第2話 捜査会議 矛盾
私はこの日、いつもより早く自宅を出た。数日ぶりに家族と過ごし、自分のベッドで眠れたせいか、体の疲れはすっかり取れていた。
署に着くと、空気が妙にざわついていた。
何か新しい事件が起きたのか。あるいは、この事件に進展があったのか
――この時点ではまだ分からなかった。
だが、耳に入ってくる断片的な言葉から、新しい情報がもたらされたらしいと察した。捜査会議は九時からのはずだったが、八時前にはすでに数名が部屋の前に集まり、緊迫した面持ちで中をうかがっていた。
「宇佐美、昨日はよく眠れたか?」
背後から声をかけてきたのは星野さんだった。昨日と同じスーツ姿——
一晩中署に詰めていたのだろう。
「おはようございます。はい、しっかり充電できました。ありがとうございます」
「今日から忙しくなるぞ。被害者のスマートフォンの解析が終わった」
その目は寝不足のはずなのに鋭く光っていた。
「え、あの焼け落ちたスマホですか?」
「ああ。信じられないが、内部データがほぼ復元されたらしい」
そのスマートフォンは火元のすぐそばにあり、原型を留めないほどに焼失していた。誰もが復元は不可能だと思っていた。
——通話履歴、アプリ利用状況、削除データ、GPS、指紋認証、入力パターン……
デジタル・フォレンジックの力で、今や「いつ」「誰が」「どんな操作をしたか」まで分かってしまう。
九時、会議室のドアが閉まった。空調の音がやけに大きく感じる。
本庁捜査一課の係長が前に立ち、重々しく口を開いた。
「では、捜査会議を開始する。はじめに周辺の聞き込みについて新たな情報を頼む」
というと担当の捜査員が立ち、私は報告された内容を手帳に記録した。
以下、新たな目撃情報。
・被害者男性と若い女性が一緒にいるのを目撃
・頻度は多くないが、その女性と一緒にアパートに入るところを目撃
「この若い女性は被害者と何らかの接点があるはずだ、引き続き捜査をしてくれ、では、続いて、スマートフォンの解析結果の報告を頼む」
するとモニターに映し出されたのは、焦げついたスマートフォンの画像だった。続いて係長の説明が続く。
また、私はその内容を手帳に記録した。
・端末内に自殺を示唆する文面が残されていた
・最後の操作は被害者本人によるものと確認
・使用時刻は死亡推定時刻より前で、位置情報にも不 自然な点はない
会議室がざわめく。
「……じゃあ、自殺ってことか?」
「いや、待て。そんな単純な話じゃない」
「でも、文面が本人のものなら……」
刑事たちの声が低く交錯する。
係長が手を上げて静止させた。
「まだ決めつけるな。解析された“遺書”の文面を頼む」
その遺書がモニターに文字が映し出された。
『私は家族に本当に申し訳ないことをした ずっと支えてくれた家族に申し訳ない これ以上迷惑はかけられないので自分で命を断つことにしました 今までありがとう』
読まれた瞬間、室内の空気が変わった。
「これ……本人が入力したのだろうか?」
「家族思いだったらありえる話かもな」
「だが、腹を刺して自殺ってのはおかしいだろ」
「切腹でもあるまいし、あの角度は自分じゃ無理だ」
手元の資料を見つめ、私は息を呑む。
——被害者の腹部には、内臓を貫く深い刺し傷があった。解剖結果でも自傷とは考えにくい角度と力の入り方だ。やはり、誰かが刺したとしか思えない。
星野さんが口を開く。
「つまり、“自殺に見せかけた他殺”の線も消せないってことですね」
「だが、ならなぜ、遺書を打ち込む必要があった? しかも火を放ってまでデータを隠そうとしたのは、誰だ?」
係長がゆっくりと言った。
「現時点で“本人による操作”とされているが、その判定も完璧ではない。入力パターンの違い
——つまり別人の操作痕がないか再解析を依頼する」
星野が短く頷く。
私は手帳に書きつける。
・もし別人が打ったとすれば、遺書は偽装
・火を放ったのは痕跡を消すため
だが、なぜそこまで綿密に仕組んでおいて、遺書を残したのか。
それとも被害者を脅迫して入力させたのか。私は気づかぬうちに拳を握りしめていた。
会議が終わると、星野さんと共に解析室へ向かう。地下二階、静寂に包まれた室内では白衣の職員たちが無言でモニターに向かっている。蛍光灯の白い光が、人工的な冷たさを際立たせていた。
そこはよく映画などに出てくる綺麗な解析室ではない、様々な資料や証拠品が並べられ、とても片付いているとは言い難い。
「星野警部補、宇佐美刑事ですね」
出迎えたのは解析班主任の高梨技官。四十代前半、眼鏡の奥の目が冷静に光る。
「先ほどの会議で話題になった件について、詳細を伺いたいのですが……」
星野さんが切り出すと、高梨さんは軽く頷き、モニターを操作した。
画面には焼け焦げたスマートフォンの内部構造が3D表示される。
「ご覧の通り、外装は完全に炭化しています。通常なら復元は不可能ですが、メモリチップの一部が奇跡的に生き残っていました」
「それで“遺書”のデータを取り出せたと?」
「ええ。ただし
——少し妙な点があります」
高梨さんの指先が画面の一部を拡大する。複数のログデータが並んでいた。
「最終操作は被害者本人の指紋で行われています。認証履歴にも異常はありません」
「つまり本人が入力した可能性が高いと?」
高梨さんは少し言葉を区切る。
「理論上は、そうなります。ですが、この遺書の“入力速度”に違和感がある。まだ詳しい解析は必要ですが……」
星野さんが眉をひそめた。
「入力速度?なにか急いでいたのだろうか……その遺書を本人以外が入力した可能性は?」
「ゼロではありません。それに、指紋認証の“成功ログ”もおかしい」
画面を切り替え、高梨が言う。
「この端末はロック解除時に指紋を求めますが、一番最後の解除は熱変化が検知された直後
——つまり火災発生後です」
背筋が冷たくなる。火災後に解除? それは、現場が既に燃え始めていたということだ。
「……火災発生後に指紋認証で解除を?」
「はい。死後すぐなら指紋は一時的に機能します。犯罪捜査では極めて稀ですが、技術的には可能です」
室内の空気が一気に張りつめる。
星野さんが低く問う。
「つまり、犯人は火を放つ前にスマホを操作し、遺書を打ち込んだ……そして、理由はわからないが火を放ち火災になる部屋の中で被害者の指を使ってスマートフォンのロックを解除した、そういうことか?」
「断定はできませんが、筋は通ります」
「だが、指紋認証まで通したなら、燃やす理由は?」
「おそらく、“そこまで調べられるとは思っていなかった”のでしょう」
私はまた、手帳に素早く書き留める。
・火災後に解除(何故?火災後に解除?)
・異常な入力速度(急いでいた?)
・他者による操作の痕跡
ガラス越しのモニターの光が、どこか冷たく私たちを照らしていた。
そして、星野さんが私が思っていることを言ってくれた。
「さらに詳しく調べられますか?特にログと遺書の入力速度について調査をお願いします」
「分かりました、できるだけ早く解析します」
と解析班主任の高梨技官に伝えて、私たちは被害者家族への聞き込みに向かった。




