9 相手の弱点を突いた攻撃
百足の妖精の本体である人型の部分は、僕が急所を突いた為地面に横たわっている。頭部と左腕から生えていた百足も機能を停止していたが、まだ生命活動を終えていなかった右腕の百足が鋭利な牙で蓮華さんの左肩に噛み付いた。
「はなせ! こいつ。離れろ!」
僕は短剣をその体躯に何回も突き刺してなんとか引き剥がそうとする。その度に飛散する百足の体液や肉塊に吐き気を覚えながらも手を止めるわけにはいかない。百足は頭部が千切れてもしばらく動けるくらい生命力が強い。なんでこんな大事なこと忘れてたんだ。このままだと蓮華さんが……。
「この……」
蓮華さんも無抵抗なままではなかった。苦しそうな声を出しながらも無事な右腕を使ってタオゼントを切り裂く。
その鮮やかな一閃に百足の頭部が一度怯んだものの、毒牙はまだその肩に食らいついたまま。
呼吸が荒くなっていく蓮華さんを見て僕は、どうにかできないか頭をフル回転させる。けど——。
何も浮かんでこない。方法が見つからない。
諦めたら彼女はここで、その後は僕も……。
自分には何もできないのか。精霊の力を得ても無力なままなのか。このままじゃ過去の罪さえも償える気がしない。
「それでも、変わらなきゃいけない……。今すぐにでも」
難しいことは考えなくていい。今は、この状況を、蓮華さんを絶対に助けたい。死なせたくない。だから——。
そう切願した一瞬、脳内が青一色の冷艶な情景に染まる。同時に周囲の気温が急激に下がった。
もともとこの洞窟内の温度はあまり高くはなかったけど、今はその比じゃないぐらい寒い。
何が起こったのか、僕は自身を見てすぐに理解する。
冷気は僕の肢体から放たれていて、寒冷の起因になっているのは紛れも無く僕だった。
「えと、何、これ……?」
オタオタと挙動不審になりながら、自分の身体をあちこち見ていると、ドサッと重量感あるものが落下する音が聞こえてきた。
「……一体、何が、あったのですか? この寒さは……」
地面に転がる百足の頭部。刀に付着した血を払い、蓮華さんがよろめきながらこちらに近付いてくる。
「蓮華さんっ! 大丈夫ですか!?」
左肩の咬傷は痛々しく、制服もボロボロな状態の蓮華さん。僕は急いで対処を考える。
「えと……百足に噛まれたら、患部を綺麗な水で……水無い。毒は42度以上の熱に弱いから温めて…‥今めちゃくちゃ寒い。どうしよう……」
あわあわとパニック状態になりながら僕は、自分の中にある知識をフル活用しようと思ったが、全て空回りしていた。
「煌生、心配しなくても大丈夫ですよ。私には免疫——私は精霊ですから人間よりも身体のつくりは頑丈です。神経毒に関しても後で知り合いの人型精霊に診てもらいます」
そうは言ってるものの蓮華さんは辛そうな目をしていた。僕は噛まれた左肩以外にも損傷がないか確かめようとしたが——。
「……うん」
すぐに視線を赤い壁、『視線の逃げ場』白光へと逃がす。
「ん、煌生、どうしたのですか? いきなりそっぽ向いて」
目を逸らした理由、それは蓮華さんの変わり果てた容貌のせいだ。……タオゼントによって切り裂かれた上着、限りなく布面積を失った左肩周辺。露呈する潜在的魅力。今現在、彼女の姿——艶麗は気の小さい僕にはあまりにも刺激が強すぎる。
「あの、その、とりあえず、これ着て下さい!」
僕は制服の上着を脱いでスッと蓮華さんに手渡す。もちろん目線は白い光に向けたまま。
「この程度の寒さ、大したことありませんよ。あなたが着ていて下さい」
「そういう問題じゃなくて、その、肌、大切なところ、隠見しちゃってる可能性ありますから」
「……ああ。——平気ですよこれくらい。たかが」
「いやいやいやいや、はい! 黙って着て下さい。一生のお願いです!」
「そうですか……あなたがそこまで言うならお言葉に甘えさせていただきます。それにしても何故、そんな取り乱しているのですか?」
「…‥気にしないで下さい」
僕のことを怪訝そうに見ながら蓮華さんは上着に袖を通す。
なんて言うか、もう少し胸部に羞恥心を持ってほしい。
「それで、この気温の変化はあなたの力が起こしたものですよね? しかしあなたに渡したのは太陽の精霊。まさかこんな性能があったとは」
「僕も何が何やらって感じで……。でも運がいいですよね。百足の弱点を上手く突いた属性のものが発現されてくれて」
百足という生き物は熱に弱く60度以上であれば絶命させることができる。かといって寒さに強いわけではない。彼らは冷たいところでは動きが鈍化し、一定の温度まで下がると活動を停止する。
「あなたのおかげでタオゼントの動きが鈍くなった。だから私は退けることができた……ただ」
「どうかしましたか?」
「……『相手の弱点を突いた攻撃』、ですか。——すいません、なんでもないです」
蓮華さんの様子が気になったが、それ以上に危惧していることを優先する。
「タオゼントは完全に生き絶えたのでしょうか?」
その質問に蓮華さんは首を横に振った。そして僕の方へ力のこもった視線を送りながら言葉を口にする。
「残念ながら……偽装空間の崩壊が始まってませんからタオゼントはまだ、かろうじて生きています。言ってませんでしたが、偽装空間のボス——守護者を倒せばそのエリアは消滅します」
「え? ここ以外にもダンジョ——偽装空間があるんですか?」
「はい。詳説したいのですが、今は時間が惜しいです。それで煌生。あなたにとどめを刺してもらいたいのですが」
「とどめ……ですか」
「お願いします。私がやればいいのですが、今の私では正直厳しいです」
蓮華さんはタオゼントに噛まれて重症の状態だ。できる限り無理はさせたくない。
ただ、彼女の発言にどこか他意があるように感じた。
「……わかりました。息の根を止めてきます」
ひっかかることがあるもののタオゼントに再起されると、僕たちの現況では確実に全滅だ。だからあれやこれやとごちゃごちゃ考えず、今は最善の行動をとることだけに専念しよう。
タオゼントへと僕は、恐る恐る近付く。赤い床に散らばっている三体の百足。そしてその本体となっている人型の部分。
両手、首から生えている多足類を除けばそれはただの人間にしか見えない。
どことなく全身を見渡してみると——
……あれ? これなんだろう。
右肩に刻まれている『5』という数字。
「5……? どういう——」
「煌生。あまりゆっくりしていると」
「あ、すいません」
蓮華さんに忠告され、僕は急ぎ短剣を構える。
そして虫の息となっていたタオゼントの命を終わらせた。
——同時に僕の中から何かが剥がれ落ちる感覚がした。
この後、蓮華さんの言っていた通り、ダンジョンは崩壊し始めた。蓮華さん曰く、ここではない、また別の区域に同じようなダンジョンが出現するとの事だ。しかし、そのエリアはまだ特定はできていないみたい。
途中何度か危ない場面があったものの、僕と蓮華さんは何とか洞窟を出ることができた。そして、今現在僕たちはダンジョンの入り口があった岩壁の前にいる。
「無事脱出できましたね。すいません、肩をお借りしてしまって」
「いえ、蓮華さん怪我人なんですから気にしないで下さい。それよりも本当に病院で診てもらわなくて大丈夫ですか?」
「はい。仲間に治療してもらいます。それと煌生。精霊についてや偽装空間について、他言無用でお願いできますか。人型精霊の存在が明るみになるのを快く思わない者もいるので」
「わかりました。誰にも言いません」
もともと口外する気は一切なかったけど喋ったところで多分、流言として処理されるだろう。実際、自分の目で見ないとみんな信じないと思うし。
ただこの忠告は昨日いうべきだったのでは?と内心思う。
「それと……あなたにはいくつかお礼を言っておきます」
お礼? 改まって感謝されるようなことは特にしていないけど。僕は不思議に思い蓮華さんへ「何のことですか」的な視線を送ると、彼女はこういった頭を下げることに慣れていないのか、気恥ずかしそうに目線を斜め下に逃がしていた。
「全く……言わなければわからないのですか? 私を庇ったり、必死になって助けようとしたりしてくれたではないですか。それについての謝意です」
「当たり前のことをしただけですし気にしないで下さい」
「煌生は優しい方ですね。自分も怪我してるのに。私ばかり心配して……」
すっかり忘れていたけど歩肢による攻撃で、僕も右足右腕怪我してたんだっけ。思い出したら痛くなってきた。痛てて……
「ふふ。大丈夫ですか? もし辛いなら私が手当てを」
僕の様子がおかしかったのか、蓮華さんは幼子を見るような目で小さく笑う。
本心では診てもらいたかったけど、僕なんかより自分の怪我を早く治した方がいいと丁寧にお断りした。
「——では、私はこれで」
「はい。さようなら蓮華さん」
そして、僕たちはそれぞれの帰路についた。