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砂漠に降る銀の月~花の刻印があるスルタンの妃は盗賊と出会う~  作者: 高瀬さくら


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45.アミナ

抱きしめてくるシャーラは温かい。


 こんな風に誰かに包まれるなんて初めてだ。

 シャーラの瞳はどこまでも穏やかな湖面のように揺らぐことなく、自分の声が、彼女の透き通る瞳に染み込んでいく。

 

 ラズールは、母親の出自を知らなかった、ただ貧しい村で夫に死なれて、街に出てきたのだと聞いていた。なぜ街に出てきたのかと聞いても、首を傾げるだけだった。

 恐らく職を探してというよりは、なんとなくそうする寡婦達の後をついて来たのだろうと今になれば思う。

 母親は美しいが、何も考えていないような人だった。


 ラズールは物心ついた時には日々空腹で、ゴミを漁る生活をしていた。

 少し歳をとるとラズールはスリを、妹は物乞いをすることを覚えていた。

 だがある日、妹は消えた。まだ二人とも十二歳だった。

 

 母親は美しく、妹はその歳にして美貌の片鱗を見え隠れさせていたことが災いしたのだろう。攫われた、おそらく売り飛ばされたのだろうと、誰に聞かなくてもラズールにはわかってしまった。


 母親は、どこまでも深い群青の瞳の美しい女性だった。けれど、いつもぼんやりとしていて、妹がいなくなっても同じだった。

 ラズールは何日も何日も妹を探し続けた。けれど誰も気にもせず、ラズールの言い分を相手にしてくれなかった。


 ここでのちに役に立ったのが、トゥリーとの出会いだった。自己流なのにやけに剣の扱いに長けたトゥリーと親しくなり、同時に街のやばいところにも出入りして、次第に裏の社会のことも学んだ。


 そしてある日、母親とともにマスルールの屋敷に連れていかれたのだ。

 美しい母を見てマスルールが連れ帰り、その日からラズールは食べることに困らない生活になった。

 母親は下働きから側女に、そして何番目かの妻になり、この屋敷が与えられた。


 ラズールは、十四の歳になり帝国軍に志願して、異例の若さで将軍にまで上り詰めた。


「俺が帝国に行ったのは、人攫いの多くが帝国貴族を相手に、商売をしていると聞いたからだ」


 人攫いは、それを自分たちが使役するわけではない、高く売りつけるのだ。それを必要としている国や貴人に。

 ラズールは軍の中で地位を得て、やがて貴人の警護を任されるようになった。数々の王族や貴族の式典、催しに出て、アミナの行方を捜していた。


「所詮、アミナは貧民上がりだ、噂にのぼることはまずないとわかっていた。だがある日、帝国の貴人の館で、アミナに会った」


 久々に会ったアミナは、母親と同じように側女から妻に成り上がっていた。豪華な宝飾品を身につけ、美しい顔にラズールによく似た無表情を貼り付けて、壇上から兄を見下ろして眉をひそめた。


『汚らわしい。あのドブネズミの軍人を追い出して』


 扇で小さな口を隠して側仕えに呟いていた。


 ラズールの出自はこれまでもなんども揶揄されてきたから、皆が知っている。だから、アミナがラズールと兄妹だと知られたくなくて、隠すのは理解できた。  

 

 その言い分は最もだと、己に言い聞かせた。


 ――そしてラズールはその晩、アミナの部屋に忍び込んだ。


「俺は、その時まで、まだ期待していたんだ。話せばわかってもらえると。アミナを探していたんだと……伝えたかった」


アミナはラズールの言葉を聞こうとしなかった。だが、警備兵を呼ばれる寸前に、ラズールは叫ぶように声を張り上げた。


「――アミナ、最後に聞かせてくれ! お前は、ここにいて幸せか!?」


 そうじゃないというなら、連れ出す気だった。

 いざとなれば、将軍職など捨てる覚悟もあった。


 アミナは笑った、毒のある笑みで赤い唇を醜悪に曲げて『アンタはいつも私の幸せを奪う』と。

 

 そして、最後に付け足した。


『アンタが死ねばいい。そうすれば、私は幸せになれる』


 そして、警備兵を呼んだ。


 ラズールは捕まり、謹慎処分となった。





「ラズール……」


 言葉を失うシャーラの手をラズールは取る。触れていないと、おかしくなりそうだった。


「その一週間後だった、女の死体が運河に上がっていると聞いたんだ」 


 女は阿片中毒で死んでいた。駆けつけ、その顔を確かめたが、腫れ上がり魚につつかれたそれは、母親とも自分とも似ても似つかぬものだった。


「俺は帝国の将軍だったからな、死体を返してもらった。アミナの薬中はかなり長いものだった。それに――」


 ラズールは息を吸う、ヒュウという音を喉が立てた。


「アミナには……古くから新しいものまでの鞭傷が、背中一面にあったんだ」


 シャーラの目が見開かれ、その銀の瞳に透明な雫が盛り上がる。


 その瞳に指を伸ばすと、温かい雫が指を、手首を伝い落ちる。


「綺麗だな」

「ラズール……」

「アンタが、泣かなくていい」


 アミナの主人に問い合わせたが、そんなものは知らないと言われた。妻がいなくなったかどうかなんて、答えるわけがない。


「どうして、アミナさんとわかったの」

「俺たちは一緒に育った。黒子の位置さえ覚えている」


 それまでラズールは自分に自信があった。嘘が見抜け、人の真実を暴けると。


「俺は、何も見えてなかった。わからなかった。妹の、嘘も、本当も」


 ラズールは、自分の代わりに泣くシャーラの頬を拭う。


「……アミナが、薬漬けにされていたことも、暴力を振るわれていたことも。アイツが、助けを求めていたのも、俺を憎んでいたのも、ぜんぜん……わからなかっ」


「ラズールっ、いいの。もういい」


 能天気に現れた俺を、アミナが糾弾しても仕方がない。今頃、何しにきたんだと思うのも当然だった。


 それから、ラズールは軍を退役して帝国を出た。


「いまは帝国の仕事を受けて、遺物を集めている」


 ラズールは、懐から小刀を出す。投擲に使うものだ。


「遺物は材質も、効果も不明だ。不可思議な力は今の文明では解明できていない」



 ラズールが立ち上がり、剣を庭に投げる。


 だが、ラズールが手首を返すと、その手の中に同じものが現れる。


「こいつは、おれが念じるだけで戻ってくる」


 こんなものが、あちこちにあったら大変だ。それを帝国に集めて管理させている。

 そんな力を帝国が独占しているっていうのは、また別の問題だが、とも力なく呟いた。


「アミナさんは、ラズールを嫌っていない、憎んでもいない」


 シャーラの優しさに感謝する。

 こうして、話すことで、少しずつ痛みが和らぐのだろうか。


 自分の代わりに泣いてくれることで、癒されるのだろうか。


「アミナは昔から、俺を嫌っていたからな。アミナの目は、青じゃない、茶色なんだ」

「目の色?」


 この瞳は、鮮やかな青だ。

 人の運命を狂わせる、呪われた色だ。


「なんで俺だけなんだって、昔からアミナに非難されていた」


 美しい母親の稀有な瞳、それを引き継いだのは血の繋がった兄。


「女のアミナがこれを持っていたら、違う人生だったかもな」

 



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