39.それぞれの事情
夜半に目を覚ました場合、ラズールはまず暗闇に視界を慣れさせる。
同時に視覚以外の感覚で、気配を探る。そして、目を覚ました原因――襲撃者や異変への対応を検討する。
足音は忍ばせているが、完全に殺せてはいない、ギシと寝台の足元で床が鳴る。
わずかな軋み、体重は軽い――女だ。しかも歩幅も体重移動も不自然。不安定な足取りの素人だ。
わずかに苛立ちがこみ上げた。
痛みを堪えている、怪我をおしての行動。そのせいで誰が後で迷惑を被るのか。
相手が大きく動く。
それまでの恐る恐るという小さな動きから、いきなり手を振り上げるのだから、空気が大きく乱れる。
だが――。
(あと一歩、踏み込みが足りねえんだよ)
――中途半端なことしやがって。
ダメージにはならない。かといって親切に刺されてやる気には、なれない。
相手が刃を持っているだろう腕を振り下ろす。
遅い、しかも全然腰が入ってない。
避けるまでもない、むしろ体当たりするように跳ね起きれば、相手が驚いて身を引く。勿論逃す気は無い、距離を詰め密着して、その両手首を片手一本で掴めば、小さな悲鳴があがる。
殺しに慣れていない、多分初めてだろう。
まさか反撃がないと甘く見ていたかどうかは不明だが、それ以上に大きな問題があった。
(手加減してやりたいが、仕方ねぇ)
「手当した怪我が……悪化するだろうっ!」
怒鳴ると同時に一度引き寄せる。
つられて落ちてくる身体、体を捻るように彼女を下へと巻き込んで、一瞬の間に形勢逆転だ。
つまり、――シャーラを組み敷いた。
驚きに目が見開かれているが、すぐに顔が悔しげに歪んで、目に鋭い敵意が戻る。
足を振り上げて蹴ってくるのは予想済み。こっちの別人――シャーラを操る奴は、足技が得意だということは、既に織り込み済み。
足を足で押さえ込むのは簡単だ。
が、痛めているシャーラの足を悪化させたくない。本当の敵なら怪我を狙う。
だが、それは躊躇があった。
(本人のせいじゃねぇし、痛い思いをさせたくないが……)
「っちっ」
シャーラではない誰かがシャーラでは絶対ありえない仕草――舌打ちをする。
「離せよっ」
「人の安眠を妨害したんだ、相応の礼はさせてもらう」
片手で喉を押さえ込む。
息を止めるか、首をへし折るか。
勿論、先ほど掴んだ腕もまだ離してはいない。強く握りしめると、痛みで顔が歪む。
シャーラが苦しんでいるようにしか見えないから、質が悪い。
相手の手からこぼれ落ちたのは、先の鋭利な石英の欠片。
刃物は渡さないようにしていたが、砂漠で拾ったのだろう、つまりその頃から武器として携帯をしていた、と。
だが、使いこなせていない。シャーラも勿論無理だろうが、シャーラじゃない誰かも、戦闘向きじゃない。
(シャーラを、傷つけたくない)
喉を潰す寸前まで、痛めつけるわけにもいかない。
「そろそろ全部吐いてもらおうか」
「誰が、話すか!」
「名は何だ? シャーラに取り憑く理由は?」
目を見開いて、言葉に詰まる様子に呆れる。素人すぎるだろ。
「わ、わたしは――」
「お前は、シャーラじゃない」
目が泳ぐ。誤魔化そうか、どうしようかという顔。
「気配が違う、仕草も」
「ちがう、私は、シャーラだ」
「――目つきもだ、男か」
見下ろすシャーラの瞳が虚になる。すうっと気配が薄くなるような、意識を失くすような兆候。まずい、またその手だ。
「逃げるな! 帝国のことが聞きたいんだろ」
ビクッと肩を揺らすシャーラの姿。再度目が開けられる。
「シャーラがいない今、ここで話してやるよ、お前だけに」
帝国の話をすれば、出てくると思った。だからシャーラに伝えたのだ。
案の定、奴は帝国の名に興味を示している。
「……お前は、帝国の犬だ」
「そうだ。だから、わかることもある」
ラズールは喉から手を離し、シャーラの手は押さえつけたまま片手だけで腰に手をやる、留め具は簡単に外せるようになっている。
シャッと抜けば、闇を切り裂いて白い煌めきがシャーラの目の前に翳される。
手首をひねれば、短剣の柄にある意匠が目に飛び込む。
「鷹の一枚羽、帝国軍人の紋章。浴場でこれを探してたんだろ? 確かに俺は元帝国の軍人だ、だが昔の話だ」
「嘘だ!」
シャーラは叫んで、ひどく不安げな顔をする。
シャーラの顔なのに、キツイ眼差は柔らかさがない、おそらく男だ。
「――帝国の奴らにシャーラを、売るんだ」
息を吐いて、ラズールは押さえ込んだ腕を離してやる。足から立ち退き、解放してやる。
「待てよっ」
体を起こすシャーラ、ではなく少年。声の調子から子どもだろう。
「シャーラを、本当に助けてくれるのか?」
「あん?」
不意だった。
本当に、不意打ちとしか言いようがない。シャーラがラズールの腕を掴む、何もできないと油断していた。
だから反応が遅れた。
目の前に顔が来る。
小さな手が伸ばされる、両頬を挟んで、顔を近づけるシャーラ。
ありえないと思う。伏せられる眼差し。
ありえない距離、重なった唇。
――柔らかい。シャーラの唇は、甘かった。
「何っ、するんだ!!」
ラズールはすぐに引き離した、全く予想していなかった。
だが引き剥がしたシャーラの顔は、途方にくれていた。
肩を揺らし、苦しげに喉を、しゃくりあげる。
「お前が、お前が手を出さないから」
「……なんだそれは」
「シャーラは、望んでいるんだ」
ラズールは片頬を引きつらせる。何をこいつは言うのか。
だがこのガキの行動は、ラズールの予想を遥かに超えていた。
突然、自分の薄手の寝間着の胸元の紐を引きちぎる。制止する間もない、そして再度ラズールに唇を押しあて、体重をかけて押し倒してくる。
「ばかっ、何を」
「黙って、いいから!!」
シャーラの甘い吐息、肌から匂い立つ花の香り、柔らかな胸と押し当てられる下肢、頭が白くなる。
欲望が立ち上る。
(ばかやろ、俺っ。――正気を、取り戻せ)
頭によぎるのは、砂漠で死んだ女。腹がでかくなっていた。子どもを、宿していた。
(それが、狙いか!?)
けれど、上から見下ろしてくるのは、何かを堪えているような訴えるような顔。
これは、シャーラなのか、違うやつなのか、わからなくなる。
だが、何かを企んでいるようには見えない。
「……ん」
シャーラの重なったままの唇。喉がなる、泣きそうに歪んでいる顔。
ラズールは、その腕に手を伸ばした。




