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砂漠に降る銀の月~花の刻印があるスルタンの妃は盗賊と出会う~  作者: 高瀬さくら


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63.交換条件

 夜だった。


 雲に覆われた星も月もない闇の夜に、黒い巨城だけが輪郭を写している。

 滔々と水を湛える大河も、ただ黒い闇。

 

 シャーラは、女たちの手によって薄く透ける白いガウンを着せられていた。

 美しすぎるその男を目の前にすると、シャーラの足は屈んで自然に額づいてしまう。

 思考も囚われる。

 ぼんやりして何も考えられなくなる。


「さて、アルヴァーン。約束の期日だ、答えを聞こう」

「……答え……?」

「答えられぬのならよい」


 男はシャーラに首に手をかける。長い爪が皮膚を掠める。

 片手であっても、シャーラの細い首は簡単に絞められるだろう。それよりも骨が折れるのではないかというほど首を強く握りしめられて、みしりと骨が音を立てた。


「うっ…はあ」

「つまらぬな」


 赤い瞳を細めて、男の美しい唇が呟いた。


(私……死ぬの。どうして……?)


 どうして、こんなところで。

 この人は誰? 

 思うそばから、まるで刷り込まれるように、答えが頭の中に用意される。

 

 ――この人は、私の主。私の王。――私の仕えるべき人。


「お前も結局は死ぬか」

「ちが……う」

「……」


(ちがう、ちがう)

 

 私の仕える人は、この人じゃない。これは違う。ここは違う。


「アルヴァーン?」

「ちが……」


 私の名は……そうじゃ、ない。


(シャーラ。あなたはそう呼んでくれた)


 ちくり、と指が痛んだ。

 まだ残る力で、シャーラは男の太い手首に触れる。シャーラの右手には、鈍く光る指輪があった。


「ジンの指輪、か」


 男はシャーラを一瞥し、腕を掴む。そしてシャーラを突き飛ばす。


「どこぞやで手に入れてきたか」

「わから、ないわ」

「これを使い、私を倒す気か」

「違う、違うわ」


 男が空間に手を払うと、透けるような映像が浮かび上がり、そこには黒髪の青い瞳の男が佇んでいた。


「ラ、ラズール! ラズール!!」


 シャーラは叫び、そして空間に手を伸ばす。

 透明なのにそこにいるみたいだ。けれど彼はシャーラには気が付かない。いくら叫んでも、こちらを見ない。


「ラズール……あなたは」


(どうして、私は一瞬でもラズールを忘れていたの?)

 

 ラズールに会いたい。

 涙が滲んでくる、嗚咽が漏れる。もう一度会いたかった、また見ることができた。


 ――ラズールに、やっぱり会いたい


 「ラズールは、何をしているの?」


  なぜか、彼はシャーラを抱きしめている。


“シャーラが生き返るなら――”


 まさか、とシャーラは唇をわななかせる。

 彼は何をしているの? 何を言おうとしてるの?


「やめて!! やめて、やめさせて!!」


 ラズールやめて。お願い、やめて、やめてよ。


“シャーラを生き返らせろ。欲しいものは、くれてやる!”


「やめて、――止めて、止めてよっ!!」


 不意に時が止まったかのように。ラズールが動かなくなる。


「よかろう。――お前の願いを叶えてやろう」


 まだシャーラの心臓は煩く激しく鼓動を打ち鳴らしている。手足が冷たい、けれど顔が熱い。熱いのか寒いのかわからない。


「……ねが、い?」

 

 声が出るのが不思議だ。何を、この男は言うのか。


「私は魔王だ。あの男を助けてやろう、お前の望みどおり」


 ただし、と男は続けた。


「お前は、私に身も心も捧げるのだ。私に心から仕えればいい」

「な、ぜ」


 どうして、そんな提案をするの。男がシャーラの前に立ち、顎を掴む。

 顔が近づく、青みを帯びた唇が近づき、そして冷たいそれを重ねる。


「--んっ。っや」


 シャーラは抵抗をした、つもりだった。

 叩いた胸は厚く、シャーラが暴れても離れない。


 ようやくシャーラを解放した男は、陽炎のような赤い瞳で冷ややかにシャーラを見据える。


「今のような行動は、今後許さぬ」

「私は――」


 男が手を振ると、画面のラズールが動き出していた。

 その瞳は、白く濁っていて――青くなかった。

 

 ただ焦点の合わない瞳でシャーラを見下ろしていた。


 うそ、うそでしょう、と頭の中で声が響く。嘘だ、この姿は嘘だ。男がみせているだけ。

 なのに、あまりにもラズールそのものの姿で、その映像が嘘だなんて思えない。

 

 理解していた。彼は、目を奪われたのだ。

 目の見えない人がするように、ラズールがあちこちに手を伸ばして何かを探す。

 シャーラの知る自信に溢れた挙動はどこにもない。 


「や……や、やあ、やだ、やめて、うそでしょ。ラズール! ラズール!!」

「条件を飲むか?」

 

 シャーラは叫び、その映像に縋りつく。

 ラズールは反応しない。

 シャーラがいくら叫んでも、こちらを見ない。


 ただ不自然な動きで、手を伸ばしシャーラの顔に触れている。


「……じょう、けん?」

「私がお前に飽きるまで、お前は仕えるがいい。そして私はお前にアイツを毎日見せてやろう。あいつの目が戻り、普通の生活をして、女を娶り、やがて子を持つ。その日々を見れるのだ。嬉しかろう」

「ほん、とうに? ……どうして? 条件って、なに……」


「簡単だ、お前が私を飽きさせなければいい。ここでの時間は無限。お前は永遠にここで時を重ねず、ただ男が死ぬまで見届ければいい。ただしお前に私が飽きれば、明日にでもお前は死ぬ。五日後も、半年後も、一年後もあの男を見たければ、お前は私に心から仕えればよい」

「私、は……」


「それくらいもできぬか。あの男は、お前のために目を犠牲にしたのに」


 囁く声に、その誘惑にこたえそうになる。

 叶えてくれるなら、ラズールの目を戻してくれるならば、それでもいい。


「ラズールは、私の生を願ったのね。なのに、どうして私は……生き返らないの?」

「お前はここに、生きているじゃないか」

 

 男が冷ややかに告げる。

 最初は何を言うのか、飲み込めなかったシャーラは、続いて愕然と男を見返した。


「私が、ここ、にいる?」

「期日が来れば戻る約束だ。そして、あの男がお前を生き返らせた」

 

 それとも、と男は続けた。生き返った、だからいまここにいることができる。

 まるで悪夢だ。

 シャーラはいやいやと首を振る。受け入れられない。


「その指輪で、私を滅ぼして見せるか?」


 そんなシャーラにかまうこと無く、淡々と男は尋ねる。


 「魔神ごときが、私に敵うとは思えぬが」


 改めて見る男は、全身が刺青に覆われて屈強な腕には幾何学文様の腕輪がはめられて、いびつなゆがんだ指輪が全ての指にはまっていた。


 敵うわけがない、シャーラには道がない。

 唯一の救いの道を選ぶしかない。


 ラズールが、助かるならば――この男に永遠に仕えてもいい。

 

 ラズールが美しい瞳を取り戻し、やがて新しい人を愛し、子を作り、家族と共に生きて、そして死を迎えるまで。

 

 それを毎日、見続ける。


 毎日彼を思い泣くだろう。

 誰かを愛する姿を見て胸を痛めるだろう、けれど、それでも彼を見ていたいのだ。


 彼の美しい瞳を失くすこと、そして二度と姿を見れなくなることに比べたら、どんなにいいだろう。


 シャーラは、顔を上げて口を開いた。



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