ステータス強化の依頼、鍋料理で受けます。
「すみません、リーフェンとサングラを5箱ずつお願いします」
「はいよっ!」
店主は威勢良く返事をして、それぞれの野菜が入った木箱を手際よく台車へと置いてくれた。手伝いたいところだが、足手まといも程がある、とボルダンは代金の準備をすることにする。
さして時間もかからず箱を積み終えた店主に「ありがとうございます」と礼をして、代金を払えば「まいどあり!」と快活に笑った。
「結構重いけど、大丈夫か?」
「大丈夫ですよ」
心配してくれる店主にそう言ってから取っ手を持って押す……が、いつもの力ではビクともしない。もう少し力を込めれば動くだろう、と握り直すと。
「よう、ボルダンじゃねぇか!」
「買い出しか?」
話しかけて来たのは、冒険者の2人組……ジークとライルだった。互いを『腐れ縁』と自称するくらいに付き合いと冒険者としての歴は長く、腕前もそれに比例してギルドの中では高ランクに位置している。
もちろんボルダンの働く食堂の大切な常連でもあり、「今日も美味かったぜ!」「ありがとう」と言葉をかけてくれるのが嬉しくもあり、また楽しみでもあったりした。
「はい、そうです」
ボルダンが頷くと、2人は台車の上へと目を移す。
「随分重そうじゃねぇか。よし、一つ持ってやるよ!」
「いえ、そんな」
「遠慮するなって」
断ろうとしたが、2人は軽々と木箱を肩に担いでしまった。
「……ありがとうございます」
「気にすんなって! ……にしても、気取った礼するよな」
ジークの指摘に、ボルダンはハッと我に返った。また胸に手を当ててしまったな、と。もう貴族ではなくなったのに、幼い頃からの習慣というのは抜けきらない。
「おい」
ボルダンが顔を曇らせたのに気付いたライルが、ジークを軽く睨んだ。
「あっ……その」
よく分からないがマズイことを言ってしまったと気付いたジークが謝ろうと口を開きかけるが。
「いえ、大丈夫ですよ。行きましょう」
ボルダンは笑顔でそう言って、2人を促した。彼らは顔を見合わせつつも、まあいいか、と荷物を担ぎ直して歩みを進める。
車輪の音がからからと、街の喧騒に紛れた。
「これ、リーフェンか?」
「そうですよ。今日の添え物に使います」
「……これもしかして、サングラか?」
「ええ、そうです。これも添え物に使いますよ」
そう言うと、ライルは思いっきり顔を顰めた。
「俺は今これを投げ捨てたい衝動にかられている」
「筋金入りだな、お前のサングラ嫌いは」
「だってよぉ……。食感が嫌なんだよ、ぐじゅっとしてるしさぁ」
「冷やしたサングラに塩かけて齧り付くのは夏の醍醐味だってのに。なぁ?」
ジークにそう同意を求められたボルダンは、目を見開いた。
「えっ? ……ああ、そういう食べ方があるんですね」
確かにそれは美味しいかも、と呟くボルダンに、2人はそっと視線を交わした。
(何も言うなよ)
(分かってるって)
無言の会話の後、ジークが口を開いた。
「あー、これ運んだ駄賃なんだけどよ」
「ええ、高ランクの冒険者であるお2人に対する対価として」
「いやいやいや! そういう堅苦しいもんじゃなくて!」
「そうそう! 金とかでもなくて!」
厳つい風貌の2人が必死に否定するのは、普段の姿を知っている身からすると何とも微笑ましい。ボルダンは思わずくすりと笑ってしまった。
「では、どのような対価をお支払いすればよろしいですか?」
「お、おう……なんかそう畏まられて、ねだることじゃないかもしれないけどよ」
ジークは調子が狂う、とばかりにがしがしと頭を掻きながら答えた。
「ステータスアップの飯って作ること出来ねーか?」
思わぬ提案に、ボルダンは目を見開いた。
「ステータスアップ、ですか」
そう繰り返すと、今度はライルが頷いた。
「そりゃいいな。上手い飯でステータスアップ出来んなら、一石二鳥だ」
「だろ? 飯食って、その翌日……要するに依頼をこなす時に能力が底上げされてりゃ、楽出来るってもんよ」
「楽ってお前……まあ、少しでも高率よく出来んなら良いよなあ」
言い合う2人に、ボルダンは「なるほど」と頷いた。
「面白い発想ですね。……考えてみます」
その答えに2人はニカッと笑う。
「おう、期待してるぜ! ……けど、あんま無理はすんなよ?」
「そうそう。別にそういう効果が無くても、ボルダンの作る飯が俺たちの力になってるのは変わらないから!」
バンッ! と背中を強く叩かれ、つんのめりそうになるのを必死に堪えた。
「げほっ!」
だけど咳は抑えられなかった。
「あ、悪い!」
「骨折れてねーか!?」
「げほっ……だ、大丈夫ですよ」
あわあわと心配してくれる2人がまた可笑しくて、嬉しくて。
ボルダンは咳をしつつも笑顔になるのを抑えられなかった。
「お待たせしました! ゼブラシュリンプのフライです!」
ゼブラシュリンプは庶民の台所には欠かせない甲殻類の一種。背中に黒白の縞模様が特徴だ。丈夫で育てやすく、養殖技術の発展によって今では市場でも手頃な値段で手に入るようになった。大きなものでも10センチ程、なのだが。
どどん、とばかりに皿の上でこれでもかと主張しているフライの大きさは、その倍を優に超え、さらに太さも物凄い。
「すげえ! 俺、こんなの絵本でしか見たことない!」
「おう、子どもの頃の憧れが現実にあるとかすげえ!」
早速いただきます、と手を合わせ、フォークを取る。
ざくり
行儀悪いが真ん中をフォークで刺せば、良い音が響いた。切り分けても良いが、ここはやっぱり。
ざくっ!
大口で齧り付けば、また良い音が響く。
衣の芳ばしい香りが広がった瞬間、シュリンプの旨味もまた口の中に満ちていく。これはゼブラシュリンプをミンチ状にしているのだと気付くのに時間はかからなかった。しかしながら粗めにミンチされているため、シュリンプの食感が損なわれていることはない。ぷりぷりとしたそれを感じながら、シュリンプのほんのりと甘い繊細な味を楽しむ。
はあ、と息をついて、今度はタルタルソースを付けて、齧り付く。濃厚な卵の味が優しく、まろやかに舌を刺激した。そうしてそのまろやかな味わいが、フライを先程とは違う味わいに変えてくれる。どうしてこうも、シュリンプのフライとタルタルソースというのは相性抜群なのか。タルタルソースに混じっている細かく刻まれたタマニアのしゃくしゃくとした食感と味わいも、また楽しい。
箸休めのリーフェンの千切りは水気たっぷりで、シャキシャキとした食感を楽しみながら口の中をさっぱりとさせてくれた。サングラは甘く、ぷちりと弾ける。
「おい、そっと俺の皿に乗せんな。自分で食え!」
そうして今度は黒ソースをかけて、また齧り付く。黒ソースの酸味が心地良く舌を刺激し、油と、そしてシュリンプの甘みと絡み合って熱と共に口の中を満たしていった。
ざくざくと音を立てながら噛みしめ、最後まで味わって。
「美味い!」
「ああ、最高だ!」
ガチンッ!
黒ビールのグラスがぶつかり合う音が、高く響き渡った。
……ということを閉店後に店員から聞かされたボルダンは、嬉しさを噛みしめつつも表情を引き締めて口を開いた。
「ステータスアップの料理を作って欲しい、と依頼されたのですが」
「……難しいな」
ジャックは腕組みをして、難しい顔をしている。
「うーん……材料は魔獣を使うことは必須だな」
マルコもまた難しい顔をしながらも、そう提案した。
魔獣や希少植物には微弱な『魔力』が宿っている。それを摂取することによりステータスアップに繋がるが、問題はそれをどう調理するかだ。
(そうだ、ノマリスが教えてくれたな……調理法によってその魔力をより引き出せる、と)
それは火加減や香辛料、魔力の流し方など多岐に渡るが、大人数が訪れるギルド食堂となると、それらは全て統一する必要があるだろう。それに多種多様な食材を一度に摂れればまさに言うことはない……とそこまで考えたところで、ボルダンは閃いた。
「鍋料理はいかがでしょうか?」
マルコとジャックは目を見開き、「なるほど」と頷いた。
「確かに鍋料理なら沢山の種類の食材を摂ることが出来るな」
「それに、この季節には丁度良いな。もうすぐ寒くなるから」
はい、と頷いてボルダンは口を開く。
「保温は光の魔石にすることで、魔力を食材全体に行き渡らせることが可能かと」
「なるほど。さらに魔獣の魔力もそれによって効率よく引き出せる、ということだね」
マルコが後を引き継いでくれたのに、「その通りです」とボルダンは頷いた。
「鍋料理なら種類も豊富だから、色々と応用が利きそうだな」
ジャックはふむふむと頷く。
ボルダンは「そうですね」と同意しつつ、思い返していた。
よく賄いで作って、使用人たちと一緒に食べていたものだ、と。初めて振舞われた時は「このような豪快な食べ方があるなんて」と驚いたが、いつまでも暖かいご飯を食べるのは美味しく、またその時に交わされる会話も楽しかった。
……家族と一緒では、決して味わえないのが皮肉だな、と内心で自嘲する。
「それで、『毎日』ではなく制限を付けた方がいいと思います。効果が切れた後の負担は蓄積すればする程多いので」
「そうだな、切れた時には恐らく無気力状態が続くだろう」
「冒険者にとっては致命的ですね。そうなると注文したことが分かるように……」
「札みたいなものを作るのはどうでしょう?」
話し合いは進み、そして。
「マジで作ってくれたんだな、ボルダンのヤツ!」
「おう、楽しみだな!」
一週間に一度、というのが少々残念だが、食べ過ぎて無気力状態になってしまっては本末転倒。店員に渡された木の札に自分の名前を書き、早速注文してみる。
「お待たせしました、ミルフィーユ鍋です! 熱いのでお気をつけください」
光の魔石を組み込んだ小型のコンロが置かれ、その上に鍋が置かれた。ぱかり、と蓋を取れば、ふわりと白い湯気が昇る。
くつくつと優しい音の中。ミルリーフとグラミートの薄切りが幾重にも重ねられたその様子は、まさに「ミルフィーユ」の名にふさわしい。
「こりゃ綺麗だな」
「ぎっしりと詰まってる……! 早く食べようぜ!」
いただきます、と早速鍋にフォークとスプーンを伸ばして、己の分を椀へと掬い取る。ふうふうと冷まして、口の中へ。
ふわり、と広がるのはグラミートの甘みと脂のコク。スープがよく沁みこんだそれは、口の中でとろりと蕩けるようだ。柔らかく煮込まれたミルリーフはほのかに甘く、嚙みしめる度にじゅわ、と沁みこんだスープが溢れる。
黄金色のスープを口に含めば、まろやかな深い旨味が口腔内を心地よく満たし、身体を芯からじんわりと暖めてくれた。ピリッと舌を刺すジンガの刺激が良いアクセントだ。
「はあ……沁みるな」
「あったまる……」
ほう、と吐き出した息は、湯気に紛れて消えていった。
肉の旨味と野菜の旨味が口の中で混じりあい、心地良く蕩ける。そのマリアージュに目が細められるのが抑えられない。
「シメはライスとウードン、どちらにしますか?」
「どちらも捨てがたい……うーん、ライスで!」
承知いたしました、と店員は残ったスープの中にライスと溶き卵を回し入れた。くつくつと鳴る音を聞きながら待つことしばし。
スープの色と、卵の黄身が優しい雑炊が出来上がった。おたまで掬い取り、スプーンで口へと運ぶ。
しっかりとスープが染みこんだライスはとろりと舌の上で蕩けた。それでいてくどくはなく、卵によってまろやかで優しい味が口の中へ広がる。残ったミルリーフの切れ端も柔らかくほどけ、グラミートはほのかな甘みがじゅわりと沁みだした。
そうして夢中で食べていけば、鍋の中はライス一粒、スープ一滴も残っていない。
「はあぁ……美味かったぁ……」
腹を摩りながら、ほう、と息をつく。
周りを何となく見渡せば、同じものを頼んだ連中は同じような表情を浮かべていた。
「ああ、美味かったなぁ……。けど、本当にステータスアップになってるのか?」
「うーん……まあ、明日になりゃ分かるだろ」
効果に関しては今は半信半疑。
もし効果がなくても、文句を付ける気はないことは言うまでもなかった。
そうして翌日。
(……なんか身体が軽い? 気のせいか?)
そう感じるままにギルドへ向かい、クエストを受ける。
内容は食料の減少により人里に下りてきた、グロームベア退治。血の気が多く獰猛な性格で、前肢の一撃は大岩をも砕き、突進されれば馬車をも粉砕する程の威力がある。
なので罠をしかけてから仕留める、というのが一般的な方法だ。ジークとラインもその方法を取るべく、ぐるりと辺りを見渡した。
「……あの辺りがいいんじゃないか?」
「そうだな、俺もそう思った」
長年の経験、そして勘。それに従って罠を仕掛けるのは変わらないのだが、今日は妙に決めるのが早かった。
手際よく設置し、気配を出来る限り消して隠れる。
誘引剤は振りかけておいたが、こういうことは持久戦だ。何時までかかるだろうか、出来れば日が沈むまでにケリを付けたいところだが、などと考えていると。
「グオオオオオオ!!」
この唸り声は。
まさか、と思い飛び出せば、グロームベアが罠にかかって藻掻いている。
「マジか、こんな早く?」
「余計な口叩くな! 仕留めるぞ!!」
罠にかかった獲物は逃れようと獰猛さに拍車をかける。ラインが弓をつがえるのに、ジークもまた剣を構えて走り出す。
「グオオオオ!!」
グロームベアの咆哮が、地を揺らした。それに臆せず走り続ければ。
パシュッ!!
「グオオオオオオ!!」
ラインの放った矢が、見事にグロームベアの片目を射抜いた。半分だけ視力を失ったグロームベアは苦痛の余り、滅茶苦茶に腕を振り回して暴れ出した。その腕が届きそうになる寸前に、ラインの矢が妨害する。
それに動揺したのか、グロームベアの動きが鈍った。その隙を逃さず、素早くジークは剣を突き出す。
ザクッ!
その剣先は、見事にグロームベアの喉を貫いた。
どさり、とその巨体が地に伏し、剣をずるりと引き抜いて額の汗を拭う。
「おい、これマジか……」
「これぐらい大きいと、もっと手こずってたてのに……」
二人はこの後控えている解体作業のことを一時忘れ、呆然と顔を見合わせた。
「おい、ステータスアップ鍋、マジですげえぞ!」
「全体的なステータスがまんべんなくアップしてるって感じで、クエストが進む進む! 本当にすげえ!!」
と、ジークとラインを始めとした冒険者からは大評判。口コミが口コミを呼んで、ステータスアップ鍋料理は、ギルド食堂の新たな名物に。
「プラシーボ効果では?」という疑惑の声もあがったが、「人体実験済みです」と料理人3人の断言、そして「それでも美味けりゃいい! 力がつく!」という圧倒的な声に掻き消された。
一週間に一度、という制限には不満の声もあがったが、「一週間無気力状態でも良いのなら」と洒落にならない脅しをかけられては、大人しく従うしかない訳で。
そして冒険者たちは、ここぞ、というクエストを受ける時、単純に力を付けておきたい時に、ステータスアップ鍋を注文するようになった。
「おお、チーズフォンデュ!」
「堪らない~! チーズに溺れるとか最高!」
鍋の中でふつふつと優しい音をたてる乳白色のチーズ。木べらで掻き混ぜれば、とろりと伝わる感触が堪らない。
串刺しになった肉や野菜、シーフード、パンが彩りも華やかに皿に並べられている。どれにしようか、と選ぶ時間も楽しい。
まずは王道のパンから、と四角く切られたそれを手に取る。それを熱々のチーズにたっぷりと絡ませて、口へと持っていく。その間に、つう、とチーズが糸を引くこの光景が堪らない。
ふうふうと冷まして大きく開けた口へ。パンに絡んだ濃厚なチーズが、心地良く舌を刺激した。三種類混じっているというチーズは絶妙な味わいを醸し出し、濃厚ではあるが全然くどくない。まろやかな舌触りとほのかなワインの香りが口腔内を楽しませ、鼻に抜けていく。
グラミートの分厚いベーコンはチーズの濃厚さとよく合って食べ応えが抜群。ウインナーはパキリと良い音が弾け、肉汁とチーズが混ざり合って良いコクを出してくれた。
茹でたカライモ、キャロネはほくほくと口の中でチーズと合わさって、とろとろに蕩けそうだ。プチサングラは甘く、チーズとの相性はもちろんバッチリ。酸味を程よくまろやかにしてくれる。
「お前、サングラ嫌いなんじゃなかったっけ?」
「うるせー、こういう風なら食える」
軽口を叩き合いながら煽るのは、ワイン。チーズに合うのはもちろんだが、黒ビールとは違う馥郁たる香りと味が、口の中をより楽しませてくれた。
底に残ったお焦げは濃厚でパリパリ。もちろん全部こそげ取って美味しく頂いた。
「おっと、今週はサングラ鍋だとよ。どうする?」
「俺は生のサングラが駄目なだけだ」
まずは真っ赤なスープを一口。サングラの酸味とほのかな甘みが絶妙にマッチして、口腔内を幸せに満たしてくれた。冷えた身体も一瞬で暖まるような心地に、ほう、と息が零れる。
次にウインナー。ほこほこと湯気を立てているそれに齧り付けば、皮がパリッと弾けてじゅわりと肉汁が飛び出す。サングラの味と混じったそれは、ほのかに甘さが増しているような気がした。
クックルのつくねはふわふわとした食感でスープの旨味がよく出ている。中に入っているこりこりとした軟骨の食感もまた楽しい。
たっぷりのスープが染みこんだリーフェンは柔らかくて甘く、口の中でとろりと蕩け。魔茸はこりこりと歯ごたえを残したまま、噛めば噛むほどしみ込んだスープがじゅわじゅわと溢れる。串切りにされたタマニアもまた、トマトの甘さと合わさってさらに甘く口の中でとろとろに蕩けた。
シメはもちろん、ライスを入れてリゾットに。たっぷりとスープを吸ったライスの上には、チーズがとろりと蕩けている。赤と黄色のコントラストの上には、緑のパセリアが綺麗な色どりを添えていた。ふわふわと昇る湯気を吸いこめば、バターの香りも鼻に飛び込んで来て、うっとりと目が細められる。
はふはふと息を吐きながら頬張れば、ライスに染みこんだトマトスープのほのかな甘みと酸味、そしてチーズの塩味がまろやかに口腔内を満たしてくれた。残った具材は舌先でとろけ、ライスは程よく煮込まれて柔らかい口当たりも良い。
「はあ、美味いなあ……」
「これで明日からも頑張れる……」
しみじみとそう言い合いながら、ライス一粒、スープを一滴も残さず美味しく頂いた。
そして、ある日のこと。
それは唐突に訪れた。
「失礼する!」
その言葉と共に、ギルドの扉が大きく開かれる。
入って来たのは漆黒の外套をまとった一団。その胸元にある金糸に縁どられた天秤の紋章に、受付嬢の目が見開かれた。
「アーキオン国監査局、第三査察班だ」
先頭の男が淡々と告げた声には、温度というものがまるで無い。鷹のように鋭い瞳に見据えられ、受付嬢は思わず肩を竦めて身体を震わせた。
他の職員が呼んだらしく、ギルド長が慌ててやってくる。
「私がギルド長のラザルです。本日はどのような御用件でしょうか?」
先頭の男……監査長官が冷たく目を狭めて口を開いた。
「こちらのギルドに不正薬物使用の疑いが出ている」
「は!? ふ、不正薬物!?……ですか?」
目を見開いて驚くラザル。職員たちやその場にいた冒険者たちにも、不穏な騒めきが満ちていく。
その様子を注意深く観察しながら監査長官……オルフェン・ライサーは思う。
(何かを隠している、という反応ではない。あらぬ疑いをかけられて困惑している者の反応に近い……が、油断は出来ぬ)
「記録官、全端末を封鎖。ギルド長、取引記録の提出を」
命令に従って、部下たちが静かに動く。外部と連絡が取れないよう、魔導端末が一つ、また一つ黒く沈黙する。
それに動揺しつつもラザルが「こちらです」と案内するのに合わせて、オルフェンは足を進めた。
数時間後。
「何も見つからない、だと?」
そう聞き返せば、部下たちは「はい」と神妙に答えて戸惑ったように顔を見合わせた。
(そんな筈は……だが、私の目から見てもそれは事実だ)
この目で確認した取引記録に水増し等の不正な箇所は無かった。裏帳簿のようなものも無かったし、隠し扉や通路、金庫等も無かった。
難しい顔で考えこむオルフェンに、ラザルが恐る恐る話しかける。
「あの……、何故不正薬物などをお疑いになられたのですか? 全く覚えが無いので、正直困惑しているのですが」
その言葉通り、ラザルの表情は困惑に染まっていた。オルフェンは、ぎり、と奥歯を噛みしめ、そして口を開く。
「ある月から、このギルドの成果が急激に上がっているからだ。しかもそれは留まることを知らぬかのように、どんどん上昇し続けている。……何かあるのではないか、と疑うのは当然だろう」
するとラザルは「ああ!」と声をあげて大きく頷き、にっこりと笑った。
「それなら心当たりがあります!」
「お目にかかれて光栄です。ボルダンと申します」
胸に手を当てて礼をするボルダンを前に、オルフェンは目を狭めて観察する。
(彼がこの食堂に入ってから成果が上がったのとギルド長は言うが……。一介の料理人にしては仕草が洗練されているな)
妙な少年だ、と感想を抱いたところで、部下から報告が入った。
「食堂スペースはもちろん、厨房の至るところまで調べましたが」
「分かった。何も無かったのだろう」
その通りです、と部下が神妙に頷くのに、そっと息を吐き出す。
「では、何故だ? 何故これ程までに成果が上がっている?」
独り言のように呟くと。
「なんだ、分からねーのか? これだからお高く止まった御貴族様は」
「ああ、『食堂』がどういう場所か知らねーんだからな」
声の方向をぎろりと睨むと、その主であろう冒険者はこちらを馬鹿にしたような目で見据えて来た。それは他の冒険者たちも同じで、誰もが嘲笑を浮かべている。
怒鳴り付けてやりたいが、安い挑発に乗って身を滅ぼす真似はしたくはない。
「……では、原因は何なのかを教えてもらおうか」
そう尋ねれば、すぐに返って来た。
「そんなの、食堂の飯が美味いからに決まってんだろ!!」
予想もしていなかったのだろう、オルフェンは絶句している。それは部下たちも同じだ。
それに冒険者たちは追撃をかける。
「そうだそうだ! 美味い飯が待ってるから俺たちは頑張れるんだ!!」
「それもこれも、ボルダンが来てからだ!」
「ボルダンが来てから、ここの飯は格段に美味くなったんだ!!」
口々に言われてボルダンは顔を赤らめ、少し視線を下へと向けた。マルコとジャックは、「その通りだ」とうんうん頷いている。
オルフェンが呆然と呟く。
「食事が美味い? たかがそのようなことで」
「……その発言は、取り消してください」
ボルダンは厳しい表情を浮かべた。
「たかが食事、と仰いますがそれは単なる栄養補給ではありません。食事とは、腹と心を満たし、癒すものであると私は考えております。美味しいものを食べ、笑い合うことで人はようやく明日へ進むための力を得るのです。ここへ訪れる彼らの顔をよく見ればお分かりになられるかと」
「……ですから、どうか。食事を軽んじる発言はお控えください。それは明日を生きるために、必要不可欠な温もりそのものなのです」
その言葉には、思いやりと温もりが痛い程感じられ、オルフェンは押し黙る他は無かった。
すると。
ぐうぅ~……
間の抜けた音が響き渡った。嫌という程聞き覚えがある音に、誰だ誰だと顔を見合わせる。
「……おい」
オルフェンの指摘に、部下の一人がびくっと身体を震わせた。
「も、申し訳ありません。……本日は立て続けに監査が入り、食事を摂る暇もなく」
ぐうぅ~……!
今度は先程よりも大きな音が鳴った。
「申し訳ありません。先程から良い香りがする上に、テーブルに美味しそうな料理が並んでいるのを見たら」
もう一人、部下が申し訳なさそうに身を竦める。
「お、おい、笑うなよ……」
「わ、笑ってねぇよ、お前こそ」
くすくすと、今度は微笑ましい笑いと眼差しを向けられ、顔が熱くなった。
ぐうう~!!
「……っ!」
オルフェンは反射的に己の腹を押さえる。その顔は可哀想なくらいに真っ赤だ。
ボルダンは柔らかな笑みを浮かべ、口を開いた。
「よろしければ、召し上がっていかれますか?」
少しの沈黙。そして。
「……頼む」
観念したかのようにそう言ったオルフェンに、ボルダンはにっこりと笑って頷く。
「6名様、ご案内です!!」
その途端、食堂中に笑い声が弾けたのは言うまでもなかった。
「お待たせしました! 丸ごとロールリーフェンです!」
静かに置かれた鍋の中、くつくつと音をたてるホワイトシチューの中に、なんと丸ごとのリーフェンが入っている。「切り分けますね」と店員が、大きなナイフを手にした。ナイフが何の抵抗もなく、リーフェンに吸い込まれていく。切れ目を入れる端からホワイトシチューが染みこんでいく光景が何とも堪らない。断面を見れば、くり抜かれたそこにたっぷりと挽肉が詰め込まれていた。
(なるほど、丸ごととはこのことか)
オルフェンは内心で納得する。
「熱いのでお気をつけください」と店員が去った後、切り分けてくれたそれを、シチューと一緒に小皿へと取り分ける。スプーンを手に取り刺しこめば、柔らかな感触が伝わって来た。ほろり、とリーフェンが崩れ、ふわりと湯気が立ち昇る。溢れた肉汁が、シチューの中に溶け込むように流れた。
ごく、と自然と喉が鳴り、食欲が抑えられない。
ロールリーフェンとシチューをスプーンで掬い、ふうふうと冷まして口へと運ぶ。まずは熱さが勝つが、冷ます暇も惜しい。柔らかなリーフェンは甘く、挽肉の部分は柔らかで食べ応えがあり、ほろほろと肉汁が溢れて旨味が口腔内を満たしていく。そうしてシチューのまろやかで優しい味がそれを包み込んで広がった。
喉から胃にかけて熱さと旨味が広がるのを感じ、自然と口角があがるのが分かる。
(美味しい……)
素直にそう思ったのは久方ぶりだとオルフェンは思う。忙しさにかまけて食を疎かにしていたのだ、と今更ながらに気付く。部下たちの顔を見れば、皆柔らかで、幸せそうな表情を浮かべていて。同じ感想を抱いているのだとすぐに分かった。
(私に習って、無理をさせてしまったのだな。……上に立つ者として、褒められたものではない)
しかも食を軽んずる発言をするなど、貴族として……いや、人間として恥ずかしい。
食事は生きていく上で必要不可欠なもの。それが『美味しい』ということは、何よりも大切だというのに。
改めて周りを見てみれば、冒険者たちの顔も笑顔に満ち溢れている。心の底から『美味しい』と思っており、食事というものを楽しんでいるのがよく分かった。
(ああ……成果が上がるのも当然だな)
オルフェンはしみじみとそう思いながら、じっくりとロールリーフェンを味わった。
それから数日後。
ギルド宛に手紙が届いた。
差出人はオルフェン・ライサー。
内容はあらぬ疑いをかけてしまったことへの謝罪と、食事への深い感謝の言葉が綴られていた。
それを自室でボルダンは読み返し、自然と目を細める。ラザルに「君が持っていた方が良い」と渡されそうになり、一度は固辞したのだが、マルコやジャックにも「それが良いよ」と勧められては断り切れなかった。
『この食堂の料理は、確かに冒険者の糧になっていると実感した。これからも励んでほしい』
その文面を、そっと指でなぞる。
『御貴族様の舌を唸らせるとは大したもんだな!』
『ああ、あの気難しそうなヤツの顔が見る見る内に柔らかくなったもんな!』
あの時かけられたジークとライルの言葉が、胸をざわつかせた。ほんの少しだけ事情を知っているマルコは、気遣わしげな表情をしていたが。
2人は悪気があって言った訳ではないし、そもそもこちらの事情を全く知らないのだから仕方がない。
そう分かっていても、でも。
(認めてもらいたかったなあ……)
もう家族ではなくなったのに、なんて未練がましいのだろうと自嘲する。
(……でも、もう遅い。それに、戻る気もないのだから)
そう思い直して、大きく深呼吸すればざわついた胸中も少しばかり落ち着いた。手紙を元通り封筒に入れて、引き出しへと大切にしまう。
(明日は休日だから……そうだ、図書館に行こう。何か新しい料理のヒントになる書があるかもしれない)
ボルダンは、よし、と小さく気合を入れ、図書館への道筋を頭に思い浮かべながらベッドへと潜り込んだ。
(終)




