6 精霊女子とダンジョンへ
「いよいよ、ですね」
「煌生。志気の方は失ってませんか? 今更ですが怖気付いたとか言わないでくださいよ」
「大丈夫です! 蓮華さんの仲間、助けにいきましょう」
僕たちは現在偽装空間の入り口前に立っており、今まさに突入しようとしたところ。
ここにくるまでの間、身体に大きな変化はなかったが少しだけ全身が軽くなった気がする。
蓮華さんはいつの間にか黒いマスクをして、腰には刀を差していた。長々とした形状、これが蓮華さんの使用する武器か。『鉄の精霊』を名乗っているだけあって扱う武具も豊富で頑丈そうだ。
それに引き換え僕は両手両足何もなく、無防備な状態だ。敵がどんな攻撃を仕掛けてくるかわからない(そもそも『悪意ある妖精』についての情報が皆無)。
「さあ、行きますよ。私のあとについてきて下さい」
「わかりました」
僕は蓮華さんの背を追いかけながら、真っ赤な入り口へ足を踏み入れた。
偽装空間。そのエントランスは血で染められたかのような色で、侵入者を総毛立たせ立ち入ることを躊躇わせる。実際僕も恐怖から、無意識のうちに蓮華さんのスカートを掴んでいた。男としてなんとも惨めな姿だが現況では彼女の方が強いのだから仕方ない。
「あの、煌生……普通こういう時は上着の裾とかを持つんじゃないですか? 何故スカートの、しかも下端部を鷲掴みにしてるんです? もしかしてこの鮮紅の壁を見て情欲が抑えられなくなりましたか?」
彼女にそう言われて僕は周囲を見渡してみる。その内部は一面にひたすら赤が広がっており、地面、壁、天井……と照明を除けばどれもが同じ色をしている。
「まるで誰かの口内に入ったかのような感じですね」
率直な感想だった。入り口も魔物が大きな口を開けて餌を待っているそんな感じがしたし。
「……私の話聞いてますか? 今そんな比喩表現なんて聞いていません。スカートから手を離しなさい。歩きづらいです」
「あ……すいません。ちょっと洞窟の雰囲気に押されてしまって」
「しかし持つ場所を間違えてます。掴むならせめてブレザーの裾にしてもらえますか?」
「いえ。大丈夫です」
いくらなんでも男としての体裁が悪すぎるので、その提言は悲しいかな辞退させてもらった。
蓮華さんは僕のせいで若干乱れたスカートを正すと洞窟の奥へと歩き出す。
僕はもう一度四方を見渡して、偽装空間の内部を確認した。
ゴツゴツとした岩壁。その赤い壁には等間隔で連なる白光が遥か奥まで続く。耳を澄ますとどこかに水場があるのか、ポタポタと水滴の音が聞こえてきた。
洞窟やダンジョンとかアニメやゲームから持ってきた知識しかないけど、やはり二次元と実際この目で見るとでは全然違う。視覚と聴覚だけじゃなく、触覚、味覚、嗅覚も加えるこの状況ならそれは当然だが。
それにしても、この色……見慣れているものなのに何故ここまで不気味なのだろう。僕の中にある『赤』のイメージ。真っ先に浮かぶのは血液だ。次いで火である。警告色の一つであるそれを見ると嫌でも注意を引いてしまう。
この景象はもしかしたらそんな意味が込められているのかもしれない。
「どうしました? 何か焦っているように見えますが……」
「はい。なんかソワソワするというか。落ちつかないというか」
「内部構造のせいでしょう。この彩色、私も冷静さを保つのに苦労しています」
「蓮華さんは中に入るのは初めてじゃないんですよね?」
「はい。何回か突入したことがあります。しかし大体調査中に時間切れになってしまい引き返しています」
昨日蓮華さんが言っていたタイムリミット。『20時から21時の間に強制退出させられる』この制限のせいで洞窟内を調べるのも一苦労しているみたいだ。
「——それにしても灯りだけは白色なのが唯一の救いですかね」
「視線の逃げ場にはなるかもしれません。が、この光景には早く慣れて下さい。恐らく洞窟内全てこれ一色でしょうから」
「どこまで行っても真っ赤っ赤。なるほど……血染めの洞窟‥‥変換してブラッディダンジョンですか。なんか偽装空間よりこっちの方がしっくりきません?」
「ネームの響きは悪くないですが、名付け方がアホなので却下します」
「アホ……でもダンジョンの方が」
「さ、馬鹿なこと言ってないで行きますよ」
静まり返った洞窟内。雫の音と砂利を踏む音だけがよく響く。蓮華さんはアンシリーコートがいるって言ってたけど今のところその姿は見えない。暫くの間、同じ景色が視界をスライドしていった。
「そろそろです。——煌生。これを」
蓮華さんは立ち止まり突如、長さ50センチ程の短剣を僕に差し出した。
その外見は切れ味抜群そうな刃とグリップする場所には蛇の姿が刻まれているものでビジュアルも悪くない。
「これは?」
「私の魔力で作ったものです。丸腰というのはあまりに危険ですしね」
「へえ……改めて見ると凄い力ですよね。武器が作れるって」
「いえ。この魔法は『鋼鉄の改変』というもので下位精霊魔法です。精霊ランクEクラスの私ではこの程度が限界ですね」
「精霊ランクって何ですか?」
「精霊の間で決められている格付けですね。この位置付けは秘めている魔力の量、下位から最上位まである精霊魔法をどこまで扱えるかによって決定します。例外があるかもしれませんが基本的にこうです」
蓮華さんの精霊についての解説。
『ランクE』『ランクD』下位魔法を使用できる。
『ランクC』『ランクB』中位魔法を使用できる。
『ランクA』上位魔法を使用できる。
『ランクS』最上位魔法を使用できる。
これより上のランクも存在すると言われているらしいが蓮華さん本人、まだお目にかかれていないみたいだ。
「掻い摘んで説明するとこんな感じですね。後は魔力の総量によって細かく振り分けられます。私の場合ですとEが妥当ですね。すぐに魔力が底をついてしまいますし」
「……あの一つ疑問に思ったんですけど、このランクは人型精霊になってから取り決められたものなんですか?」
「はい。その通りです。しかし何故そんな質問を——」
聞き返そうとした蓮華さんだが一考するとすぐに僕の真意を察する。
そもそもガイストになる前、鉄や何かしらの万物に宿っている時にこれらの魔法が扱えていたら、今頃人間の間では大騒ぎだし、精霊という存在がちゃんと認知されている筈。しかし僕の知る限り、現代ではそんな様子はない。
だとしたらこのランク付けは彼女や他の精霊がガイストとしてこの世に生まれてきた後のものになるだろう。それともう一つ気になること。
「この取り決めはどの精霊が、誰が決めているんですか?」
この問いかけに対して蓮華さんは答えるのを避けたいかのように視線を逸らした。
「申し訳ありません。それに関してはお応えができません。色々と規則がありまして……」
「そう、ですか」
この回答から推察するに蓮華さん達のようなガイストを仕切っている精霊がいるのは間違いないだろう。ただしその領域は人間である僕が簡単に踏み込んではいけない場所。昨日知り合ったばかりの人間にそんな大切なことをペラペラ喋ってしまうような性格をしていたら、それこそ蓮華さんは信用に足らない者ということになる。
どれぐらい歩いただろう。時間は結構経った気がする。ただこの延々と続く赤い景色を見ていると正確な感覚は掴みづらい。
ここに入ったのは17時半頃。大分歩いたし一時間は経過したころか。しかし今のところ敵といった敵は現れていない。
このまま何事もなく、という僕の願い。それは蓮華さんの一言によって脆く崩れた。
「止まって下さい……『悪意ある妖精』が現れました。——名はタオゼント。百足の妖精です」
僕は眼前に現れたその姿を見て、恐怖から身体が凍りついた。