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婚約破棄されて10年経った令嬢は辺境の領主と結婚する

作者: 光井 雪平
掲載日:2026/08/02

「結婚か」


 私は馬車の中でひとり呟く。


 私の名前はイザベル・エスペード。四大侯爵家の一つ、エスペード侯爵家の令嬢である。今年で26歳となる。結婚適齢期はとうに過ぎている。


 結婚適齢期が過ぎた理由はただ一つ。


 私が16歳の時に起こった、王太子との婚約破棄。


 王太子と私の婚約は私が幼少期の時に決まったものだった。王家とエスペード侯爵家のつながりを強め、王家の権威を高めるための結婚。それが私に課せられた役目だった。


 だが、王家は、いや王太子は私との婚約を破棄した。同じエスペード侯爵家の令嬢である、私の妹と結婚をするために。私の妹は父に似た地味な私とは違い、母に似て華やかで可憐であった。王太子と妹が関係を深めるのにそう時間はかからなかった。


 私はそれに気づいていた。だが、何もしなかった。それは私がわかっていたからだ。私よりも妹のほうが結婚する価値があると。妹は両親のいいところをすべて持っているかのようであった。見た目もよく、頭もいいし、魔力も強い。その反面私は両親の悪いところをすべて受け継いだかのようであった。


 くすんだ茶色の髪にぱっとしない顔。頭もそれほどよくはなく、要領も妹に比べれば悪く、それに何よりも私にはほとんど魔力がない。


 貴族としてはあり得ないほどに少ない魔力量。それは侯爵家の力で誤魔化してきたこともある、魔力の多さが貴族たらしめる今の社会にとって大きなマイナスだった。


 だからこそ婚約破棄され、妹と婚約が新しく結ばれたことに何の驚きも私には感じられなかった。むしろ妹を祝福したくらいだ。だけど、私に誤算があったとすれば、魔力量のなさを社交界に明るみにされたことだろう。


 その結果、まともな婚姻は来なくなってしまった。両親はできる限りいい条件をつけて私を早々に厄介払いしようとしたが、王家がそれを封じていた。いや国王陛下の母親であるリヴィア王太后陛下が私に憐れみを持ち、個人的に封じていた。リヴィア様は私のことを気に入ってくださっていたのであった。リヴィア様は個人的に私のために良い婚姻を組もうとしたが、私の社交界での評判の悪さとご自身の立場もあり、それは難しかった。


 だから、私は今の今まで結婚することはなかった。リヴィア様は私を専属の侍女として、離宮に置いてくれていた。侍女として働くことはきちんとしていた。リヴィア様は働かなくてもいいのよ、私の話相手でいてくれれば、と言ってくれていた。それは私は嫌だった。私を救ってくれたリヴィア様のために少しでも何かしたかったのだ。


 離宮で働くものは最初私を厄介者扱いしていたが、徐々に態度を和らげてくれた。離宮では幸せに暮らせていた。何人かが結婚を機にやめていくときは、思うことがないわけではなかったが、そんなのは途中で気にならなくなってきた。幸せに暮らせていた。


 だけど、その生活はずっとは続かなかった。


 リヴィア様は先月病気で亡くなってしまった。体調が悪くなったと思ったらあっという間になくなってしまった。


 私が悲しみにくれる暇もなく、両親は私に同意を得ずに婚姻を結んだ。リヴィア様の庇護を失った瞬間に、両親はすぐに行動を起こしたのだろう。私は黙ってそれに従った。もとよりのその覚悟はとうに決めていたからだ。


「せめてお相手をきちんと教えてほしかったけれど」


 私はため息をつくようにつぶやく。


 私が結婚相手について知っている情報は少ない。名前はマークス・クレー。王国の北方の辺境の中の辺境と言われるクレー男爵家の当主。今年で20歳という私より若い人物だ。


 なぜこんな相手との結婚になったかは私にはわからない。クレー男爵家とエスペード侯爵家のつながりはエスペード侯爵家にとってはなんのプラスにもならないと私は思う。だが、この婚姻は結ばれた。私にとってはわからないことだらけだ。


 父からの突然の簡素な手紙。『結婚が決まった。だから、クレー男爵領にすぐに行け』の程度の内容しか書いていないもの。離宮のみんなはなんとかしようと行動しようとしたが、私は止めた。周りに迷惑をかけたくなかった。


 そもそも結婚に関しては覚悟を決めていた。どこかの老人の後妻になるのかもしれない。悪評だらけで金だけある人物に嫁がされるかもしれない、と様々なことを考えていた。10年もその最悪な結婚になるかもしれないのを回避できていたのだ。今更だろう。わかっていたのだから、結婚はいつかするのだと。まあ色々考えてきたが今回の結婚は私には予想もつかないことであった。


 クレー男爵家での生活は苦しいことも多いとは思う。だが、考えてきた婚姻の中では一番ましなのではないかとも私は思う。そう思うしかなかった。何もわからないのだから。クレー男爵家の情報などほとんどなかったのだから。だが、そこまで悪い噂は聞かなかったのだ。まだいいだろう。


「なるようになるわよね」


 リヴィア様の口癖「なるようになるわ」を私は思い出す。何か嫌なことやトラブルが起きても笑っていたリヴィア様の顔が思い浮かぶ。私は涙を少し浮かべてしまう。まだ気持ちの整理はあまりついていない。だけど、こんなときでもリヴィア様は笑っているだろう。そう思えば私は泣いてはいられないと思う。


 私はそっと涙をぬぐい、これからのことに想いをはせていく。


 20日間にも及ぶ馬車の道程は終わりをようやく迎えた。私は体に若干の痛みを感じながら、馬車を降りた。クレー男爵領はまだ王都が涼しくなり始めたばかりだというのに、雪がちらほらと舞っていた。

 上着をきちんと着たが、それでも寒さを少し感じた。


「お待ちしておりました、イザベル様」


 馬車から降りるとすぐに、目の前に一人の初老の男性が現れた。恰好や立ち振る舞いから家令のようであった。彼は私を屋敷へと案内した。そして、すぐに私は応接室らしきところに通された。かなり調度品は陳腐ではあり、すこしぼろくなっているが、ここでは十分なもののように見えた。


「申し訳ありませんが、少々お待ちください」


 家令らしき男性はそう言うと、その場をあわただしく去った。どうやら忙しいようだ。


 その応接室でしばらく待っていると一人の青年が入ってきた。


 無造作な紺色の髪、きちんとした服は着ているがどこか似合わないところからは見た目を取り繕っていないように見えた。顔立ちはどこにでもいそうであり、どこか親しみを持てるような雰囲気であった。


 若さがまだにじみ出ている彼こそが自分の結婚相手マークスなのだろう。


「申し訳ありません、仕事が長引き出迎えもできず」


 彼はそういうやいなや頭を下げる。私は「いえ、お気になさらないでください」と言葉をかける。社交辞令のような一言であるが、実際にそう思っていた。私なんかのために貴重な時間をもらっているのだ。


「それでも本当に申し訳ない」


 彼はもう一度謝罪の言葉を口にする。誠実な人物なのだと思う。もしくはエスペード侯爵家の機嫌を損ねないようにしているのかもしれない。だが、そこに気を回す理由はない。私はほぼ勘当同然のようなものだ。王太子との婚約破棄が決まった瞬間に。


 だが、そのことをわざわざ言う理由も起きない。私はただ一言、「ええ」とだけ返した。下手な言葉を口にすれば彼はまた謝ると思ったからだ。マークスは少しして、「失礼します」と言って目の前の椅子に座る。


「申し遅れました。マークス・クレーと申します。これからよろしくお願いいたします」

「イザベル・エスペードと申します。こちらこそよろしくお願いいたします」


 彼に合わせて挨拶を返す。笑顔を浮かべたはずだが、どこか自分でもぎこちなさを感じてしまう。まだ気持ちの整理がついていないのかもしれない。いやこの後のことに内心で恐怖を感じてしまっているのだろうか。


「いきなりで申し訳ないですが、私が忙しくて、あとその余裕がなくてですね。結婚式やその他の儀式がそのだいぶ簡易的になるのですが」


 マークスは歯切れ悪く言う。とても申し訳なさそうな雰囲気を出していた。


「お気になさらないでください。マークス様のお好きにしてください」

「お気遣いいただきありがとうございます。本当に申し訳ないです、昨日領地で問題がおきまして、その対処に追われておりまして。それがなければきちんとやるつもりだったのですが、といってもそれでもだいぶ簡易的なものでしたが」


 彼はあははと笑う。彼の言葉に嘘は感じられない。誠実に真摯に私に対応してくれる。だからこそ、よりわからない。彼との結婚が決まった理由が。エスペード侯爵家に利がないとしか思えないこの結婚が。もしかしたら、私をただすばやく厄介ばらいしたかっただけなのかもしれない。


「私のことよりマークス様のことを優先してください。私に気遣う必要はないですよ」

「いえ、そうはいきません。結婚して家族になる相手に不義理なことはできません。何かご要望があればいってくださいね、可能な限りかなえますよ。可能なことはだいぶ少ないですが」


 マークス様はまた笑う。偽りのない笑顔。偽りだらけの笑顔を見てきた私にはわかる。彼の笑顔は本物だ。きっと彼は本気で私のことを想っている。だから、私はそれを嬉しく思えばいいのだ。そうするべきだ。だけど、私の感情はそうは思えない。私の理性が感情を抑えきれていない。私の口は勝手に動く。


「私の実家、エスペード侯爵家に配慮する必要はありませんよ。私はもはや勘当されています。私に媚びを売る必要ありません」


 自分で思う以上に冷たい声に冷たい顔をしているのがわかる。そんなことをしてはいけないとわかる。だけど、そうしてしまう。

 マークス様は「媚び?」と言って小さく首をかしげる。まるでそんなこと考えていないとでもいいたげであった。その彼の態度はどこか私にとげとげしい感情を持たせる。


「エスペード侯爵家からは多少金をもらいました。そして、あなたとのことには二度と口をださないように言い含められました。何も要望もするな、と。あの態度には腹が立ったので、こっちも願い下げです。あんな家とはこっちから関係を断ちますよ。だからエスペード侯爵家への配慮などありませんよ」


 彼の言葉に嘘はない。それがわかる。私は驚く、彼は何を言っているのだとも思ってしまう。貴族らしくないとも。そこに嬉しさを感じている自分にも驚く。だけど、期待などしてはいけない。期待は私を常に裏切る。


 だってずっと期待してきたことは裏切られたのだから。


「そうですか、では亡きリヴィア様とのつながりですか。残念ですが、それに価値はありませんよ。リヴィア様個人的に私を気に入ってくださっていて、周りは迷惑にしか思ってもいませんでしたから。離宮の同僚のつながりが多少でしょうか。でもそんなのほとんど利用価値はありませんよ」

「王太后様との関連のつながりは確か貴重ですが、王家とのつながりなど分不相応ですよ。だから、私は媚びを売ろうとは思ってません。そう思われたら心外ですが、私はただあなたとよい関係を結びたいだけです」


 彼の真摯な態度は変わらない。私が嫌みたらしくいっても、彼に響いてはいなそうだ。こんな八つ当たりみたいなことはやめるべきだ。私の理性は言っている。だけど感情が追いつかない。追いついてくれない。

 きっと彼はいい人だ。彼との結婚はいいものだ。私にとって幸せなものだ。


 だけど、私の期待は裏切られる。世界は私にやさしくない。そうなってきた。


「よい関係ですか?エスペード侯爵家の血を使った子供は魔力が多いかもしれませんものね。ですが、残念ですが私の魔力はほとんどありません。そんな私の子供など大したことありませんよ」


 ひどい顔をして、ひどいことを言っている自覚がある。こんなことをするべきではない。だけど、止まらない。


「魔力の多さなど気にしていません。それにエスペード侯爵家の血などどうでもいいです。私はただ、あなたと

「では、なぜ私と結婚したのですか?!私にある価値といえば、エスペード侯爵家の血ぐらいです。それぐらいしか私には何もない。その血という価値だけで、王太子と婚約できた。その血のおかげで、リヴィア様は私を守ってくれたんです。四大侯爵家のエスペードの血しかないんです。私にはほかに何もないんです。私自身に価値なんか何もない。イザベル・エスペードには、エスペードの名しか価値がない!!!」


 彼の話を断ち切るようにしてしまう。嫌になる。こんなことができてしまう自分が。ずっと抱えてきた思いに今気づいてしまった。いや気づいてきたことだ。


 私は、私には価値がない。だから世界を裏切る。


 王太子との結婚は誇らしかった。私を認めてくれてくれた気がした。だけど、婚約破棄になった。私が無能だったから。私には価値がなかったから。


 リヴィア様との離宮の生活は幸せだった。だけど、リヴィア様が亡くなった瞬間に、その生活はすぐに消えた。王宮で働くことももしかしたらあったかもしれないのに。それはなかった。だって、私に力がなかったから。私には価値がなかったから。


 もし私に価値があるとしたら、エスペードの名だけだ。私自身に価値がない。


 マークス様は私を驚いた顔で見つめている。嫌になる。こんな自分が嫌になる。初対面の相手を困らせるだけの自分が。


「本当にそう思っているのですか?それしか価値がない、と」

「ええそうです。では逆に私にほかに何の価値があるんです!!」


 声を荒げてしまう。忙しい時間を縫って会ってくれている彼に。彼は動揺せずに、言葉を紡ぐ。


「あなたとの結婚は、私が望んだものです。あなたのことを聞いたから。あなたの王太子との婚約者時代のことを、離宮での生活のことを」


 私が何か言う前に、マークス様はそのまま話を続ける。私の今までの人生を振り返っていく。


 私がうまくいかなくても、諦めずに勉強をつづけたこと。


 何か困っている人を見つければ、私が可能な限り助けてきたこと。


 辛いことがあっても、折れることなく仕事を続けてきたこと。


 周りに何を言われても、ひたむきに自分のできることをつづけたこと。


 悪口を言われていた相手でも、困っていれば助けたこと。


 それは私自身でも忘れていた、私がやってきたことだ。私自身に価値があると根拠づけることであった。私は黙ってそれを聞いていた。遮ることをしたくなかった。


「何があっても周りに優しくできる、何事も一生懸命にできる。それがあなたの価値です。だから、私はあなたと結婚を望みました」

「そんな話噓かもしれないのに。私をよく見せる噓かもしれないのに。私の悪いところのほうが多いし」

「確かにあなたの悪いところの話のほうを多く聞きました。でも、あなたのいいところを語ってくれている人たちのほうが信用に足りると思いました。だって、みんな、あなたの話を楽しそうにしていたから」


 そして、マークス様は私の良さを伝えてくれた人の名を挙げてくれる。知らない名前もあった。だけど、ほとんど知っている名前もあった。そして、一番知っている名前があった。


「リヴィア王太后様は、あなたの良さを積極的に広めていました。周りに何を言われても、あの子はいい子だから、と」


 私はリヴィア様のやさしさを正直信用しきれなかった。しきれていなかった。でもそんなことないとわかっていたのに、それを認めたくなかった。もしそれが噓だったとき嫌だったから。


「あなたが自分を卑下する理由はわかる。でも、あなたを認めてくれる人物もいる。それをきちんと知るべきではないでしょうか?って、初対面の年下の偉そうな言葉で申し訳ないですが」


 マークス様は恥ずかしそうに言う。その言葉に嘘はない。


 私は泣いた。初対面の年下の旦那様の前で。恥も外聞もなく、今まで流せなかった涙を。マークス様はおろおろとしながらも、私を一人にしないでくれた。私は申し訳なく思いながら、それを嬉しく思っていた。しばらくして、落ち着いた私は、マークス様に謝罪の言葉を口にする。彼は逆に謝罪の言葉を口にして、しばしお互いに謝罪をし合っていた。


 それがとても面白かった。私は笑った、心の底から久々に。笑顔を見せた。今まで見せれなかった笑顔を。その時、マークス様はずっとそらしてこなかった目をそらした。私が不思議に思っていると、少しして彼はもう一度まっすぐ見据えてくれる。彼の顔は少し赤かった。


「あなたを可能な限り幸せにします。あなたの笑顔をたくさん見るために」


 彼の決意の言葉はとてもうれしかった。噓偽りのない彼の言葉。


「私もあなたを幸せにします」


 私は笑顔でそう返した。その時、リヴィア様の「よかったわね」という優しい声が聞こえた気がした・・・


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