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9.夜明け――シャーラ


「――夜明けだ」


 背中のラズールの声に瞳を開く、いつの間にか眠っていたらしい。疾走する黒駱駝の上だが、背中が揺るがなくて安心してしまったからかもしれない。


「……綺麗」


 たなびく帯状の橙が燃えるように地面に広がる。空は桃色で、天頂はまだ層をなす藍色。瞬きができない、じっと見入ってしまう。


「初めてみた……と思う」


 思う、と付け加えたら頭上でラズールが息を漏らした。多分笑ったのだと思う。彼の笑みを引き出せたことが不思議と嬉しくなった。


「――あなた達の家を無くしてしまって、ごめんなさい」

「いつかは消えるものだ、気にすんな」

「大蟻って、本当にあそこにいるの?」

「――あの地下空間は、昔は地底湖だった。水分が含まれた砂は、振動を与え液状化すると抜け出せなくなる。それが蟻地獄の正体だ」

「じゃあ、大蟻は?」

「見たことはないが、いたかもな」

 

 ジャファルを陥れたラズールの瞳は冷たく、炎に照らされた横顔は恐ろしくも見えた。けれど、自分が服の端を掴んでも、そのままにしておいてくれた。

 そして、さり気なく身体の位置を変えて、ジャファルの飲み込まれた穴を見えないように視界を遮ってくれた時、不器用な優しさを見せる人だと思った。

 

 優しいのか、残虐なのか。

 朝焼けは切なくなるほど綺麗で、こんなに感動するのは、この景色を初めて見たからだと思う。


 自分はどこに暮らしていたのだろう、スルタン後宮セラグリオにいたのであれば、砂漠の夜明けは見たことがないのかもしれない。



(でも、ラズールの瞳のほうが綺麗)


 彼の瞳の濃い鮮やかな青は、夜明けの藍色の空も敵わない。吸い込まれて見入ってしまうのは同じだけれど、彼の青は、じっと見つめることは許されない。


 この人についていけたらと願っている自分。

 縋ってはいけないのに、縋りたいという気持ち。茫洋としていた感情が一つに纏まってしまう。ラズールが見せる冷酷さよりも、彼に見捨てられるほうが怖い。

 

 こんな風な気持ちになるのは、景色が綺麗すぎて、感情が高まっているからだろう。


「貴方の瞳はどんな宝石よりも綺麗だから、ジャファルも欲しがるのね」

 

 呟けば、ラズールが身じろぎして、何かを言おうとして口ごもる。もともと多弁な人ではないが、見上げれば、珍しく困惑の表情を浮かべていた。


「……女に綺麗と言われても」

「でも、本当にそう思うから!」


 ラズールは片手の肘を立てて、肩に載せてくる。顎を手の平で支えて、寄りかかるように体重を掛けてくる。……重くはないけど、疲れたのだろうか。


 心臓が煩い……。


「俺の目は少しばかり良いから、アイツはそれが面白くない」

「そういえば、ナイフ投げが得意ね」


 ジャファルの腕に剣が刺さったのも、自分にはよく見えなかった。いつの間にか、というのが感想だ。


「あの、名前ありがとう。とても……綺麗な名前ね」



 返ってきたのは無言。聞こえなかったか、機嫌を損ねたかと不安になった時、ポツリと返ってくる声。


「シャーラ」

「え」

「アンタの名前だ。……シャーラザットは長いから」


 シャーラ、と呟けば、すんなりと耳に馴染んだ。それに彼に呼ばれた響きは心地いい。 


 最初の名前を告げられた時よりも、彼の声は少し柔らかい気がした。



「ありがとう、嬉しい」


 肩の上にかかる重みと体温を感じる。名前を貰った、ここにいてもいいのだろうか、この手を頼ってもいいのだろうか。不安と期待がないまぜになる。

 でも支えてくれる腕は力強くて、許可を貰えた気になる。


「あなたの目、ジャファルにあげるのは勿体無い」


 呟くと、ラズールの身体が離れる。その感触がなくなり、心細くなる。


 ――どうして、だろう。


「――寒くないか」

「……ありがとう。でも……平気」


 話を変えられたと気がついたのは、僅かにラズールの声の調子が変わったから。この話はもうしないと言われたみたいだ。背中の温もりが消えて、少し寒さを覚えたが、気のせいかもしれない。


 シャーラもラズールの目の話は終わりにして、ずり落ちそうな上着を手前で引き寄せる。

 

 シャーラの肩は、ラズールの上着で覆われていた。過酷な太陽の光も、砂風も寒さも防ぐ上着はシャーラには重い。けれど、不満は一切ない。

 シャーラに貸してしまって、薄物一枚のラズールは、寒くないのだろうか。

 

 見上げた瞳は冷ややかで遠く、会話は終了したと言われたようで、何かを尋ねる気安い雰囲気はもうなかった。だからラズールがまた、口を開いたことは少し意外だった。


「アンタ、なぜあんなことを言った?」

「……あんなこと?」

「俺が優しいだの、なんだの」

「優しくしてくれたから――」


 ラズールは突然、シャーラの口を手の平で覆う。そして耳元に顔を近づけ、低く、ゆっくりと言い聞かせる。


「――二度と言うな」


 その命令は鋭く、威圧的で、シャーラの心を瞬時に凍らせた。


「お前は大事なスルタンの宝だ。今後一切俺とのことを疑われるようなことを、言うな」 


 身体が震えた。それはラズールの脅しのせいじゃない。けれどラズールは怯えと受け止めたみたいだった。そっけなくシャーラから手を離す。まるで怯えさせることを狙ったかのよう。


(でも、違う……)



 ラズールに言われたことを、どこか他人事のように捉えながら、シャーラはラズールから体を離して、背筋を伸ばす。


 ……怯えたのじゃない。彼の言葉、その何かが、胸を刺したのだ。


 けれど、どうして胸を刺すような痛みを覚えたのかは、わからなかった。




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