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8.蟻の巣

 女は、改めてジャファルに顔を向ける。

 ラズールに突き飛ばされたジャファルは、憎しみを目に浮かべて、ゆっくりと立ち上がり、ズボンの長い裾を捌いて曲刀を構える。


「そいつが、お宝か」


 そう言ってジャファルは女の顔から足先を舐めるように眺め、特に胸と足はじっくりと、そのまま視線をそこに固定する。


「お前の気持ちは? あっちに行きたいなら送り出すが?」

「…………私は」


 女の声が怯えて震えていた。ジャファルからわずかに顔をそむけて、ラズールのほうを振り返り、それきり。

 それだけで十分だった。


 ラズールはため息をついて女を抱え直す。


 女は説明なしでも理解したのか、動きを止め大人しくなる。顔を強張らせて、ジャファルから不自然に視線を外したままだ。


(これじゃあモテねぇな、ジャファル)


 可哀想なやつ。だが理由を言ってやるほど親切ではない。


「――くそっ、くそがっ。もう手を出しやがったのかよ!!」


 ジャファルがなぜか激高して、曲刀を地面に叩きつける。ガンという音が響いて、女がビクリと身体を震わせた。



「くそ、くそっ。畜生、このクソアマ」


 ラズールには憎しみの目を、女にはギラつく欲望を。


 女がそっと顔を動かし、そちらを見ようとして、でも怯えて視線を逃すなど挙動不審に狼狽えている。

 ラズールは、女を後ろに下がらせようとしたが、震えている足を見て考えを変え、抱えたままにした。


(……服を着せなかったのは、失敗だったな)


 アイツらにダサいと言われようと、センスが無いと言われようと、服を与えておくべきだった。


「決めたぜ。その女、俺のモノにしてやるよ。なあ?」



 何が、なあ、なのか。ジャファルが女に呼びかけるが、彼女は明らかに拒絶の顔で固まっている。


「……いや」

「なんだと?」

「嫌、です」


「あんだと、このアマ!」

「――黙れ、ジャファル」


 別に女の取り合いをするつもりはなかったが、ジャファルのギラギラした欲望を目の当たりにすると、渡す気はなくなる。あまりにも執着がうざい。


 ラズールは押し殺した声で制止し、女の腰を抱え直す。すると突然、ジャファルの声音が変わった。歪んだ口元で、嫌味ったらしい声を出す。ラズールでさえも、不快で鳥肌が立つような声。


「なあ待てよ」


 それまでの苛立ちを消して、突然の余裕の顔。いや、勝ち誇った口元を引きつらせた嫌らしい笑い。それはラズールに向けたもの。


「そうだ、そうだったな。アンタが手を出すはずねえ。なあ女。そいつは、不能だぜ」

 

 何を言い出すのかと思えば。


「酒場でも有名だったよな、ラズール? 抱かない主義じゃねぇ、抱けないんだろ? 勃たないって」



 ラズールは無表情、無反応だった。

 ラズールの手の平の下で、女だけが肩を揺らし、動揺して顔を上げた。


「アンタあれだよな、女が怖いんだっけ。なあ? 青鷹のラズール? いや、ホントのところ童貞? なあ、教えろよ?」


 腕の中の女が息を吸う音がした。

 こういうのは聞かされる第三者のほうがたまったもんじゃねぇだろうな。そう冷静に頭の隅で考えていた時だった。


「――ち、違うわ!」


 ジャファルの相手をする気はなかった。返事をする必要もないと思っていたが突然、ラズールの腕の中で女が叫ぶ。


 ただ震えていたはずの彼女は、驚くラズールの腕の中で瞳を怒らせて、顎をツンと上げてジャファルを睨む。


(は? 何を言い出す?)


 ちょっと焦る。予想外の行動すぎる。大人しく震えているだけの女が、いきなりスイッチが入ったみたいだ。



「おい、ちょっと」


 手で口を塞ごうとしたが、ラズールの手を押しのける。見下ろす銀の瞳が興奮で輝いている。



「アンタ、何を言う――」

「――ラズールは、昨晩優しかったもの。そんなことない!」


 感情は顔に出ないと自負している。が、流石にぎょっとした。


「ちょっと待て」

「ううん、言わせてもらう。ラズールは、よくしてくれたわ。本当のことだから」


 きっぱりと言いきる女に頭を抱えたくなる。布切れ一枚で身体を隠した裸同然の女が、よくしてくれた云々を語る。


(自分の言葉の意味、わかってんのかよ?)


 本気か天然か。

 それともこんな男を知らない処女のような顔で、やっぱり騙っているのか。

 腹の中で突っ込む。どうやって黙らせようか。

 

 だが、ラズールの腕に添えた手は震えていた。


 そして、腰を抱いているラズールの密着した腕に伝わる拍動は速い。強張って引き結ぶ口元が、震えている。

 

 ――怖くないわけじゃない。


 大胆な発言は、考えなしのものじゃない。この女は、怖いもの知らずの馬鹿じゃない。


(……言わせたのは、俺か)


「もういい」

「こんなこと言われておかしいし、許せない」


「もう十分だ。――ありがとな」


 妙に穏やかな気分になる。


 ふと思いつき身体を屈める、耳を掠めるように口を寄せて囁くと、女は小さく叫んで肩を揺らす。振り向く顔は驚き、目が潤んでいて、なぜか非難の眼差しだ。

 

 なんでだ?


「あの、ちょっと。それは……やめて」


 耳を押さえて涙目の顔に、一体どういう意味だ、と聞き返そうとした時、前方の岩山の光が三度明滅し、消えた。『完了』だ。


 女の腰を離して、背を軽く叩いて後ろに追いやる。


 女は意図を察して、ラズールの真後ろにピタリとくっついている。


「クソ、馬鹿らしい! お前ら全員切り捨ててやる、女は後でのお楽しみだ」


 ジャファルが指笛を鳴らそうとしたが、それは遅かった。ラズールは先ほど女を庇うときに近くまで寄せておいた短剣を蹴り上げる。


 空中で跳ね上がり回転したそれを左手で掴む。笛の音が響くその前に、右手にはすでに「現れた」小刀を握りしめ捻り投げると、ジャファルの手に突き刺さる。



「っ……くしょう!」


 ジュファルが腕を振り、突き刺さった小刀を投げ捨てる。ラズールが松明の灯りに短剣を翳し閃めかせ合図を送ると、激しい破裂音が響き火花が闇夜に咲き、振動が砂漠に響く。


「は? なんだよ」 


 だが、火花は一瞬だけ。

 直接の被害を受けていないジャファルが呆れたように口をひん曲げる。しかし、夜目にはわかり難いが、確かにラズールの目には、ズッと小さな音を立てて地面が動くのが見えていた。


 ラズールは女の腕を取り、後ろに数歩下がる。

 その頃にはジャファルが曲刀を構え、ラズールに迫っていた。



「お前の獲物は、投擲だけだったよな。剣は下手くそだ。いくらナイフ投げが百発百中でも、もう後がねぇぜ」

「……」


 ズズズ、と音を立て振動が足下から聞こえ、後ろの女が音の発生源を探そうと左右に首を廻らしている。袖が不安げに引っぱられるが、振り向いて欲しいという行動ではなく無意識なものだろう。


 無表情なのはラズールだけ。あちこちで仕掛けが動き出す。


 ジャファルの後ろで、砂が流れ始める。

 流石にジャファルもその不穏な音に耐えきれず、ラズールを気にしながらも後を振り返った時に、それは起こった。


 彼が振り向くのを待っていたかのように、突然地下への大穴があいて、砂の大瀑布ができあがる。


「な、何だこれは!」


 渦を巻きながら、一気に地下へと雪崩落ちる砂。


 慌ててラズールの方へと足をもつれさせながら、ジャファルが流砂から逃げる。


 闇夜に轟音が響き渡る。まるで滝のように音を立てて、ぽっかり開いた地下へと砂が流れていく。砂が流れ落ちていく先は、ラズール達の地下の住処。


 そこは避難が終わり、仲間はもう誰もいない。――攻め込んできた『黒蛇』の盗賊以外は。



 地下のあちこちで悲鳴があがる。だが砂に埋もれて声はくぐもり、そして消える。ジャファルが顔色を変えて地下を覗き込み、そして、再度ラズールの方に向き直る。


 爆破はわずかな呼び水にしか過ぎない。

 この一帯の砂の下は、硬い岩盤が敷き詰められている。それを天井にしていた為、地下に住んでいても砂に埋もれずにいたのだ。

 だが決まった地点で穴を開ければ、岩盤は崩れ地下空洞に砂が落ちる。


 ――地下に住居を作ったのは、後始末がし易いためだ。


「クソ。てめえ、ラズール!! てめえ剣も使えねえくせに!!」



 鼻の上に皺を寄せて、ジャファルが曲刀を手に突っ込んでくる。


「ラズール!」


 背後で女が叫ぶ、出てくるなと片腕で制止する。ラズールの得意は投擲の小刀だけ、もう一つの武器の短剣では曲刀に敵わない。



「くたばれ」


 ジャファルが、曲刀を構え口角を上げる。


「――忘れたのか。お前はここを、大蟻の巣だって言ったんだぜ」


 あと数歩というところで、ラズールが珍しく台詞を吐くと、訝しげな顔をしたままガクンとジャファルが地面に崩れる。


 何が起こったのかという顔の彼の足元が漏斗状に円を描く。目を見張る女の目の前で、あっという間にジャファルの半身が砂に飲みこまれていく。


「ラズール!! てめええ」

「大蟻に、よろしくな」


 ジャファルの怨嗟の声が砂中から聞こえる。

 

 こんどこそ、天然の蟻地獄だ。


 完全には沈まないが、一人じゃ抜け出せない。あとでお仲間が助けるかどうかは、ジャファルの人望次第だった。 


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