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砂漠に降る銀の月~花の刻印があるスルタンの妃は盗賊と出会う~  作者: 高瀬さくら


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58.過去――アミナ

 暗闇に光が灯る。


 ――少しずつ、周りが見えるようになる。目の前には、背の高い男がいた。


「ねえ。だんなさま、ごじひをください」


 どこからか、声が聞こえる。

 目の前の男の上着の裾を掴んでいるのは、自分の手だ、小さい子どもの手。


(なぜ? 私は一体?)


「おねがいします。なんでもするから」


 話している拙い幼い声も、自分のもの。

 男が屈んで濁った目で覗き込んでくる。


「なんでもするのか?」


(いや、止めて!)


「――アミナ! アミナ」


 まだ声変わり前の少年の高い声が、割り込んでくる。男が蹌踉めいたのは、少年がぶつかって来たから。手を掴んできて、強い力で引っ張り走り出す。


「この餓鬼!」

「おじさん、今の話なし! 悪いね」


少年が後ろに叫び返す。強い力でグイグイ引っ張り結構な速さで走るから、必死でついて行く。


「ちょっと、なんなのっ。いいところで」

「バカ、走れっ」


 息を切らしながら、走り抜ける。

 壊れた壁を潜り、崩れた日干し煉瓦の建物の前にくると、南京錠のかかった戸の前の木箱を持ち上げる。少年はその下にあった穴の中に、私を押し込んでくる。悪態をつきながら狭い地下室に潜り、乾いた地面に座り込む。


「邪魔したわね、ラズール!」


(ラズール?)


「アミナ。大人しく待ってろって言っただろ」


 目の前の少年が、頭のターヴァンを外して、それで額の汗を拭く。長く伸びた前髪から覗くのは、宝石のような透き通る深い青い瞳。


(ラズールなの!?)


 自分が知るラズールよりも小さい、まだ子どもだ。少年の彼が、幼さに見合わない鋭い瞳で睨みつけてくる。


「もう少しで何かをくれそうだったのに」

 

 目の前のラズールは、男から擦った財布を出して、シャーラに渡してくる。


(ううん、私に、じゃない)


 小さな手の平、けれど明らかに自分の手ではない。見慣れない指と爪の形だ。


「そんなに入ってねぇよ」


 黒ずんだ手が閉じ紐を解いて、手の平に硬貨を落とす。石と銅貨十枚、銀貨一枚だけ。


「いったろ。余計なことすんなって」

「なによ、このあいだだって男が、幾らかって聞いたのよ。稼げたかもしれないのに」

「だからダメだって言ってるだろ! 絶対そんなことするな!」


 突然怒鳴られて、体がびくりと揺れる。湧き上がるのは悔しい気持ち。


「バカはラズールよ! きれいごといっても、お腹はふくれない。ラズールこそ、その目を見せれば、母さんみたいに稼げるのに」


 喋っているのは自分なのに、自分じゃない。シャーラはアミナの目を通し、二人の会話を第三者として見て聞いているのだ。


(アミナって、ラズールの妹、よね?)


 ラズール少年が、激しい怒りを瞳に宿して背を向ける。


「その目、私にちょうだいよ! そうしたら、もっと稼げるのに。ラズールのバカ!」


 ラズールの背中はまだ小さくて、罵倒を受け止めるには頼りない体だった。けれど罵るアミナの心も、怒りと悲しみに満ちていた。


 その目があれば、私だって。

 青い綺麗な目があれば! 母さんのように、綺麗な青い目があれば。


 妬みと悔しさが止まらない。








「だんなさま。ごじひを」


 舌ったらずな甘えた口調で小さな手を伸ばす。目の前の大人は厭うように振り払おうとしたが、振り返った時に、動きを止める。


「お前、物乞いのくせに、中々綺麗な顔をしてるじゃないか」


少女は、にこりと笑うと軽く首を傾げる。


「だんなさま、もうずっと何にも食べていないんです。わたし、なんでもします」

「ふーん、なんでも、か」


(アミナさん、駄目!)


「はい、わたし、なんでもできます」


(アミナさん、ってば。駄目だってラズールに言われてるでしょ)


 大人の男の自分を見下ろす目つきがいいものでないことに、シャーラは気がついていた。男がキョロキョロと周囲を落ち着きなく見回し、アミナの手を掴む。


「だんなさま、さきにお恵みを」

「だまれ」

「だんなさま、何か食べないと今すぐ死んじゃいます」


 男が胸から硬貨を投げ捨てる、すかさず拾うアミナ。男がその手を引き寄せた時、アミナが屈み込んで、ゴホゴホと咳こむ。

 男がなおも手を引こうとしたが、さらに咳き込み、そのうち赤いものを吐く。


「お前、何か病気があるのか」

「ごほっ、ごほ、わかりません、でも妹も母さんも咳が止まらなくなって、そのうち血を吐いて死んでしまいました」

「よるな、よるなっ」


 男が怯えたように、顔を引きつらせて、アミナを突き飛ばす。


「だんなさま」

「餓鬼! 触るなっ」


 男は足をもつれさせて、逃げていく。


(アミナさん、大丈夫?)


 アミナは、蹲ってじっとしていたが、そろりと背後を覗き見る。それからおもむろに立ち上がり、走り出す。しばらく駆けてから、建物の裏手に入り込むと手の平を開く。


「また銅貨」


 ぽつりと呟いて、舌打ちする。


「ケチ」


(アミナさん、咳は大丈夫?)


「……うるさい」


(アミナさん?)


「うるさいってば。まったく、邪魔しないでよ」


(わたしの声が聞こえるの?)


 彼女が反応してくれたのは、初めてだ。


「聞こえてたわよ。騒ぐから、集中できなかったじゃない」


(あんなの危険だわ、それに咳は大丈夫?)


「嘘に決まってるでしょ。インク瓶を拾ったの、あんなのちょろいわ」


 でもやっぱり危険だ。あんなこと言って何かされたら、逃げ出せないだろう。


「平気よ、別に。甘いのね。飢えたことないのね」


(――わからないわ)


「そう、とにかく黙ってて。いつまでもいないで。早く自分の体に戻りなさい」


(どういうこと?)


 困惑を滲ませて尋ねると、アミナは立ち上がり、服の中から歪んだ古い鉛色の輪を出して親指に指す。大きすぎて、ぶかぶかだ。


「あなた、ジンじゃないでしょ。人だわ。たまにいるのよね。死にかけてるとか、自分が死んだのに気がついてないのとか」


 シャーラは、これがファリドと同じ状態だと気がつく。そういえば、ファリドはどうしたのだろうか、気配をずっと感じない。


「ラズールも変な気配に気がついてるみたいだから、早く離れて」


(ラズールが?)


「私、ジンとか呼び寄せやすいの。母さんは、巫女だったから。ラズールなんて、前は魔神を呼びだせるほどだったのよ。今はもう力が弱くなってできないみたいだけど」


(でもラズールは、何も言ってなかった)


「言わないわ、ジンには話しかけもしないし、話題にもしないわよ。話しかけたら居座っちゃうもの、気がついても無視するの」


(あ……それで)


 そういえば、初めてシャーラがファリドと話しているのを聞いたラズールは、追及をしてこなかった。


「これはね、ジンのゆびわよ。……イラムの宝物なの、いつかラズールが連れてってくれるって。そこに行けば、お姫様になるのよ」


 何かの部品の欠片のような鉛の輪をはめた指を、目の前に翳すアミナ。

 シャーラは黙る。イラム、その名がでてくるとは思わなかった。そして、贔屓目に見ても、それは宝飾品には見えない。けれど幼いラズールが、アミナにした約束なのだろう。


「とにかく、もう私の邪魔はしないでね」


(アミナさん! 後ろっ、危ない!!)


 警告は間に合わなかった。大きな影が覆い被さってくる。口が塞がれて叫ぶ間もない。



 そこでシャーラは意識を落とした。


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