第5話 捜査会議 進展
この日の捜査会議の空気も重苦しかった。
外の冷たい風をそのまま持ち込んだように、室内の空気までひんやりと張り詰めている。
本庁捜査一課の係長が前に立ち、いつものように重々しい声で口を開いた。
「皆、毎日ご苦労様。では、捜査会議を始める。はじめに、周辺の聞き込みで新たに分かった情報があれば、報告を頼む」
「はい」と答え、担当の捜査員が立ち上がった。手にしたメモを見ながら、落ち着いた口調で報告を始める。
「新たな目撃情報がありました。事件当日の朝、被害者が若い女性と一緒に出かける姿を見たという証言です。
目撃者は同じアパートの住人で、事件当日の夜から長期旅行に出ていたため、これまで事情聴取ができませんでした。
――なお、長期旅行の裏は取れています。
その証言によると、午前八時頃、被害者と女性が一緒に部屋を出ていったとのこと。女性は帽子を深く被り、薄い緑色のパーカーを着ていたそうです。さらに夕方にも、似たような女性を見たと話しています。そのときはグレー色のパーカー姿だったそうですが、身長などの特徴から同一人物と見られます。目撃時刻は午後五時過ぎ
――火災発生の約一時間前です」
私はその報告を聞きながら、手帳に要点を走り書きした。
以下、有力目撃情報
・朝八時頃、若い女性と一緒に出かける姿を目撃
(服装:薄緑色のパーカー、帽子の色不明)
・午後五時頃にも目撃(グレー色のパーカー?)
同一人物か不明
(火災発生の一時間前?被疑者か?時間にズレがある)
係長が眉を寄せ、捜査員に問いかけた。
「その人物は同一と見て間違いないのか? それに夕方はなぜ違う色のパーカーなんだ? 仮にその女性が犯人だとしても、火災発生までの時間のズレが気になるな」
「はい。完全に同一人物とまでは断言できません。夕方の目撃者は夕日で視界が悪く、色を正確に確認できなかったそうです。ただ、時間についてはニュース番組を見ていたそうで、ほぼ確実と見ていいかと」
その時、星野さんが口を開いた。
「時間のズレは一旦置くとして……もしその人物が犯人だとしたら、服を着替えたのは、別人に見せかけるためかもしれませんね。犯行を隠すために」
係長は短く頷きながら言った。
「そうだな。現時点では、その女性を最有力の被疑者として扱っていいだろう。
――引き続き、該当人物の特定と聞き込みを続けてくれ」
「続いて、被害者家族への聞き込みで新たに分かった情報があれば、報告を頼む」
係長の視線が次に私へと向けられた。
私の報告の番だ。私は静かに立ち上がり、事前にまとめたノートを開いた。
「はい、まず、被害者の一人娘・小葉松陽菜乃への聞き込みです。
彼女の話によると、被害者とは別居後、全く連絡を取っておらず、会ったこともないとの証言でした。
ただ、一度だけ被害者からメールが届き、“末期のガンを患った”と連絡があったそうです。そのメールはすでに削除されており、確認は取れていません。当日のアリバイについてですが、事件があった午後5時ごろから午後6時頃は“自宅にいた”とのことです。この裏付けは取れておりません」
私は一度息を整え、ページをめくった。
「次に、被害者の妻・小葉松由紀子への聞き込みです。
彼女も娘と同様、別居後は被害者と接触していないと証言しています。ただし、被害者の現住所を正確に把握していたようで、住所が書かれたメモを部屋の見える位置に保管していました。
当日のアリバイについてですが、“自宅にいた”とのことです、陽菜乃と同様に現時点で裏付けは取れていません。以上です」
係長が被害者の状況についてさらに質問をしてきた。
「陽菜乃と由紀子は被害者が末期のガンを患ってしまったことを聞いても、連絡すら取っていなかったということか?」
私がその質問に答えようとすると、星野さんが先に口を開いた。
「その件ですが、証言の中で少しおかしな点がありました。その内容は陽菜乃へメールがあったそうですが、その内容を我々に話す時に陽菜乃はこう言いました、”肺ガンを患っていて、余命宣告を受けたと言っていました”と話したんです。メールにそう書いてあったとは言いませんでした。ただの言い回しの違いかもしれませんが、もし、この私の推理が正しければおそらく陽菜乃は被害者と会っています」
私は、星野さんが言ったことにハッとした。聞き込みで話をただ聞いているのではなく、その言い回しやニュアンスまで細かく分析しているのはさすがだと思った。
係長が全員の意見を一通り聞き終えると、低い声でまとめに入った。
「よし、被害者はおそらく病院へ通っていたはずだ。周辺の病院を片っ端から当たってくれ。防犯カメラの映像も忘れるな。それから、被害者家族の当日のアリバイも徹底的に洗え。……他に意見はあるか?」
少し沈黙が流れたあと、星野さんがゆっくりと口を開いた。
「係長、解析中のスマートフォンに入力されていた遺書の“入力文字速度”の再解析を依頼したいのと、部屋に残されていた包丁の再検証もお願いしたいのですが」
係長が眉をひそめる。
「入力文字速度? それに包丁なら、使用された形跡は無いと報告が上がっていたはずだ。何を調べたい?」
星野さんは、迷いのない眼差しで続けた。
「はい。入力文字速度を調べれば、遺書を“本人以外が入力した可能性”を確認できます。
それと
――まだ凶器が見つかっていない以上、部屋の包丁をもう一度洗い直す必要があると思います」
係長はしばらく黙って星野さんを見つめ、それからゆっくり頷いた。
「……わかった。調べよう。鑑識にも再調査を指示しておく」
室内の空気が、さらに一段張り詰めた。
「以上、解散だ、犯人逮捕に全力をあげてくれ、よろしく!」
と言って操作会議が終了した。
私は星野さんに、さっきの再調査の件についてもう一度聞こうとした。
けれど、私の声が届くよりも早く、星野さんは無言のまま立ち上がり、さっと鑑識班の部屋の方へ歩き出してしまった。それは迷いのない足取りだった。
まるで、自分の中で何かが確信に変わったかのように――
私はその背中を見つめたまま、言葉を失っていた。
この数週間、共に追いかけてきたぼんやりとした容疑者の陰を――
そのどれもが散らばったピースのようで、これまで何度も手探りで組み合わせてきた。
だが、どこか一つ、どうしても噛み合わない場所があった。
――それを今、星野さんは見つけたのかもしれない。そう思った瞬間、胸の奥がざわついた。
何か大きな真実に、彼が手をかけようとしている。
その背中には、そんな確信めいた静けさが漂っていた。
私はデスクに置かれた書類を見下ろしながら、深く息を吸った。
この捜査で散りばめられた小さなピースを、一つずつ拾い集め、繋ぎ合わせてきた時間。
それが今、ひとつの絵を形づくろうとしている。
その絵がどんな真実を描き出すのか、まだ誰も知らない。
だが、星野さんのあの背中を見ていると――
きっと、もうすぐ答えが見える。
そんな気がした。




