36.浴室での会話
まず洗い場でお湯を何度もかけられて、泡で体と髪を洗われる。自分でできるなんて断れる雰囲気ではない。ダリラは綿のような泡をあっという間に作り、シャーラをすっぽり包む。丁寧で繊細な手つきながら的確に洗う。
「お寒くないですか? 掛け布をしますね」
「ありがとうございます」
ダリラの方がお姉さんのような感じで、スレイカを監督しながら、シャーラにも優しい声をかけてくれる。
「お礼なんていいのに、シャーラ様ってば」
「スレイカ。シャーラ様はとても心細やかな方なのよ」
「それに恥ずかしがりやさんね。でもお気になさらないで、遠慮もなさらないでね」
スレイカは明るく気さくだ。そういえば、記憶をなくしてから女性と接するのは初めてで、最初は緊張していたけれど、だんだんと気持ちがほぐれてくる。
「さあ、本番ですわ」
「痛くはないから、安心して力を抜いてくださいね」
寝台のように細長い大理石の台に、うつ伏せるように言われる。台は温められていて気持ちがいい。
「あら、シャーラ様……傷が」
「まあ。痛そうですね、あとでちゃんと手当をしましょう。大丈夫、傷跡も残りません」
「それにしてもなんて綺麗なきめ細かい肌! まるで赤ちゃんのよう、ふわふわでぷにぷに」
(ぷ、ぷにぷに!?)
それって、脂肪?
「シャーラ様ほどの白い肌は、こちらの方では珍しいですわね」
「それに綺麗なお腰の模様……大輪のお花が咲いているかのよう」
「でも綺麗な肌が物体ないような。あら? 何て描いてあるのかしら?」
「スレイカ。これは、ラズール様だけにお見せするものなのだから」
腰の花押について、シャーラは説明をしようとしたけれど、彼女たちの言葉に、違和感を覚える。
「あの、今――」
「おっしゃらないで構いません。私の言いたいのは、この模様は肌を映えさせる美しい装飾品そのもの。宝石も衣裳もいりませんわ」
「どうせなら極薄の腰布を巻いて、透けるようにすれば素敵」
「それならば……金の細い鎖を腰に巻きましょう、飾りもなしで布地は最小限まで抑えて」
「いっそ、服などないほうが、ラズール様もお喜びになるかも」
シャーラは慌てて体を持ち上げる、背後を振り返る。
「あの、ラズールは関係ない――」
「あらまだ終わっていません。うつ伏せてください、さあ、お早く!!」
きつく窘められる。シャーラがまたもや気迫に負けて顔を戻すと、会話が再開する。
「あぁ本当にお肌がお綺麗。ラズール様が、惚れてしまう気持ちがわかります」
「銀の髪も指通りが滑らかで。柔らかくてコシがあって、何度も触りたくなります」
「そんなことないので……その」
「大丈夫です! 更に磨かせていただきますわ!」
「そ、それは……あの」
(……どうしよう、多分。……勘違いされている)
十分に肌が温まり、布でゴシゴシと身体を磨かれながら会話が流れていく。気持ちがいいが、会話はいたたまれない。
「あまり、そういうことを話すと……ラズールが困ると思うから」
「まあ。喜びこそすれ、困ることなどありえません。ラズール様も男の方ですから」
「……」
困っているのは、今の自分かもしれない。
このまま話が盛り上がってしまって、変な誤解で、ラズールを困らせたくない。
『はっきり言うべきだ。迷惑してると』
(ああ、ファリド。よかった、無事で)
突如聞こえたファリドの声に、シャーラは喜ぶ。
『……怒っていないのか』
(何が?)
『……助けられずに……。……すまない』
「シャーラ様、どうかなさいましたか?」
「いいえ、なんでもないわ」
(遺跡でのことなら十分あなたはよくやってくれた。むしろ、怖い思いをさせてごめんなさい)
『どうしてそう、お人好しなんだ』
(無理に遺跡に入ったのは私だもの。私が悪いのよ)
『……』
気落ちしているファリドに、シャーラは明るく接する。
(そう言えば、あなたが出てくる時間に決まりはあるの?)
『決まり?』
(ラズールとの会話の時は出てこないじゃない、私が一人でいる時が多いでしょう?)
ラズールに襲いかかった時は別として、ラズールをファリドは避けているかのようだ。
『アイツは……嫌いだ』
身も蓋もない理由だ。
(ファリド。私の姿は見えているの?)
『シャーラも、自分の顔は見えないだろ?』
それは、つまり見えていないということ?
(私の目を通してならば、見えるの?)
『ああ』
「シャーラ様、どうかなさいました」
「鏡は、ありますか?」
『シャーラ、何を?』
(私も自分の顔をちゃんと見ていないから。あなたも見れば、何かわかるかしらって)
鏡は高級品で簡単には手に入らず、顔を見たことはなかった。曇りのない磨かれた鏡を渡されて、緊張しながら自分の姿を写す。
正直、見覚えのない顔だった。ただ鏡を使っていない生活だったから馴染みがなく感じるのか、記憶がないせいなのかは不明だ。
映し出される銀髪の娘は、困ったような表情をしている。
けれどファリドが『あっ!』と叫ぶ。
『――まさか。……うそだろ』
(ファリド、うそって?)
『ああでも、やっぱり……そんなのって』
驚いて半身を起こし、更に鏡を覗き込んでみる。
『シャーラ、待てって。は、裸……裸、見えるって』
(え? でも……)
『上から自分の目線で見るのと、正面から見るのは違うんだっ!!』
(どういう意味?)
『いいから、鏡はもういい。早く伏せて! いいから!!』
促されてうつ伏せになって、尋ねる。
(ファリド、それでどうしたの?)
と、突如、内股に指が触れられて、驚いて体が跳ねた。
「失礼をしました! 痛かったですか」
「そ、そうじゃなくて、そこはっ」
足を閉じようとしたら、反対に押さえつけられてしまう。
「お身体を、よじらないでくださいませ」
「でも、そこ、くすぐった! ちょ、やっあ」
「我慢なさいませ」
「で、でもっ、くすぐった! やん、やめて」
『シャ、シャ―ラ、変な声出さないでくれよ』
(好きで出してるわけじゃ……)
寝たままで足を突っ張る、手が大理石を掴んで耐える。
「もういいっ……いいです!」
「そうはいきません! じきに慣れます」
「でも、待って。そこ、そこはダメ」
「あら脇腹も。感じやすい方なのですね」
「ひゃ、じゃなくて。おねがっ、もうやめて」
『……シャーラ、私はもう戻る』
ファリドがそそくさと気配を消す。シャーラは、質問を続けることができなかった。ただくすぐったくて、体を捻る。
もう気持ちいいどころじゃない。笑いの発作のように、くすぐったい感覚が伝播して、じっとしていられない。
叱咤されながら身悶えして、全てが終わるころには、ファリドは気配を消してしまって。
シャーラも、ぐったりと疲れてしまった。




