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砂漠に降る銀の月~花の刻印があるスルタンの妃は盗賊と出会う~  作者: 高瀬さくら


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62.願い

 アミナが疲れたように笑う。体も心もボロボロで、なのにただラズールを求めている。


 シャーラは、アミナの中で拳を握りしめる。何もできないなんて言い訳して、自分が何もしなかっただけ。


(アミナさん……)


「あの男は、解任された。うまくやったな」

「なんのことでしょう」

「だが、私は諦めぬ。欲しいと思った玩具は、必ず手に入れるからな」


 ひどく不機嫌に鞭を振り上げるアミナの夫。

 堪えるアミナを眺めながら、シャーラは唇を噛みしめる。


(こんなこと、許せるわけがない)


 でも、許せないのは――何もできない自分。


(ファリドはどういう時、出てきていた?)


 ファリドはシャーラが眠っている時や気を許した時に、シャーラの体を使っていた。

 今、アミナの意識は虚ろだ。シャーラの意識のほうがきっと強い。

 きっと、今なら。

 

 動く体を想像する、意識がふっと溶ける感じがして突然焼けるような痛みが背中に走る。 

 男の手が鞭を振り下ろすたびに、痺れと熱さ、耐え難い痛みに襲われシャーラは喘ぐ。


(……痛みを感じるなら。体も動くはず)


 シャーラの思いを受けて、首が動く。目の前を振り仰ぐ。豊かな巻き毛と眉毛は黒々とし、彫りの深い顔は美青年だ。男の手が髪を掴み、頭を持ち上げさせて顔を覗き込んでくる。

 男の瞳には、漆黒の闇が渦を巻いていた。


「……して」


 アミナの唇から漏れる声に、無表情のまま男が動きを止める。

 男が顔を近づけた瞬間、シャーラはその顔に手を叩きつける。


「――放して!」


 爪が頬を引っ掻き、一筋の赤い線ができる。 

 男は叫び顔を押さえる。怯んだ男の腰から短剣を抜いて、そのまま胸に突き刺す。


 ――届く、そう思った瞬間だった、いきなり体が反転する。

 腕がねじ上げられて、剣を取り落とすと同時に、背中に激痛が走る。蹴られたのだとわかった。

 

 襲いくる鞭。激痛に、叫び声も出せない。

 

 終わり無く続く痛みよりも胸が痛い。


 ラズールとアミナ。兄妹の二人は思い合っていたのに、どうして通じなかったのだろう。どうすれば、二人は救われたのだろう。

 

 ひたすら続く暴力にシャーラは耐える。今ここで気を失えば、アミナにこの痛みが降りかかるだろう。

アミナとラズールを思いながら朝を迎えて、シャーラは意識を失った。




"よくやった。これでおまえは死なずにすむ"


 シャーラはジンの声で目を覚ます。不吉な声、相手をしているのは、アミナだろうか?


(アミナさん……傷は、平気なの?)


 いつものように、アミナは答えない。


「どういう、ことよ」


"あの青い目はお前のもの。代償にせよ"


「願いなんて、もうないわ」


 アミナは呟いて、首を横に振る。


「そうね、わたしはもういいわ。アンタとの関係もここで終わりにしましょう」


"何を願うのだ"


 ――望み、とアミナは呟く。


「――どこか違う世界に……行きたかった。お兄ちゃんと一緒に、飢えも痛みもない世界に」


 アミナは手をついて、体を起こす。その目には光が宿っていた、強い、今までにない意思を宿した光だった。


「――ねえ、聞いた? 青鷹のラズールですって……いい名前もらってんじゃない」


(アミナさん?)


 その呟きは、ジンに向けてとは思えない。

 何かが変わった気がした。憂い顔のアミナが、初めて微笑んだ気がした。


「あの男、おキレイな顔に傷が残ったそうよ」


 やるじゃない、とアミナは言う。それはジンに向けたものじゃない。


「――あなたが、頑張ってくれたから。私も決めたの」


 ジンの指輪を外して、虚空にかざす。


「三つ目の願いよ」


“ようやく決めたか”


 アミナは泣き笑いのような顔で、口元を引き上げた。


「そうよ。私はあなたの主人になる契約を結んだわね。でも最後の願いは、私と、ラズールを交換することよ」


 ジンはわずかに迷っているかのようだった。闇が揺らいだあと声が響く。まるで、アミナに警戒しているかのようだった。


“アヤツを、お前と交換し――我が主人にするということか”


 シャーラはアミナの意図が飲み込めず、呆然とする。

 彼女は何を言うの?


「アンタは契約者を守るんでしょ。ラズールを主人にすれば、誰も手をだせなくなる、ラズールを守りなさい」


"本人ではなければ。代償がなくては、契約しない"


「できるわよ。私の願いを叶えて、そうしてラズールを主人にする、それは私の命が代償。ラズールを主人とする契約の代償は、私が得た青い目。あなたは、私の命を得た後、ラズールを主人にして、いずれその代償ももらえるのよ。何も損することがない」


 ジンは今度こそ考えているようだった。確かに、ジンにとってはいいことばかりだ。でも、どうして?


 ラズールの命を助けるために?


(アミナさん、だめよ。他に方法があるわ)


“――いいだろう。お前の願いを叶えて、アヤツを我が主にしよう”


 闇が返事をし、その塊がゆらりと、風が拭いているかのように流れる。


「今の言葉は絶対ね、私の願いを叶えてラズールを主人として守るのね」


“そうだ。ただし、お前の口で願いを言え”


「ええ」


 アミナは、一度口を引き結んで、それから顎をあげる。目が血走り、炯々としている。その様子にどこか不審を抱いたのは、シャーラだけではなく、ジンも同じだったのだろうか。


“小娘?”


「願いよ。私とラズールの“目”を交換しなさい!」


“何を、馬鹿な。気でも――”


「あなたは言ったわ、私の願いを叶えて、ラズールを主人とすると」


 闇が、まだ理解できないというようにただ揺らいで、それからいきなり急速に膨れ上がる。


“小娘、二つの願いを私に約束させるなど! そのような浅知恵、通用すると思ったか!?”


「通用するわ。あなたは確かに約束したわ」


 そして、とアミナは続けた。


「私とラズールの目を交換すること、ラズールを主人として守ること、できるはずよ。さあ、やりなさい!!」


“謀りおって!! お前に青い目をやるなど! ……お前に目をやってしまっては、お前を殺せぬ! その上、青い目のないあの男を主人にするなど!!”


 そして、吠える。


“まさか、そのためにお前の魂を惜しむと思うか!? 生かしておくとでも!? 構わん、お前の命、奪ってやろうぞ!!”


(アミナさん、なんてことを! あなたが死んでしまう)


 アミナの顔色が悪くなる、胸を押さえて、荒い呼吸で崩れる。


「ねえ、ジン。私知ってるのよ。ジンは、一つ目の願いを叶えないと主従契約にならないんですってね。――ラズールは賢いわ。持ちかけても、願いを言わないわよ、あなたなんて相手にしない」


“今度は――何を言うのだ”


「だからね。あなたはラズールを狙っても囁いても、無駄なのよ。ラズールを主人にしたいでしょ、青い目を欲しくて漂うのに、主人にできないの。ラズールを主人にするまで、ただ彼を守り続けるの」


“何を言っているのだ……”


「さあ……考えなさい。どうすればいいか。あなたは私を殺したら、私の願いを叶えたら――、青い目は得られないわ」


“小娘、小娘、小娘――”


 闇が膨張して息が苦しいほどの圧迫感に満ちると思えば、いきなり闇が縮んで不自然なほど白い空間になり、そのうち闇は指輪の上で憎々しげに老人のような、老女のような、獣のような顔を次々と浮かべる。それに共通しているのは憤怒の表情だった。


“奪ってやる、奪ってやるぞ。全部、お前の命、アイツの瞳、必ずや、必ず!!”



 そして水が溜まった水瓶の栓を抜いたときのように、シュルシュルと音を立ててアミナの指輪に闇が吸い込まれていく。


(アミナさん、アミナさん!!)


 アミナの顔色は、土色だった。


(アミナさん、どうして? なぜこんなことを?)


「ねえ、そこに……いるの?」


 アミナの目は、白目を剥きぎょろりとあけたまま、虚空を見つめていた。一度まばたきをすると、瞳がもとに戻る。茶色い眼差しは揺れて、涙が滲み、そして今度は瞳が閉ざされる。


「最後まで、ありがとう。……お陰で、さいご、踏ん張れた。…間違え、なくてよかった」


か細い息。途切れ、途切れに話す口。


「あなた、お兄ちゃんの、とくべつな、ひと、でしょ。わたし、わかるのよ、そういうの」


 消えつつある声、もう息がない。けれど心が流れ込んでくる。


「うまくいけば。あいつは、このまま何もできない。……漂いながら、目を狙いながら、ラズールを守る、の」


 そして、口をとざす。


「ラズールに、指輪が……みとどけ、て」


(アミナさん、アミナさん!!)


「ふたりで、らくえんへ……イラムへ、行って」


(アミナさん! 死なないで!)


「そこなら、しあわせになる、やくそく……」


 涙が溢れてくる。名を何度も呼ぶが、アミナは目を開けなかった。

 

 ラズールに似ていると思った顔は、最後まで悲しそうだった。





 ――どのくらい経ったのか。


 やがてシャーラの目の前に、透き通る手が差し伸べられる。

 

 女が被り物を取ると、美しい黒髪がオリーブ色のむき出しの肌に扇のように広がる。そして、倒れ伏すアミナの指を取り上げ、指輪をそっと抜き取りシャーラの手に握らせる。


「あの! あなたは……」


 お姉さま――? 

 シャーラの唇の形で呼びかけを読んだのか、彼女は唇に指を当てて「黙って」とでも言うように首をふる。


 同時に部屋に女官が入り込み、アミナの死体を見てけたたましい叫び声を上げる。遅れてやってきたのは、アミナの夫だった。


 彼はアミナを汚物でも見るように蔑んだ眼差しで一瞥し、ついで眉をひそめる。初めて興味を持ったかのように、アミナの傍らに膝を付き、その首に指を触れる。


『わずかに脈がある。生きてはいるが、魂はない。――ジンに取られたか』


 面白い、と彼は呟いた。だが、その顔は、アミナの手を取るまで。


『指輪がないな。――どこへ行った』


 シャーラは息を飲み、かたわらのオリーブ色の肌の女性を見つめ返す。シャーラも、彼女も、王弟には気づかれていないようだ。


『この女、生かしておけ。――死体は別のものを用意し、河に捨てろ』


 男の影から黒い瘴気が、承知したとでも言わんばかりに湧き上がり膨らむ。不気味なそれはアミナを取り囲んだかと思うと、彼女の口から中に入り込んでしまった。


(アミナさん! やめて! 何をするの!?)


 オリーブ色の肌の女性が、シャーラの口を塞ぎ、叫び声さえも閉ざされる。


 全てが闇に飲み込まれて、シャーラは何も見えなくなる。






 ――そして気がつけば、周囲に闇が満ちていた。


 シャーラの足元にはたくさんの蔦が絡まっていた。動けない。


 そして、背後から伸ばされた手に抱きしめられる。

 ぞくり、と背筋が凍り、息が上ずる。


「ようやく私の手に戻ったな。アルヴァーンよ」





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