29.脅し
ヒロインに対する暴力的な行為があります。ご留意ください。
目の前を刃がゆらりと揺れて安定しない。ジャファルの手が滑れば、切れそうだ。
『シャーラ、代われ。こいつ、殺す』
(だめよ。敵わないわ!!)
ファリドがシャーラとして暴れても、人数が違いすぎる。勝ち目はないだろう。
「ほら、早く読めよ!!」
「……よく、見えない」
苦情を訴えたつもりだが、随分と声はか細く、泣きそう。情けなくて、シャーラは自分を叱咤する。
(毅然としなきゃ!!)
「ああ? じゃあもう少し目を大きくしてやろうか? この刃でなあ?」
ジャファルは、傷つけることに躊躇しない。シャーラは一生懸命に、壁に目をやる。
(わからないのは、私に記憶がないから? これは、文字なの?)
文字なのかも、全然見当がつかない。
ジャファルが下ろした切っ先が服に引っかかり、布を引きちぎるように下ろされて、胸元の肌が露出する。
シャーラは、顔を強張らせ、悲鳴を飲み込む。
「なあ、もっといい方法があんだろ?」
背後からの誰かの声に、ジャファルが刃を下ろし、シャーラごと振り返る。
もとが黒なのか灰色なのかわからないボサボサの髪に、額や頬に傷跡がある男が言う。
顔色が悪く目の周りも黒ずんでいる。そして、鼻がない、そこには穴が空いている。
「ああ? 俺の顔が珍しいのかあ?」
歯のない口をむき出しにした様は、話に聞いた魔物にも見えた。
「あ? 人間に見えないって思ってんだろ? けどなあ、お前こそ人間じゃねえ!!」
密着するほど顔が突きつけられて、目の前で怒鳴られて、シャーラは思わず目をギュッと閉じた。
怒鳴った男が、囁き声に変える。
「ジャファル、お前この女をものにしたいんだろ? ここでしちまえばいい」
手足から血の気が引いていく、足が震える。
「その後で俺らにも回せよ。生まれてきたことを、後悔させてやる」
「いや、それともこの世界にきたことを、だな。 昔の女だ、ミイラだ」
「締まり具合も最高かもな」
男達はニヤニヤ笑ったり、無表情だったり色々だけれど、誰も止めようとしない。
足が震えて、何も言えない、立っていることもえもおぼつかない。
ジャファルが唐突に、無言でシャーラの首を後ろから片手で掴む。
締め付けられ、怖気が走る。首を絞められる、喉が喘ぐ。
ぎゅっと喉を握られる。
ジャファルの片手で、喉が潰される、咳がこみ上げてくる。男達は笑っている。
それは、唐突だった。
突然、喉に氷のような冷たさが走る。
まるで爬虫類的な何かがぴたりと張り付いたような感触に鳥肌が立つ。
そしてジャファルは、シャーラを突き飛ばす。
「ごほっ、ごほっ、ごほ」
シャーラは何度も咳き込んで、喉に手をやる。
生理的な咳に苦しみながらも、手に触れる違和感に、背筋が凍る。
――喉に、何かが巻き付いている。
(まるで、首輪のように)
「見ろ、女」
地面に手をついたシャーラを、男の誰かが引っ張り上げる。
振り仰ぐと、ジャファルの左手には黒い蛇が巻きついていた。
シャーラは身を竦めた。
その蛇には、顔がなかった。ゆらりゆらりと、ジャファルの腕先で揺れて、口を開いて舌を出すのに、目がない。
姿は平たい紐のようだ。なのにするすると腕から外れ、ゆらりと意思があるかのように揺れる様は、生き物のようだ。
「お前、遺物を見たことがあるか?」
突然の質問に頭が真っ白になる。
ジャファルの態度は友好的とは言い難くて、嫌な予感で首を横に振る。
もちろん答えたわけではなく、嫌だという態度を示したもの。
だが、暗い目をしたジャファルは、口角を上げて話を続ける。
「ラズールの奴はな、遺物を独占する帝国の犬だ。帝国に売り渡して上手い汁を吸ってる。その上、アイツは遺物を一人占めしてるのさ」
(なんの……話?)
「アイツの小刀を見ただろう、アレも遺物だ」
ジャファルが不意に足で、拳ほどの大きな蜥蜴を踏んで、押さえつける。ジタバタと鈍重に蜥蜴が足を動かしている。それは黄色い地に黒い斑の目立つ模様を浮かべていた。
何をしているの。
頭の隅でそう思うけれど、想像ができない。ただ、怖い。
不意にジャファルの腕から黒い蛇が、シュルリと音をたて蜥蜴に巻き付く。
まるで生きているかのように動き、捕食者のように締め付ける。
「これは俺の遺物、『黒蛇』だ。素材も仕組みも謎だが生きてるシロモンだ。ラズールのご自慢の武器ほどじゃねえが、面白いだろ」
「生きて、る……?」
「お前の喉にもいるだろ?」
シャーラは顔色を変えて喉に手をやる。
喉に巻き付くものは、冷たいけれどザラザラした感触で、継ぎ目もなく、しっかり張り付いている。
剥がそうと爪で引っ掻いてみても、皮膚にピタリと密着していて離れない。
「いや……っ」
怯えた目で見返すシャーラに、ジャファルが口を歪めて笑う。
「絞まれ」
突然、黒い蛇が蜥蜴を絞めつける。蜥蜴の胴が不自然に絞られる。
蜥蜴は舌や目をむき出して苦しげに手足をバタバタ動かし、グルグルその場で回り出し、最後はひっくり返りもがいている。今にも胴が千切られそうだ。
「やめて!!」
「――緩め」
ジャファルが命じれば、突然絞られていた蜥蜴の胴がもとに戻る。だが蜥蜴は苦しげにピクピク動くだけ。
顔のない黒い蛇は緩やかに蜥蜴の胴に巻き付き、まるで命令を待つかのように鎌首をもたげる。
「こいつは、生き物を殺して、血を浴びるのが大好きなんだ」
シャーラは喉に手をやり、喘ぐ。この黒いもの、蛇が、自分の喉に、巻きついている。
「主人の俺の言うことだけをきく」
そしてジャファルは歪んだ笑みを浮かべた。
「――潰せ」
バチン、と風船よりも重い破裂音と共に、シャーラの目の前に何かが飛んできて、目に、顔に飛沫がかかる。
反射的に顔をそむける。何か冷たいものが目に入り、頬に跳ねた。
生臭いもの、それが生物の欠片だと、臓器だとわかって、喉がヒューッと悲鳴を上げた。
掠れた悲鳴は、自分のものじゃないよう。
「面白いだろ、こいつは獲物に張り付いたら二度と離れない。離れるのは、獲物が死んだ時だけ」
シャーラは、逃げるように腰で後ろに這いずる。
喉に手を当てる、冷たい感触が巻き付いている。何度も喉を掻くが外れない。
ジャファルは屈んで血と肉片の塊の中から、その黒い蛇を拾い上げる。その黒いものから、ポタポタと赤黒い血が垂れる。
ジャファルの足は、蜥蜴の残骸を壁へと蹴り捨てる。
「貴重な品だ。似合ってるぜ、大事にしろよ?」
シャーラは、手をついて何度も立ち上がろうとするが、力が入らない。
地面についた手は力が抜けてしまい、前のめりに転がる。
頭上でジャファルの引きつった笑いが広がる。
這いずって地面を逃げるが、地面を掻くだけで進めない。
「――脱げよ」
冗談だと思いたい。
喉が引きつる。けれど彼は、冗談を言っているわけではない。
喉に手をやる、引きちぎろうとしても離れない。
シャーラは男達を見渡す、囲まれていて逃げられそうにない。
『シャーラ、変われっ!』
ファリドが強制的に意識を乗っ取ろうとしてくるせいか、頭がクラクラとする。
「いや……お願い」
「――早くしろ!!」
手をついて、なんとか起き上がり、恐怖にかられて駆け出そうとしたが、数歩も走らないうちに、目の前の男が足を差し出して、つまずいてしまう。
それからは簡単、あっけなく上着が剥ぎ取られる。
『ラズールは何をしてるんだよ! アイツのせいだ!』
「やめて! 返して」
「痛い目見たくなきゃ、自分で脱げよ」
涙がこみ上げてくる。
シャーラは無理やり立たされて、震える手で既に引きちぎられている服の、かろうじてまだ結ばれている紐を外す。
なかなか脱げないけれど、少しでも遅れると苛立ちまじりに怒鳴られる。
上衣を袖から外すと、もう上半身は裸だ。
ぐいっとむき出しの肩を押されて背を向かされ、壁に顔面を押し付けられる。
「なんだ、これ……」
視線を痛いほど感じる。
シャーラの腰の花押を見たのだろう、訝しげな声に目を閉じる。
(怖い、怖い……こわい)
「これは何だ? 宝のありかか?」
頭を掴まれて、グイグイと壁に押し付けられて、ジャファルに耳元で尋ねられる。
涙が滲んで瞳を閉じて答える。
「知らない……わからない」
「なあ、首を絞めてやろうか?」
首に巻きついたものが絞まる。喉にかかる圧迫感。
(こわい、やだ。はなして)
ジャファルがシャーラの両腕を片手で掴み、壁に押さえつける、もがいても、びくともしない。
「じゃあ、思い出させてやる」