。
辺りは酷い惨状だった。
ゴミ箱にはぐちゃぐちゃになり、既になんだったのかも分からなくなった廃棄物や
無茶な『加工』の結果、使い物にならなくなった食材が溢れて床にまでこぼれ、
洗い場にはこれまた汚れきった調理器具や食器が山ほど積まれている。
そして、唯一綺麗に保たれた作業台の上には、所狭しと並べられた冷め切った料理と、
たった1つのメニューを除いて全て横線で消された跡のあるメニュー表、
羽ペンと墨壷、そしてそれら料理に下敷きにされているのは、
何度も読み返され、ぼろぼろになったチラシ。
そのチラシには、こう書かれていた…『〈円卓会議〉設立のお知らせ』と。
「…もう10回目よ。今度こそ、うまく行きなさいよ…」
ごそりと。
ランプで照らされて薄暗い厨房に1つだけ置かれた椅子で、
死んだように呆けていた1人の少女が立ち上がった。
流れるような長い金髪と、どんよりとした、死んだ魚のような瞳、
死相の如く刻まれたくま、鼻筋がすっきりと通った、中々の美少女だ。
細いながらも女性らしい丸みを帯びた体を揺らし、
傷だらけになった歴戦の戦士のような両の手でオーブンの取っ手を掴む。
彼女はゆっくりと、頭で数を数えながら、オーブンを開ける。
『味付け』の失敗を4度、生焼けと黒焦げ、そして焼きすぎを5度乗り越え、
ついに味付けと火加減と焼き上げにベストな時間を読みきった。
うまく行くことは確信すらあったが、勝負は最後まで分からない。
確信と不安を混じり合わせながら、それを取り出す。とりあえず見た目は合格。
だが、問題は味だ。恐る恐る、ナイフで切り取り、齧る。
良く噛んで、特別製の自慢の舌で味わい、飲み込む。そして。
「よっし!この味なら店に出せるわ!」
成功を確認し歓喜と共に、羽ペンをとりメニュー表の最後の項目
『鶏の香草詰め丸焼き 金貨30枚』を消す。
完成した…『マリーナの宿』の全てのメニューが!
「アルフ!ちょっと着て!ついに終わったわ!」
「は、はい!…あのう、マリーナ。その、少し静かにしたほうが…
その、ご近所にご迷惑に」
従業員頭兼マリーナの婿であるアルフレッドが、言いにくそうに妻でもある少女…
マリーナ=リバーサイドに苦言を言う。
「なに寝ぼけたこと言ってんの!?
私が黙ったくらいでこの街が静かになるわけないでしょ!
外に出てみてみなさいよ!〈円卓会議〉ができてからこっち、
〈冒険者〉が毎日毎日、夜中だろうとなんだろうとお祭り騒ぎしてるでしょーが!」
それに、マリーナはきっぷの良さで知られた代々のマリーナの中でも
特に気が強いと言われている性格で、激しく言い返す。
「は、はひ!」
その強い言葉に、アルフレッドはたじたじとなった。
この家では、男の立場は弱い。
と、言うのもこのリバーサイド家では跡継ぎとなる娘はマリーナの名を与えられ、
15歳になると先代から店を継いで婿を取り、宿と酒場を切り盛りする、女将となる。
それがアキバの街が出来たと同時に作られたと言う、
スミダ川の側で200年以上続く『マリーナの宿』のしきたりだった。
そしてそのしきたりは200年以上もの間、一切の跡継ぎ問題を生まず続いてきた。
…13代もの間、生涯で娘1人しか授からない代わりに、
必ずその娘は無事に育ちきると言う、呪いにも似た奇跡によって。
そして現在、店を切り盛りしているのがこの店の女将、14代目マリーナである。
1年前、14代目マリーナが後を継ぐのを待っていたように流行り病で亡くなった、
13代目マリーナに厳しく仕込まれた、〈会計士〉と〈料理人〉、
そして〈家政婦〉の複合職、〈女将〉の技量は〈大災害〉直前の鑑定の時点でLv47。
領主の屋敷で厨房頭とメイド頭が同時に務まる技量で、
17歳と言う歳を考えればはっきりと異常な腕前だが、
Lv90の職人だってごろごろいるこのアキバでは珍しくも無いレベルでもある。
「とにかく、今日は寝るわ!その代わり、明日からはガンガン稼ぐ!いいわね!?」
「は、はい!」
素早く言い切ると、マリーナはさっさと部屋に戻り…ベッドに気絶するように倒れこむ。
夢の中で見るのは大きな満足感と達成感、そして不安。
彼女は、感じ取っていた。
このアキバの街が、大きく変わろうとしている、そんな息吹を。
アキバの街そのものがただの通過点で、ひたすらに外に向かうだけだった
〈冒険者〉が内へと意識を向けている。
自らの手で自治を行い、法を定め、恐ろしいほどの勢いで
アキバの街を塗り替えようとしている。
それは古くからアキバの街に住まう〈大地人〉であるマリーナにとって、
決して人事で片付けられる話では無かった。
『第5話 女将のマリーナ(14代目)』
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「マリーナ。鶏の香草詰め丸焼きと、揚げジャガイモ2皿、黒パン1籠、
それとレモンとはちみつのジュースを4人前お願い」
「お~い、女将さん、こっちはベーコンのシチューと鶏のから揚げ1皿、
それと川魚の塩焼きを2尾頼む」
「女将さん。こちらのお客様、揚げ魚と揚げジャガイモの盛り合わせと
野菜の盛り合わせ、それと酒精入りのブドウジュースだそうです!」
「はい、ただいま!」
一言答え、マリーナは猛然と動き出す。
丸焼きを下ごしらえしてオーブンに突っ込むと、
厨房を任せてる〈料理人〉の使用人に砂時計4回半で取り出すように指示を出し、
カウンターに舞い戻る。
カウンターの奥に備え付けられたかまどで温められているシチューを
手早くよそうと目にも留まらぬ速さでジャガイモを切り刻み、
鶏肉、魚と別の鍋の油の中に突っ込む。
こんがり揚がるのを待つ間に串に刺しておいた川魚を2尾、直火であぶり始め、
手を手早く洗ったあとに野菜を手でちぎって皿に盛り付け、
油からジャガイモを上げて盛る。
事前に作っておいたジュースを木製のカップに注ぎ、ブドウジュースの方には
ワイン(単体では味なし)を混ぜて、酔えるものに仕上げる。
そして出来上がる頃には…既に次の注文が来ている。
厨房仕事は所々アルフや使用人にもやらせるが、基本的には自分でこなす。
それが、女将兼看板娘でもあるマリーナの矜持である。
マリーナは今、充実していた。
少なくとも〈大災害〉のあと、円卓会議が出来るまで〈冒険者〉相手にひたすら
豆のスープ(金貨2枚)を出し続けていた頃より、大分マシだった。
「うま過ぎ。なにこれすごい」
「パネェ。マジで見た目どおりの味じゃん」
「な?な?驚きだよな。窓から良い感じのシチューの匂いが
漂ってきてさ、もしかしてと思ったら、大当たり」
「あ!?この野郎から揚げにレモンかけてんじゃねえよ!?
すいません、お姉さん、もう1皿追加でー!」
「なあ、ここの店って…確か〈大地人〉の店ってことになんだよな?
マリーナの宿っつったら〈大災害〉前からあったし」
「ってことは…え?この料理って〈大地人〉の女将が自力で開発したの?
女将凄すぎじゃね?」
「って言うか女将若いな。てっきりもっと歳行ってるのかと思ったよ」
「ああ、ずっと同じ顔…でもないのか、良く考えると。
バージョン上がるたびにこまめに変わってたんだよな、グラフィック」
「前にサイトで見たけど、前世紀の拡張パックなしの頃とか
顔グラ完全に洋ゲーだったよ。今は…アキバっぽいよな、うん」
今、店を訪れているのは、大半が〈冒険者〉である。
彼らの会話が所々わけの分からない話なのは、いつものことなので気にしない。
と言うか気にしてたら、このアキバでは仕事なんて勤まらない。
マリーナの宿は今日も盛況だった。
腹を減らした〈冒険者〉は味も良く、設備も整ったマリーナの宿につめかけ、
存分に腹を満たし、帰っていく。
既に先月の〈大災害〉以降発生した、来る客みんな豆のスープしか頼まない
豆スープ地獄が産んだ食堂の赤字はとうに消えていた。
(最も宿全体で見れば帰れなくなった〈冒険者〉が部屋を借りるようになったため、
収支事態はとんとんだったりするのだが)
そして夜。日がすっかり暮れた頃、マリーナの宿の食堂は営業を終える。
「ありがとうございました。またどうぞ」
「ごちそうさん。また来るよ」
最後の〈冒険者〉の客を送り出し、アルフレッドは深く頭を下げる。
宿屋の主人たるもの人当たりのよさは常に保たねばならない。
それが、マイハマで屈指の宿屋であった実家の教えだった。
…主人ではなく、入り婿だが。
アルフレッドはマイハマでも屈指の大店である宿の三男坊である。
既に30にさしかかり、子供も4人いる10以上年の離れた長兄と、
昔から頭が良くて、今はマイハマで文官を務める次兄がいる。
家督が回ってくることはまず無いから、次兄のように役人にでもなるか、
適当な家の婿になるしかないことは物心ついて少しする頃には分かっていた。
だからこそ、マイハマから離れたアキバの街の宿屋の娘との
縁談をあっさりと受けたのだ。
宿屋ならば自分の、宿屋の息子として鍛えられた
〈執事〉の技術も生かせるし、親族のいないアキバの街なら
居候同然の三男坊として肩身の狭い想いをすることも無いから、と。
…もっとも、その嫁が生命力に満ち溢れた凄腕の女将だったのには随分面食らったが、
それも結婚して2年近く経つ今となっては、いい思い出である。
それはさておき。
最後の客を送り出し、アルフレッドは宿屋の中に戻った。
まだまだこれから、後片付けを手伝わなくてはならない。
「ただいま。マリーナ」
「お帰り。ちょっと食堂の掃除でもしてて。私はみんなの分の晩御飯を作るから」
厨房からは、なにやらいい匂いが漂ってくる。
かいだことのない匂い。多分新作料理を作っているんだろう。
昼はロクに食事も取らず、黒パンとスープだけで簡単に済ませて
働きづめだったせいか、余計に美味しそうに感じる。
「うん。分かったよ。さ、みんな、やろうか」
「「「はい、旦那様!」」」
日ごろの指導の賜物で声が揃った、使用人の女給たちに指示を出しつつ掃除をする。
円卓会議成立後の毎日のマリーナの美味しい食事は、使用人にも受けが良い。
彼女の努力と才能(彼女に言わせれば、特別製の舌)の賜物であった。
「ふぅ…儲かるのは良いけど、毎日これだと、少しきついなあ」
一通り掃除を終えて、アルフレッドはぼやいた。
毎日がお祭りのときのように客で溢れる現状は、余り良くない。
使用人にも疲れが見えるし、マリーナも大分疲れがたまっている。
「お休み…は無理でももう少しゆっくりする時間がいるよなあ」
マリーナはほっとくと延々働き続けるし、なんてなことを考えてたときだった。
「なぁにぼやいてんのよ」
後ろからぽんと頭をはたかれる。
「あ、マリーナ」
「お疲れ様。夕食にしましょ。今日はちょっとピザを焼いてみたの」
「ピザって…確か、あの丸くて平べったい、トマトとチーズを使うパン?」
アルフレッドの脳裏に、正確な姿が浮かぶ。
見た目は知っている。味は全部同じだった頃のことしか知らないが。
確か比較的庶民的な料理と言う位置づけだったはずだ。
「そ。前にクレセントムーンで作ってた料理だけど、
美味しかったから、作ってみたのよ。
すぐ焼きあがるから、さっさと席について頂戴」
それに力強く頷き、アルフレッドたちを食卓に促す。
ようやく納得が行くものが再現できて、マリーナは満足していた。
クレセントムーン。〈冒険者〉が作った、新たな料理の始まりの店。
思えば豆スープ地獄に嫌気がさして、朝、山ほど豆スープを作ったあと出かけたとき、
〈冒険者〉の行列と匂いに興味を引かれて並んだあの店との出会いが
マリーナの挑戦の原点だった。
あのときは本気で衝撃を受けた。
自分が今まで作っていたのがなんだったのかと自問自答し、
何が何でも自分でも同じものを作れるようになると決意した瞬間だった。
結局作れるようになったのは円卓会議の成立後…
アキバ中に新たな料理の方法が広まってからだったが、
加工前の素材の味を確かめ、色々試行錯誤したことは無駄じゃなかった。
だからこそ、あれの料理を再現、或いは上回ることは、
マリーナにとって大事な目標だった。
「へぇ…それは期待できそうだね」
マリーナの力強い瞳を見て、アルフレッドも微笑む。
アルフレッドは知っている。
マリーナは、いつも自信を持って行動しているが、
特に自信があるときは、輝くような笑顔になることを。
「まぁね、さ、早くいただきましょう。熱いうちに食べると特に美味しいわよ」
そして輝くような笑顔で、マリーナはみんなを促した。
マリーナの宿では、使用人も女将も区別無く、みんなで食事を取る。
それは、古くから子宝には1人しか恵まれない家系であるリバーサイド家で、
いつしか決まった慣わしだった。
「「「「「「「「「「「「いただきます」」」」」」」」」」」」
声を合わせて、神の恵みに感謝の意を示す。
元々は〈冒険者〉の流儀だが、いつしか身に付いた作法だ。
今ではマリーナの宿では毎回の食事のたびに言っている。
そして一斉に食べ始める。
8つに切った、欠片を取り、口に運ぶ。
「…おいしいです、これ。本当に」
使用人の1人が漏らした言葉に、使用人たちが頷いた。
熱々のチーズのまろやかさとトマトの酸味が混じりあい、
更に肉の旨みやピーマンの苦味、スライスした玉ねぎの辛味が混じり、
昔食べていたものからは考えられないほどの複雑な味わいとなる。
それは、素晴らしい料理だった。
12人前で8枚ほど用意したピザがどんどん無くなっていく。
「…うん。美味しいよ、マリーナ。これなら店にも出せると思う」
良く味わって飲み込み、アルフレッドはマリーナに笑顔で言う。
「当然。じゃ無きゃまず私がみんなに食べさせようと思わないもの」
その様子に満足げに頷くマリーナ。
「そっか。うん。そうだね」
そんな様子のマリーナを見ていると、アルフレッドも楽しくなる。
〈大災害〉が起きた直後の1ヶ月ほどの荒れてた時期を知ってるだけに、余計に。
「とはいえ、もうそろそろかな」
「そろそろ?」
唐突にマリーナが言った言葉に、アルフレッドは聞き返す。
「そ。多分だけど、もう少ししたら、うちの店の食堂も少しは落ち着くと思うわ」
「…ああ、そうだね。僕もそう思う」
確信を持って予測する、マリーナに少し考えてアルフレッドも頷く。
「そうなんですか?」
なんだか分かり合っている2人に、不思議そうにメイドの1人が尋ねる。
それに2人は同時に頷き、話し始める。
「最近、どんどん美味しい店が他にも出来てるらしいんだ」
商売柄、〈冒険者〉が何をしているかの話しは、食堂にいても聞こえてくる。
既に〈冒険者〉が、その発想を生かし、次々と新たな料理を生み出していること、
そしてその中から名店と呼べる店もポツポツと現れ始めていることを、
2人は知っていた。
「そうなれば、うちだけが儲かる、なんてことは無いわね」
設備と、才能溢れるマリーナと言うアドバンテージは少しずつ減っている。
いずれは、このマリーナの宿に比肩する料理店も現れるだろう。
「ま、そういうわけだから、もう少しだけ、
使用人を増やすのは待とうと思うわ。
…あなたたちには、少し苦労をかけることになるけど」
使用人たちにお願いをしつつ、マリーナは考えていた。
ただ、待っているだけでなく、
これから先、どうするかを考える必要があった。
この街は、異常なほどに変革が早く…
変われないものはどんどん取り残されていくのだから。
2
円卓会議が成立して、はや2ヶ月。
2人の予想通り、マリーナの宿の食堂は、ある程度落ち着いていた。
相変わらず昼時になれば食堂は満杯になるし、
夕暮れ時もかきいれ時なのは変わらないが、
例えば今時分、昼と夕暮れの間くらいの頃は、
食事と言うよりはお喋りをするために連れ立ってやってきた〈冒険者〉や
1人でゆっくりする〈冒険者〉を4~5人迎えるくらいで、
あとはゆっくりする時間が取れるくらいには静かになった。
それは大半の〈冒険者〉が規則正しい生活をしているため、
食事の時間も大体同じだからでもあるし、アキバの街中に
おいしい料理を出すライバルがたくさん出来て、
マリーナの宿の他にもたくさんの選択肢が出来たためでもあった。
そして、今日もマリーナは、使用人に頼んで買ってきてもらった
新作の料理を味わいながら、唸っていた。
「しっかしまさか、わざわざ魔法使ってまでお菓子を作るとは思わなかったわ」
〈冒険者〉の技術…妖術師の魔法や、召喚術師の召喚獣を料理に使う。
生まれてこの方魔法には縁が無かったマリーナには出てこない発想だった。
アイスクリームと呼ばれる、甘く味付けたクリームを魔法で凍らせたそれは
ひんやりと冷たく、夏真っ盛りの今時分に食べると本当に甘くておいしい。
小さなカップ1杯で金貨10枚という値段も納得の味だ。
「やっぱ〈冒険者〉を商売敵にすんのも楽じゃないわね」
〈冒険者〉が〈冒険者〉相手だけでなく〈大地人〉相手にも商売をするようになって、
更に〈大地人〉の斜め上を行く知恵と技術を駆使するようになってからと言うもの、
〈冒険者〉は本当に手ごわい商売仇になった。
ともすると恐ろしい勢いで変革、発展するこの街に置いてかれそうになる。
マリーナとてただ漫然と見ているわけではない。
新しい料理の開発には余念が無いし、〈冒険者〉の良いところは真似をすることもある。
〈冒険者〉に戦いや冒険で勝てないのは道理だが、
店の経営で負けるのは女将のプライドに関わる問題だ。
「う~ん。やっぱり儲けそのものはそんなに伸びてないのよね」
アイスクリームを食べ終えた後、帳簿を睨みながら考え込む。
売り上げは昔の倍はあるが、新しく増やした使用人の給金や、
今までは無かった支出のせいで、儲け自体は5割ほどしか伸びていない。
もちろんそれでも充分と言えば充分だが、ただ漫然と見ているのも問題だ。
そして、マリーナはいつものように考える。
「ねえ、マリーナ。実は、今日、君に贈り物があるんだ」
「贈り物?ふ~ん。ま、後でね」
途中で、アルフレッドが何か言ってくるが、考えている途中なのでサラッと流す。
「あ、あっさりしてるなあ…帳簿かい?」
にべも無いマリーナの反応に若干反応に困りながら、
アルフレッドはマリーナが見ているものに目をやる。
「そ。う~ん、やっぱ売り上げは伸びてるけど、支出も増えてんのよね~」
「支出?そうなのかい?でも食材の仕入れは余り変わってなかったと思うけど」
日常の細々した雑務は大体把握しているアルフレッドは首を傾げる。
マリーナが作る、新作の研究分は確か店の余り素材を使ってるから、
増えたとしてもほんの微々たる量のはずだった。
「ま、ね。私もこれは予想してなかったなあ。やっぱ追加で買うしかないわね」
考えて見れば当たり前なのだが、2ヶ月前までの常識から外れたからこその
変化であり、夏場に買うものじゃないので、
在庫を使い切りかけた今まで減っているのに気づかなかった。
「何が足りないの?」
そして、アルフレッドに1つ頷き返し、マリーナはその答えを言う。
「色々あるけど、やっぱぶっちぎりで足りないのはあれね。薪」
今朝方、ようやく気づいた、その答えに。
「えっ?た、たきぎ?」
カチンと。
アルフレッドの笑顔がこわばった。
だが、それに気づかず、マリーナは続けて言う。
「そ、薪。私の作る料理って基本的に火を使わなきゃ作れないから、
当然燃やすものが必要になんの。作成メニューから作ってた頃は
部屋を温めたりお湯つくるために暖炉にくべるだけだったから、
夏場なんてほとんど使わなかったんだけどね。
春先に買った分は、もう殆ど残ってないわ。あと1週間くらいで無くなるわね。
…ま、別館の備蓄使えば、1ヶ月は持つから、その間に樵に頼まないと」
別館。その言葉が出た瞬間、アルフレッドの背筋がぶるりと震えて、伸びた。
「…べ、別館って、ろ、ロイヤルスイートの?」
思わずアルフレッドは聞き返した。震える声で。
それだけで、マリーナは察した。アルフレッドの失敗を。
「…そうよ。アレのために一応置いてある奴。
最後にロイヤルスイート使われたのは2年も前だし、
1泊で金貨800枚も払ってあそこに泊まろうなんて物好きな
〈冒険者〉はまず現れないでしょ…ねぇ?」
言葉をつむぎながら、アルフレッドにまっすぐ目を向ける。確認するように。
「そ、そそそそうだね。うん」
確定。アルフレッドの様子に、マリーナは目を細め、言う。
「じゃ、薪、今のうちに取りに行こうか?」
そんなマリーナの言葉にアルフレッドは慌てて答える。
「ちょ、ちょっと待ってくれないかな?今すぐじゃなくても良いじゃないか。
そ、そうだまだ余裕も」
「…ねぇアルフ?」
マリーナは目を細めながら、一言呟いた…額には青い筋が浮いていた。
「な、なんだい?」
「私ね…誰かが悪いことをしたら容赦なく叱るタイプよ」
あえて優しく、猫なで声で。それは、嵐の前の静けさだった。
「そ、そうだね」
アルフレッドは知っていた。この自分の嫁は常識外れで…
「けどね…悪いことして、さらにそれを誤魔化そうとしたら、
本気で怒るタイプでもあるの…」
「へう…」
怒ると物凄く怖いことを。
「…で?一体なにやらかしてくれちゃったの?一応聞いてあげるわ。怒るけど」
既に予想は立っていたが、あえて確認する。
それに、水に落ちた子犬のように震えながら、アルフレッドは答えた。
「…そ、その…マリーナが喜んでくれると思って…
使っちゃったんだ。ロイヤルスイートの…薪」
「…ああもうやっぱり!?何やってくれちゃってんのアンタは!?」
爆発。店に大きな声が響き渡った。
その声に、〈冒険者〉たちもお喋りをやめ、2人の会話を黙って聞く。
「ひぅ!?…お、お義父さんからマリーナはお風呂が好きだって聞いたから…」
今は引退し、街場で暮らしている義父から聞いた話から、アルフレッドはそれを決めた。
わざわざ自腹で宿代を出し、喜んでもらおうとしたのだ。逆効果だったが。
ガタリ。
椅子がなる。
マリーナはそれに気づかず、アルフレッドを叱る。
「だからって、あんなところに1人で入って何が楽しいのよ!?
あそこ50人は余裕で入れるのよ!?」
マリーナはそのときのことを思い出し、険しい顔をする。
2年前、ロイヤルスイートを利用した客と言うのが、他ならぬマリーナ自身であった。
結婚して女将を継ぐ直前、先代がマリーナにこう言ったのだ。
「この店の女将たるもの、一生に一度はこの店の最高のもてなしを体験せねばならない」
と。
そして、まる3日、マリーナはロイヤルスイートで母を含めた
10人の使用人にかしずかれ、下にも置かぬ待遇を受けた。
あらゆることが自分ではなく使用人の手で行われるのだ。
食事、入浴、着替え…果てはトイレまで。
物心付いた頃から自分のことどころか客のことまで自分でやらされていた
マリーナにとって、それはある意味トラウマものの体験だった。
それを思い出して背筋をふるわせていたせいでマリーナは、気づいていなかった。
〈冒険者〉の目の色が変わっていることに。
「…ったく、沸かしちゃったものは仕方がないわね。
冷めてももったいないだけだし使用人のみんなにも…」
さっさとおぞましい思い出を振り払おうとマリーナは気を取り直し、
これからを考えた、そのときだった。
ガタガタガタッ!
〈冒険者〉が一斉に立ち上がり、カウンターのマリーナに詰め寄る。
「なっ…!?」
突然のことに面くらい、マリーナは動きを止める。
最初に口を開いたのは、肩口で切りそろえられた金髪と碧眼の娘だった。
「あ、あのう!」
「はい?」
大きな声で話しかけられ、マリーナは思わず下がりつつ、返事を返す。
「…私、借ります。ロイヤルスイート」
「は?」
いきなり降って湧いた、ロイヤルスイートの借主…
調度品からサービスから最高級過ぎて通常の部屋の
実に160倍以上もの値段となり、マリーナの宿では
一種の冗談として扱われている部屋を借りると言う〈冒険者〉に、
思わずマリーナは首を傾げた。
幾ら〈冒険者〉が金持ちと言っても、たった1泊で金貨800枚だ。
おいそれと出せる額ではない。
…そのはずなのだが。
「あ、ずるい!?私も、私も!この際相部屋でもいいから!」
「ちょっと、抜け駆け禁止!」
「しまったあ!?財布の中に300枚分しか入ってない!?
い、今すぐ銀行行くからちょっと待ってて!」
「え?なにごと?」
我先にロイヤルスイートを取ろうと詰め寄る〈冒険者〉に若干引きながら、
マリーナは思わず呟く。
「だから、使わせてください。っていうか入らせてください。
あと、友達呼んでもいいですか?」
「え?そりゃ、泊まるならその間はお客さんの好きにしていいけど…」
思わずマリーナがそう答えた瞬間。
きゃあああ!っと、悲鳴のような歓声が上がった。
〈冒険者〉の異常なほどの興奮の意味は、その時点ではまったく理解できなかった。
3
「いやあ、人生何が幸いするか分からないもんだね」
ほっと安堵しながら言うアルフレッド。
「うるさい黙れ」
それをマリーナは一言で切って捨てた。
マリーナの宿の別館はいまや女の園と化していた。
マリーナの宿が所有する川べりに建てられたそれは、
普段は貴族用の特別室兼物置として使われている。
そしてそこに、それはあった。
「はう~。生き返る~」
「タライとかじゃないちゃんとしたお風呂なんて、3ヶ月ぶり…あ、涙が」
「やっぱ日本人は、お風呂よね」
「広い~!足伸ばせる~!っていうか泳げる~!」
「泳ぐなこのアホ!」
「これはやばいわ。何時間でもいられそう」
「本当に?ここが…おおおおお!?」
「…あ、メグ?そう私。今からお風呂入りにこない?
…そうよ、かな~り広い大浴場で、場所は…」
別館からは、〈冒険者〉たちの歓喜の声が大理石に反響して響いてくる。
「すみませ~ん!ルーシーさんの紹介で来たんですけど…」
「はいはい。こちらです、どうぞ」
どうやらまだまだ増えるらしい。
それに応対するマリーナの笑顔は、若干引きつっていた。
スミダ川の水をくみ上げるポンプと、それを熱するボイラー。
50年ほど前に10代目のマリーナが機工師に依頼して貴賓用として導入したのが、
ロイヤルスイートの大浴場である。
一度に50人は入れる巨大風呂は、マリーナの宿では
唯一の貴賓室の設備として作られたのだが、
〈冒険者〉相手の商売で食っているマリーナの宿では使う人間はほとんどおらず、
また沸かしきるのにいつもの年なら冬場のマリーナの宿で使う
薪1ヶ月分を3日で使い切るほどの薪が必要と言うこともあり、
普段は使われない無用のオブジェクトと化していた。そう、今までは。
「…どうすんのよ、これ」
100を越える女性〈冒険者〉の応対を何とか終えた後、
宿帳に書かれた名前に、マリーナは途方に暮れていた。
ロイヤルスイートの予約が1ヶ月先まで埋まっていた。女性〈冒険者〉の名前で。
どうやら〈冒険者〉…特に女性の〈冒険者〉にとって、
広いお風呂とは、金貨800枚以上の価値を持つものらしい。
「…どうしよう?」
血の気の引いた顔で、アルフレッドはマリーナに尋ねる。
売り上げが伸びるのは良い事だが、これからの労働を考えると、青ざめざるを得ない。
「流石にこれを毎日沸かすのは、はっきり言って今の状態じゃ無理よ。
薪は…まあ多少高くてもいいからって買えばいいけど、それを割るのはねえ。
アルフが責任を持って毎回掃除と薪割りするとして…まあ、3日で力尽きるわね」
予想通りのマリーナの言葉に倒れそうになりながら、アルフレッドは言葉を返す。
「む、無理だよ!?今日だってお風呂を沸かすのに準備含めて3日かかったのに!?」
〈冒険者〉ならいざ知らず、ただの〈大地人〉
…しかも生粋のマイハマ育ちの貧弱なぼうやことアルフレッド。
このロイヤルスイートのお風呂担当など、毎日やったら、死ぬ。
それが分かっているだけに、アルフレッドは激しく否定した。
「とはいえしっかりサービスするからお風呂はなしでって言っても
…多分通用しないわね。う~ん」
さっきのことからするにそれを言ったら下手したら暴動になりかねない。
いっそ専用の使用人雇うか。なんてなことをマリーナが考えていたときだった。
「あのう…」
最初にお風呂から上がったのだろう。
ほかほかと湯気を立てた〈冒険者〉が1人、マリーナに話しかける。
「なに?…っと、確かさっきロイヤルスイートを借りた、ルーシーさんですよね?」
流石にこの騒ぎの元凶を忘れるわけもなく、
マリーナは宿帳で見た名前を思い出し、呼ぶ。
「はい。ルーシーです。一応〈冒険者〉の召喚術師です」
そういうと〈冒険者〉…ルーシーは深々と頭を下げる。
「いや、すみませんね。こちらの恥ずかしい事情をお見せしてしまって」
〈冒険者〉らしからぬ丁寧な対応に、思わずマリーナも身をただし、挨拶を返す。
「ロイヤルスイートではうちの使用人が総出で精一杯おもてなしを
させていただきますので…」
お待ちを。と続ける前に、ルーシーは少し困った顔をしつつ、言う。
「いえ。それはいいんです…むしろされても困ります。
…それより、実は先ほどお話していた件ですけど、
私に手伝わせてもらえませんか?」
「はい?」
思わぬ申し出に、マリーナが目をぱちくりさせた。
数日後。
「しっかし…知ってたけど〈冒険者〉って常識が通用しないわね」
ボイラーの中で赤々と燃える火蜥蜴を見ながら、マリーナは呟く。
「うん…これもそうだけど…
まさか、僕らに従業員として雇われてくれるなんて、思わなかったよね」
「しかも仮にも円卓会議のギルドの1人が、ね」
そう、ルーシーは今、このマリーナの宿で特別従業員として雇われていた。
ルーシー。円卓会議の評議員ギルドの1つ〈グランデール〉に属する〈冒険者〉で、
90ものLvを持ち、火蜥蜴どころか不死鳥だって呼べる、超高位の召喚術師である。
マリーナの宿では今、ルーシーを1ヶ月、金貨3000枚で雇っていた。
最初はルーシーはもっと安い金額どころか毎日お風呂使わせてもらえるなら
タダでいいと言っていたのだが、結局マリーナが押し切った。
能力あるものをちゃんとした給金も渡さず使うのは道理に反している。
それに、3000枚と言うのも、ロイヤルスイートの大浴場を1ヶ月間、
毎日沸かした場合の薪代と労力を比べれば、大分安い。
更に料理などにも召喚術師の力を利用できることを考えれば、完全に黒字だった。
「とはいえ、ルーシーさんもなぁんか言いたいことがあるみたいなのよね」
あの、18歳だと言う少しだけ年上の〈冒険者〉は
少し優柔不断で、言いたいことを言えないところがある。
「うん。やっぱりマリーナもそう思う?なんだろうね?」
その彼女が何か言いたいことがあるのは、
人を見るのが商売である宿屋育ちの2人には分かっていた。
「わかんないけど…しばらくは待ってみるしかないんじゃない?
多分、3日くらいで切り出してくると思うから」
そしてちょうど3日後。
「あのう…」
1日の仕事を終え、片づけをしていたマリーナに、ルーシーが話しかけてくる。
「っと、ルーシーさん。どうかしましたか?」
「はい。実はご相談したいことが…少しいいですか?」
「ええ。言って見て。出来ることならお手伝いするから」
ルーシーはいわばこの宿の恩人とも言える存在だ。
大抵の願いであれば、答えてあげるのが筋だろう。
そう思い、ルーシーの答えを待つ。そして。
「実は、マリーナさんのお力をお借りしたいと思っているんです。
ホテルの運営に関して」
彼女は予想外のお願いをした。
「宿屋を?…ルーシーが?」
思わず聞き返したマリーナに、ルーシーは頷く。
「えっと、私だけってわけじゃなくて…
実は今、うちのボスがホテルを作ろうとしているんです」
4
夜。
ウィル・オー・ウィスプの灯りに照らされながら、
マリーナとアルフレッドの2人はルーシーと共にそこを訪れていた。
「ここです」
スミダの川の側。今、円卓会議がしきりに何かを実験している辺りに、
廃墟となった、アキバの街には幾らでもありそうな遺跡があった。
「はぁ…ここって、遺跡ですよね?」
「はい。実はこの遺跡って、神代の頃はホテル
…宿屋として使われていたところみたいなんです。
うちのギルドで確認に来た時に、内装さえ何とかすれば使えそうだし、
それならこれから需要も見込めるからって話になって、
グランデールのギルド資金で買ったんです」
アルフレッドの確認にルーシーは頷く。
「需要?どういうこと?」
マリーナの説明を促す。
「はい…あの、今、円卓会議で作ってる蒸気船は知ってますよね?」
「まあ、そりゃね。あれでしょ?
なんか帆が無くて、代わりに車輪がついてる、〈冒険者〉の船」
昼間、たまにスミダ川を下っているのを見かける。
変わった概観だが、やたら早い。
あの車輪で水を漕いでいるらしいのだが、どうやっているのか原理は不明の謎の船だ。
「あれ、最大で300人は乗れるんですよ。
ちょっと満員電車状態になりますけど、詰め込めば500人はいけます。
アレが出来たら、マイハマとアキバの往復は凄く楽になります。
そうなれば…」
「…客が増えるわね。それも〈大地人〉の商人が」
マリーナが考えて…言葉をつむぐ。
今ですら危険な陸路を使ってやってくる商人や
アキバの街に移り住む移民がひっきりなしなのだ。
安全な海路が確保されれば、さらに増えるだろう。
「はい。ほぼ間違いなく」
「なるほど、それで宿屋ってわけ?」
海路からの客が増えれば、当然宿屋の需要は伸びる。
もし、あの蒸気船が本格的に実用化されれば、充分考えられる話だった。
「そうなんです。うちはあまり大きいギルドじゃないし、
その割に初心者が三日月の次に多いギルドですから、
こうしてアキバの街でやることを見つけていかなきゃならないんですよ。
けど、〈大地人〉向けの宿屋と言われても、正直どうすればいいのかって
話になったとき、マリーナさんの話を聞いたんです。
それで最初は手伝ってもらうために頼みに行って
…お風呂と聞いて忘れてたんですけど」
どうやらそれで正解らしい。
「なるほどね。そういう話なら、手伝ってもいいわ。
私じゃなくて、アルフがだけど」
これなら対応できる。
そう思い、マリーナは承諾の返事を返した…
アルフレッドに話を振ることで。
「え?僕?」
アルフレッドが驚いた顔でマリーナに尋ねる。
それにマリーナは頷き返し、話をする。
「そうよ。私にはマリーナの宿の仕事があるし、
〈大地人〉目当ての宿屋商売なら私よりアルフの方が詳しいでしょ?
使用人の選定とか、おもてなしの技術とか、出入りの商人の選び方とか」
アキバの街で、女将として育てられて17年。
マリーナの感覚は一般の〈大地人〉からは大分ずれ、むしろ〈冒険者〉に近い。
それは〈冒険者〉相手ならプラスに働くが、
〈大地人〉相手にはマイナスになりかねない。
だからこそ、ごく普通の〈大地人〉の感覚を持っているアルフレッドは貴重だった。
(ママは、ここまで見越してアルフを私のお婿さんに選んだのかしら?)
ありそうだ。そう考え苦笑する。
アルフレッドは時々ドジをやらかすが、基本的にはそつなく仕事ができるし、
安請け合いはしない。
信頼できる、いいパートナーだ。結婚してよかったと思えるくらいの。
「う、うん。それは、まあできるけど」
それはつまり、彼が出来るといえば、何とかできると言うことだ。
「よし決定。今日からあなたたちにアルフを預けるわ。アルフ、いい?」
「…うん。分かった。任せてくれ」
夫婦になってはや2年。お互いの信頼関係もある程度は築けている。
だからこそマリーナはアルフレッドを信用し、送り出すことができるのだ。
5
それから2ヶ月。
〈冒険者〉の経営する、グランデールの宿『ホテルリバーサイド』は当たった。
リバーサイドの運営は、〈冒険者〉と〈大地人〉の意見の合体とでも
言うべきものだった。
1人の客に1人のメイドがつき、その日1日、
日常の雑用からアキバの街での道案内まで引き受ける。
食事は朝のみ。メイドが部屋まで運んで給仕を受ける方式と、
1階の大食堂で、自分の手で給仕し好きなだけ食べる方式
(〈冒険者〉はビュッフェと呼んでいた)の2つから選べる。
宿屋に泊まると特典として、屋台村の店の商品が少しだけ値引き保証され、
(それ以上の値引きは商人の腕の見せ所である)
別料金として1台あたり金貨20枚で、馬小屋に馬を、
地下に作った馬車置き場に馬車を預かるサービスもある。
(商人にとって荷馬車は文字通り生命線であるため、
良い商人ほど安全な預かり場所には気を使う)
…などなど。
使用人もアルフレッドがじっくりと時間をかけて選定した。
給金も相場の2割増しにしただけあってその質はかなり高く、
更にあらゆる種族のメイドを取り揃えて異種族の坩堝と化した
アキバの客筋に対応できるようにしている。
それで料金は抑えて1人あたり金貨50枚。
普通の宿よりは高いが、サービスでカバーすると言う方針である。
開店したのは1ヶ月ほど前。その頃から交易のために
船で来た船員や陸路を旅してきた商人に受けていたが、
例の調印式と共にオキュペテーが正式にアキバとマイハマを結ぶ
連絡船になると、客が倍増した。
予想外の、新たな客によって。
「父上。僕は、明日は生産ギルド街に行きたいです。
明日はそこで〈冒険者〉同士の腕試し大会があるとのことなので、見てみたいのです」
「いやよ。戦いなんてはしたない。
ねえ、お父様、それより私は〈じゅわいおくちゅーる〉に行きたいわ。
あそこには〈冒険者〉が作ったきれいな宝石やドレスがたくさんあるって聞くもの」
「ダメですよ。まだ、貴女にはちゃんとした宝石は早いわ。
それより、お義母様から〈冒険者〉の肩こりの薬と、
メイド頭から『キッチンぶぅのとんかつソース』とか言う調味料を
頼まれているから、それを買わないと」
「はっはっは。まあ、いいじゃないか。全部行けば。時間はたっぷりある。
秋の収穫も終わったし、今年はアキバで小麦が随分と高く売れたから、
しばらくは安泰だ。
それに、あと3日もすれば天秤祭が始まるんだ。
噂では2日目にはレイネシア姫もお顔を見せると言うぞ。
それまでは、ゆるりと滞在しようじゃないか」
食堂で夜の食事を終えた、華美ではないが、質の良い生地を使った服に
身を包んだ家族が、本日の予定を立てている。彼らは、マイハマの下級貴族。
小さな領地から一族が暮らせる程度の税を得て暮らしており、
暮らし向きと感覚は多少は贅沢をしながらも基本的には庶民に近い。
そんな人間が、アキバの街では普通に見られるようになっていた。
街から一歩出ればモンスターに襲われる危険があるこの世界では、
旅とは文字通りの意味で命がけだ。
商人や騎士などの旅をするものは、いつ死んでもおかしくないと言う覚悟がいるし、
その心配を減らせるほどの護衛を持つのは、領主と言えるほどの大貴族しかいない。
しかし、その事情は変わった。オキュペテーの登場によって。
蒸気船、オキュペテー。この船の主な積荷は〈冒険者〉という『人間』である。
〈冒険者〉の多くは〈ダザネッグの魔法の鞄〉を持っている。
手提げほどの大きさで、馬1頭分の荷を持ち運べる、魔法の鞄を。
そのため、下手に荷馬車を積むより魔法の鞄を持つ〈冒険者〉を
多数乗せた方が効率がいい。
そんな話し合いの結果、生産ギルド連絡会は、以下の料金を定めた。
アキバ―マイハマ間定期便。1日2往復。所要時間は片道約2時間。
運賃は、大人1人金貨100枚、12歳以下の子供1人金貨50枚
(〈冒険者〉、〈大地人〉問わず)
これが、生産ギルド連絡会も予想していなかった新たな変革の始まりだった。
オキュペテーは常にアキバとマイハマの間を移動する〈冒険者〉を多数客として乗せ、
必ず乗組員に火蜥蜴を召喚できる、高レベルの召還術師が含まれる。
その船旅の護衛の能力は、イースタル最大の領主たるコーウェン家の護衛を勤める
精鋭騎士部隊の総力すら軽々と上回ってしまう。
それを裏付けるようにオキュペテーの上で死んだ人間はただの1人もいない。
1度など、急な病で普通ならば間違いなく死んでいた老商人を、
たまたま乗っていた〈冒険者〉が強力な治療魔法で助けたことすらある。
その事実は、アキバとマイハマを行き来する商人たちから、瞬く間に広まった。
庶民でも何とか手が届くほどの料金と、それに見合わぬほど早く、安全な移動手段。
これがマイハマの、旅をするほどの余裕はない下級貴族や裕福な一般庶民に
『観光』と言う新たな楽しみを与えた。
アキバの街は、〈冒険者〉の街。
彼らが作った娯楽は多岐に渡り、見て回るだけで1週間は楽しく過ごせる。
1回の費用は一家族だと金貨で数千枚からともすると万単位に及ぶが、
これはそこそこ裕福な民や下級貴族なら蓄えを取り崩せば何とか出せる額でもある。
そんなわけで正式に国交を結んだ調印式以降、彼らのような観光客は増える一方だった。
そして、そんな彼らの宿として人気になったのが、船着場に近く、
そこそこサービスが良く、そしてサービスの割には安いと言う
ホテルリバーサイドである。
自前で馬車団や船を立ててやってくる大貴族には1人しか
宿の使用人のつかぬ宿など論外だが、
(ちなみにそういう大貴族用の宿はアキバにもできたが、
1人当たり1泊で金貨300枚は取る)
庶民や、それに近い暮らしをしている下級貴族ならば充分に許容できる宿だったのだ。
「しっかし、この街も、本当に変わったわねー」
そんな会話をしている家族を横目で見ながら、
何度目になるかも分からないくらい、認識を改める。
この街は、日々変化している。それを肌で感じる。
ただ。
「ルーシー、まぁた何か悩んでいるみたいなのよね」
ルーシーはマリーナの宿を手伝う傍ら、
リバーサイドでも様々な仕事に借り出されている。
それ事態は楽しそうなのだが、時々、
ふと気がついたようになにやら悩んでいるらしいのが見える。
「う~ん。相談に乗ってあげた方がいいわよね」
ルーシーは遠慮がちなところがあって、自分から弱音を吐くことがない。
気がついたら、こちらから対処する。
それが2ヶ月で学んだ、ルーシーとの正しい付き合い方だ。
6
色々考えて、直球で行った。
仕事が終わった後、「何か、悩んでいることがあるの?」と聞いたのだ。
どうやらそれは当たりらしく、ルーシーは外に出て2人きりになると、
話をきりだした。
「あの、マリーナさんは…その、嫌になったことはありませんか?」
ボソボソと…ルーシーは話し出す。
「なにが?」
「その…全部決まってることが」
「決まってること?」
「だって、そうじゃないですか。
生まれたときから宿屋を継ぐのが決まってて、名前もマリーナで。
アルフレッドさん…結婚相手もマリーナさんのお母様が決めたんですよね?
それって、悲しくないですか?自分では何も決められないなんて」
「う~ん?…とりあえず、ルーシー自身の話を聞かせてくれる?
じゃないと何言っていいのかわかんないから」
今ひとつ何が言いたいのかつかめない。
この状態じゃ何言っても伝わると思えない。
そう考え、マリーナはまず話を聞くことにした。
「…聞いてくれますか?」
「ま、何が出来るかはわからないけどね」
「あの…私も旅館…宿屋の1人娘だったんです。
それで、子供の頃から女将になるのが決まってて、
許婚とかはさすがにいなかたけど、
お父さんもお母さんもそれを期待してて。
でも、私はそれが嫌で。
未来の先までずっと決まってるのが、凄く息苦しくて…」
「〈冒険者〉になったと?」
宿屋の娘から〈冒険者〉。
また随分とぶっ飛んだ話だと思ったが、黙っている。
宿屋で漏れ聞こえる話で、そういう話は聞いたことがある。
〈冒険者〉は、実はもう1つ〈冒険者〉以外の何かをやっていて、
もとの住処ではそちらをやっている。
与太話だと思っていたが、あながち間違いでもないらしい。
ルーシーは頷き、話を続ける。
「…はい。なんていうか、ここだけが息抜きだったんです。
だから、〈大災害〉が起きたとき、凄く怖かったけど、少し、嬉しかったんです。
ああ、もう女将にならなくていい。好きに生きれるんだって…
でも、こっちでホテルやマリーナさんの仕事をお手伝いしてたら、
本当にそれで良かったのかって考えてしまうようになって…」
言葉が小さくなっていく。
どうやら、コレが悩みのようだ。
「…う~ん。とりあえず私が言えることは…あなた、宿屋が嫌いじゃないわよね」
マリーナは情報を吟味し、ルーシーに聞く。
「え?ええ…」
困惑しながら、ルーシーは頷く。
嫌ならマリーナの宿を手伝うこともないし、
リバーサイドの仕事だってやりたいとは言わなかった。
「私は、宿屋の仕事って好きよ。
人の顔見て、もてなすこの仕事。きついなんてもんじゃないけどね。
子供の頃は、女将としてママから滅茶苦茶鍛えられたし。
遊ぶ暇も無いくらい、みっちりと。
けどね、それは女将になるのが決まってるから、ってわけじゃない」
少しだけ、思いをはせる。
もう、霞みかけている、昔のことを。
「違うんですか?」
「リバーサイド家に伝わる家訓にはね、こんな言葉があるの。
“歴代のマリーナで最高なのは、いつだって『先代のマリーナ』だ”ってね。
それは私も同感。未だにママを越えたなんて口が裂けても言えないし」
厳しい人だった。優しい人だった。
そして…誰よりも尊敬できる人だった。
その人の背中を見て育った幼いマリーナは、誰よりも彼女に憧れた。
「でも、それでマリーナさんは…いいんですか?
押し付けられて、苦しくないんですか?」
「いいも何も…最高じゃない」
断言する。
苦しくなかったとは言わない。けれど。
「最高?」
「ママはね、私を愛してくれた。
だからこそ自分が持ってる全てを私に叩き込んでくれたの」
もっと楽な道など、幾らでもあった。自分を育てるより、ずっと。
そして、口さがないアキバの大人から聞いて知っている。
13代目も迷いながら、その道を選んだこと。
「すべて…ですか?」
「そうよ。私が持ってる女将としての技は全部、ママから教わったわ。
本当に感謝してる。忌み子の私を、立派なマリーナに育ててくれたもの」
生まれた頃から、マリーナは特別製の舌を持っていた。
それが、始まりだった。
「忌み子?」
「ああ、私ね、舌が特別製なのよ。ほら」
そう言うとマリーナはルーシーに対して舌を出して見せる。
密かなコンプレックス。この舌が無ければ、今の自分も無かったかも知れない。
そう考えている、自慢の特別製の舌だ。
血色の良い、ピンクの舌。そこには…
「…え?…蜘蛛?」
中央には真っ青な丸い痣とそれを囲むように放射線上に走る、青い線。
それがまるで蜘蛛のようにマリーナの舌を這っていて。
「もしかして…」
一瞬面喰らうが、この世界のことを思い出したルーシーが、それに気づく。
他の種族と違い、パッと見では分からないが故に、忘れられがちな設定
「14代目の私が初めてらしいのよね。ハーフアルヴのマリーナって」
酷くあっさりと、マリーナは自らの種族を口にした。
「で、でもハーフアルヴって、たまにですけど、人間同士から普通に生まれるって…」
「〈冒険者〉だとそうでもないんだろうけど、〈大地人〉だとね、
ハーフアルヴってあまり好かれないの」
忌み子。そんな呼び方が広まるくらいには。
「え、もしかして…差別とかですか?」
「そ。古い時代の、世界から光を奪った忌まわしき血族たるアルヴの先祖帰りとか、
魔に通ずる、善の種族に混ざりこんだ悪とか色々言われててね。
何かとんでもないことが起こる前兆なんてのも…あ、それは当たりか」
苦笑する。今、こうしてルーシーと話しこんでいるのが、
とんでもないことの結果だったことを思い出して。
「ま、それはともかく、私がハーフアルヴだったから、
パパの家とか、おじいちゃんの家の人から言われてたらしいのよね。
まだ若いんだから私にはマリーナの名前を与えないで次の子を作れとか、
マリーナはどこか別から連れてきた方がいいとか、色々。
分からないではないわ、自分で言うのもなんだけど、
どうでもいい言い伝えは置いといてもハーフアルヴって生まれつき病弱で、
ちゃんと育たないことが多いのは事実だし。
けれど、ママとパパは全部押し切ったわ。
私にマリーナの名前をつけて、病弱だった私を本当に愛して鍛えてくれた」
「愛…なんですか?押し付けることが」
どうやらルーシーは、厳しい女将修行が嫌になってしまったらしい。
それに気づき、どこか安堵する。
3年位前、あんなに苦労して女将の技を身に着けたのにアキバで婿が見つからず、
マイハマからアルフレッドを婿に取ると聞いた時に、
自分も同じことを考えたことが少しだけあったから。
「そうよ。だってそうでしょう?ママの技術って、
自分が生涯賭けて築き上げてきた、いわば自分の塊よ?
それを惜しげもなく与えるなんて、愛してくれてなきゃ出来ないわ。それに…」
女将になった今なら言える。
この自分こそ、先代、13代目マリーナが生きた何よりの証。
13代目の持っていたものは全部受け継いだ。
「それに?」
「私が継いだのは、ママの…マリーナの過去だけ。残りの今と未来は私が作るわ」
後はそれを磨き、付け加える。
それが私の…14代目マリーナの使命だ。
「今と、未来…」
「そう。私は、マリーナの宿200年分を継いだ。
けれど、それをどう使うかは私が決める。
マリーナの宿は、永遠に未完成だから、そうしなきゃならないんだって、
私は教わったわ」
「未完成…ですか?」
「そ。絶対に完成はしないの。完成したら…もう変われないから。
だからこそ、常に最高は先代のマリーナ。
今のマリーナは先代を越えるために精進して…
次代のマリーナの、大きな壁になる」
それは、アキバの街に娘1人連れて移り住み、
宿屋を始めた初代から連綿と受け継がれた、意思。
「壁…」
「そうよ。だから何かを為さなきゃならないのよ。
自分はこのマリーナの宿を、さらにいいものにしたって言える何かを。
それを任されたの。初代から、2代目から…13代目の、ママから」
より良くしようとする意思を忘れた宿屋など、マリーナの宿ではない。
そう思うからこそそれを彼女達は実践してきた、自分なりに悩み、考えて。
200年以上前からその、ずっと未来まで。
「任された…」
「そうよ。具体的に、何をするかはまだ決めてない。
けれど、私が誰よりも愛し続けているマリーナの宿を、もっとよくしたい。
それだけは、確か。それさえあれば、何とかなるわ。
マリーナが作る、マリーナの宿は、永遠に未完成なんだから」
それは、〈大災害〉が起ころうと何しようと変わらない。
その程度でどうにかなるほど、マリーナの宿はやわじゃない。
「ま、一応私からはこれくらいね。むしろ私が聞いてもらう立場になったわね」
思えば随分と語った気がして、少し恥ずかしい。
だが、コレで多分ルーシーには伝わるはずだ。
女将仲間の彼女ならば。
「…その、私にもできるでしょうか?」
どうやら思った通りらしい。
ルーシーは、悩みを吹っ切った顔をしていた。
「さあ?それは私じゃなくてルーシーが決めることでしょ?」
後は自力でなんとかするだろう。
それくらいの強さは持っている人だ。
そう判断し、マリーナはあえて突き放す。
「…ふふ、そうですね。考えて見たら、私も、結構好きなんですよね。
人をもてなす宿屋の仕事も、うちの旅館も。
だから帰れたら…やってみようと思います。
私なりにつくっていくんです。未完成の…これから良くなっていく旅館を」
どうやらマリーナの考えは間違ってなかったらしい。
ルーシーは、良い顔をしていた。
「…そ。まあ、頑張れば、いいんじゃない?」
もう、ルーシーは悩まないだろう。
きっと彼女自身の宿を作っていくはずだ。
「ふふっ、そうですね…これから先は私が作るか、そっか…」
かみ締めて、微笑むルーシーに、マリーナも嬉しくなり、
その言葉を口にする。
「そうよ。ま、とりあえずこれから先のことなんて分からないけど…」
濃い、月の光の中、ルーシーの方を向き、言う。
「私の子供には、確実に言わせて見せるわ。
『歴代のマリーナの中で最高だったのは、私のママだった』って」
力強い、笑顔で。
本日はこれまで。
ちなみにオキュペテーの連絡船設定は完全に捏造です。