65.帰るみち
扉の向こうは、石柱廊だった。
はるかな昔の光景、なのにシャーラにとっては一年も経っていない。そして、懐かしい扉をくぐる。
そう、ここは神殿だった。
月の神への祈りを捧げる水の神殿。
そこには、記憶に懐かしい白い礼服を着た女性が佇んでいた。
「あなた、は」
不意に何か白いものが、シャーラの視界を掠めた。驚いて目を見張っていると、半透明の女性が、シャーラの身体をすり抜けていった。
「あれは! ……私?」
裸のシャーラが、何かから逃げるように。
いいや、過去の魔王から逃げる時と同じ様相で走り去る。まるで幻だ。
慌てて扉を振り返るが、過去のように蔦も王も追いかけてはこない。
『ここは時の狭間。あなたは今、他者の時間に入り込んだ迷子』
「時の狭間?」
白い衣服の女性が語りかける。
『魔王の作り上げた、どこにもない時間』
「今、通り過ぎたあれは……過去の私?」
『時越えをするあなたです』
(時越え?)
『ビルキースの作りし“時越えの門”から、私があなたを逃した。過去のあなたは、今のあなたと接触しました。そして、あなたの記憶を拾い混合したのでしょう』
シャーラは目を見開く。
「まさか、私が、イラムに行くと約束したのは……アミナさんだったの?」
シャーラの記憶が、時を越えようとしたシャーラに混ざってしまったのか。
『あなたが、新しい世界で生きるために記憶をすべて封じたはずでした』
でも……大事な約束で、大事な記憶だ。消えなくてよかった。
「どうして、私はアミナさんの中に入ってしまったの?」
『私達巫女の一族の血を引くものは、たまに心を駆けてしまうことがあります』
シャーラは意味を飲み込むために黙り、そして唐突に悟る。
「私達……それって、私とあなたは――」
彼女はただ黙って優しく微笑んで、呆然としているシャーラの手を包み込むようにギュッと握りしめる。
『さあ、行きなさい。今度こそ戻ってきてはいけません』
ただ愛しさに溢れている顔。どうして、どうして忘れていたのだろう。
「待って、あなたは、――お母さま――!!」
その人は、シャーラの頭を撫でて、陽炎のように揺らいで消えた。
静かな空間。何ももう残っていなかった。
「……行かなきゃ、私も」
シャーラは、ただ一人を思い浮かべる。
そうだ、ラズールと一緒にイラムに行くのだ。
――一人にはしない、一人にはならない。
最後に伝えられなかった言葉。今度こそ、あなたに伝えるから。
「ラズール、一緒に」




