第27話 代筆屋のケヴィン
今回は、ちょっと変わったお仕事にスポットを当てています。
代筆。ある意味こちらの世界ならではのお仕事。
舞台はアキバ。
それでは、どうぞ。
朝。
「起きてください。朝の支度が出来てます」
この家のハウスメイドであるセラに揺すられてエルフの魔術師、
ケヴィンは目を覚ました。
「ん…ああ。おはよう」
昨日は飲みすぎた。酒がまだ残っているのか、ぼんやりする。
「しっかりしてください。今日はお仕事が詰まってるらしいですから」
そんなケヴィンに苦笑しながらセラが朗らかに言う。
「そうだったか?」
確かナナオが主に原稿を納めている『アキバクロニクル』の締め切りは5日後だった
から、まだまだ余裕があったはずだがと思いながら、ケヴィンが聞き返す。
「はい。ナナオ様がそう言ってました。
とりあえず、いつもの分の原稿は早めに上げて別の取材をすると。
あと、それとは別にシーナ様のグルメレポートの起こしを請け負って欲しいそうです。
お昼にマリーナの宿で元原稿受け取って、明後日の昼までに納めてくれと
言っていました」
「…そうか。シーナの原稿か」
その言葉で合点がいく。
シーナ…通称『巨人の胃袋を持つ男』はアキバのあちこちの店の手料理を食べては
味を評する『週刊お料理速報』に連載を持つ記者だが、字が汚い。
そのため、もっと上手い字を書く代筆屋に(汚い字の)原稿を渡して、
清書してもらうようにしている。
「確かにお料理速報の締め切りは2日後だったな…分かった。引き受けるよ」
大方、いつものように食道楽に走りすぎて、海洋機構のやってる
『印刷所』の締め切りをぶっちぎってしまったんだろう。
そんなことを考えながら承諾する。
大地人や冒険者の字が上手い代筆屋をそろえている海洋機構の印刷所は、
汚い字の原稿を綺麗に仕上げてくれるが、出来上がりまでに3日はかかる。
今からでは締め切りに間に合わないということだろう。
「やれやれ…うちがまだ余裕があるからって、気軽に引き受けて貰っても
困るんだがな…まあ、金にはなるからいいか」
ケヴィンのような、個人の代筆屋は、割と高い。
筆写師のスキルである『複製』で作るのではなく、
1文字1文字手で写すのだから当然だが。
相場は原稿1ページにつき、金貨10枚。
10ページもあればそれだけで金貨100枚。
一週間は暮らせる金になる。
「それで、今日は俺はそれだけでいいのか?」
「いえ、後はインタビューのお仕事があるみたいです。
その後の取材は付き合わなくて良いって言ってましたけど」
「まだ懲りてないのかあの人は。前に、黒剣騎士団の女剣士に
取材をしようとして魔物に殺されたこともあるというのに」
セラの言葉に頭を抱える。
あの時、ケヴィンの雇い主でもあるナナオはあっけらかんと『死んだ』と言っていた。
何でも取材対象の黒剣騎士団が向かったのがLv90以上推奨の恐ろしい魔物が
住む迷宮で、Lv60程のナナオでは手も足も出なかったらしい。
…大神殿に転移されて1時間後には気を取り直して別の取材に行っていた辺りは
流石といったところだが。
「第27話 代筆屋のケヴィン」
1
アキバの朝。
メイドのセラからコーヒーを受け取り、啜りこむ。
他は、昨日のうちに買っておいた、出来合いの黒パンとチーズ。
一応セラはそこそこ腕の良いハウスメイドであり、手料理もできるのだが、
朝はここの主人であるナナオがコーヒーしか飲まないので質素なものだ。
…もっともコーヒー事態がナインテイルやシブヤからの輸入品なので
相当に高価な品なのだが。
「うぃーす。セラ、コーヒーくれ」
そうしてもそもそと食事をしていると、ナナオが食堂に出てきて
セラにコーヒーを要求する。
「はい。分かりました」
セラが頷いてコーヒーを準備する。
砂糖もミルクも入れないのが好きというナナオの好みを知っているので、
ブラックでたっぷりと出す。
「…やっぱり朝は煙草ふかしながら濃い目のブラックに限るな」
それを飲み、愛用のパイプをくゆらせながら楽しむナナオは、
相変わらずなんとも胡散臭い気配を漂わせていた。
ナナオは冒険者が言うところの『記者』である。
アキバで毎日のように『出版』される様々な本。
それに載せる原稿を書いて売る仕事だ。
その中でもナナオはその辺の冒険者とは比べ物にならない本職だと自称している。
その自称は伊達ではなく、彼は多くの冒険者や大地人の密偵とも繋がっており、
様々な情報をかき集めている。
というより、冒険者になったのも、情報を得るためだったらしい。
―――くそっ、せっかく倉橋ゆみるゲーマー疑惑の真相を突き止めたってのに…
前にポロリとそうこぼしていた。
なんでもあの黒剣騎士団の切り込み隊長として知られる女盗剣士、
『百人斬り』ユーミルが、冒険者の盗剣士だったのが、非常に重要だったらしい。
わざわざそれを突き止めるために冒険者になって
『大災害』に巻き込まれたとも言っていた。
「おう、ケヴィン。後で原稿渡すから清書頼む。今日のインタビューの起こしもな」
そしてそんなナナオがパートナーとして、
ギルドハウスで暮らすことを許している大地人。
それがケヴィンである。
「分かりました。あと、シーナさんの原稿の分もあると聞いたんですが?」
「おう。悪いな。例によって報酬はお前さんにやるから、しっかり代筆頼むぜ」
ケヴィンはナナオに雇われている代筆屋である。
元々はツクバの出の魔術師なのだが、そこで師匠についたとき、
文書の清書を任されていた。
師匠が書いた読みづらく汚い文字を少しでも読めるようにと
工夫して写しているうちに字が上手くなった。
…書いている内容は完全に暗号化されており、結局師匠の研究を継いだ
兄弟子に追い出されたときまで、まったく読み解けなかったが。
そして、仕事を求めてなけなしの金を集めてアキバに渡り…ナナオに拾われた。
ナナオは恐ろしく字が汚なかった。
ナナオが書く、のたくった挙句に干からびたみみずのような字。
1度図書館にたむろしている普通の個人代筆屋に頼んだら断られたこともあるという。
…汚すぎて、汚い字に慣れているはずの代筆屋にも読めなかったらしい。
そんなわけで、ケヴィンはどんな汚い字も読み解け、
美しい字に清書できることからナナオに雇われている。
給金は1ヶ月に金貨300枚。
それだけだと大分安いが、それはあくまでも
『ナナオを経由しない仕事を引き受けない専属料』で、
それとは別にナナオやナナオが紹介する仕事をこなせば、
1枚につき金貨10枚が入ってくる。
1ヶ月だと給金は金貨2000枚を越えることもある。
ついでに待遇は賃金とはまた別に高待遇で、
ナナオの持つギルドハウスの1室を与えられ、
ハウスメイドのセラの世話を受けながら、ケヴィンは暮らしている。
代筆の仕事は締め切り間際は地獄だがそれ以外は割りと暇な仕事なのである。
「それじゃあ朝食終えたら記事を下さい。昼までに終えたいので」
「おうよ。あと15時からインタビューに行くからそのつもりでな」
いつも通りのやりとり。お互いなれたもので最低限の言葉で通じ合う。
「了解しましたボス」
こうしてケヴィンの1日が始まる。
2
朝食のあと、ナナオから原稿を受け取り、写し始めて2時間。
「…よし、完了」
昼前に無事終わった、綺麗に清書された文章を眺め、満足げに頷く。
「やれやれ。弟子だった頃は師匠の悪筆には随分悩まされたものだが…
世の中何が幸いするか分からないな」
何度目になるかに分からない、愚痴。
将来が見えない下級貴族の4男坊だったケヴィンは
少しでも出世したくて魔術師の弟子となった。
そこで、基本的な知識と幾つかの魔術は教えてもらった。
肝心の魔法の研究は師匠が特に可愛がっていた兄弟子にしか教えなかったので、
自分は雑用要員だったというのは分かっていた。
だからこそ、字も綺麗だった兄弟子には字が上手いだけの
弟弟子など必要ないとばかりに、追い出されたのだ。
ケヴィンは戦闘用の魔術こそ学んだが、戦いは苦手だった。
自分が魔物相手に斬ったはったする生活など、考えられなかった。
だからこそ、どんな人間にも仕事があるといわれるアキバに移り住み…
現在に至るのだ。
「…っと。行くか。マリーナの宿だったな」
嫌な記憶を振り払うように気を取り直し、出かける準備をする。
セラにナナオが帰ってきたら渡すように頼んで原稿を渡し、外に出る。
「ううっ…少し寒いな」
そろそろ冬が近い。
そんなことを感じながらマリーナの宿へ向かう。
「…すまない。シーナさんは…いたな」
お昼の喧騒に包まれるマリーナの宿で、目的の人物を見つけ席に座る。
「やは。ほんにちはけひん」
目的の人物…シーナは口いっぱいに鶏の丸焼きをほおばりながら言う。
「…全部食べてからで結構ですんで、ゆっくり食べてください…
すいません!こっち、揚げジャガイモと魚フライの盛り合わせとシチューで!」
「ふん。わはった」
ケヴィンも自分の昼を注文し、しばし食べ続ける。
ケヴィンは魚のフライと揚げジャガイモにシチュー。
一方のシーナは…鶏の丸焼きを1人で。
「ふぅ…ご馳走様でしたっと」
「相変わらず…良く食べますね、シーナさん」
先に食べ終えたケヴィンがテーブルの皿に積み上げられた鶏の骨を見ながら、言う。
「まあね。これぐらいは食べないと躰が持たないよ」
鶏の丸焼きを丸ごと食べたにも関わらず、シーナは苦しそうな様子も無い。
アキバきっての大食い美食家の異名は伊達ではなかった。
『巨人の胃袋を持つ男』シーナ。
一見するとそこそこ整った顔立ちの金髪の少年である彼は、
毎日凄まじい量の食物を納められる胃袋を持った少年である。
主に肉料理を好んでおり、甘いものは余り好きでは無かったため、
天秤祭りのケーキの大食い大会には出場しなかったが、
出場すれば3位は確実だったといわれている。
(1位と2位はある意味文字通りの意味で化物並の胃袋を持つ相手だったので
太刀打ちできたかは微妙だが)
「さて、気を取り直してお仕事の話をしようか」
鶏の油を持っていたハンカチで綺麗に拭い取ると、
シーナは鞄からどさりと原稿の束を取り出した。
「…多くありません?」
相変わらず汚い字で書かれているのはともかく、その分量にケヴィンは少し驚く。
いつものお料理速報の連載なら精々5ページと言ったところなのだが、
これはどう見ても200ページはある。
「今月の連載分は、普通に印刷所に出したよ…これは『単行本』の分さ」
「単行本?」
聞きなれぬ言葉を聞き、ケヴィンは思わず聞き返す。
「うん、何でも僕の連載は結構評判が良いらしくてね。
今度、アキバの名店100ってタイトルで本を出すことになったんだ」
そう言うシーナは少し誇らしげだ。
「本って…わざわざ食べ物の…いや、ありうるのか…」
少し考えてみて、理解する。
思えば手料理の作り方の本は、冒険者の趣味人が作ったものが何冊かある。
『最初の一冊』さえ出来てしまえばあとは筆写師が複製できるので、
同じ本が出回ることはアキバでは珍しくない。
この味にうるさい美食家が選んだ名店をまとめた本と言うのは、
それなりに需要があるのだろう。
「そういうわけでさ、急だけど、頼む。
締め切りもきついし、量も多いからお礼はいつもの倍払うよ」
「はぁ…そういうことでしたら」
確かに量は多いが、手間賃が倍なら悪くない。
「そっか。良かった。僕は暫く旅に出るから、急いでたんだ」
「旅?」
その言葉に、思わずケヴィンは怪訝そうに聞き返す。
「うん。3日後にシブヤからリュウキュウに行って…
ナインテイル味めぐりの旅に出ようと思うんだ」
そういってシーナは舌なめずりをする。
ニホン料理の本場リュウキュウと、アキバにも輸入されている
サツマの黒い豚を使った料理。
ナインテイルを彷徨うとんこつラーメンの屋台。
そして100の名店でもトップクラスに数えている四海秋葉の本店。
ナインテイルもまた、アキバとは違う名店が目白押しらしい。
それを聞き、シーナは決意した。
1ヶ月ほどかけて、ナインテイルを味わい尽くそうと。
「まあ、間に合わなかったら編集に届けといてくれればそれでいいよ。
…あ、そうなるとしばらくアキバ料理とはお別れか…
すいません女将さん、鶏の丸焼き、もう1つ下さい」
「はーい!ただいま!」
そのことに気づき、シーナは再び決意する。
この3日は、とりあえずアキバを味わい尽くそうと。
「…分かりました。では、出来上がったら持ってきます」
「うん、頼むよ…まだかなー…僕の丸焼き…」
嬉しそうにしているシーナを見ていたらなにやら胸やけがしてきたので、
ケヴィンは店を出る。
(…本当に、シーナさんは何者なんだろう?)
鶏の丸焼きを待ちわびるシーナが、本当に人間なのかと思いながら。
3
アキバにある『ペット持込OK』のとある喫茶店。
「なるほど…では、シブヤの前まではアフリカ…暗黒大陸にいたんですね」
「そうだ。吾輩は彼の地では最強の存在であったからな。実に愉快な日々であった」
「なるほど、そして…」
「うむ、下等なニンゲン種より遥かに優れた知性を持つ吾輩は好奇心を重んずる。
故に妖精の環の先を知ろうと考え、この地に来た」
「そして、今はシブヤを経て、河合にゃんこさんと
アキバで暮らしているというわけですね」
「…うむ、吾輩の手にかかれば冒険者の10や20、勝てないわけでは無かったの
だがな…その、なんだ。そう…慈悲だ。
下等な冒険者如きに『黒の破壊者』と恐れられた吾輩が本気を出すのは
些かやりすぎであろう?
だからな、奴等が吾輩に恐れをなして停戦を希望してきたので、
仕方なく受け入れてやったのだ」
「なるほどなるほど。確かにそうですね。いえね、私も冒険者なんですが、
とてもとてもウィートさんには叶いそうにありませんわ」
「であろう?なに、そう嘆くことは無い。
Lv90の吾輩より強い存在など、そう多くは無いのだからな」
相変わらず、ナナオはどうやってこんな取材相手を見つけてくるのだろう。
ケヴィンは首を傾げながら、ナナオと自称『ウィート・ザ・サマーアイズJr』の
言葉を書き連ねていく。
(ナナオは怖くないんだろうか?)
そうも思うが、ナナオは特に気にした様子は無い。
ナナオが言うには、今回のインタビュー相手であるウィートはかなり臆病で、
アキバで問題を起こすことは無いので心配いらないらしい。
取材を申し込んだときも、密かに調べてナナオがLv60程度でウィートには
逆立ちしても勝てないことが分かってから、(大分もったいつけて)
取材に応じたほどだとも。
(しかしナナオさんもよくやるな…魔物相手に取材とは)
そう、今ナナオと話をしているのは、豹のような魔獣だった。
全身真っ黒の毛皮と、長い前足。器用に動き回る長い髭。
魔獣系では神狼と並ぶ最強の一角である
Lv90のノーマルランクモンスター〈宇宙豹〉
それが、ウィート・ザ・サマーアイズJr(自称)という存在だった。
「それでは、にゃんこさんが書いた『ウィート・ザ・サマーアイズJrの冒険』も
全て事実、と。流石ですね。いやはや凄い」
「うむ。その通りだ。吾輩にとっても彼の恐るべき魔竜との戦いは困難であった。
出来栄えもまあ、ニャンコにしては上出来であろう。
あの本に描かれた吾輩は些か吾輩の威厳を損なう似姿ではあるがな」
今から2ヶ月ほど前、シブヤに転移してきたウィートは、
妖精の環を警護していた冒険者に囲まれ、捕まった。
(本人…もとい本豹は否定しているが、完全に戦うことを放棄した、
見事な降伏っぷりであったという)
アキバに連れて来られ…対話が可能であるくらいの知性を持っていることを認められ、
人を襲ったりしないという条件で、アキバに住むことが許可された。
そして現在はアキバの猫人族の冒険者、河合にゃんこと同棲している。
(断じて飼われているのではないと言うのがウィートの主張である)
そんな彼がことさらに有名になったのは、2週間前に発売された、とある本である。
題名は『ウィート・ザ・サマーアイズJrの冒険 ~対決!レッドドラゴン!~』
本職の『マンガ家』であるにゃんこが可愛らしい絵をつけた絵物語で、
ウィートがシブヤに来る前に行ってきた数々の冒険のうちの1つを描いた、らしい。
その本は『子供向けの本』と言う新しい概念と、可愛らしい絵が受けた。
マイハマなどでは貴族の子供に随分と人気で、
入荷するたびにあっという間に売り切れるほどだという。
そして、その売れ行きから一気にアキバの有名豹となったウィートの素顔に迫る、
と言うのが今回の趣旨らしい。
「いやはや、貴重なお話、ありがとうございました。
出来上がったら持っていきますんで」
「うむ。楽しみにしているぞ」
そうして話続けること2時間。
満足げなウィートに見送られながら、2人は喫茶店を出てアキバの街へと戻る。
「…あのモンスターの話、本当なんですかね?」
歩きながらふと、ケヴィンはナナオに尋ねる。
自分が書いたとは思えない、荒唐無稽なインタビューの内容を読みながら。
「まあ、半分くらいは盛っているだろうな。あれの性格からすると」
ケヴィンの問いかけに、あっけらかんとナナオが答える。
「そ、そうですよね!うん、これはありえないですよね!」
そのナナオの答えに深く納得しながら、ケヴィンは更にインタビューの原稿をめくる。
「砂だらけの場所の余りの暑さに妖精の環に飛び込んだら、
今度は真っ白な氷の上に出たとか、
朝日を背に妖精の環に飛び込んだら目の前に夕日が広がってたとか、
他にも一週間も昼が続く場所があったとか、ありえませんよね!」
ウィートが旅をしたときに見たと言う、様々な奇怪な現象。
それはケヴィンにとって信じられない話ばかりだった。
「…あ~、多分そっちは本当だと思うぞ?」
「……え?」
だからこそそれを肯定するナナオの言葉にケヴィンが思わず呆けた声を上げた。
ケヴィン、常識崩壊の瞬間であった。
4
気を取り直して、夜。
「さてと…今日は徹夜だな」
夕食を終え、いつもならさっさと寝るところだが、
シーナから任された原稿が大量にある。
流石にこれを日中だけで終わらせるのは難しいので、徹夜をすることに決める。
「セラ。『蛍の光』に行ってくる。多分朝まで戻らないと思う」
いつものことながら、徹夜仕事で『蛍の光』に行くのは、少し嬉しい。
「はい。分かりました。お気をつけて」
セラに一言告げて、お目当ての店へ。
夜の、近所迷惑にならない様、静かに開く扉を開ける。
「あら。いらっしゃい、ケヴィンさん」
そっと店に入ってくるケヴィンに声を掛けてくるのは、
店番をしているエルフの女性。
日に焼けたことが一度も無いような透き通るように白い肌と、
少し珍しいルビー色の瞳。
月の光のような蒼白い光沢を持った銀の髪。
下級ながら貴族であったケヴィンから見ても洗練された、美しい動作。
まるで月の女神の化身のようだと、ケヴィンは思う。
「こ、こんばんわ。月も綺麗で良い夜ですね…
その、マリアンヌさんほどじゃないけど…」
長年朴念仁で通してきたケヴィンの下手な世辞。
「ふふっ…ありがとう。嬉しいわ…それで、ご注文は?」
それに整いすぎた美貌からするとマイナスの…
だがそれがかえって魅力になっている八重歯を見せる、
とろける様な笑みを浮かべながら店員…
マリアンヌはさらりと世辞を流してケヴィンに注文を尋ねる。
「あ…っと、とりあえず黒葉茶をミルク入り、ポットでお願いします」
相変わらずのつれない態度を寂しく思うのと、
それがまた余計に身持ちの堅い高嶺の花を伺わせて、
好感を覚えるのが入り混じり、複雑な気持ちとなりつつも、
ケヴィンはいつも通りの注文をする。
「は~い。それじゃあ、すぐお持ちするわね」
そう言うと、マリアンヌはゆったりと優雅に店の奥へ引っ込む。
(ああ…マリアンヌさん…今日も綺麗だなあ)
その仕草に、ケヴィンはうっとりと見惚れていた。
昼間は蛍のように地味で目立たない店だが、
夜は真っ暗なアキバで輝く蛍のように目立つ店。
ケヴィンのような、徹夜仕事をする者にとっての憩いの場であり、
ケヴィンが密かに憧れる麗しい貴婦人のような美人店員、マリアンヌが勤める店。
それがアキバで24時間営業をモットーとしている喫茶店
『蛍の光』である。
「…仕事に取り掛かるか」
マリアンヌの姿が完全に見えなくなるのを確認し、ケヴィンは仕事の準備に入る。
何しろ相手は大増218ページの原稿だ。
ちょっとやそっとの気合では出来ない。
ケヴィンはいつもの席に陣取り、綺麗な白紙の束と、インク壷を取り出す。
先を尖らせた羽ペンは、5本。本気の度合いが伺える。
「黒葉茶とミルクをお持ちしました…お仕事、頑張ってね」
準備を万端終えたところ、絶妙のタイミングでお茶が出てくる。
ざっと5杯分のお茶が入ったポットと、ミルクを入れた小さい壷。
これを飲みながら仕事をすすめるのが、ケヴィンのスタイルである。
「それじゃあ、何か追加で注文があるときは、呼んでね」
「はい…その、マリアンヌさんもお仕事頑張ってください」
「ふふっ。ありがと」
そう言うと、マリアンヌは再び店番へと戻る。
この店では給仕は入店時以外殆ど話しかけない決まりになっている。
それもまた、自分のペースで静かに仕事を進めたい人間たちに人気がある理由だ。
そして、ケヴィンは早速とばかりに仕事を始める。
大量の原稿と、短い締め切り。
ある程度急ぐ必要はあるが、急いで字が汚くなっては代筆の意味がないので、慎重に。
そして店にカリカリという筆の音が響き渡り、夜が静かにふけていく…
本日はここまで。
と、言うわけで綺麗な字を書ける代筆屋のお話。
アキバではそれなりに需要があります。




