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第15話 異邦人のケイン

本日は、よそから来た人の物語です。

舞台はシブヤ。


テーマは「海外ならでは」

アメリカからやってきた2人の物語です。



俺ことケイン=グリーンヒルズは、自分が幸運な男であることを疑ったことが無い。


まず、生まれはそこそこ裕福な騎士の家。そこで片手剣と弓の扱いを身に着けた。

その本格的に身に着けた武芸は旅の間、何度と無く俺の命を救った。


俺を含めたグリーンヒルズ家の子供たちに教養を与えるために呼ばれた

家庭教師の中に、体力の限界を感じて旅をやめたバードがいたことも幸運だった。

彼が語る、様々な見聞は俺に“まだ見ぬもの”への憧れを掻き立てさせ、

彼から教わったギターと歌は路銀を得るための弾き語りを覚えさせた。


そして俺が次男であり、兄が無事に育ったこと、それもまた幸運。

いつの世も、兄が健勝な男は己が才覚で身を立てるのが慣わし。

15の成人を迎えると同時に、俺は相応の支度金を親から貰って家を出た。

俺は家に縛られず、好き勝手にあちこちを回るバードになったのだ。


ウェンの大地は恐ろしく広大で、7年以上放浪した現在でも

行ったことの無い土地が大半。

恐らく生涯を費やしても全てを見るのは難しいだろう。

しかしそれは同時に“まだ見ぬもの”がこれから幾らでも

見れるということでもある。

それもまた、幸運だ。だからこそ俺は、いつも楽しんで旅をしている。

…1人の冒険者と共に。


確かにあの〈カタストロフ〉の後、大半の冒険者は恐るべき魔物となった。

それまではごく一部の邪悪な冒険者だけがやっていた、

俺たち大地人を襲うような行為。


それをウェンの多数の冒険者が行うようになった。

大抵は食糧と奴隷としての大地人自身を求めて行われる、残酷な略奪。

ウェンの大地全体で全部で50以上あると言う『冒険者の街』の近辺では

日常的に発生しているという。

かつて、正義為すものたちの砦でであったはずの冒険者の街は、

今では邪悪なる冒険者の住まう危険地帯として、大地人に恐れられている。

もっとも、〈カタストロフ〉以降、話を聞いて近寄らないようにしている

俺には関係ない。

それに少なくとも個人単位で付き合うには、非道を嫌う善なる冒険者もいる。

そして俺の相棒は、そんな善なる冒険者の1人だ。


そう、俺は幸運なことに、冒険者の街を捨てた1人の善なる冒険者と

共に旅をしている。


名は、メル。


金髪と、時々少女と見まごう中性的な容姿の持ち主で(冒険者と明かさなければ)

俺に匹敵するくらい女にモテる。

強さも冒険者らしく超一流で、俺より5つも年下の17歳だと言うのに、

Lv90のアサシン(他の者にはアーチャーだと言っているが)だと言う、

神の如き力の持ち主だ。


武力に優れ、弓を扱わせたら右に出るものは居ないが

世間知らずの少年であるメルと、世事に長け、口も回るが、

戦いの腕前はまあその辺の騎士には負けない程度である俺。

寒々しい街になっていた腐れ林檎の近くで、

運命的にメルと出会って組んでから4ヶ月。

(きっかけが俺がメルを男と気づかずナンパしたから、と言うのが大分アレだけど)

俺達2人は互いに補いあい、良きパートナーとなった。

俺の知恵とメルの武力。

それらをあわせれば、俺達は様々なことができる。

黒髪のバード・ケインと金髪のアーチャー・メルのコンビと言えば、

ウェンの大地人の間じゃ、正義の味方として結構知られてた。

美しい女性を助けたり、魔物を倒して襲われていた淑女と恋に落ちたり、

時に街すら救って女の子の嬌声を得たりと、

歌に出てくるような英雄的な行為を成し遂げたことすらある。


…生憎と男同士の退廃に走る気は毛頭無いので、

メルが時々『そういう目』で見ていることは華麗に無視しているが。

本当に、これさえなければ完璧なんだがな。


さて、ここまで語ったとおり、俺は幸運な男だ。

それ故に、俺は信じる。


…今、この時の魂の危機すら無事に越えられるということを。


『第15話 異邦人のケイン』


1


走っていた。

月と星の僅かな明かりを頼りに、ひたすらに、走っていた。

命の、魂の危機を目前に、俺は移動速度強化の〈逃げる兎のマーチ〉を

歌いながら走り続けていた。


「ケイン!もう少しだ!頑張れ!」


俺以上の速度で俺の前を走る、メルが言う。

メルは時折立ち止まり後ろに矢を撃ちながらも息一つ切らせていない。

これでも並の大地人よりは体力はあるのだが、

どうやら既に体力の限界に近いのは俺だけらしい。


…後ろから迫り来る〈ワンダリング・レギオン〉も、まったく疲れを見せない。

もっとも、奴等に疲れなどと言う高尚なものは残っていないのだから当然だが。


ワンダリング・レギオンとは不死屍リビング・デッドと呼ばれる、

アンデッドの群れである。

かつて、邪悪な天才ネクロマンサーが創造したゾンビの変種であり、

普通のゾンビにはない生前並かそれ以上の素早さもさることながら、

それ以上に奴等が持つ“呪い”が怖い。


“感染”と称されるその呪いは、大地人にとって、死よりも恐ろしい代物だ。

不死屍に直接、或いは不死屍の持つ毒で殺された大地人は“呪い”の力により

ほんの数分で蘇ってしまうのだ…忌々しい不死屍として。


一度不死屍と化してしまえば、生前がどうだったのかなど関係ない。

生きているものを仲間にせんと襲い掛かる。

大地人を最後の1人まで不死屍化させるまで止まらず、

ひたすら仲間を増やし続ける呪いを持ったアンデッド。

老若男女、ただの農民から町の民、戦士、騎士、貴族、果ては王族…

あらゆるものが混じりあった腐臭を放つ死者の群れ。

それが彷徨える死者の群れ(ワンダリング・レギオン)なのだ。


かつて、ウェンにおいて、不死屍がここまで増殖したことは無かった。

大抵は街1つが滅んだ辺りで冒険者に依頼が出され、街ごと退治されていた。

だが、あのカタストロフ以降、冒険者はあらゆる冒険を放棄した。

冒険者に感染の呪いは聞かない、よしんば命を落としても不死屍になることは無い。

故に、冒険者でなければ、退治は難しい…それが、今のこの状況を招いた。


半年の間冒険者に退治されず放って置かれた、元は数百ほどだったと言う

不死屍は通りすがった村や町に住んでいた大地人たちを飲み込み、

今や万に迫る圧倒的な数の暴力を体現する恐るべき軍勢となった。

ここまで増えては、例え冒険者であっても熟練した

百人隊規模の軍勢で無ければ対抗不可能。

出会えば死は免れぬ脅威として冒険者すらも恐れる存在。

正直、メルが居なければ俺もとうの昔に仲間入りを果たしていただろう。


…そして、更に5分ほど走り、俺達はようやくたどり着く。

メルが昔“使った”ことがあるという、神聖な魔力を感じさせる古木に。


「ケイン!飛び込むよ!」

はぐれぬようにメルが俺の手をがっしりと握る。

あれだけ弓に熟練しておきながら、まるでフォークより重いものを知らぬ

姫君のように、滑らかで柔らかな掌。

一瞬、男だと分かっていてもドキリとする。

その思いを振り払い、俺はメルの手を握り返す。

「ああ、行こう!何処に出るかは分からないが、ここよりはマシだ!」

そう、あと数十秒で不死屍に追いつかれるこの状況より悪い場所はそうは無い。

意を決して目前に見えた、巨木の洞に飛び込む。


その瞬間、洞の中、足元に輝く魔法陣…妖精の環がひときわ大きく輝き、

俺達はこの世界のどこかへと転移した。



『Welcome to SIBUYA!』


光が収まると、目に入ったのは、文字が書かれた垂れ幕だった。

恐らくはセルデシアの各地の言葉なのであろう無数の文字の数々。

俺が読めたのはウェンの大地で使われている文字だけだったが、

正体はなんとなく分かる。大体どれも同じ意味だと。


だが、今はそれどころじゃない。

俺達の行動は、迅速だった。

妖精の環から離れ、俺とメルは弓を構えて矢を番える。

俺が浪々と〈剣速のエチュード〉と〈弓引きのマズルカ〉を歌い、備える。

そして…

「来るぞ!メル!」

妖精の環が再度輝き、奴等がやってくる!

「ああ、分かってる!」

その言葉と共にメルが番えていた矢を放ち、不死屍のどてっぱらに大穴が開く!

「聞いたことがある!一度に襲ってくる不死屍には限りがある!

 僕たちの近くにいた連中分だけ片付ければ、危機からは脱せるはずだ!」

メルが次の矢を番えている間に再びやってきた不死屍に、俺も矢を叩き込む!

流石にメルと違い一撃とはいかないが、それでもメルが矢を撃つまでの

時間稼ぎくらいはできる。

そして、それから僅か5mしか離れていない、至近距離での弓打ちはおよそ10分続き、

22体の不死屍を本来の物言わぬ骸に戻したところで、

妖精の環からは何も転送されてこなくなる。


どうやら俺たちは無事、ワンダリング・レギオン相手に生き残ることが出来たらしい。


ようやく人心地ついたところで、俺達はようやく辺りの状況を調べだした。

「それにしてもシブヤ?ここは…街か?」

俺たちが出たのは、どこかの街の遺跡の一室だった。

一瞬に思えた移動だったが、移動に随分と時間が掛かったのか、

部屋の中は上りきった太陽の光に照らされて明るい。

「ああ。しかも多分…」

メルが何かを口にしようとした、そのときだった。


「何の騒ぎですか!?」

「うん?君達は…まさかそれ、不死屍?」

女と男の声が聞こえる。どうやら騒ぎを聞きつけて、入ってきたらしい。

俺達は弾かれるようにそちらの方を見る。


そこにいたのは、メルより2つ3つ年下であろう男と

メルくらいの歳の女のカップルだった。


男の方はまず間違いなく冒険者。

銀髪と赤い目なんて大地人はまずいないし、

装備も恐ろしく強力な魔法を帯びているのを感じる。

左右の腰に対となる剣を下げていると言うことは、スワッシュバックラーだろうか?

メルがじっとそいつを見ている。アイツの好みに触れるなにかがあったのか?

確かに男としてはそこそこ整った、可愛らしい顔立ちだ…にしてはメルの表情が硬いが。


女の方は…パッと見では分からなった。オレンジの髪と、白い肌。

そこそこ整った顔立ち。

そして…娼婦でもまず着ないであろう扇情的なレザーボンテージ。

ただでさえ短いスカートにはスリットが入って白い太ももが丸出しになっているし、

上はジャケットと胸元だけを隠すレザーで、胸と腹が丸出しだ。

腰には男と同じく剣が2本。こちらもスワッシュバックラーだろうか。


格好などから判断すると冒険者なのだが、

女の方には冒険者にありがちな油断が見えない。

俺が妙な真似をすれば即抜刀して斬りかかってくる。

そんな感じだ。とはいえここで見詰め合っていても仕方がない。


「初めまして。美しいお嬢さん。私は、ケイン=グリーンヒルと言います。

 ウェンの大地から着た、旅のバードです。

 こっちはメル。冒険者のアーチャーで、私の友人です」


確認のため、自己紹介しながら右手を突き出す。


「…シオン。シオン=タカハラです」


女…シオンの方も油断せず、変わった家名がついた名前だけ名乗り、

右手を出して握る。

…なるほど。大地人で間違いない。現役の傭兵だろう。

俺は、シオンの掌の感触からそう判断した。


手を握る。俺が知る限りでは大地人か冒険者か見分けるのに、一番有効な方法だ。

冒険者の掌には、マメもタコも出来ないし、アカギレもない。

どれだけ強靭な冒険者であろうと、貴族の姫君並に滑らかで柔らかい掌をしている。

そして、このシオンの掌は、何度も剣タコが潰れてごわごわになった堅い掌。

大地人で無ければ、ありえない掌だ。


「…メルだ。よろしく頼む」

「うん?君、声が…なるほど。僕はキリヤだ。よろしく」


向こうではメルと男…キリヤが握手をしている。

メルが緊張している…メルの男の趣味から見ると、少し幼すぎる気がするが。


「さてと…自己紹介も済んだところで、ちょっと来てくれるかな?

 お茶くらいはご馳走するし、色々そっちも聞きたいこともあるだろ?」

「一応、この外は戦闘禁止区域です。衛兵も配備されています」


その言葉に俺とメルは互いに視線を交わす。

「…やっぱりここ、プレイヤータウンだ」

「みたいだな」

どうやら俺だけでなく、メルも故郷から切り離されたようだ。

「で、どうする?」

「ああ、行こうぜ。どうやらここは、俺達がまるで知らない場所らしい。

 …キリヤさん、アンタに着いてきますよ。案内してください」

キリヤの提案を承諾する。

冒険者を簡単に信用するのは非常にリスクが高いが、どの道情報は必要だ。


「じゃ、着いてきてよ。シオンは一応さっきのこと、生産ギルドの人に報告お願い」

「分かりました。それでは」


そしてキリヤに促され、シオンと別れて俺たちはシブヤの街に出た。

部屋で確認したとおり、外は完全に昼。

そこかしこで人々が様々な話をしている。


「すまない。貿易品の売買を行いたいのだが?」

「ああ、それでしたら、ここまっすぐ行ったところに交易所があるのでそこで。

 丁度バルバトスの品物が2日前に届いたばかりですよ」


「すみません!ご注文のアキバのタオルとTシャツ、あとコーラを持ってきました!」

「おお。倉庫に入れといてくれ。明後日にはベナレスに繋がるから、

 お前の分はそれまでに鞄詰めしとけよ?」

「了解です!」


「しかし、そんなに味が違いますかね?」

「違うね。やっぱうちの菓子にはバルバトス産の黒砂糖じゃないと。

 ナインテイルの白砂糖も普通の菓子には良いんだけどね」


かなりの活気だ。会話を聞き取るに商人が多い。

どうやら商業で栄えている街らしい。

(そう言えば、メル。さっきはどうしたんだ?随分と彼にご執心だったみたいだが)

歩く道すがら、先を行く2人に聞こえないよう小声で、俺はメルに話しかける。

その問いかけに、メルはしばらく沈黙し…答えを返す。

(あのキリヤって奴…Lvが93だったんだ。冒険者の限界を越えている)

そう呟くメルの顔は、険しい。

どうやら前にメルが言っていた冒険者の限界であるLv90を越えているのが

そんなに引っかかるらしい。

俺としてはLv90も93も等しく神の領域だからそう変わらない気もするんだが。



「ここが僕らの家だ」

キリヤたちに案内され、俺たちはそこで立ち止まった。

2階建ての小さな建物。手入れが行き届いている。

「ただいま」

キリヤがドアを開けると同時に入り口の扉につけられた鈴が鳴って

俺たちの来訪を告げ、パタパタと奥から誰かが出てくる。


「ご主人様!お帰りなさい!」


出てきたのはメイド服を着た、ローティーンの少女。

恐らくはこの家のメイドなのだろう。

キリヤは苦笑しながら、言う。

「だからその呼び方はもういいって言ってるのに…まあ、いっか。

 エリー、お客さんにお茶とクッキーでも出してあげて欲しいんだけど。

 ほら、この前エリーが作ってた奴」

「はい!分かりました!」

この家の主であるキリヤの言葉に元気に頷き、エリーは奥に再び引っ込む。

「じゃ、こっちに来てよ。僕も色々聞きたいし、

 そっちも色々聞きたいこともあるんだろ?」

キリヤはそう言うと俺達を家の中へと誘う。


通されたのは、応接室だろうか?ソファーとテーブルだけが置かれた、質素な部屋だ。

どうやらこのキリヤという冒険者は、調度品に金を掛ける趣味は無いらしい。

「じゃあ、まずは…君達はどこから来たんだ?」

キリヤが俺達に尋ねてくる。


こういうとき、話すのは主に俺だ。

「私たちは、ミシガンから着ました。

 トラバースの街から徒歩で3日くらい離れた辺りです」

「ミシガン?…ああ、アメリカサーバか」

キリヤが少し考えて、答えにたどり着く。


確か“アメリカサーバ”とか“ユーエスエー”って言うのは

冒険者のスラングでウェンの大地を指す言葉だったはず。

どうやら目の前のキリヤはセルデシアの土地に詳しいらしい。

これなら上手くすれば色々な情報が集められるだろう。

「はい。アメリカサーバから着ました。このシブヤと言う街は、どの辺りなのですか?」

肯定しつつ、俺はキリヤに質問する。


シブヤと言う街に、俺は聞き覚えが無い。少なくともウェンの大地でないことは確かだ。

ちらっと見ただけだが、妖精の環を使った交易都市なんてものがあったら、

南海の楽園バルバトス位には噂になっているはずだ。

そしてキリヤが返した答えは。

「ああ、ここは日本サーバ…こっちの人だとヤマトって言うんだっけ?」

「ジャパン!?本当に!?」

キリヤの答えに思わずメルが腰を浮かせる。

どうやらメルは知っているようだ。冒険者の間では有名なのだろうか?

「うん。アキバは知ってる?」

「アキバが近いのか!?」

「ここから4エリア。馬なら数時間ってところかな?

 こっちより賑やかだよ。僕はシオンが嫌がるからシブヤに移ってきたけど」

メルが食いついてキリヤと話す。

普通冒険者なんてそうそう信用するもんじゃないんだが…

このキリヤは大分人が良いらしい。

嫌そうな顔もせずに、快く情報を提供してくれる。

変な嘘なんかが混じっていたら危険だが、ある意味において

“嘘”が商売道具の俺の見る限りでは、嘘はついていないように見える。

とにかく、ここはウェンの大地ではなく、ヤマトと言う場所らしい。

…つまりは俺がまったく知らない未知の土地だと言うことが、よく分かった。


そして更に話を続けようとしたところで。

「お待たせしました!お茶をお持ちしました!」

エリーがお盆を抱えて入ってくる。

「どうぞ、お客様!もし、お砂糖とミルクが足りなかったら言って下さいね」

そう言いつつ俺達とキリヤの前に黒い液体…多分、コーヒーが置かれる。


昔の、作成メニューから作ったものとは比べ物にならない、香ばしい香りがする。

カップを載せた皿の上に置かれた白い砂糖の塊を入れて飲んでみる…悪くない。

甘みと苦味、そして酸味。それが混ざり合った、複雑な味。

俺が知っている、僅かに睡眠耐性を上げるポーションの一種として飲む

黒い水とは比べ物にならない。


「…すごいな、これは。生まれて初めて食べたよ、こんな上質で美味しいクッキーは」

コーヒーより先に菓子に手をつけたメルが感嘆の声を上げた。

「よかったあ。お口にあいました?」

「ああ。凄いなこれ。こんなうまいものは、始めてだ」

一口食べてみて、俺もそれに同意する。このクッキーは、かなりすごい。


実際使われている食材と、作った職人が素晴らしい。

酒精を含んだ干したレーズンと甘いバターのクリーム。

バターをたっぷり使った、サクサクとした食感のクッキー。

材料と求められるリアル・クッキングの技量から考えればウェンではよほど強い

家門の冒険者か、よほどの大国の貴族でなければ口に出来ないくらい上質な菓子だ。


「前にご主人様が言っていた帝国名物のクッキーなんですよ!

 あたしも知りませんでしたけど!」

口ぶりからするにどうやら冒険者が考え出したものらしい。

なるほど、冒険者の知識を大地人が命がけで盗み出して利用するのは

カタストロフ以降の定番だが、それをこんな若い料理人が実践している辺り、

ヤマトという国では本当に冒険者と大地人が共存しているらしい。


「あ、それとこちらのお客様の分のお料理も用意しておきますね?

 シオンさんがたくさん羊のあばら肉を買ってきてくださったので」

「あ、うん。任せるよ。君たちもそれでいい?」

キリヤが俺達に確認してくる。

「よろしいんですか?…では、お言葉に甘えて」

「ありがとう。ご馳走になる」

俺たちも頷く。

どうやらこのエリーと言う料理人は、かなり腕が良い。

先ほどのクッキーの出来栄えからするに、夕食も期待できそうだ。



夜。キリヤたちのホームでリアル・フードをご馳走になり、

更には客間を一部屋用意してもらい、俺達はくつろいでいた。


「しかし、色々と驚いたな。この街には」

「ああ、大地人と冒険者が共存しているプレイヤータウンなんて、初めて見たよ」

あの後、キリヤたちから(主に俺が)聞き出した話を総合した結果分かったこと。

それはこのシブヤの街は俺とメルの常識からするとかなり異常な街だという事だった。


道すがらキリヤたちに聞いた話に寄れば、このシブヤと言う街は、

冒険者と大地人が“対等に暮らす”街だと言う。

街中やその近辺では〈天使の家〉や〈S.D.F〉とか言う冒険者の家門が

弱い冒険者や大地人を守り、幾つかのコミュニティに分かれた大地人が

それぞれに暮らしている。


キリヤ達はそのうちの一つ、ここからずっと北にある帝国の皇女が

中心になって作った、“帝国人”のコミュニティに一応属している。

何でも、このヤマトの北方、帝国の首都であるススキノは、

冒険者が無法を尽くす街になっていて、

帝国は滅亡したも同然の酷い状態になっているそうだ。

真顔で危険な街だから近づかない方が良いと釘をさされた。

…むしろそうじゃない冒険者の拠点の方がウェンでは珍しかったんだが、

そこは黙っておいた。


近隣にある、アキバほどではないが、このシブヤは交易都市らしい。

俺たちが出てきた妖精の環を使って、幾つかの街と貿易をしているのだ。

その“取引相手”は多岐に渡り、風の噂で存在だけは俺達も知っていた

“南海の楽園”バルバトスや、中央ユーレッドにある香辛料の産地ベナレス、

チョコレート(メルが驚いて聞き返してた)の原料となるカカオのあるガーナ、

高山山羊の毛を編んだ布を作っているカシミールなど、

この地域では極めて貴重な品が取れる場所を中心にアキバの品々や適正な金を払って、

交易を行う。


そしてそれらは一度、冒険者独特の魔法で戻ってきた冒険者の商人の手で

シブヤに集められ、アキバへと運ばれる。

セルデシアとアキバを結ぶ中継点貿易が成立したとき、シブヤは商売の街となった。

故にその入り口である妖精の環にはシブヤに住む腕利きの冒険者が交代で見張り、

俺たちのような“異邦人”や、迷い込むモンスターを待っているのだという。


「それで、明日はどうする?俺としては、アキバと言う街に行きたいんだが」

「ああ、僕もそれには同じ意見だ」

話はすぐにまとまった。


アキバ。それこそがこのヤマトで一番巨大な冒険者の拠点。

ヤマトの冒険者の半分がアキバに住んでおり、更にそのアキバを統治する

冒険者の自治組織『円卓会議』が冒険者と大地人の対等な関係を掲げて法を作り、

実際にそれを実行していると言う、冗談のような街。


アキバの円卓会議の権威が届く地域では、冒険者によって大地人は保護されている。

そのお陰であちこちから移民が集まり、この辺りの大地人の数は、

今も凄い勢いで増えているらしい。


おまけにそれは冒険者だけで完結しておらず、近隣の、比較的大きな大地人の勢力と

対等な通商条約を結んで盛んに交易や交流が行われているのだと言う。

1,5000人ほど冒険者がいるというアキバと同じか、それ以上の規模を持ちながら

近隣の国を全部敵に回した“腐れ林檎ロトン・アップル”こと

ビックアップルとは大違いだ。


とにかくその恩恵を受けて、アキバという街は凄い発展を遂げた。

恐らくヤマトでも1,2を争う巨大勢力。

それも武力だけではなく、金、知識、技術…あらゆるものがだ。


そのアキバには“影の支配者”とでも言うべき、1人の冒険者がいる。

円卓会議の評議員となるためだけにごく小さな家門を立ち上げたエンチャンター。

彼は俺達のような異邦人が現れると、尋ねるのだと言う。


今、この世界がどうなっているのか、知ってる限りを教えてほしいと。


その情報に支払われる対価は、最低でも金貨1,000枚…かなりの大金だ。

(恐らくは、俺達のようなよそ者がしばらくでも暮らせるように

 金を渡しておく、と言う意味もあるのだろう)


明日は、彼に会いに行く予定だ。

キリヤが既に冒険者の秘術で連絡を入れてくれている。

そしてメルの方はと言えば…

「アキバにはバンクがあるらしいんだ。僕が預けておいた金が引き出せる」

驚いたことに、メルはかなりの金持ちだったらしい。

いやまあ確かに装備はどれも凄まじく高価で強力なものを使っていたから、

分からなくは無いが。

「それに、キリヤがさっき教えてくれたんだ…」

さっき?…ああ、そう言えばキリヤがメルに何かを話していた。

アキバで開発されたポーションがどうとか言っていたような気がする。

「ケイン。明日はきっと君を驚かせるよ…もう、こんな形は、嫌なんだ」

…俺は布団を引っかぶって無理やり寝る。

布団越しでも視線を感じる。女から向けられるなら大歓迎な類の視線。


すまん、メル。

嬉しくないわけじゃないが…性別の壁は厚すぎる。



翌日。朝早くに俺達は3人に見送られ、アキバへと旅立った。

荷馬車や旅人、そして冒険者が行きかう道を馬でおよそ2時間。

アキバは本当に賑やかな街だった。

俺達は川沿いの清潔なホテルを取り、それぞれの仕事を果たしに行く。

俺は街の外れへ。そしてメルは街の中央へ。

夕刻までにそれぞれ戻ってくる約束をして、別れる。

…それが、俺が慣れ親しんだメルを見た、最後の姿だった。


昼下がり。

手にした大量の金貨を手に、俺は悠々とあちこちを見て回った後、

川沿いのホテルへの道を歩いていた。

小さな遺跡を改造した城で話をした少し目つきに険のある眼鏡を掛けた魔術師…

アキバ1の情報屋であり、影の支配者たる円卓会議11ギルドの長の1人に

俺が知る限りのウェンの大地の現状を伝え、

その報酬として俺は金貨2,500枚を手に入れた。

(通常より高いのは、放浪の旅暮らしで多くの情報を持つバードだからこそ、だ)

メルもこの街には銀行があると言っていたから、

当座は2人が暮らすには充分な資金がある。


しばらくはこの街で過ごして…また旅に出るか。

俺は好奇心を刺激してやまない、冒険者が作った黒い鋼の船を眺めながら考える。

平和なプレイヤータウンなんて冗談みたいな代物に出会った以上、

メルが着いてくるかは分からないが、旅こそ俺の本能。

やめるわけにはいかない。場合によってはお別れだ。


そんなことを考えながら、俺はホテルの部屋に戻り、絶句した。


「…おかえりなさい」


部屋に戻った俺を出迎えたのは、メルではなく、すこぶるつきの美女だった。

ゆるくウェーブの掛かった、淡い金色の髪に、スカイブルーの瞳、

血色の良いバラ色の唇、胸元はしっかりと盛り上がり、

透き通った白い肌は血色が良く、健康的な色気をかもし出している。

アキバの、冒険者風の服装…

むしゃぶりつきたくなる様な太ももを出した大胆すぎる服装を身に着け、

辺りには良い香りが漂い、俺を惑わせる。


「…すみません、美しいお嬢さん。部屋をお間違えでは?」


全てを忘れてベッドに押し倒したくなる衝動を抑えながら、

俺は目の前の美女に言った。

これだけの美女をただ逃がすのは惜しいが、如何せんいつメルが戻ってくるか

分からない状況でよろしくやる気は、流石にない。


「間違ってないわ。ここは、ケイン=グリーンヒルが泊まってる部屋でしょ?」

「…アンタ何者だ?メルに聞いたのか?それならメルはどこにいるんだ?」


状況がつかめない。

普段は俺に女遊びなどやめろと言うメルが、こんな美女を連れ込んだってのか?

疑問だらけだ。だが、その疑問は美女のたった一つの言葉で、

更なる混乱と共に砕け散った。


「メルならば、あなたの目の前にいるわ。ケイン、あなたの目の前にね」


…は?

どういうことだ?


「飲んだ人の姿を変えることができるポーション。

 そんなものがあるなんて、知らなかった。

 …こちらで、本来の姿に戻れる日が来るなんて、夢にも思わなかった」


ちょっと待ってくれ。つまり…


「お前…まさか、メル、なのか」

「そう。ケイン…私が、メルよ」


俺は驚愕しながらその答えにたどり着く。

冒険者に大地人の常識が通用しないことは知っていたが、

まさかメルが女だったとは思わなかった。


「正直、こんな日が来るとは思わなかった。

 ケインは、あの姿のままでいる限り、絶対に応えてはくれないってわかってたから」


…メルの言葉に、俺はある事実に思い当たる。

メルが俺を見る目が、時々情熱に塗れていたこと。


男同士の退廃には、決して踏み込むつもりは無い。

俺は、そっちの気はまったく無い。

…だが。


「メル…お前、俺のこと…」


答えは、情熱的なキス。

俺は思わずメルの細い腰を抱いた。

条件反射だ。こんな美女に迫られて断る方が男としてどうかしている。


メルの気性は、これ以上無いくらい知っている。

優しくて、だが女にありがちな弱いところがない、強いやつだ。

…もしもメルが女なら、俺が断る理由など、何処にも無い。

俺は抱きしめあい、唇を交し合う。

熱い感触。それは、俺達の相性がばっちりだと示していた。


…きっと俺達はこれからもうまくやっていける。

柔らかい身体に反応しながら、俺はそんな気がしていた。

本日はここまで。


ちなみに不死屍は…まんま某有名映画のアレがモチーフです。

通常のゾンビとは一線を画した超凶悪なモンスターです。

繁殖力的に考えて。

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