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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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あなたを生かしているのは、私

作者: 唯乃
掲載日:2026/02/06

 公爵家の地下、陽の光すら届かぬ石造りの独房が私の居場所だ。


 湿った空気と、わずかに錆びた鉄の匂い。それが私の世界のすべてだった。


「――おい、起きているか。出来損ない」


 鉄格子の向こうから、冷ややかな声が降ってくる。


 そこに立っていたのは、私の異母兄であり、この公爵家の次期当主、アルベルトだった。


 金糸のような髪に、傲慢なまでに理知的な碧眼。彼は、私が父の不貞によって生まれた「汚点」であることを、一刻たりとも忘れさせない。


「……はい、お兄様」


 私が這いつくばって答えると、彼は蔑むように鼻で笑った。


 彼が右手を軽く掲げる。その瞬間、指先に眩いばかりの魔力の光が灯った。猛烈な熱量が地下室の空気を焼く。


「見えるか?この神々しい輝きが。これが選ばれし者の力だ。出来損ない」


 彼は自慢げに魔法を発動しながら、私を嬲る。彼のいつものストレス発散方法。


 彼は私を虐げているつもりかもしれないが…





 この世界は魔法の強さが地位を決める。

 だが、完璧な嫡男として生まれたはずのアルベルトは、魔力を持たぬ「無能」だった。


 公爵家はその醜聞を隠すため、妾の子である私の魔力回路を、禁忌の秘儀によって彼に直結させたのだ。


 彼が魔法を使うたび、私の魂は削られ、彼へと注がれる。


 だが、誰も知らない。彼の感覚が私に共有されている事を。


 彼が今、私を見下して感じている「征服感」や「嫌悪感」、そして指先に感じる「魔力の熱」が、濁流となって私の中に流れ込んでくる。


「魔力も持たぬ家畜の分際で、私と同じ血が流れているとは反吐が出るな」


 彼は冷たく言い捨て、背を向けて去っていく。

 私はその背中を見送りながら、彼が去り際に感じた征服感を自分のものとして味わい、恍惚とした吐息を漏らした。



 お兄様。あなたは知らない。


 あなたが私を蔑むその言葉も、私を痛めつけるその優越感も、すべて私に共有されていることを。


 あなたは私を拒絶しているつもりでしょうけれど、あなたを動かしているのは、私の魔力。


 私たちは、誰よりも深く溶け合っているの。





 ある日、王立騎士団との合同演習が行われた。

 アルベルトは公爵家の威信をかけ、大勢の貴族や騎士たちの前でその「天才的な魔法」を披露することになっていた。


 私は地下室で、彼と繋がった感覚の糸を指先で弄んでいた。


 魔力回路を通じて、彼の緊張、高揚、そして観衆を圧倒しようとする傲慢な自尊心が伝わってくる。


(ねえ、愛しのお兄様。今日は少し、いたずらをしてもいいかしら)


 演習の最中、アルベルトが巨大な火球を形成しようとした、その瞬間。


 私は、自分の中から溢れ出す魔力の供給を、ほんの数秒だけ―意図的に、せき止めた。


「な……っ!?」


 完璧だったはずの魔力構築が崩れ、火球が霧散する。それどころか、制御を失った魔力の残滓が逆流し、彼の右腕を焼いた。


「ああああああっ!」


 戦場に、彼の無様な悲鳴が響き渡る。


 同時に、私の右腕にも、焼けるような激痛が走った。皮膚が焦げる感覚。肉が熱に焼かれる苦悶。


「あはっ……あははははっ!」


 私は地下室の床を転げ回りながら、狂ったように笑った。


 痛い。死ぬほど痛い。けれど、それ以上に、私の胸を突き上げたのは、筆舌に尽くしがたい「支配の快感」だった。


 私が指先一つ、意識一つ動かすだけで、あの完璧な「光」であるお兄様が、泥にまみれてのたうち回る。


 彼の命は、彼の栄光は、すべて私の指先ひとつに懸かっている。


 彼が感じる恐怖。絶望。「なぜ魔法が出ないのか」というパニック。


 それらすべてが、私という器に流れ込み、極上の甘味となって私を酔わせた。


「痛いわね、お兄様。でも、これで分かったでしょう? あなたを生かしているのも、殺すのも、私なのよ……」





 魔力不全の失態以来、神経をすり減らしていたアルベルトは、気晴らしのために王宮の夜会に出席していた。


 煌びやかなシャンデリアの光。着飾った貴族たちの笑い声。地下室の私には縁遠い世界だ。


 けれど、私の網膜には彼が見ている景色がそのまま映し出され、私の鼓膜には彼が聞く音楽が響いている。


(……あら?)


 彼の視線が、ある一点で止まった。


 視線の先にいたのは、エリスという名の伯爵令嬢だった。「癒やしの聖女」とも呼ばれる彼女は、青のドレスを身にまとい、穢れを知らない百合のように微笑んでいた。


 ドクン、と。

 私の胸の中で、私の心臓ではないものが、大きく跳ねた。


 彼がエリスに近づいていく。

 彼の胸中に渦巻くのは、彼女への欲情と「安らぎ」への渇望。自分の弱さを、醜さを、すべて包み込んでくれるような、清らかな光への憧れ。


「……アルベルト様。お顔色が優れないご様子ですわ」


「いや、少し公務で疲れていてね。だが、君の顔を見たら、不思議と心が軽くなったよ」


 彼はエリスの手を取り、バルコニーへと誘う。


 夜風が心地よい。二人の間に流れる空気は甘く、穏やかだった。

 彼は彼女の清らかな瞳に見つめられ、憑き物が落ちたように穏やかな表情になる。


(駄目よ、お兄様)


地下室の暗闇で、私は冷たく呟いた。


 その女は毒だ。あなたの孤高な魂を、腑抜けた安息で濁らせる、悪い毒花だ。


(あなたには、そんな温かい光は似合わない。あなたの隣に相応しいのは、同じ闇を共有する私だけ)


 アルベルトが、そっとエリスの頬に手を伸ばした。


 彼女の柔らかな肌に触れようとした、その瞬間。


 私は地下室の床に溜まった、腐った泥水を素手で握りしめた。

 冷たく、ぬるりとした、吐き気を催すような不快な感触。


 私はその「不快感」と「嫌悪感」を、回路を通じて増幅し、彼へと送り込んだ。


「――っ!?」


 アルベルトの表情が凍りついた。


 彼の指先がエリスの頬に触れた瞬間、彼が感じたのは、絹のような肌の感触ではなかった。


 まるで腐乱死体の肉に触れたような、生理的な嫌悪感が彼の全身を駆け巡ったのだ。


「ひっ、うわあああっ!」


 彼は反射的に、エリスを突き飛ばしてしまった。


 彼女は悲鳴を上げて床に倒れ込む。グラスが割れる音が響き、バルコニーに注目が集まる。


「あ……、いや、違う、私は……!」


 アルベルトは青ざめた顔で自分の手を見つめ、後ずさる。


 倒れたエリスは、信じられないものを見る目で彼を見上げ、涙を浮かべて走り去ってしまった。


 残されたのは、衆人環視の中で醜態を晒し、絶望に打ちひしがれるアルベルトの姿だけ。


 地下室で、私は満足げに微笑んだ。


「よかったわね、お兄様。悪い虫がつかなくて。……大丈夫、いつでも私が守ってあげる」


 彼が感じる自己嫌悪と絶望が、私の心を満たしていく。

 




 月日が流れるにつれ、共有されるのは感覚だけではなくなっていった。


 「思考」の境界が、薄い膜のように溶け始めたのだ。


 アルベルトは鏡を見るたび、自分の顔に違和感を抱くようになった。


 鏡の中に映る自分の瞳の奥に、見知らぬ少女の影が揺れている。


 眠りに落ちれば、彼は自分が経験したはずのない「地下室の暗闇」の夢を見る。冷たい床の感触、錆びた鉄の匂い。


「狂っている……。私の頭の中に、誰かがいる……!」


 彼は自室で頭を抱え、叫んだ。

その声は、私の喉からも同時に漏れ出す。


 もはや、どちらが本体なのか、私にも分からなくなりつつあった。


 いや、どちらでも良かった。





 ある朝、公爵家の嫡男アルベルトは、見違えるような晴れやかな顔で社交界に現れた。


 これまでの不安定さが嘘のように、その挙動は優雅で、放たれる魔力はかつてないほどに強大で安定していた。


 人々は口々に彼を称賛した。


「さすがは公爵家の麒麟児」「まさに魔法の申し子だ」と。


 彼は、いや、「彼」は、鏡の前に立ち、自分の姿をじっと見つめた。


 金色の髪、碧い瞳。完璧な貴公子の肉体。


 その唇が、ゆっくりと、歪んだ弧を描く。


 かつてのアルベルトなら、決してしなかったような。

 地下室に閉じ込められていた、薄幸の少女が浮かべていたような、湿り気を帯びた微笑。


 彼は、自分の胸に手を当てた。


 二つの魂が、一つの器の中で完全に混ざり合い、沈殿している。


 地下室には、魂の抜け殻となった少女の肉体が横たわっていることだろう。


 けれど、そんなことはどうでもよかった。


 今の私は、この完璧な肉体を手に入れ、誰に憚ることなく彼と共にある。


 鏡の中の自分を見つめながら、「彼」はうっとりと、恋する少女のように囁いた。


「――あぁ、これでお兄様と完全に一つになれた」


 その瞳の奥で、もう二度と離れることのない二つの影が、永遠に重なり合っていた。





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