第四章 因島の船大工
一
尾道に戻ったのは、七月の末であった。
佐世保と門司を回って五日間の旅は、寅之助の身体にも懐にも堪えた。汽車賃だけで往復六圓余り、宿代と食事を合わせると十圓近い出費である。梶原商店の日々の売上が二圓か三圓であることを思えば、三日分以上の稼ぎが旅費に消えた勘定になる。
しかし収穫がなかったわけではない。永田主計中尉から受け取った解体手続きの規定書。杉山庫吉から貰った児島の見積書。そして何より、水雷艇を自分の目で見たということ。
問題は、ここからであった。
永田は「具体的な解体計画を持ってこい」と言った。場所、業者、日程。この三つが揃わなければ交渉の土台にならない。
寅之助は翌日から、解体を引き受けてくれる業者を探し始めた。
まず当たったのは呉であった。播磨源三郎の仕事仲間であった鉄屑商や解体業者の名前を、播磨の遺品の帳簿から拾い出し、片端から手紙を書いた。返事は早いもので三日、遅いもので十日ほどで届いたが、内容はいずれも芳しくなかった。
呉の鉄屑商・松永は「水雷艇の解体は経験がなく、引き受けかねる」。造船所系の解体業者・藤原鉄工は「佐世保から呉まで曳航する費用を負担してもらえるならば検討するが、解体費用は最低でも二千圓はかかる」。別の業者は返事すら寄越さなかった。
八月に入ると、寅之助は呉に足を運んで直接交渉を試みた。辰次郎の紹介で、海軍工廠に出入りしている鉄屑商の元締めのような男に会った。六十がらみの白髪の老人で、名を蔵本といった。
「水雷艇の解体か。やれんことはないが、梶原さん、正直に聞くがの、金はあるんか」
蔵本は渋い顔で言った。
「解体費用だけで千五百はかかる。それに曳航費やら何やら。合わせて二千圓近い金が要る。——失礼じゃが、あんたは尾道の雑貨屋じゃろう。それだけの金を用意できるんかいの」
「それは——これから工面するつもりで」
「これから、か。梶原さん、気の毒じゃが、うちも商売でやっとるけえのう。解体にかかったら職人を何十日も拘束する。その間の日当は待ったなしじゃ。屑鉄の相場も今は底で、解体しても売却で元が取れるような話ではない。こちらの費用を確実に払ってもらえる当てがなけりゃ、引き受けるわけにはいかんのじゃ」
蔵本は同情はしてくれたが、仕事は断った。初対面の雑貨屋に千五百圓の仕事を任せる信用がない、というのが本音であろう。商売人として当然の判断であった。
下関と門司にも手紙を出した。門司で杉山庫吉に紹介してもらった鉄屑商にも頼んだ。しかし返事はいずれも渋かった。理由はどこも似たようなものであった。解体費用は千五百圓以上かかる。依頼者は聞いたこともない尾道の雑貨屋で、それだけの金を払える保証がない。仕事にかかった後で金が払えんと言われたら丸損になる。——要するに信用の問題であった。
八月の中旬になると、寅之助は焦り始めた。通達の到達が七月中旬だから、九十日の期限は十月の中旬である。業者が見つからなければ、計画を持って佐世保に行くこともできない。計画がなければ期限の延長交渉もできない。繋留料は一日一圓二十銭ずつ、黙って増え続けている。
八月だけで三十六圓。通達到達からの累計は百五十圓を超えたはずであった。
ある晩、帳場を閉めた後、寅之助は千代に弱音を吐いた。
「どこも引き受けてくれん。わしゃどうしたらええんかのう」
千代は帳簿から目を上げ、寅之助を見た。
「呉と下関と門司に当たったんじゃろう」
「おう」
「みんな大きいところじゃ」
「大きいところでないと、軍艦の解体はできんのじゃないか」
「そうかね。軍艦いうても、百五十二トンの小さい船じゃろう。もっと小さい造船所でも、鉄を切る道具さえあれば、できるんじゃないの」
寅之助は目を丸くした。千代の言葉には一理あった。大きな造船所を探していたが、水雷艇は軍艦としては最小の部類である。大型艦を扱う造船所でなくとも、酸素切断機とクレーンと繋船岸壁があれば、技術的には可能ではないか。
「小さい造船所いうても、鉄の船を切れるところでなきゃいかんのじゃが」
「島にはないの」
「島?」
「向島にも因島にも、造船所はあるじゃろう。因島には大きいのもあるし、小さいのもある」
因島。尾道の沖合、瀬戸内海の芸予諸島に浮かぶ島である。古くから造船が盛んで、大阪鉄工所の因島工場は大型船を建造しているが、それ以外にも小規模な造船所がいくつもある。漁船や機帆船の建造と修理を手がける町工場のような造船所が、島のあちこちに点在していた。
「因島か。——因島に心当たりがあるかいの」
「わたしにはないけど、消防団の繋がりで誰か知らんかね。因島の造船所いうたら」
消防団。寅之助は副団長を務めている尾道の消防団で、広域の連絡会議を通じて近隣の島嶼部の消防団とも付き合いがあった。そして消防団というのは、地域の商売人や職人の集まりであるから、造船所の主人が消防団に関わっていることは珍しくない。
しかし、その前に千代が動いた。
二
千代は翌日から、自分の人脈を使って動き始めた。
寅之助が呉や下関の大きな業者を当たっている間に、千代は尾道の町内で静かに情報を集めていたのである。渡船組合の世話係の奥方、向島の船具屋、尾道港に出入りする船頭たちに、さりげなく「鉄の船を切れる小さい造船所を知らんかね」と聞いて回っていた。
その網に引っかかったのが、因島の三好嘉平であった。
正確には、千代が直接三好を知っていたわけではない。尾道の消防団の広域連絡会議で因島の消防団と付き合いのある男——渡船組合の世話係で、寅之助とも旧知の船頭の吉田という男——が、因島の土生に「三好いう造船所のおやじが消防のことでようけ世話になっとる」と言い、千代はすぐにその名を書き留めた。
そしてもう一つ。千代は吉田を通じて、三好に寅之助の事情を簡潔に伝えてもらった。「尾道の梶原商店の旦那が、訳あって百五十トンほどの古い鉄の船を解体せにゃいかん羽目になっとる。因島で引き受けてもらえんじゃろうか」と。
九月の半ばに入ったある日、梶原商店に一通の手紙が届いた。差出人は「因島土生 三好嘉平」。
寅之助が帰宅すると、千代は手紙を卓袱台の上に置いて待っていた。
「因島の造船所から手紙が来とる」
「因島の?」
寅之助は手紙を取り上げた。巻紙に筆で書かれた文面は、簡潔であった。
——拝啓 貴殿ノ御事情、風ノ便リニテ聞キ及ビ候。船ヲ因島マデ曳キ来ラレ候ハバ、当方ニテ解体ヲ引キ受クル用意有之候。費用ノ件ハ直接面談ノ上御相談致シタク候。取リ急ギ御返事マデ。敬具
大正十三年九月十二日 三好嘉平
寅之助は手紙を二度読み、千代を見た。
「これは——お前が手を回したんか」
「わたしは吉田さんに話を通しただけじゃ。三好さんいう人が手紙をくれたのは、あっちの判断でしょう」
「千代」
「何ね」
「ありがとうよ」
「お礼を言うんは、話がまとまってからにしんさい」
千代はそう言って、帳場に戻った。寅之助は手紙を懐にしまい、翌朝一番の渡船で因島に向かうことを決めた。
三
因島の土生港に着いたのは、翌日の昼前であった。
尾道から因島へは、向島経由で渡船を乗り継いで二時間ほどである。向島の北岸に渡り、島を横断して南岸の小さな船着き場から因島行きの渡船に乗る。因島の土生は島の南東に位置する港町で、古くから造船と漁業で栄えてきた。
土生港に降り立つと、港の匂いが尾道とは微妙に違った。尾道は商業港の匂い——味噌や醤油や木材の匂いが混じる——だが、土生は鉄と油の匂いがした。港に面した一帯に造船所や鍛冶屋が軒を連ね、どこかで鉄を叩く音が絶えず聞こえている。
三好造船所は港の東寄りにあった。石積みの岸壁に面して、小さなクレーンが一基立っている。船台が三基並び、そのうちの一基では漁船の建造が進んでいた。竜骨から肋骨が立ち上がった骨組みの上に、職人たちが取り付いて板を当てている。奥に低い煉瓦造りの事務所兼作業場があり、その脇に資材置き場が広がっていた。
大きな造船所ではない。呉の海軍工廠はもちろん、因島の大阪鉄工所とも比較にならない規模である。しかし、整然としていた。工具は定位置に掛けられ、資材は種類ごとに仕分けされ、地面には鉄くずひとつ落ちていない。この造船所の主が几帳面な人間であることが、一目で分かった。
事務所の引き戸を開けると、中にいたのは小柄な女であった。五十を過ぎた年恰好で、日に焼けた顔に皺が刻まれている。割烹着姿で帳簿を広げており、寅之助を見上げると「どちら様で」と聞いた。
「尾道の梶原と申します。三好嘉平さんにお手紙をいただきまして」
「ああ、梶原さん。聞いとります。ちょっと待ちんさい、主人を呼んできますけえ」
女は事務所を出て、作業場の方に走っていった。三好の妻のタツであろう。
五分ほどして、タツに連れられて一人の男が現れた。
三好嘉平は、寅之助が想像していたよりも小柄な男であった。しかし、その体は小柄でありながら塊のように密度が濃かった。白髪交じりの角刈り、日焼けして赤銅色になった肌、太い首、大きな手。五十五歳というが、その腕は三十代の男のように筋張っている。寡黙な男だということは、顔を見た瞬間に分かった。口が小さく、眉が太く、目に余計な光がない。
「三好です」
「梶原寅之助です。お手紙をいただきまして、ありがとうございます」
「まあ上がりんさい」
三好は事務所の奥の小上がりに寅之助を招き入れた。タツが茶を運んできた。三好は胡座をかき、腕を組み、寅之助の顔をしばらく黙って見ていた。品定めをしているのだと寅之助は感じた。
「話は吉田から聞いとる。百五十トンの水雷艇を解体したいいうことじゃな」
「はい。正確には百五十二トンです。佐世保に繋がれとります」
「わしも軍艦の解体は初めてじゃ。ほいじゃが、船は船じゃ。鉄を切るのに軍艦も商船もない」
「引き受けてくださるんですか」
「条件による」
三好は腕組みを解き、卓袱台の上に指で何かを書くような仕草をした。
「まず、費用。うちで解体する場合、職人の日当、酸素と燃料の代金、クレーンの使用料、廃材の処理費、全部込みで千五百圓。これは譲れん」
千五百圓。呉の藤原鉄工が言った二千圓よりは安い。しかし巨額であることに変わりはなかった。寅之助は黙って頷いた。
「次に、解体で出た屑鉄と非鉄金属の売却は、わしが代行する。呉に懇意の金属問屋があるけえ、そこに卸す。売却の代金はあんたのもんじゃが、手数料として一割をわしがもらう」
「一割」
「商売じゃけえな。手間賃と思うてくれ」
「分かりました」
「三つ目。船をここまで曳いてくるのは、あんたの責任じゃ。佐世保からここまで、曳航の手配も費用もあんたが持つ」
「はい」
「四つ目。海軍への届け出やら兵器の返納やら、役所仕事はあんたがやる。わしは船を切るだけじゃ」
「はい」
条件は明快であった。三好は交渉する気がない——というよりも、これが三好の考える適正な条件であり、値切られるつもりはないという態度であった。
「三好さん、一つ聞いてもええですか」
「何じゃ」
「なんで引き受けてくださるんですか。他の業者はどこも断ったんです。見ず知らずの雑貨屋に千五百圓の仕事は任せられんと」
三好はしばらく黙っていた。それから、窓の外に目を向けた。窓の向こうには、建造中の漁船の骨組みが見えていた。
「わしは船大工じゃ。船を造るのが仕事じゃが、古い船を解体するのも仕事のうちじゃ。木の船は何十隻も解いてきた。鉄の船はまだ少ないが、やれんことはない。——それにの」
三好は寅之助に視線を戻した。
「消防の仲間が困っとるのを知って、何もせんわけにはいかんじゃろう。ただし——」
ここで三好の目が少し厳しくなった。
「助けるのと商売は別じゃ。千五百圓はまけん。まけたら、うちの職人に給金が払えん」
「まけてくれとは言いません。千五百圓、お支払いします」
言い切った後で、寅之助はその千五百圓をどうやって工面するかを考えていなかったことに気づいた。しかし、ここで値切ったり渋ったりすれば、三好の信頼を失う。それだけは避けねばならなかった。
三好は寅之助の目を見て、一つ頷いた。
「ほいじゃったら、話はまとまった。船が着いたらすぐに取りかかる。——時期はいつになる」
「十月の中旬を目指しとります。曳航の手配をこれからせにゃいかんのですが」
「分かった。うちも準備がある。日が決まったら知らせてくれ」
三好は立ち上がり、寅之助に手を差し出した。大きな、硬い手であった。握ると、指の一本一本に何十年分の仕事の跡が刻まれているのが分かった。
「三好さん」
「何じゃ」
「ありがとうございます。本当に——」
「礼は仕事が終わってから言いんさい。まだ何も始まっとらん」
三好はそう言って、作業場に戻っていった。寅之助は小上がりに一人残され、冷めかけた茶を飲んだ。手が震えていた。安堵なのか緊張なのか、自分でもよく分からなかった。
四
因島から戻った寅之助を待っていたのは、金の問題であった。
三好への解体費用が千五百圓。これに加えて、佐世保から因島までの曳航費、海軍への手続きに関する諸経費、自分の旅費を合わせると、約二千圓の資金が必要であった。
梶原商店の手持ち現金は、この時点で三百圓ほどであった。掛け売りの回収がまだ済んでいない分が百圓ほどあるが、すぐには現金にならない。差し引き千七百圓が足りない。
千七百圓。梶原商店の年間の純利益が八百から千圓である。二年分の稼ぎに近い額を、どこかから調達しなければならない。
寅之助はまず、尾道の質屋に足を運んだ。
海岸通りから一本裏に入った路地に、「丸屋」という質屋がある。寅之助とは長い付き合いで、過去にも年末の資金繰りで何度か世話になったことがあった。
「大将、また年末の繋ぎかいの」
丸屋の主人は気安い調子で言ったが、寅之助が「五百圓貸してもらいたい」と切り出すと、顔色が変わった。
「五百圓。——担保は」
「店の在庫じゃ。金物の在庫が卸値で三百圓分はある。それと、店の建物の権利書」
「建物か。——事情は何ぞあるんかいの」
寅之助は正直に事情を話した。軍艦を押し付けられたこと、解体しなければならないこと、そのための資金が要ること。丸屋の主人は目を丸くして聞いていたが、やがて渋い顔になった。
「大将、話は分かったが、軍艦の解体に金を突っ込んで、戻ってくる保証はあるんかいの」
「屑鉄を売れば、いくらかは戻る。ほいじゃが、全額は戻らん。正直に言えば赤字じゃ」
「赤字の仕事に五百圓貸せいうのは、きついのう」
「きついのは分かっとる。じゃけど、やらにゃいかんのじゃ。やらにゃ、海軍から違約金を取られて、もっとひどいことになる。五百圓貸してもらえれば、一年で返す。利息はそちらの言い値でええ」
丸屋の主人はしばらく考え込んでいたが、最後には頷いた。
「月二分の利息でええかの。五百圓で月十圓、年で百二十圓じゃ」
「高いのう」
「高いのは承知じゃが、担保が在庫と建物じゃけえの。もし返せんかったら、わしが店を取り上げにゃならん。そういう嫌な仕事をさせんでくれよ」
「させん。必ず返す」
五百圓の調達が決まった。しかし、まだ千二百圓足りない。
次に、千代が動いた。
「実家に頼んでみるわ」と千代は言った。千代の実家は尾道の醤油醸造家「三宅屋」で、裕福とまではいかないが堅実な商売をしている旧家であった。千代の父・三宅甚助は七十を過ぎた老人で、今は隠居して長男に家業を譲っているが、家の金の出し入れにはまだ目を光らせている。
千代は一人で実家を訪ねた。寅之助は「わしも一緒に行く」と言ったが、千代は「あんたが行ったら父さんが怒るだけじゃけえ、わたし一人の方がええ」と断った。
千代が実家から戻ったのは、その日の夕方であった。
「三百圓、貸してくれるそうじゃ」
「ほんまか」
「ほんまじゃ。ただし父さんが言うとった。——『あの婿殿のだらしなさは前から言うとったじゃろうが。判を押すなと何遍言うたか知れん。ほいじゃが、孫の顔を見るのに梶原の店が潰れとったんじゃ具合が悪い。これが最後じゃぞ』と」
「……すまん」
「わたしに謝っても仕方がない。父さんに返す時に頭を下げんさい」
三百圓。合わせて八百圓。まだ九百圓足りない。
兄の辰次郎にも頼んだ。これは寅之助にとって最も気の重い相談であった。
呉に行き、辰次郎の家で向かい合って座り、頭を下げた。
「兄貴、金を貸してくれ。二百圓でええ」
辰次郎はしばらく黙っていた。義姉が奥で息を殺して聞いているのが気配で分かった。
「お前の尻拭いをする義理は、本来ならない」
「……おう」
「ほいじゃが、親父が生きとったらなんと言うか。弟が困っとるのに知らん顔するような息子に育てた覚えはないと、そう言うじゃろうな」
辰次郎は立ち上がり、押入れの奥から古い菓子箱を出してきた。蓋を開けると、紙幣と貯金通帳が入っていた。辰次郎は紙幣を数え、二百圓を寅之助の前に置いた。
「一年で返せ。利息は要らん」
「兄貴——」
「その代わり、今後は判を押す前にわしに相談せえ。分かったな」
「分かった」
千圓。あと七百圓。
残りの工面に頭を悩ませていた時、思いもかけない方面から助けが来た。
因島の三好嘉平から手紙が届いた。
——追伸。屑鉄ノ売却見込額ノ一部、金弐百圓ヲ前渡シトシテ用意スル事可能ナリ。解体完了後ノ売却代金ヨリ精算スベシ。御入用ナラバ申サレタシ。
寅之助は手紙を読んで、しばらく言葉が出なかった。三好は「助けるのと商売は別じゃ」と言った。しかし、この前渡し金は、商売の範疇を少しだけはみ出している。解体が終わってみなければ屑鉄がいくらで売れるか分からないのだから、前渡しにはリスクがある。そのリスクを三好は承知で提示しているのだ。
千二百圓。残り五百圓は、解体で回収した屑鉄の売却代金で充当する計画とした。足りなければ、その時はまた考えるしかない。
千代が帳場で算盤を弾いた。
質屋(丸屋) 五百圓
千代の実家(三宅屋) 三百圓
兄・辰次郎 二百圓
三好造船所(前渡) 二百圓
計 千二百圓
手持ち現金 三百圓
合計 千五百圓
「千五百圓。解体費用と同額じゃ。曳航費と旅費と諸経費は、ここから出さにゃいかん」
「足りんのう」
「足りんが、入りが一つある。解体で出た屑鉄の売却代金じゃ。三好さんの前渡しの二百圓を差し引いても、六百圓くらいは戻る見込みでしょう」
「見込みじゃがな。確定ではない」
「確定でないのは仕方がない。確定を待っとったら何もできん」
寅之助は千代の顔を見た。千代の目は厳しかったが、その奥に腹の据わった光があった。この女がいなければ、自分はとうに潰れていたと寅之助は思った。
「千代」
「何ね」
「この借金、全部返すけえの。必ず返す」
「当たり前じゃ。返さんかったら、わたしが取り立てに行くけえね」
寅之助は笑った。千代の取り立ては海軍省よりも怖い。それは冗談ではなく、おそらく事実であった。
五
金策と並行して、寅之助はもう一つの大仕事——曳航の手配——に取りかかっていた。
佐世保から因島まで、自力で動けない船を曳いていく。距離にして約四百海里。曳船を傭船すれば一日五十圓から八十圓、四日はかかるから二百圓から三百圓。とてもではないが、千五百圓の予算には入らない。
寅之助は途方に暮れたが、千代がまた糸口を見つけてきた。
尾道の渡船組合の世話係をしている吉田が、下関に「大林廻漕店」という海運仲介業者がいることを教えてくれた。大林甚兵衛という五十男で、関門海峡を行き来する船舶の仲介を生業としている。吉田が以前、瀬戸内海の木材運搬船の手配で世話になったことがあるという。
「大林さんいうのは、融通の利く人じゃけえ。事情を話したら、何か知恵を出してくれるかもしれん」
寅之助は大林に手紙を書いた。事情を簡潔に説明し、佐世保から因島までの曳航を安く上げる方法はないかと相談した。
返事は一週間後に届いた。
——拝復。御事情拝察いたし候。さて佐世保より下関までの曳航の件につき、丁度来月末に佐世保にて曳船業務を終えて下関に帰港する曳船あり。空荷にて帰る次第なれば、道中にて貴殿の船を曳くこと可能かと存じ候。船主に掛け合いたるところ、金六拾圓にて引き受くるとの返答を得たり。正規の傭船料の半額以下なれば、御検討の程願上候。なお下関以東の航程につきては、別途手配の要あり。
六十圓。佐世保から下関まで六十圓。正規の傭船料の三分の一以下であった。空荷で帰る曳船に「ついでに」曳かせるという知恵である。寅之助は手紙を読みながら、大林甚兵衛という男の名前を胸に刻んだ。一度も会ったことのない相手だが、この手紙一通で大林の人柄は十分に伝わってきた。
下関から因島まではどうするか。これは三好に相談した。三好は即答した。
「うちの機帆船を出す。金比羅丸いうて、三十トンの船じゃが、百五十トンくらいの船なら曳ける。職長の山根を乗せて下関まで迎えに行かせる」
「費用は」
「燃料代だけでええ。二十圓もあれば足りる。——どうせ山根に水雷艇の下見をさせにゃならんけえの。ついでじゃ」
ついで。この言葉が、寅之助の窮地を何度も救った。佐世保から下関までは「空荷のついで」、下関から因島までは「下見のついで」。誰もが純然たる慈善ではなく、自分の用事の「ついで」として寅之助を助ける。その「ついで」を成り立たせるのが、人と人との繋がりであった。
九月の末、寅之助は全ての手配を整え、解体計画書を作成した。千代が清書し、村上弁護士に体裁を見てもらった。
旧水雷艇第七十二号 解体計画書
一、解体場所:広島県御調郡土生町 三好造船所
二、解体業者:三好造船所主 三好嘉平
三、解体予定期間:大正十三年十一月上旬より同年十二月末日まで
四、曳航予定:大正十三年十月中旬、佐世保発
五、曳航経路:佐世保→下関→瀬戸内海→因島土生港
六、兵器部品返納:解体に先立ち、佐世保にて海軍立会のもと取り外し返納
これを携えて、寅之助は二度目の佐世保行きに出発する準備を始めた。
十月の初め、出発の前夜、寅之助は千代と向かい合って茶を飲んでいた。
「今度は、船と一緒に帰るんじゃ」
「気をつけんさいよ。海は怖いけえ」
「分かっとる。——千代、店のことは頼むぞ」
「分かっとるわ。もう何遍も留守を守っとるんじゃけえ」
「伊三郎にもよろしう言うてくれ」
「言わんでも分かっとるでしょう。あの子はあんたより頼りになるけえ」
寅之助は苦笑した。否定はできなかった。
「千代」
「何ね」
「この騒動が終わったら、お前に何か買うてやるわい」
「いらん。その金があったら借金を返しんさい」
「……おう」
千代は茶碗を持ったまま、ふっと笑った。小さな笑いだったが、その笑いの中にあるものを、寅之助は十七年の夫婦の歳月をかけて知っていた。




