60.魔神の能力
寝具の中で目を覚ましたアミナは、起き上がろうとして、訝しげに眉をひそめる。
裸なのはいい、確かに意識を失う前に衣装を脱いだのは覚えている。
けれど体が重い、手を動かそうとして伸ばせないどころか、引っ張られる感触と、不快な金属音に警戒の眼差しを浮かべた。目の前の男を睨む。
「これ、どういうつもり?」
「躾ができていないのは、本当のようだな」
男が立ち上がると、腰に挿してある短剣の柄にある模様――鷲の横顔の紋章が見えた。
背が高く、シャーラには顔が見えない。ただ立派な体躯なのがわかる。
アミナの手は、金の鎖で繋がれ吊るされていた。足も同じように鎖で繋がれて床に杭で繋ぎ止められている。
「なかなか気が強いと聞いた。持て余されていると聞いたので、私が貰った」
「わたしを妃にしたのでしょう? まさか妻を鎖で繋ぐつもり?」
男は、アミナの顎を持ち上げる。クッと喉を鳴らして笑う。
「まさか。それだけで済ますつもりはない」
男はアミナの銀色の指輪を撫でる。
「触らないで!」
「――ジンの指輪。お前は、それに願い私の所に来たのだろう」
アミナが息を飲む。男の顔はよく見えない。
「責めるつもりはない。歓迎するよ、丁度良い生贄を探していたところだ」
「――まさか、嘘でしょう」
男の腕には沢山の渦巻き模様があり、何重もの金や銀の腕輪があった。
「私の今お気に入りの魔神は、血が好みでね。そういうところも、私と気があうのだよ」
男が手を振り上げる、その手に握られているのは、革できた鞭だった。
(アミナさん逃げて!)
シャーラが呼びかけると、アミナが寝台の中でうっすらと目を開く。日々の暴力をシャーラは見てきた、それは躾と称された虐待。
「馬鹿ね。泣いているの? 早く逃げなさいよ、戻れなくなるわよ」
(アミナさん、アミナさん、死んでしまうわ。逃げて、お願い)
「――ジンの魔法って、絶対なのね。私はアイツの后になりたいって望んだけど、それが今度は私の枷になって逃げようとしても逃げられないのよ。どうしても見つかっちゃうの」
(きっと、何か方法はあるわ)
「関心をなくさせるとか、気持ちに干渉させる願いも叶えられない。役に立たないわ」
シャーラは、アミナの体を使うことができず、ただ励ますことしかできない。
「それにアイツは、強力な魔神使いなのよ。私のジンに、アイツを殺せと命じようとしたけど、ダメだった。怪我をさせることもできない。アイツは、いくつもの魔神を操って自分を守らせている。――馬鹿だった、私」
アミナは、表向きは綺麗な衣装と宝石を纏って、王弟殿下の后として扱われている。けれど、その体は毎晩鞭打たれ、逃げられないように薬を与えられ、朦朧とした中で日々を送らされていた。
(どうして、あの人はそんなも魔神を使役できるの? そんなに契約できるの?)
「契約しないで、縛っているのよ。ジンは、願いを叶えた時点で代償が発生して、主従契約になるんですって。私はもっとうまくやればよかったのね」
(まだ諦めないで、アミナさん……)
「悪くない生活なのよ。美味しい物、美しい宝石に衣装、私が望んだこと。ただ痛みに慣れないのよ……」
(痛みになれるなんて、ない! そんなの当たり前よ)
「……私、本当は何を望んでいたのかしら」
アミナが、呟く。拳を握りしめて、もう一度絞り出すように。
「ラズールに、会いたい。……お兄ちゃんに、会いたい」
"それは、二つ目の願いか"
ジンが囁く。アミナの虚ろな瞳に、光が宿る。据わった目に、仄暗い光。
(アミナさん、待って。よく考えて)
「そう。会いたいの、連れてきて。――ここに」
地方の隊長から、皇帝軍の十将軍のうちの一人となったラズールの名前は、王宮内でも当時密やかに囁かれた。
貧民の出であるが、後見人の父親は帝国内では裕福な商人。つまり地位を金で買ったのだろうと。
だが賤しい出自のため、将軍になっても王宮から遠い戦場に配置され続け、顔も知られていなかった。
それが突然、王宮の要職につけられたのだ、軍の内部も色めき立っていた。
「あのラズールという男、お前の兄だろう」
いつものように、繋がれて鞭打たれていたアミナの上に珍しく夫が問いかける。彼が他人に興味を持つことは珍しい、だが反対に興味を持った時は、危険だ。
痛みで遠のいていた意識が急速に戻り、冷や汗が背中を伝う。
ジンの願いの成就は、社会に不自然とならないように、合理性を持って事が運ばれる。
地方から王宮の警備にと異動してきたラズールを、アミナは幽閉同然に閉じ込められた奥宮から見下ろすことができた。
短髪の黒髪から覗く青い目、凛々しく見目の良い顔、逞しい体躯、奥から覗き見ていた王宮の召使いから貴族の奥方、娘までが、目を奪われさざめいていた。
地位を金で買ったなんて嘘だと、ひと目で皆が見抜いた。
若いながらも何事も見逃さない鋭い目、存在を感じさせない佇み方。五十メートルもの高さの城壁から狙う相手の目をナイフで射抜いた、棘地獄の罠に嵌った仲間を助けに飛び降りた、様々な噂が実しやかに囁かれる。
鷹のように突如空から現れて、鋭い爪で敵を抉り仲間を助ける、それが、青鷹のラズールというものだった。
「美しいな、あの青い目。顔の造作も、体もいい。お前より美形だ」
「何のことでしょう」
「とぼける気か」
知られるわけにはいかない、兄妹だと。再会を願ったが、関係を持つつもりはなかった。
なのに、この男は気がついたのだ。
声が震える。気がつかないで、だめ。そんなつもりじゃなかった。
「魔神に命じるまでもない。おまえがいるからな。妹のために、喜んで私に仕えるだろう」
傷つけばいいと思った。
私だけこんな目に合うなんて。兄も――ラズールも、ちょっとぐらい苦しめばいいと。
でも――。
「お前と二人で、並べたら。さぞ映えるだろうな




