11.市場(スーク)
土産物の並ぶ中央の賑やかな大通りから外れて、天幕で覆われた小さな店が並ぶ路地へと入る。
店先にはシャーラの腰ほどの高さの籠や壺が並び、色とりどりの香辛料や香草が山盛りとなり、刺激的な匂いを放つ。
赤はチリパウダー、黄色はターメリック、緑のタイムやセージ、オレガノの葉。茶色のクミンやカルダモンの種子、加えてアーモンドやカシューナッツ、ヘーゼルナッツ、ピスタチオ、レンズ豆にひよこ豆、黒胡椒に桃色や白黒の塩。香辛料の店がたくさん並んでいて、シャーラだったらどこで買えばいいのかわからない。
目が合った男が、手の中の物をちらりと見せてくる。袋一杯に入ったサフランだ。
「おっさん。騙すんなら他所にしな」
ハシムは男に釘を刺す。何のことと疑問に思うシャーラだが、早く、とハシムに促されて慌てて足を進める。
「今のは?」
「アレは偽物。サフランはすっげー高価なんだから。帝国では偽物を売ると、牢屋にぶちこまれるのにな」
「そんな、香辛料ぐらいで?」
「本物なら、小袋一つで邸宅が買えるよ」
売り手の男達は騒がしいが、どちらかと言うと商談よりお喋りをしているように見える。
更に進むと布地が積み上げられる通りになり、あちこちからヴェールや帽子や靴の売り子の声がかかるが、ハシムはあっさりとかわしてシャーラを導いていく。
そうして奥に進んだのか、それともくねくねと曲がっただけなのかはわからないけれど、いつの間にか宿が連なる一角に出る。下は食堂が多く、けれど朝だからか、まだ閉まっている。
同じような日干し煉瓦造りの建物の一つに向かい、外階段で最上階である三階の一番端の部屋へとハシムは案内する。
部屋の中は、簡素だった。
寝台が「寝台が二台、壁に備え付けの卓がある。卓の上には水差し、小皿の上にはデーツ、盥と乾いた布。木椅子には、紺と黒の衣服が掛けられていた。
「これ、私に?」
準備がよいことに驚いて、ハシムを振り向くと、肩をすくめて当然じゃんと言われる。
「服は俺が買ったんじゃないよ。センスが無いのはラズールだから、嫌ならあとでラズールに買い直してもらって。大きすぎたら自分で直して」
「ええ……」
「ちなみに、宿代は一泊五十ディル、水とデーツ二ディル、服とヴェールはラズールが買ったから知らない」
サラッと言われた値段に、シャーラは今更ながら固まり、顔を青ざめさせる。
「……何?」
恐らくハシムはわかっていて告げたのだろう、けれど当たり前のことだ。しれっとした顔をしているハシムに、正直に言うしかない。
「ごめんなさい。私、受け取れない。持ち合わせがないの」
上着も、腰に巻いた布も、ヴェールも、全て借りたものだ。働いて返すとは言えない。働き口もないのに、確かな約束はできない。
深く頭を下げて、ここは出ていくべきだろうと戸口に向かおうとすると、ちょっと待ってよ、と腕を掴まれる。
振り返ると、呆れたという顔をした大人びた少年。
「支払いは全部ラズール持ち。こういうのは、連れの男が払うものだから。アンタが知りたいだろうから言っとくだけ」
「え?」
「けど準備と案内代は俺に。ニリャドだよ」
手を差し出す少年の顔と手の平を見下ろして、シャーラは戸惑う。逞しいとも思うが、それが当然なのだろう。何かをしてもらえば、それに対価を払う。
「ごめんなさい、さっきも言ったけど――」
「あのさ、何も貨幣で返す必要はないんじゃん? 花街が何のためにあるのさ。代わりに何ができるか考えなよ」
少年の言い分に目を見張るが、その目には欲望はなく、態度はあっけらかんとしている。
シャーラは、ハシムの意図を考える。
案内というモノではないことに、支払う方法とは……。
ハシムの服は、誰かの古着なのだろう。ズボンの裾は長くて引きずっている、袖はあちこち綻び穴が空いている。
「繕いものとかなら……あなたのズボンの丈を直して、上着を繕うのは?」
「何枚?」
ニリャドはどのくらいの価値になるのか。通りでは、パン二個が一リャドだった。
「そうね、……三枚」
「背が伸びたら、もとに戻してくれる?」
頷くと、指をぱちんと小気味よく鳴らす。
「交渉成立だ。あとで持ってくるよ。針と糸は貸してあげる」
出口へと駆けていく背が振り向く。
「シャーラはお人好しだね。『裸見たんだから、釣りをよこせ』ぐらい言ってもよかったのにさ」
「……!」
「ラズールには、それで交渉してみなよ。案外、真面目だからさ」
その言葉の意味が頭に浸透した時には、すでに少年は階下に駆けて行った後だった。




