23.砂漠を歩む
シャーラはベッドを背にして、床に放り出された。
それは初めてラズールからされた、乱暴な扱いだった。
「どういうつもりだ」
低い声。青い瞳は、感情が高ぶり、今は黒く見えた。
連れてこられたのは、シャーラの部屋。
見張りだったはずのハシムが慌てた様子で建物の出入り口でシャーラを探していたから、悪いことをしたと目線で謝ったが、彼はシャーラに心配げな目を向けただけだった。
これから何が起こるのか、知っていたのかもしれない。
「何がしたかった」
「……」
シャーラは困惑の中で、考える。
恐らく、ファリドの仕業だろう。
――ラズールを疑って、彼の持つ剣を調べようとした?
けれど、それが今ここで言えるわけがない。
あなたは帝国の人なの?
帝国に私を売ろうとしているの?
ここでそう聞けるのならば、最初に聞けばいい。なんで服を漁ったのか、説明がつかない。
ラズールがしゃがみこんで、シャーラの目を覗き込む。
怒りに満ちているのに、ラズールの目は綺麗だった。彼の手がシャーラの顎に触れる。
「俺の荷になんの興味がある? なぜ一人で浴場に来た?」
「……言えない」
ラズールは、僅かに目を細めただけだった。
「アンタには理由があるらしいが、それは言えないのか。ならば記憶が戻ったのか?」
首を横に振る。シャーラは、どうしてかラズールを怖いと思えなかった。
彼が苛立ち怒っているのは、自分のせいだ。自分が信用を失う行動をしたからだ、そう思う。
(けれど、疑いを晴らすことが……できない)
そんなに上手く答えることができない。
「俺を殺そうとしたのか?」
「まさか! 違う……」
「じゃあ、なぜ俺の服を漁っていた」
シャーラはまた首を振るが、その動作を自分がしたことを思い知り、顔を赤くする。
ラズールは問いただしているのに、自分は何を考えているのか。
更に激しく首を振る。
理由を知るファリドは気配さえも消していて、いい案さえも出してくれない。
ラズールは一連のシャーラの様子を見て困惑の表情を浮かべたが、すぐに冷ややかな顔に戻る。
「答えられないのならば、俺達の掟に従って――砂漠に放逐するがいいか?」
僅かに彼の口が鈍くなった気がしたが、シャーラが見つめたまま黙っていると、とうとう手が離れる。
「わかった。お別れだ、シャーラ」
――大砂漠。永遠に終わりのない大海原とも言われており、端から端までは約五千キロメートルにも及ぶ。
大陸の五分の一の面積をしめる砂漠は、今も面積を広げていると聞いている。その中でも、この黒砂漠地帯は昼夜の寒暖差が激しく、この時期は、昼間は摂氏五十度に夜は氷点下まで下がる。
その不毛地帯を一つの影が歩いていた。
『シャーラ、変わるよ』
(平気よ、私は丈夫だから)
『でも、ずっと歩き通しだろ。ほら、もう休もう』
(もうすぐ夜が明けるわ。距離を稼いで、日差しを防ぐ場所を見つけなくちゃ)
そう言いながら、砂に足を取られて転びかけて、自分で笑う。
目が慣れれば月明かりで十分に歩けるし、星もかろうじて見える。方向に間違えはない。
ただ、慣れないだけだ。
夜明け前の広大な砂の大海原をポツンと歩くのは、華奢な女一人。慣れない足取りと軽装姿は、自殺を目的としているようにしか見えない。けれど本人に死ぬ気はない。
『悪かったよ』
(ううん。私があなたの話をもう少し聞けばよかったのね。そうしたら、こんなこと)
シャーラは言葉を途切らせ、俯いた。
(でも、いつか……こうなったかもしれない)
シャーラは、ラズールにいつか見放されるかもしれないと恐れていた。
こんなに親切にしてもらえて、それは長く続かないのではないかと。
(最後に見たあの目は……)
なぜか、辛そうだった。
シャーラにちゃんと答えろ、と言っていた。
それが得られなくて、苛立って、無理やり感情を抑え込んで、シャーラを切り離した。
馴染めば馴染むほど、別れは辛くなるから……。そう思ってシャーラは視線を落した。
自分は、前もそういう別れを経験したのだろうか。
(追いかけてくる何かも、そのうち私を捕まえるかもしれない)
そうしたら、ラズール達に迷惑をかけたかもしれない。
「いつかは、自分で乗り越えなきゃいけなかったのならば、今でもいいはずよ、ね」
寂しげにつぶやいて、シャーラは気を取り直す。
持ち物は、水袋二つ、近くのオアシスまでの地図。
それを貰ってトゥリーに放逐されたシャーラは、必死でオアシスを目指しているのだ。
『すまない。勝手に体を使って』
心底申し訳なさそうな声を慰めようとして、シャーラはまたもや砂に足を取られて転びかける。
(そういえば、あなたの方がこの体の持ち主かもしれないわよね?)
『それはない!』
(そうしたら、借りているのは私のほう?)
『違う! 絶対にそれはない』
(そうなの……かしら)
『なぜ怒らない? 責めろよっ』
地図は簡素なものだけど、目印は書かれている。
十字の星を目指してまっすぐ、そうするとオアシスがあるはず。
少し見つけにくいが、多分あれがその目印だろう。
(だってファリドは、何かを確かめようとしたのでしょう?)
『けど、お前は何も悪くない!』
(あなたがいてくれてよかった。だから、これからは……二人で全部、なんとかしましょう)
シャーラは不安げに揺れる瞳を伏せた後、顔を上げ、拳を握りしめる。
砂山を登りきる。見渡してみると、遥か先に岩が連なる一帯が見えた。
(あそこなら日陰ができるわ。そこで太陽をやり過ごしましょう)