2 精霊女子は負けず嫌い
鉄の精霊の女性——蓮華さんに助けを求められて偽装空間へ入ろうとした矢先、何故か彼女はそれをストップした。
「あの、行かないんですか?」
僕がそう問うと蓮華さんはきまりが悪そうに目線をキョロキョロさせる。
「大事なことを忘れていました。偽装空間の入口は宵を迎えると閉鎖してしまうのです。今の時期……5月ですと19時前ぐらいに」
「え、じゃあ中には……?」
「今日は入れません。因みに偽装空間の内部も20時から21時の間で機能が停止するので、無関係な者は強制的に退去させられてしまいます」
んー、ラストオーダーが19時で閉店が20時過ぎということか……えと、何処のファミレス?
「けど、蓮華さんの仲間は大丈夫なんですか?」
「心配ですがどうしようもありません。ただ悪意ある妖精の目的は別にあります。現段階で私の同胞は交渉するための人質。だから手を出したりはしないと思います」
「蓮華さんがそう言うなら、従うしかありませんが」
そもそも僕は精霊や妖精、不可思議な洞窟のことなどまだちゃんと理解していない。何もわからない状態で無闇には動けないし蓮華さんの言うことを聞くしかないだろう。
「せっかく来ていただいたのに申し訳ありません。明日また、と言うことになりますが予定の方は大丈夫ですか?」
「はい。特に用はないので。けど待ち合わせするなら早めにしましょう。今日みたいな失態を犯すわけにはいきませんし」
今日は色々やってて下校する時間がだいぶ遅くなってしまった。だから明日は、学校が終わったらすぐに帰れば今日みたいなことにはならないだろう。そんな意図でアドバイスしたつもりだったが蓮華さんはムッとした目をしている。
「失態……ですか。しかし予定通りあなたが帰宅していれば間に合った可能性もあります。放課後何をしていたんですか? 私は2時間も待っていたんですけど」
責任の一部を僕に転嫁してきた蓮華さん。それには僕もカチンときてしまう。
「あの、なんで僕のせいにするんですか? 約束していたわけじゃないですし……ちょっと言い方悪いですけど蓮華さんが無計画なだけなのではないでしょうか?」
「なっ……! 煌生、生意気なことを言いますね。あなたは確か今年高校生になったばかりで私より歳下です。小賢しい発言は控えなさい」
「こういうのに年齢は関係ないんじゃないですか? 悪いと思ったことは素直に反省してください。それと歳上って言ってますけど、そもそも蓮華さんは精霊ですよね? 年齢の基準は人間と一緒なんですか?」
「少なくとも未熟なあなたよりは長く生きていますよ」
蓮華さんは頑固なのか負けず嫌いなのか、ムキになって言い返してきた。僕の性格上、女性と口喧嘩しても確実に負けるのは目に見えている。けどこのままこっちが引き下がるのはなんか納得いかない。だからちょっと意地悪するつもりで最終手段に出た。
「蓮華さんが非常識な精霊ということは理解できました。ですので今回、僕は辞退させていただきます」
「え……駄目です。助けてくれると言いませんでしたか? 約束を反故にするのは許しませんよ。小癪な真似はやめなさい」
蓮華さんは明らかに動揺し始めていた。ついさっきまで余裕そうに振る舞っていたのに言動が焦りの色に変わってきている。
「よくよく考えたら無理矢理連れて来られただけですし、蓮華さん一人でやればいいじゃないですか。自分のミスを僕のせいにして……そんな方の約束なんて守りたくありませんよ」
蓮華さんに背を向けて僕は歩き出す。するとすぐに控えめじゃない声が耳に届いた。
「待ちなさい。——煌生にここで帰られたら困ります。どうすれば許してくれるか答えなさい」
別に僕は蓮華さんを見捨てたわけではない。ただ彼女の言葉に対して不満があったので少しからかっただけである。
チラッと振り返ってみると僕の心境を読めていない蓮華さんは、訴えかけるような視線でこちらに答えを求めていた。
熱心な彼女を見て、あまりふざけすぎるのも良くないと思ったので種明かしをする。
「はは。冗談ですよ。少しいじめてみただけです。気にしないで下さい」
「え?」
「でも蓮華さんもいけないんですからね? 人のせいにするのは駄目です。はんせ——猛省しなさい」
「……は?」
「それにしても、さっきの焦った様子は滑稽でした。お仕置きした甲斐がありましたよ」
「…………はあ?」
「さて、帰りましょうか。明日が本番ですからね。今夜はゆっくり休んで疲れをとりましょう」
大したことをしたわけではないが今日は色々あったし若干疲弊している。帰宅したら軽くゲームをしてすぐに寝よう。
そんなことを考えながら歩を進めようとした瞬間。
「——んぐっ!」
不意に首周りが窮屈になった。背中全体に柔らかい何かが接触している。事態を把握するため首元を見てみると目先には黒と銀のガントレット。
これは確か……と思索していたら。
「はあ……ぃけない子ですね? おいたがすぎますよ?」
左耳すぐ後ろから籠ったような吐息と囁きが肌をなぞってきた。その色声のせいで僕の全身はくすぐったさとゾクゾク感に襲われる。同時にメロンのような甘くて高級な香りが鼻腔に届いた。少しばかり心地よくなり始めたところ、気道にかけられた圧力が更に強くなる。
「あ、あの、蓮華さん? なんでいきなり首絞めて……グっ」
「黙りなさい。お仕置き? いじめ? 初対面の相手に対して随分と無礼な行為をするのですねあなたは」
「って、それは蓮華さんだって、同じ、じゃないですか」
「違います。私は歳上ですから」
「歳だけ無駄に重ねて、中身は成長してないんじゃないですか? 大人げ無さすぎますよ蓮華さん」
「ムカつくことを……どうやらあなたは黄泉の国へ旅行したいようですね。よろしい。このまま絞殺しますので未知の体験をなさって来て下さい」
「んぐ! ちょっ!」
「どうですか? ごめんなさいしますか? それなら私も——」
「蓮華さん、いいんですか? こんな暴行。今回協力するの本気でやめますよ?」
「そんな見え見えのブラフかましても無駄ですよ。というより仮にあなたが断っても強引に連行していきます。煌生の拒否権はたった今、なくなりました」
そんな無茶苦茶な、と蓮華さんを振り払おうと抵抗していたら——。
「うおーいそこのバカップル。こんなとこでイチャついてるんじゃねえっぺよ。もう暗くなってきたからさっさと帰るっぺ」
山の管理者かよくわからないけど、初老の男性がこの地域ではあまり聞き慣れない方言と訛りで注意してきた。
男性はやれやれと言った面持ちでこちらを見ており、僕たちのことを人気のない場所を選んで戯れに来たアホなカップルだと勘違いしている模様。
僕と蓮華さんは初老の男性に軽く頭を下げた後、逃げるようにして林道を下っていく。
その途中、蓮華さんはまだ納得がいってないといわんばかりに隣で何か訴えていたので、僕は右から左に流しておいた。
やがて文句を言い終えた(ほとんど聞いてないけど)蓮華さんはスッキリした表情で今後の予定について話し出す。
そして、明日放課後、学校の近くにあるファミレスで待ち合わせることになった。別れ際彼女から「寄り道せずに!」と強く念を押されて。