14.シャーラ(自問)
自分でも能天気だとはわかってる。
思い出そうとすると、ぼんやりとしてしまう。
考えようとすると、とたんに記憶は遠ざかる。
(やっぱり、王様のお妃様だったわけじゃないみたい)
そう考えてみれば納得もする。駱駝に乗るのも平気だし、着飾らなくても構わない。
(召使いだったのかも)
ハシムから借りた裁縫道具で、シャーラは彼と自分の繕い物をする。何かすることがあって純粋に嬉しいと思う。
日が暮れ暗闇が迫る頃だ。そろそろ仕上げないと、縫い目が見えなくなる。
「できた!」
『記憶もないのに、なぜ焦らないんだ』
「……」
『呑気に見ず知らずの男に世話になり、気を許すな』
立ち上がり、ランプに火を入れる。
変わらず聞こえる声。
「これって、あれかしら」
いつまでも自分を責める声は止まない。だがよくよく耳を澄ませてみると、音として聞こえるのとは違うのだ。頭にすんなり入ってくるというか。
「幻聴……?」
『違う!』
「じゃあ、人格の分裂?」
『お前とは別人だ。阿呆も大概にしろ!』
「確かに、私はここまで口は悪くない」
『私は、正しいことしか言わない』
繕い物を膝において、シャーラは顔を上げた。宙を見据える。
「ええ、たしかにあなたの指摘は正しいわ。私は軽率だし呑気すぎる」
『素直だな』
声が毒気を抜かれたかのように、おとなしくなる。
「……だって記憶がないの、私は何もないのよ。空っぽ。記憶も名前も」
誰かに従うしかない、助けて貰うしかない。
ラズールに助けられたのは幸運だ、けれどまだわからない。この先見捨てられるのかもしれないし、その可能性のほうが高いだろう。
見下ろす指が震えてる。それを抑え込むように、もう片方の手でぎゅっと握りしめる。
「……期待をしてはいけないけれど、そう思うことも失礼だから」
考えなくてはいけないけれど、受け入れることも必要だと思う。
「仮に王の妃だとしても、門、とかいうところから来たなら。追っては、これない……はずよね……」
嫌な思考に囚われる。突然自分に襲いかかる蔦と、恐ろしい指先を思い出す。
「……いやっ」
記憶を振り払うように頭を左右に振る。
(なんでもない、なんでもない!)
『お、おい、なんだ。急に、どうした?』
目を見開いて、部屋を見渡す、何もない、誰もいない。
――暗闇が膨らむ中、ランプの灯りが壁の一部を照らしている。
外で賭けに興じる男たちが、突然どっと笑い声を響かせあらゆる面をる。
深呼吸をして、心を落ち着かせる。心臓が煩いくらい早鐘を打つ。汗が床に落ちる。
(……思い出したくない、これ以上……)
「なんでもない。ただ、驚いたの」
『なんでもなくて、驚くのか?』
偉そうな声は、まだ動揺していた。
尊大なのに、こちらを気にする様子から、根は素直な相手なのではないかと推測した。
「あなたは……私の中に、いるの? 誰なの。……なぜ?」
今やシャーラにもわかっていた。この声は自分の中から聞こえてくる。けれどこちらを気にする気配がある、それはまるで別の感覚、別の人物で、だから自分じゃないと感じた。
『わからない』
彼は自分と関係がないのか、例えば家族。それから友人、前から一緒に居る仲間、そういうのではないのか。
――あちらも手探りで会話をしているような気がして、そう、同じ境遇の仲間のように、思えてしまう。
「あなたも記憶がないの? 私の記憶がないのと何か関係あるの?」
『――お前の中にいる理由はわからない』
躊躇う口調は、話す内容を探っているかのよう。理解できるかどうか、というより、どこまで話していいのか探っているようだ。
「私の記憶がないのは、あなたのせい?」
『……わからない』
少し間があった。即答できないのは、そういう可能性もあるから?
そう気がついてシャーラは首を横に振る。
疑っていることは、相手も気がついているだろう。けれど疑ってもどうにもならない。
『私を疑うよりも、あの青い目の男を疑え』
「ラズールは助けてくれてる。それにもし、――企みがあってもそれは仕方がないと思う」
『それが愚かだと言うんだ』
呆れたように声が諭し、一度言葉を切る。
『“シャーラザット”。最初、あの男はそう名付けただろう、お前を。疑ってる証拠だ』
「綺麗な名前なのに?」
シャーラザット。お姫様につけるような名前だ、立派過ぎる気はしたけれど。
『お前が拘るイラムの作り話を、王の気を引くため、毎晩を語り続けた女の名だ』
「……だからその名前なのね」
イラム、という名はどこで聞いたのだろう。
誰かと約束をしたのだけど、誰とだろう。
(逃げる時に、そこに逃げろと言われたのかもしれない)
「あなたが、私にイラムにいけと言ったわけでは、ないわよね……?」
『私は、お前と会話をしたのは、先程が初めてだ――と思う』
思う?
「そういえば。シャーラザットとかイラムとか――ラズールとの話を、ずっと聞いていたの?」
ラズールと最初にした会話だ。この頭の中の声はまだ聞こえなかった頃。
『――っ! 様子を伺ってたんだ! おまえにみたいに考えなしに行動はしない』
「じゃあ、出てきたのは信用してくれたってこと?」
『違う! お前があまりにも呑気で阿呆だから、見ていられ――違う、我慢できなくて――、ああもう!』
シャーラは呆気に取られて言葉を呑む。
声は間を空けた後、また言葉を発してくる。最初のように冷静に指摘する口調に戻っていた。
『とにかく。アイツは、お前を信じてない。売りとばされるぞ』
相変わらずラズールに対する警告は手厳しい。どうしてだろう。
「誰に売り飛ばすの?」
『――それは、勿論――』
突然、聞こえていた声が黙る。と、同時にノックの音がして、シャーラは振り返る。
そこには、ラズールが佇んでいた。




